志木駅
志木駅(しきえき)は、埼玉県新座市東北二丁目にある、東武鉄道東上本線の駅である。駅番号はTJ-14。
歴史
- 1914年(大正3年)5月1日 - 東上鉄道池袋 - 田面沢間開通と同時に開業。当初は白子(現・和光市駅)から真っ直ぐ川越街道に並行して膝折・大和田を経て敷設される計画であったが、志木の商人および沿線の有力者によって新河岸川(舟運)と南側の川越街道とを避けるようにして現在地に建設された。当時は北口(現・東口)のみ設置された。
- 1920年(大正9年)7月22日 - 東上鉄道と東武鉄道の合併に伴い、東武東上本線の駅となる。
- 1929年(昭和4年)10月1日 - 池袋 - 川越市間電化。
- 1937年(昭和12年)5月5日 - 成増駅 - 志木駅間複線化。
- 1954年(昭和29年)11月1日 - 志木 - みずほ台信号所(現・みずほ台駅)間複線化。
- 1959年(昭和34年)4月1日 - 蒸気機関車の運転終了。
- 1960年(昭和35年)4月 - 南口が新設される。
- 1970年(昭和45年)3月1日 - 池袋寄りの橋上駅舎に移転。
- 1986年(昭和61年)10月21日 - 貨物営業を全廃。
- 1987年(昭和62年)8月25日 - 和光市 - 志木間複々線化。帝都高速度交通営団(現・東京地下鉄)有楽町線開通により、相互直通運転開始。
- 1998年(平成10年)3月26日 - 特急通過となる。
- 2008年(平成20年)
駅構造
島式ホーム2面4線を有する地上駅。上下線とも優等列車との接続が可能である。2番線と3番線は当駅発着の列車および普通列車が使用するが、一部の上り普通列車は4番線から発車する。また、夕方の下り準急列車の一部はこの駅でTJライナーの通過待ちを行うため、2番線に到着する。この先の複々線区間は外側が急行線、内側が緩行線としているが、万が一沿線で何らかのトラブルが発生した場合には急行電車が内側線に入ることがある。
橋上駅舎を有し、南口と東口の出口がある。
東上線は和光市 - 当駅間が複々線で、当駅より下り方は複線区間となる。ラッシュ時を中心に池袋発着もしくは有楽町線・副都心線直通の普通(各駅停車)の当駅始発・終着列車が設定されている。なお、副都心線(東急東横線・みなとみらい線)からの8両編成の列車は当駅で折り返す。
以前は、様々な事故によりダイヤ乱れが生じ、後続の準急が迫っている場合、複々線区間が当駅で終了するために有楽町線から直通する普通川越市行きが当駅で打ち切りとなることがあったが、副都心線と直通運転を開始してからはそれがなくなった。ただし、副都心線で、当駅まで直通予定だった普通が和光市止まりとなることがある。また、東上線でダイヤが乱れている時は有楽町線や副都心線(東横線・みなとみらい線)からの直通電車は当駅までほぼ時刻通りに運行されるが、急行が迫っている場合は当駅で急行を待避し、「信号が変わり次第発車」とアナウンスされる。上りの有楽町線や副都心線(東横線・みなとみらい線)への直通はほぼ時刻通りで運行される。時刻通りでないのは、和光市駅 - 当駅間では基本的に池袋発着の普通電車も有楽町線や副都心線(東横線・みなとみらい線)との直通電車と同様に複々線の内側を使用するためである。
駅ホームと改札内2階を結ぶエレベーターが上下ホームに各1基ずつ設置されている。エスカレーターは上下線とも池袋方階段に併設されている。
川越方の志木市域には4線の折り返し線が、また、ホームに並行して2線の引き上げ線がある。ホームに並行する2線の引き上げ線は、南西側2本の折り返し線を用いることで出・入庫が可能である。
駅構内には、かつて改札前に東上線定期券売り場があったが、階下の南口に移転した。改札外コンコースにはかつて京阪グループであるジューサーバーの首都圏第1号店が出店していた。
商業施設として、改札外コンコースに「エキア (EQUIA) 志木」が、東口方向に「st.TOSCA」がある。
のりば
番線 | 路線 | 方向 | 行先 |
---|---|---|---|
1・2 | ■東上線 | 下り | 川越・坂戸・森林公園・小川町方面 |
3・4 | ■東上線 | 上り | 朝霞台・和光市・池袋方面 有楽町線 新木場・副都心線 渋谷・■東急東横線 横浜・■みなとみらい線 元町・中華街方面 |
- 先述の通り、当駅始発・終着列車は主に2・3番線に発着する。
利用状況
2012年度の一日平均乗降人員は100,401人である[1]。東上線では池袋駅、和光市駅(有楽町線・副都心線への直通・乗換客含む)、朝霞台駅、川越駅に次ぐ第5位である。東武鉄道全駅中、他線への乗り換えがない単独駅としては最も多い値である。
近年の一日平均乗降人員は以下の通り。
年度 | 1日平均 乗降人員 |
1日平均 乗車人員 |
---|---|---|
2001年(平成13年) | 95,862 | |
2002年(平成14年) | 96,427 | |
2003年(平成15年) | 96,501 | |
2004年(平成16年) | 95,413 | |
2005年(平成17年) | 94,714 | |
2006年(平成18年) | 95,850 | |
2007年(平成19年) | 97,708 | 48,940 |
2008年(平成20年) | 99,547 | 49,827 |
2009年(平成21年) | 100,126 | 50,098 |
2010年(平成22年) | 99,752 | 49,848 |
2011年(平成23年) | 98,294 | 49,087 |
2012年(平成24年) | 100,401 |
駅周辺
当駅は、新座市、朝霞市、志木市の3市の境界に近い位置に立地する。そのため、駅舎の大半は新座市にあり、所在地としての住所は新座市にあるが、東口の出口付近から東口バスターミナルにかけては志木市である。さらに、駅から徒歩3分ほどの場所は朝霞市となっている。この立地から、当駅は志木市だけではなく、新座市の鉄道での玄関口[4]としての扱いを受けている。
駅周辺の主な道路としては、「慶應通り」と呼ばれる埼玉県道36号保谷志木線や「志木街道」と呼ばれる埼玉県道40号さいたま東村山線、駅東口と埼玉県道36号保谷志木線とを結ぶ埼玉県道244号志木停車場線がある。
志木・新座・朝霞の3市は文教都市であり、南口(新座市)には立教大学新座キャンパスや立教新座中学校・高等学校が、また、東口(志木市)には慶應義塾志木高等学校がある。
古くから急行停車駅であったことから、駅周辺は商業集積が進んだ。また、東京都心方面への通勤の利便性から、駅周辺にはマンションが林立している。かつて駅東口にはららぽーと志木(志木市)があったが、2005年3月をもって閉店となり、跡地に分譲マンションが建設された。駅周辺の大型駐輪施設は南口側にある。
東口には駅ビル「st.TOSCA」(新座市)の他、ペデストリアンデッキの先に「マルイファミリー志木」(志木市)と志木市役所駅前出張所(志木市)がある。南口には旧駅ビルに「にいざ・ほっとぷらざ(新座市生涯学習センター・男女共同参画推進プラザ)」がある。
駅周辺はショッピングゾーンや飲食店が多数出店している。
公的施設・郵便局
- 志木市役所
- 志木市役所 駅前出張所
- 新座市役所 東北出張所
- 志木郵便局(志木市)
- 志木駅前郵便局(新座市)
バス
東口(志木市)からは志木市本町・柏町・宗岡地区、志木市役所・富士見市水谷東・南畑地区、富士見高校、さくら草公園、中浦和駅、埼玉県庁、浦和駅、南与野駅、埼玉大学、朝霞市膝折地区、朝霞駅、柳瀬川駅方面、また南口(新座市)からは新座市北野・大和田・野火止地区、新座団地、新座駅、新座市役所、平林寺、東所沢駅、所沢駅、朝霞台駅、ひばりヶ丘駅、清瀬駅方面への路線バスが運行されているほか、南口からは成田空港・羽田空港行きの空港連絡バスと東京スカイツリータウン行きの高速バスが発着する。この他、東口にある埼玉りそな銀行の前から大阪方面のVIPライナー高速バス(夜行)が発車する。
東口バスターミナルは志木市本町五丁目に位置する。駅コンコース2階から続くペデストリアンデッキの先の地上階にあり、マルイファミリー志木など志木市の駅前商業施設群と一体化している。改札からは駅ビル・ペデストリアンデッキを抜けて3分程度かかる。南口バス乗り場は駅前ロータリーにある。
- スクールバス(西武総合企画)
- 南口発
- 立教新座キャンパス行き(直通)
- 南口発
国際興業バスの定期券
国際興業バスの定期券は近隣のららぽーと志木で発売していたが、2005年3月31日に閉所した。現在は西浦和営業所で取り扱っている。
駅名の由来
志木市#地名の由来 も参照 開業当時の所在地の自治体名である志木町に由来する。東上線は当時の志木町の廻船商人井下田慶十郎が志木町への誘致を働きかけ、これにより当初の計画を変更して志木を経由する経路で敷設され、東上線の開業とともに当駅が設置された。よって改札も志木側(北口、現在の東口)にのみ設けられ「志木駅」と命名された。当時、駅舎とホームは現行より川越寄りの志木町域に立地していた(現・マルイファミリー志木付近)。
1960年、当時の新座町に立教高校が移転し、これに合わせて当駅の新座側に南口が新設された。その後、1970年3月に駅舎は池袋寄りの橋上駅に移転し、所在地は志木町と宗岡村が合併して成立した当時の足立町から新座町に変わったため、日本国有鉄道(国鉄、現JR)武蔵野線新座駅が開業するまでは新座住民から新座駅への改称要望が出されていた。只、国鉄新座駅は住民の意向でできた駅ではないため、反対運動が起きており、2002年までは再開発が進んでいなかった。
隣の駅
- 東武鉄道
- ■東上本線