美術モデル
美術モデルとは、絵画、彫刻、版画、素描、クロッキーなど、あらゆる美術作品に資するための人体モデルである。絵のモデルについては絵画モデルとも呼ばれる。
概要
日本では、明治時代には芸用モデルといわれていたが、戦後外来語が多用される時代に至りデッサンモデル、クロッキーモデル、美術モデルなどと、用途や使命によって呼ばれ方が変わる。“写真起こし”では得られない、生身の立体モチーフでの練習などでは必要である。
美術モデルは、フリー・モデル(美術モデルの派遣事務所等に所属していないモデル)もいれば、専業としている美術モデル(美術モデルの派遣事務所に所属しているモデル)もいる。またダンサー、美術、舞踏、バレエ、現代舞踊、演劇、音楽系の仕事をしていて(あるいは目指しながら)兼業として美術モデルをしている人も多い。主婦やOL、パート、アルバイトのモデルもいる。
美術モデルは、立ち・座り・寝ポーズの基本的ポーズをとるのが普通である。ポーズは通常、毎回同じポーズをとる場合と、毎回違うポーズをとる場合がある。前者は「固定ポーズ」、後者は「クロッキー」と呼ばれることが多い。クロッキーの場合は短時間でモチーフの形状をつかむことを主眼に行われる。そのため、5分以下で順次ポーズを変えることもしばしば行われる。その他に、静止せずにずっと動き続けている、「ムービング」と呼ばれるものもある。
20分間ポーズをとり、5分間から10分間の休憩を挟むのが一般的である。20分ポーズを6回とし、ポーズと休憩の合計時間は、2~3時間というケースが多い。
美術モデルとして求められるのは、ポーズ中動かないこととされている。固定ポーズの場合は、休憩をはさんでも同じポーズを取る。その場その場での要望に応じたポーズが取れる者は、優れたモデルとされる。また、ポーズはモデルに任せられることも多い。画学生や画家の要望に応じ、ポージングしていく能力があれば、さらに評価が高くなる。未経験者を起用する場合もあれば、モデル紹介所に所属している、経験豊富なプロのモデルを起用する場合もある。裸婦モデルをつとめられるモデルは、モデル経験がなくても需要が多いので、難しく考えず問い合わせることが第一歩となる。
なお、美術モデルとは、「芸術の分野に於ける創作活動に従事するモデル」であり、芸能関係やファッション関係のモデルとは異なる職業である。外国の例についていえば、熱心なキリスト教徒の場合、ヌードを嫌い着衣モデルを起用することもあるが、裸体がアートの起訴であることを理解している寛容なクリスチャンは、ヌード・モデルを起用することもある。
歴史
ルーブル美術館の入館案内書の記述によれば、美術モデルは紀元前からその存在は確認されているとあり、モデルと名のつく物の中では最古の存在であるとの説もある。日本では、江戸時代の浮世絵や春画にも裸婦像がみられる。春画の場合、上半身には着物を着ている場合も多い。明治時代、1889年に東京美術学校が開校し、1896年には黒田清輝の帰国により、西洋画科を設置した。ヌード・モデルを必要としたが、モデルの女性がなかなか見つからない。その際、学校に勤めていた女性が私ではいかがでしょう、ともうし出て、美術学校初のヌード・モデル・デッサンが実現した。宮崎菊という女性が裸婦モデルをしたのが最初とされるが、彼女はその後「宮崎モデル屋」を開設し、運営したという。この間の経緯は、戦後美術モデルに関わった浅尾丁策の著書に詳しい。
現在は、美術モデルの斡旋を専門にしているモデル事務所に所属する、プロの美術モデルも存在する。プロの美術モデルには、ヌードのみを専門にするモデル(ヌードモデル・裸婦モデル)だけでなく、衣装を装った仕事のみを専門にするモデル(コスチュームモデル・着衣モデル)、ヌードと衣装の両方の仕事をするモデルなど、様々なモデルがいる。
著名な美術モデル
- オードリー・マンソン[1] - 美術モデル、女優
- アリス・プラン - モンパルナスのキキ[2]
- ジョアンナ・ヒファーナン[3](クールベのモデル)
- ヴィクトリーヌ・ムーラン(マネのモデル)
- カミーユ・クローデル(ロダンのモデル)
- ジャンヌ・エビュテルヌ(モディリアニのモデル)
脚注
関連項目
外部リンク
- 美術モデル研究室(HP閉鎖 アーカイブ)