三軒茶屋愚連隊
「三軒茶屋愚連隊」(さんげんぢゃやぐれんたい)とは、日本の暴走族である。暴走族の連合体「関東連合」の友好団体の一つ。チーム名は「三茶愚連隊」と略される。
概要
東京都世田谷区三軒茶屋・三宿周辺を拠点とする。80年代半ば、諸事情により後継者を立てずに解散することになった「関東連合」所属の暴走族「三軒茶屋ブラックエンペラー」の後継チームとして、昭和46年世代の不良少年が旗揚げしたのが「三軒茶屋愚連隊」である。旗揚げ当初は新興チームということで、強力なOBの後ろ盾もなく東京・神奈川の多数の暴走族から標的にされたが、一年後には実績を作り都内に知られる有名チームになった。
90年代前半には昭和53年世代の見立真一ら杉並区の不良少年が、当時休眠状態であった「関東連合」を正式に復活させるが、彼らが後々に起こす抗争などには関わらなかったため、一応の友好関係であったが三軒茶屋愚連隊の関東連合内での立場は低かった。97年7月に関東連合が起こした大崎での抗争事件(柴田大輔が「荏原ZERO神」の錦織昭を刺殺)で、警察から追われていた柴田大輔の潜伏先(川名毅が匿っていた)を、三軒茶屋愚連隊の昭和56年世代のメンバーが密告。激怒した「関東連合」の中心的チーム宮前愚連隊に追い込まれ、そのケジメとして三軒茶屋愚連隊は永久解散することになった。柴田の自著『聖域』では詫び料として川名に300万円、柴田に200万円を支払ったという。
『ティーンズロード』編集長の比嘉健二が、90年代半ばに三軒茶屋愚連隊を取材した際は「かつての暴走族のイメージから程遠く、チーマーと何ら変わない」「二輪はアメリカンタイプ、四輪は車高を上げてヒップホップを大音響でかき鳴らし、車内にはスケボーを積んでいる」と語っていた。また、柴田大輔は自著『いびつな絆』内で「三軒茶屋愚連隊は私たち(宮前愚連隊)ほど凶暴なグループではなかった」と述べている。
なおヒップホップグループの「妄走族」は三軒茶屋愚連隊のOBが中心となって結成されている。
三茶抗争
80年代末期、または90年代初頭に勃発した、三軒茶屋愚連隊と渋谷のチーマー(当時は「渋カジ族」とも呼ばれていた)による抗争である。きっかけは当事者も思い出せないような小さなイザコザだったというが、結果的に一般人をも巻き込み重傷者を多数出す大抗争に発展した。毎日のように三軒茶屋愚連隊が渋谷に襲撃を仕掛け、拉致され凄惨なリンチを受けたチーマーが多摩川などに捨てられる事件が頻発。「渋谷で楽しく遊べればいい」と考えていたチーマー達は戦々恐々とするも、チーマー側もチームを垣根を越えて喧嘩が出来る者だけを集めた少数精鋭の武闘派グループ「湖池屋」を結成して反撃に出る。三軒茶屋愚連隊のたまり場を襲撃して回るも、一般人を巻き込んだために警察沙汰となり「湖池屋」がほぼ全員逮捕された。その後、関東連合の川名毅と、三軒茶屋愚連隊OBとチーマーOBの話し合いにより抗争は終結する。
この抗争で川名毅が、渋谷の不良利権を実質的に手に入れることに成功。関東連合の渋谷進出の足掛かりとなった。