小田急バス
小田急バス株式会社(おだきゅうバス、英称:Odakyu bus Co., Ltd.)は、東京都城南・武蔵野地域、川崎市、横浜市北部を中心としたバス路線を運行する
概要
主な事業は路線バスの運行である。6つの営業所に512台のバスを持ち、上記地域における一般路線バスの運行にもっとも多くの車両を割いているほか、空港リムジンバスの運行にも参入している。観光バスの営業規模は小さい(現在は小田急シティバスが担当)。
バス事業以外に副業として、住宅・オフィスビル・駐車場の賃貸や分譲などを行っている。ガソリンスタンドの営業も行っていたが2014年10月31日をもって全店が閉店した[1]。本社は、当初新宿におかれたが、1990年代に移転し、現在は調布市仙川のバスターミナルに隣接した場所(同社が運営していたモービル石油GSのあるビル)にある。
近年はコミュニティバスの運行受託にも力を入れており、平成15年10月、国土交通省から「国土交通特別大臣賞」を受賞した。
グループ会社として小田急シティバス、川崎交通産業、新立川交通などがある。
歴史
創業期
小田急バスの始まりは、昭和初期に遡る。東京赤坂に本社をおいていた安全自動車が吉祥寺 - 野崎 - 調布間の路線を運営していた。しかし、当時の北多摩地区はまだ人口も少なく、経営状態はよくなかった。そこに長野県出身の児玉衛一が着目し、五島慶太の助言を受けた上で、安全自動車を買収し、1932年(昭和7年)6月に武蔵野乗合自動車を設立することとなった。
武蔵野乗合自動車の創業当時の路線は、調布 - 三鷹天文台 - 武蔵境と調布 - 吉祥寺の2路線であったが、人口が少ないこともあり、安全自動車と同様経営は苦しかった。また、安全自動車から買収した資機材による運行のため、車両等の老朽化等による故障にも苦しめられた。
1937年(昭和12年)には、本社を吉祥寺駅南口に移転し、あわせて、吉祥寺 - 野崎、武蔵境 - 野崎の2路線の営業を開始することとなった。
戦時統合と武蔵野乗合自動車
戦時体制に入るにつれて、武蔵野乗合自動車でも戦時輸送が大きな割合を占めていくこととなる。沿線には、中島飛行機(富士重工)、日本無線、正田製作所(日産自動車)など、軍需工場が設置されており、工場への従業員輸送が多く発生した。
このような、戦時体制の中で、陸上交通事業調整法の公布により、バス事業者は極力統合される方向となり、武蔵野乗合自動車が運行を行っていた東京西部地域は、東京急行電鉄(いわゆる大東急)として統合される方針であった。しかし、武蔵野乗合自動車はこれらに統合されることなく引き続き輸送にあたることとなった。
戦後復興と小田急電鉄による買収
上記の軍需工場等の空襲等で沿線地域はある程度被害を受けたものの、武蔵野乗合自動車がのバス路線はほぼ無被害であった。しかし、戦争中からの物資不足等の影響により、保有する車両の整備等もままならず、実質的には運行できる状況ではなかった。この後、1946年(昭和21年)以降、順次運転を再開していくこととなるが、増資等による車両の購入等を進め、運行を行う体制は徐々に整っていくものの、営業収支は厳しい状況が続いた。
1949年(昭和24年)には、東京急行電鉄から東都乗合自動車他を買収した国際興業から、武蔵野乗合自動車に対しても買収を行いたい、との話が持ち込まれ、同年8月に武蔵野乗合自動車は、国際興業傘下のバス事業者となった。借金等は国際興業が肩代わりし、身軽になったものの、経営状態は相変わらず厳しいものであった。
一方、1948年(昭和23年)に東京急行電鉄から分離した小田急電鉄は、自社でバス事業を保有しておらず、自社線への乗客輸送等を他社が行うバス事業に頼らざるをえない状況となっていた。このような状況を打開すべく、小田急電鉄は直営バス事業の新規免許取得を目指していたが、復興優先の状況の中では認められない状況であった。そこで、小田急電鉄は、悲願の直営バス事業を得るために、既存事業者の買収を図ることとなった。
武蔵野乗合自動車の株主であった国際興業との意見の一致を見たことにより、小田急電鉄は、1950年(昭和25年)8月17日に武蔵野乗合自動車を買収した。同年9月1日に商号を変更し、ここに小田急バスが誕生した。
小田急バスの発足
小田急バス発足時の体制は以下の通りであった。
路線網の拡充
小田急バスとして発足して以降、大きく路線の拡充を図ることとなる。 1950年(昭和25年)に新宿 - 三軒茶屋(三軒茶屋線)や新川 - 経堂等の運行を開始した。また、当該地域は他のバス会社による路線が多く設定されており、小田急バスがさらなる運行をする余地はなかったが、東京急行電鉄との交渉の末、渋谷駅 - 成城学園前駅や千歳烏山駅 - 成城学園前駅間の路線の譲渡を受けることとなった。
1950年代後半以降、小田急沿線や小田急バスの営業エリアは急速に宅地化が進展し、駅などへの輸送需要が発生し、新設路線や既存路線の延長が相次ぐこととなった。
モータリゼーションの進展と運行地域の拡大
1960年(昭和35年)に入ると、宅地化の進展により営業エリアを拡大することとなった。一方で、都内においてはモータリゼーションの進展とともに、道路状況の悪化がすすみ、バスの運行の定時性が失われ乗客減を招くとともに、運賃改定がなかなか認められず、経営状況は苦しくなっていった。 このような状況下において経営改善を図るため、省力化を図ることとなり、1960年以降ワンマン化が推し進められることとなった。
21世紀に向けた新しい対応
コミュニティバスの運行受託
東京都内においても、主要幹線道路から離れている場所等では公共交通機関が不便な地域が残り、これらを解消することが、地方自治体の一つの課題となってきていた。このため、1990年以降地方自治体によるコミュニティバスの導入が増えてくるようになる。一方で、自治体にとっては、運営のノウハウを持っていないため、実務はバス事業者に委託する形を取ることが多かった。
小田急バスのエリアの、三鷹市(1998年(平成10年)、みたかシティバス)、世田谷区(2001年(平成13年))、武蔵野市(2000年(平成12年)、ムーバス)においてコミュニティバスの運行が開始され、これらの運行を小田急バスが受託することとなった。その後も、前述自治体での追加路線や町田市(玉ちゃんバス)、調布市(調布市ミニバス)、稲城市(iバス)、狛江市(こまバス)等の運行を受託していくこととなった。
小田急シティバスの設立
1991年をピークとして小田急バスの輸送人員は減少傾向に陥った。また、一方で、人件費等のコストは大きく減少せず、抜本的な改善が求められるようになった。 一方で、道路運送法に定められた「一般乗合バス事業の管理の受委託」が1991年に解禁されたており、小田急バス直営では経営的に問題のある路線を低コストの別会社に委託することにより、収支改善を図ることが可能となっていた。 これらの状況を踏まえ、2000年2月に子会社として、小田急バス若林営業所内に小田急シティバスを設立するに至った。 この後、小田急バスは、同年8月から高速バス倉敷線を小田急シティバスに移管した。また、2001年1月には、下61系統(北沢タウンホール - 駒沢陸橋)、同年5月には渋54系統(梅ヶ丘駅北口 - 渋谷駅)、同年11月には梅01系統及び歳22系統(梅ヶ丘駅北口 - 千歳船橋駅・希望ヶ丘団地)及び新宿ランド線(新宿駅西口 - よみうりランド)の計4路線を小田急シティバスに運行委託することとなった。
また、2000年以降に実施されたバス事業の規制緩和に伴い、貸切事業者等による都市間ツアーバスの運行が開始され、運賃の低廉化が進んだ。小田急バスが運行する高速バスもこの影響を受けることとなり、乗客が減少傾向となった。様々な合理化方策やサービスの改善(女性専用車両の導入)等を行ったものの、収支は極めて厳しい状況であった。このため、2002年4月に小田急バスが当時運行していた高速バス全路線(秋田線、広島線、三原線、岐阜線、高知線)を小田急シティバスへ移管した。
年表
- 1950年(昭和25年)8月17日 - 小田急電鉄により武蔵野乗合自動車を買収する[2]。
- 1953年(昭和28年)3月3日 - 吉祥寺営業所を新設する[2]。
- 1954年(昭和29年)6月1日 - 本社を新宿区角筈に移転する(後に住居表示の見直しにより渋谷区代々木となる)[2]。
- 1959年(昭和34年)3月25日 - 武蔵境営業所を新設する[2]。
- 1960年(昭和35年)10月5日 - 狛江営業所を新設する[3]。
- 1961年(昭和36年)11月4日 - 武蔵境営業所に小田急バス初のワンマンカーを導入する[3](ワンマン化の完了は、1977年であった)[4]。
- 1962年(昭和37年)2月16日 - 堀ノ内営業所を新設する[3]。
- 1964年(昭和39年)11月9日 - 本社を新宿区角筈に移転する[3]。
- 1967年(昭和42年)3月20日 - 生田営業所を新設する[3]。
- 1976年(昭和51年)8月3日 - 小田急バス初の冷房車両を導入する[4]。
- 1983年(昭和58年)7月21日 - 町田営業所を新設する[5]。
- 1985年(昭和60年)12月16日 -深夜バス(鶴川駅 - 鶴川団地・奈良北団地)の運行を開始する[5]。
- 1989年(平成元年)12月22日 - 深夜急行バス(新宿駅西口 - 町田バスセンター)の運行を開始する[6]。
- 1992年(平成4年)10月19日 - 本社を新宿区西新宿へ移転する[6]。
- 1995年(平成7年)5月31日 - 深夜急行バスを廃止する[6]。
- 1998年(平成10年)4月1日 - 都内乗り継ぎ一日乗車券の販売を開始する[7]。
- 1999年(平成11年)2月26日 - ノンステップバスの導入を開始する[7]。
- 2000年(平成12年)2月1日 - 小田急シティバスを設立する[7]。
- 2007年(平成19年)3月18日 - PASMOの導入を開始する[8]。
- 2008年5月1日 - 武蔵境営業所管内においてPASMOを導入し、同車全営業所への導入が完了要出典
- 2009年 - バスの車輌番号表記が変更。xx-Yzzzzのxx-部分が追加(xx:導入年 Y:営業所記号 zzzz:車輌固有の番号)要出典
- 2013年6月2日 - 登戸営業所を新設し、同所への移転という形で生田営業所を閉鎖する。
営業エリアについて
前述のとおり、当社の前身は現在の武蔵野市、三鷹市、および調布市を基盤としていた武蔵野乗合自動車であり、もともと小田急電鉄とは無関係の事業者だった[9]。
一方、戦後新発足した小田急電鉄は直営のバス部門を持たず、傘下会社となった神奈中の路線も当時は鶴川止まりで、東京近郊区間での沿線バス路線開設が宿願となっていた。
そのため、小田急が当時国際興業傘下だった武蔵野乗合を買収することにより、現在の小田急バスが発足した。
このような沿革を持つため、当社は小田急電鉄沿線ではない武蔵野・三鷹・調布地区にも路線基盤を有しているのである。
なお小田急グループ全体としては、小田急電鉄沿線に以下の事業者が路線を有している。
- 神奈川中央交通 - 小田原線(鶴川駅-渋沢駅)、江ノ島線(相模大野駅-藤沢駅)、多摩線(黒川駅-唐木田駅)
- 箱根登山バス - 小田原線(新松田駅-小田原駅)
- 江ノ電バス(江ノ電バス藤沢) - 江ノ島線(藤沢駅-片瀬江ノ島駅)
各営業所(車庫)所在地
営業所名後ろの括弧内の英字は営業所を略記する際の記号。
廃止された営業所
- 堀ノ内営業所
- 小田急シティバス若葉台営業所
- 生田営業所 (E)
現行路線
空港連絡バス
高速バス
- 運行を担当する小田急シティバスを参照。
路線バス
- 各営業所の項を参照。
コミュニティバス受託
- ムーバス(武蔵野市)
- みたかシティバス(三鷹市)
- 調布市ミニバス(調布市・鬼太郎バス)
- 祖師谷・成城地域循環 ミニバス(世田谷区・くるりん)
- iバス(稲城市)
- 玉川学園コミュニティバス(町田市・玉ちゃんバス)
- 狛江市コミュニティバス(狛江市・こまバス)
車両
車種
一部のコミュニティバスとハイブリッド車は日野自動車製が配置されているが、ほとんどの車種がいすゞ自動車製または三菱ふそうトラック・バス製である。2011年3月末現在では約95%車両がノンステップバスになっており、導入率は国内3位である[10]。
車両の大きさに関しては大型車が多いが、一部の営業所には中型車も投入されている。9m大型車や10.5m級中型車の投入はない。1999年以降の新車は大部分がノンステップバスとなっており、なかでもいすゞ・エルガの占める割合がかなり大きい。特に2007年と2008年の投入車は全車いすゞ製(三菱製ノンステップ車は日産ディーゼル(当時、現「UDトラックス」)PKG-RA系のOEMのPKG-AA系(西日本車体工業架装)のみだったため要出典投入されなかったが、09年にPKG-MP系(三菱ふそうバス製造架装)ノンステップ車の発売開始により投入が再開されている)であった。
- 三菱ふそう・エアロスターにおいては三菱ふそうバス製造(当時:三菱自動車バス製造)に一本化されるまでは当時の三菱自動車工業名古屋製作所大江工場製の車体を導入していた。
- いすゞ車においては純正(当時:アイ・ケイ・コーチ→いすゞバス製造)以外に富士重工業製の車両も導入していたが、2000年以降はすべて純正(エルガおよびエルガミオ 現:ジェイ・バス)で導入されている[11]。
- 1995年には、車両のバリアフリー化の一環として、中扉に自動昇降ステップを装着した「ニューステップバス」が導入されている。前面や入口付近にニューステップバスであることを示すハートのマークが掲げられている。
- 大型車の一部や中型車の大半を除き、中扉は幅の広い4枚折戸を採用していたが、リフト付きバスと大半のニューステップ車は2枚折戸、初期のノンステップ車はグライドスライドドアを採用した。ノンステップバスがほとんどになった現在は、小型車を除き中扉は引き戸になっている。さらに、近年では中扉のブザー音をチャイムに交換するとともに開閉ランプを設置し、既存車両への設置改造も既に行われている。
- 2010年度の車両からスモークガラスを採用し、さらに一部車両は吊革の持ち手形状を三角形に変更した(2011年度以降導入車両から本格採用となる)。また、後輪巻き込み防止カバー[12]を2011年度以降導入車両から、正面バンパー上のサインランプ(青色に点灯する)やLED式照明を2012年度導入車両から採用している。
2003年の新車より小田急グループマテリアルズ仕様で導入されている。これは小田急グループ内のバス事業者7社で基本的な仕様を統一し、小田急グループマテリアルズが一括して調達することによりコストダウンを図るとともに短期間で大量の更新が行えるようになっている[13]。
塗装
路線バスのボディーカラーの赤いラインは情熱を表し、白いラインは清潔と忠実をあらわしている。赤いラインの間に白いラインが引いてあるのは、情熱の中にも常に理性があることを意味する。
空港リムジンバスや貸切バスで使用される車両は、神奈川中央交通(および各神奈交バス)を除いて、基本的には小田急グループ各社で共通のデザインが施されており、小田急バスのほか、小田急箱根高速バス・箱根登山バス・立川バス・神奈中観光・江ノ電バス・東海バスでほぼ同一の塗色となっている。小田急箱根高速バスとは英字の綴りが同じになるが、同社は小文字(odakyu)、小田急バスは大文字(ODAKYU)を使っており区別は可能である。
- 上記路線バスのボディカラーは、小田急グループの立川バスと同じ(前面の塗り分けは若干異なる)であるほか、秋田県の羽後交通や北海道のてんてつバスが近い。但し、羽後交通・てんてつバスはどちらも小田急グループとの資本関係はない。
- また、観光バス・リムジンバス車両と高速バス(小田急シティバス)の一部には車体に銀色の犬のレリーフが取り付けられている。この犬のシンボルマークはもとは路線車にも取り付けられていたが、1969年以降は路線車への取り付けは行っていない。なお、この犬マークは小田急バスの登録商標であり、本社ビルの玄関にも取り付けられている。2010年には60周年を記念して路線バスの側面に犬マーク入りの記念ステッカーが貼り出されている。
- ここ数年、江ノ電バスに新製配置される空港リムジンバス、定期観光バス等は独自の塗色となっている(貸切観光バス用車は従来通り)。
- 421号車と431号車は安全運転訓練車。誤乗防止の観点から、最初期の旧塗装に復刻されている。
経年車の処遇
- 小田急バスでは、1995年頃まで車内外再生工事を行っていた(P代の大型車迄更新、中型は一部未更新)が、U代車以降の再生工事は経費節減の絡みで中止された。そのため特にU代車や初期のKC代車は外板に錆が浮いたりと老朽化が著しかった。
- 近年では車両代替のペースや置き換え時期が比較的早く、ほとんどの車両がノンステップバスになった2013年現在でも、概ね11 - 12年程度のサイクルで経年車の置き換えが行われている。
- 小田急バスでは、除籍後即座に中古車業者の手に渡ることが多いため、北海道から沖縄まで非常に広範囲で元小田急車を見ることが出来る。代表的な譲渡先として秋田中央交通・羽後交通・じょうてつ・北海道北見バス・弘南バス・南部バス・岩手県交通・東海自動車・日本平自動車・大分バス・那覇バス・新常磐交通等で活躍するほか、海外へも数多く輸出されている。
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夜行高速バス(1994年撮影)
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空港リムジン
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貸切車
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ニューステップバス
その他
- 小田急バスの全路線(小田急シティバス運行路線と運行委託路線を含む。共同運行を行う他社の路線バスや高速バス、空港連絡バス、一部のコミュニティバス等を除く)が1日乗り放題となる「1日フリーパス」(大人500円・小児250円)があり、ICカード(PASMO・Suica)持参の場合、SF残額から差し引くことで「1日フリーパス」の情報がICカードに載り、料金機のアンテナ部にタッチすることで利用できる。磁気カード式は各営業所・案内所・バス車内で発売しており、料金機の磁気カードリーダーライターに通して利用する方式となっていたが、ICカードの普及に伴い、磁気カード式の「1日フリーパス」の発売は2013年3月31日、使用は4月30日をもって終了し、5月1日からは小田急バス営業所・案内所等にて無手数料で払い戻しを開始する。以前は「都内乗り継ぎ一日乗車券」として、利用範囲が都区内均一運賃エリアに限られていたが、現在では武相運賃エリアや神奈川県内を含め、全ての一般路線で利用が可能。深夜バスへの乗車時は別途普通運賃相当額を支払って利用する。
- 満65歳以上の利用者に対して現金100円で乗車できるナイスパスを発売している。このほかにも、都内を運行する路線では東京都シルバーパスの、川崎市内の路線では川崎市敬老特別乗車証の利用も可能。ただし、ムーバスなど一部の特殊系統は使用できない。
- 元内閣総理大臣の羽田孜は、小田急バスに勤務していたことがある(会計担当といわれているが、大型第二種免許を取得して運転士を勤めたという説もある)。
- 1995年頃に、接続する鉄道路線ごとに行先表示の色を区別した方向幕が試験的に導入されたことがある。しかし、緑地黄字など一部見にくい組み合わせがあり不評だったためか、1996年後半以降は行われなくなった。最近では他事業者と同様にLED式行先表示器の車が主流になっており、2013年現在はほとんどの車両がLED式行先表示器を装備している。ただし、色地の方向幕はその後も一部車両に残された。
- 一部車両では、終点が小田急線の駅の場合は方向幕に「小田急線○○駅」と表記されている。車内放送でも「このバスは、…経由、小田急線○○駅行きでございます」と案内されている。
- 小田急バスおよび立川バス系の労働組合は小田急電鉄労働組合などと同様私鉄総連に加入しているが、労使協調路線が多い小田急グループの中においても力が強く、春闘や秋闘になるとストライキに突入する時期もある。
- 2012年5月10日から、紙式定期券の廃止・定期券のICカード化を実施した。ただし区間指定・他社共通など、一部の定期券は紙式で残されている。また、これまでは地区ごとに定期券を別々に発売されていたが、定期券のICカード化を機に小田急バス全線定期券をICカードに発売されるようになった。
- 2012年には、従来の犬マーク(レリーフ)のコンセプトを引き継いだ、新たなマスコットキャラクターを制定することになり、愛称募集キャンペーンとして2012年の7月23日から8月31日まで募集を行った[14]。名前は9月21日に小田急バス公式ホームページ上で発表され「きゅんた」に決定、9月26日には吉祥寺営業所で「きゅんた」ラッピングバスの運行を開始し、誕生1周年を記念して2013年10月1日以降は登戸・町田営業所管内で「きゅんた」ラッピングバスの運行を開始した。2013年4月以降はラッピングバス以外の車両でも一般路線バス前面の行先表示器左側へ「きゅんた」ステッカー(都営バス「みんくる」・東急バス「ノッテちゃん」ステッカーと同様のもの)を順次貼り付けている。
脚注
- ↑ 本社ビル併設のほか、沿線外(小田原や花小金井(閉鎖)。ただし、どちらも小田急グループのバスが付近を走行している)
- ↑ 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 2.5 2.6 小田急バス株式会社社史編纂委員会 編 2010 122
- ↑ 3.0 3.1 3.2 3.3 3.4 小田急バス株式会社社史編纂委員会 編 2010 123
- ↑ 4.0 4.1 小田急バス株式会社社史編纂委員会 編 2010 124
- ↑ 5.0 5.1 小田急バス株式会社社史編纂委員会 編 2010 125
- ↑ 6.0 6.1 6.2 小田急バス株式会社社史編纂委員会 編 2010 126
- ↑ 7.0 7.1 7.2 7.3 7.4 7.5 7.6 7.7 7.8 7.9 小田急バス株式会社社史編纂委員会 編 2010 127
- ↑ 小田急バス株式会社社史編纂委員会 編 2010 129
- ↑ もっとも、路線が調布から矢野口、黒川を経て柿生駅まで達してはいた。
- ↑ ノンステップバス導入率が高い事業者ベスト30PDF国土交通省
- ↑ 1990年代まで導入の車両は富士重工製のほうが多く、いすゞ・キュービックの純正ボディはノンステップバスとごく一部のツーステップ車に限られていた。富士重工製ボディは大型車は1989年以降は7Eボディを採用したのに対し、中型車は1994年まで6Eボディを採用したが、8Eボディの車両は導入されず、いすゞ・ジャーニー純正ボディの車両を導入した
- ↑ 大阪市営バスや近鉄バスなど関西の事業者ではしばしば見られるが、首都圏では珍しい。
- ↑ 同種の事例としては名鉄グループ内のバス事業者向けに名鉄グループ統一仕様があり、名鉄バスのほか岐阜乗合自動車や宮城交通などに導入されている。
- ↑ マスコットキャラクター愛称募集キャンペーン - 小田急バス
参考文献
- 小田急バス株式会社社史編纂委員会 編 (2010) 小田急バス株式会社社史編纂委員会 編 [ 小田急バス60年史:1950-2010 ] 2010 全国書誌番号:21851343
- 国際興業株式会社社史編纂室 編 (1990) 国際興業株式会社社史編纂室 編 [ 国際興業五十年史 ] 1990 全国書誌番号:90045626
- BJエディターズ (2000) BJエディターズ [ バスジャパンニューハンドブックス 31 小田急バス・立川バス ] 2000 4-7952-7796-6 全国書誌番号:20100050
- BJエディターズ (2008) BJエディターズ [ バスジャパンニューハンドブックス R65 小田急バス・立川バス ] 2008 978-4-434-11565-3 全国書誌番号:21497225