米中央情報局
中央情報局(ちゅうおうじょうほうきょく、英:Central Intelligence Agency、略称:CIA)は、対外諜報活動を行うアメリカ合衆国の情報機関である。中央情報局長官によって統括される。
目次
概要
中央情報局(以下「CIA」)は、国家安全保障会議の直轄機関であり、アメリカ軍からは独立している。
CIA自身が収集した情報の他に、国家安全保障局、国家偵察局、国防省情報本部 (DIA)、各軍の情報部、財務省情報部、エネルギー省情報部といったアメリカ政府の情報機関から構成されるインテリジェンス・コミュニティーからの情報を収集・分析し、大統領と国家情報長官に報告する。インテリジェンス・コミュニティーは国家情報長官によって統括され、CIAはその「中央」にある情報機関である。
また、創設期からイスラエル諜報特務庁やイギリス秘密情報部とつながりが深く、また、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドの情報機関とは、アングロ・サクソン連合として横の連携を持つ。
活動内容
アメリカ合衆国の安全保障政策の決定に必要な諜報活動(ヒューミント)を行う。諜報活動のために膨大な予算を付与されているが、用途ほか詳細情報は詳らかにされない。
一般には以下のような活動があるといわれている。
- 諜報活動
- 謀略活動
他国の反政府勢力にも接触がある。1950年代にはチベットの反中闘争組織チュシ・ガンドゥクを支援していた[1]。
アメリカ合衆国に敵対する指導者の暗殺に関しては、フォード大統領によって暗殺禁止の大統領令が出されたこともあるが、現在では撤回され、パキスタン、イエメンなどで無人偵察機プレデターでイスラーム主義テロ組織の指導者の暗殺を実行している。
米軍が関与する戦闘地域へ潜入しての軍事的情報の収集に関しては、ベトナム・イラク・アフガン等での戦争において、局員は現地へ潜入し敵性ゲリラ・民兵・テロリストの情報収集を行い、その拠点や隠処の爆撃時機・座標を米軍へ通知している。しかし、不正確な情報であることもしばしばで、誤爆により民間人に多大な犠牲を招いている。
2001年の9・11テロ後は、コマンド部隊によるテロリストの逮捕・殺害計画を極秘に計画していた。米政府の元高官によると、この計画は1972年のミュンヘンオリンピックで起きたイスラエル人選手の暗殺事件後にイスラエル諜報特務庁が実行した報復作戦に類似しているという[2]。
2006年5月、「テロリスト関係者若しくはそれらと接触した人物」をアメリカ入国の際に拉致し、国内法の及ばない地域(シリアやグァンタナモ米軍基地)の秘密収容所に、取調べを口実に収監していた事が判明して、アムネスティ・インターナショナルや母国政府が調査に乗り出す事態になっている。2006年9月、ジョージ・W・ブッシュ大統領は秘密施設の存在を認め、この秘密施設でのCIAによる取調べを「CIAプログラム」と表現した。
日本への関与
日本占領期から、児玉誉士夫、笹川良一、岸信介、田中清玄、正力松太郎などを協力者として、揺籃期の自由民主党に活動資金を提供し、政治及びマスメディアを利用し、国内のアメリカニゼーションと政府の親米化に一役買った[3][4][5]。
2006年7月18日に公開された国務省編纂の外交史料集によると、冷戦時代にはアメリカ政府の反共政策に基づき日本の親米勢力や左翼穏健勢力に秘密資金を提供していた[6]。秘密資金の提供を受けたのは岸信介、池田勇人両政権下の自民党有力者と社会党右派(後に民社党を結党する勢力)とみられている。この結果、右派が民社党をつくり、日本社会党は弱体化することになった[7][8]。
冷戦終結後、双子の赤字に苦しむアメリカ政府による人員や経費の削減等のため危機に直面したCIAは、日本等の友好国の経済情報などの非軍事分野での情報収集と分析を始めた。1990年4月には長官のウェブスターが「日本やヨーロッパ諸国の経済上の競争相手に対する情報戦略を扱う企画調整室を設けた」と発言し、1992年4月には長官のゲーツが「業務の約4割、予算の2/3は経済分野に当てる」と演説した[9]。2011年には、上級オフィサーで2000年に没したロバート・クロウリーが遺した協力者一覧「クロウリーファイル」の「C」の節に、コロンビア大学教授のジェラルド・カーティスが掲載されている事が明らかになり、協力者の一人であると名指しされている[10]。
日本の指定暴力団ともコネクションを持つとされる[11]。日本共産党には、岸の系列から統一協会へ関与していると主張された[12]。エージェントの正力松太郎を使って日本全土を縦断する一大反共軍事通信網を構築する構想があったとされる[13][14]。(→正力マイクロ波事件)
歴史
第二次世界大戦中の1942年に改組設立されたOffice of Strategic Services(OSS、戦略事務局)がCentral Intelligence Group(CIG、中央情報グループ)及びOffice of Political Coordination(OPC、政策調整局)を経て1947年に成立した国家安全保障法により改組され誕生した。
第二次世界大戦終了後、アレン・ダレスはドイツから多数のナチス将校を招聘して、CIAのソ連東欧での情報収集と工作活動の本格化を図った。1950年代から1960年代にかけては、社会主義・共産主義化しつつあったイラン、グアテマラ、コンゴ、キューバなどに対してクーデター・要人暗殺などを含んだ工作活動を積極的に展開した。
2001年よりブッシュ政権下では、CIAは機能が発揮されていないという指摘もある。ブッシュ政権下で勢力を増したネオコンなど保守強硬派は、CIAからの情報を軽視しており(プレイム事件など)、国防省情報本部を重視して、CIAはインテリジェンス・コミュニティーの主流派から外れた。こうした流れは、2010年頃まで続いた[15]。
ポーター・J・ゴスは、それまでの最上級幹部を全て辞めさせ、大統領の政策に異議を唱えることを禁じる命令を出した。これによって、CIAの職員は2005年までに総員の半数が5年以下の経験しか持たない組織になった[3]。
組織
- 職員数 - 約20,000人(はっきりした数字は定まらない。)
国家秘密本部
旧工作本部。ヒューミントに従事する。
- 核拡散部
- 対テロ・センター
- 防諜センター
- 麻薬対策センター
- CIS部
- 欧州部
- 近東・南アジア部
- 東アジア部
- アフリカ・中南米部
- 技術支援部
情報本部
情報の評価・分析、情報資料の作成に従事する。
- CIS分析部
- 欧州分析部
- 近東・南アジア分析部
- 東アジア分析部
- アフリカ・中南米分析部
- 兵器科学研究部
- グローバル問題部
- 情報資源部
- 外国指導者分析部
科学技術本部
技術的情報収集手段の研究・開発に従事する。
- 技術システム研究・開発部
- 傍受部
- 技術保障部
- 国外ラジオ放送部 (FBIS)
行政本部
CIAの総務、人事、訓練、要人警護、施設警戒に従事する。
- 人事部
- 要員訓練部
- 警備部
- 会計部
- 情報保管・検索部
- コンピュータ機材部
- 通信部
- 法務部
- 監察部
- 会計監査部
- 秘書部
- 会計計画部
- CIA史編纂部
- 暗号書簡部
- 公表検討会議
CIA長官
2005年4月21日まで(ボーダー・J・ゴスの任期中)は長官はCIAだけでなく、アメリカのインテリジェンス・コミュニティーの統括役でもあったため、「局」の字がない“中央情報長官” (DCI; Director of Central Intelligence) と呼ばれていた。2005年4月21日以降は専属の“中央情報局長官” (DCIA; Director of the Central Intelligence Agency) となり、インテリジェンス・コミュニティーはアメリカ合衆国国家情報長官が統括している。
これはThe Intelligence Reform and Terrorism Prevention Act of 2004(2004年の情報改革及びテロ予防法)により国家安全保障法が改正されたことを受けた措置である。副長官も、中央情報副長官DDCIがおり、通常は中将が任命される(もっともCIA本部で勤務するが)。CIAには副長官がおらず、次官だけ複数いる。例えば工作担当次官はDDO、情報担当次官はDDIなど。
なお、CIAの日々の業務はExective Director of the Central Intelligence Agency (EXDIR) が総括することとなっている(2004年4月時点での組織図では、CIA長官のDeputyとしてDDCI、EXDIRのDeputyとしてD/EXDIRが記載されている)。
歴代CIA長官
代 | 氏名 | 任期 | 大統領 |
---|---|---|---|
1 | シドニー・W・ソワーズ海軍少将 | 1946年1月23日 - 1946年6月10日 | ハリー・S・トルーマン |
2 | ホイト・S・ヴァンデンバーグ空軍中将 | 1946年6月10日 - 1947年5月1日 | ハリー・トルーマン |
3 | ロスコー・H・ヒレンケッター海軍少将 | 1947年5月1日 - 1950年10月7日 | ハリー・トルーマン |
4 | ウォルター・ベデル・スミス陸軍中将 | 1950年10月7日 - 1953年2月9日 | ハリー・トルーマン/ドワイト・D・アイゼンハワー |
5 | アレン・ウェルシュ・ダレス | 1953年2月26日 - 1961年11月29日 | ドワイト・D・アイゼンハワー/ジョン・F・ケネディ |
6 | ジョン・マコーン | 1961年11月29日 - 1965年4月28日 | ジョン・F・ケネディ/リンドン・ジョンソン |
7 | ウィリアム・F・レイボーン退役海軍中将 | 1965年4月28日 - 1966年6月30日 | リンドン・ジョンソン |
8 | リチャード・ヘルムズ[16] | 1966年6月30日 - 1973年2月2日 | リンドン・ジョンソン/リチャード・ニクソン |
9 | ジェームズ・R・シュレシンジャー | 1973年2月2日 - 1973年7月2日 | リチャード・ニクソン |
10 | ウィリアム・E・コルビー | 1973年9月4日 - 1976年1月30日 | リチャード・ニクソン/ジェラルド・R・フォード |
11 | ジョージ・H・W・ブッシュ | 1976年1月30日 - 1977年1月20日 | ジェラルド・フォード/ジミー・カーター |
12 | スタンズフィールド・ターナー退役海軍大将 | 1977年3月9日 - 1981年1月20日 | ジミー・カーター/ロナルド・レーガン |
13 | ウィリアム・J・ケーシー | 1981年1月28日 - 1987年1月29日 | ロナルド・レーガン |
14 | ウィリアム・ウェブスター | 1987年5月26日 - 1991年8月31日 | ロナルド・レーガン/ジョージ・H・W・ブッシュ |
15 | ロバート・M・ゲイツ | 1991年11月6日 - 1993年1月20日 | ジョージ・H・W・ブッシュ/ビル・クリントン |
16 | R・ジェームズ・ウルジー</td> | 1993年2月5日 - 1995年1月10日 | ビル・クリントン |
17 | ジョン・M・ドイッチ | 1995年5月10日 - 1996年12月15日 | ビル・クリントン |
18 | ジョージ・J・テネット | 1997年7月11日 - 2004年7月11日(2004年6月3日に辞任) | ビル・クリントン/ジョージ・W・ブッシュ |
(長官代行)ジョン・E・マクラフリン | 2004年7月11日 - 2004年9月24日 | ジョージ・W・ブッシュ | |
19 | ポーター・J・ゴス | 2004年9月24日 - 2006年5月5日 | ジョージ・W・ブッシュ |
20 | マイケル・ヘイデン | 2006年5月5日 - 2009年1月20日 | ジョージ・W・ブッシュ/バラク・オバマ |
21 | レオン・パネッタ | 2009年1月20日 - 2011年6月30日 | バラク・オバマ |
22 | デヴィッド・ペトレイアス退役陸軍大将 | 2011年9月6日 - 2012年11月9日 | バラク・オバマ |
23 | ジョン・オーウェン・ブレナン | 2013年3月8日 - 現任 | バラク・オバマ |
有名なCIA局員(長官を除く)
- ジェームズ・アングルトン
- レイ・クライン
- エドワード・ランスデール
- ジェリー・ドローラー (Jerald F. Droller)
- テッド・シャクリー (Theodere "Ted" Shacley)
- E・ハワード・ハント
- キム・ルーズベルト (Kermit "Kim" Roosvelt)
- ピアー・デ・シルバ
- ビル・ハーベイ (William King "Bill" Harvey)
- ビクター・マルケッティ
- J・C・キング大佐
- リチャード・ビッセル
- クレア・ジョージ (Clair Erloy George)
- ルシアン・コネイン大佐 (Lucien Emile Phellipe Conein)
- ジョン・リチャードソン (John Hammond "John" Richardson)
- ロバート・エイムズ
- ロバート・ベア
- リチャード・ブリー (Richard Blee)
- コファー・ブラック (Cofer Black)
CIAが主導ないし関与したとされる作戦・事件
1940年代
- 時期不明 - ペーパークリップ作戦
1950年代
- 1953年 - エイジャックス作戦 、大アイアース|アイアース作戦
- イギリス・秘密情報部と合同で行なったイランのモハンマド・モサッデク政権転覆・パフラヴィー朝復興作戦。2013年、機密指定解除になっていた1970年代の文書に関与が明記されていたことが判明。
- 1953年 - ポダルトン作戦(正力マイクロ波事件)
- 1954年 - PBSUCCESS作戦
- ユナイテッドフルーツと組んで行われた、グアテマラのハコボ・アルベンス・グスマン政権転覆作戦。グアテマラ内戦に繋がった。
- 1955年 - カシミールプリンセス号爆破事件
- 1955年 - 日本で保守合同を支援
- 自由民主党の結成に関与した。1964年まで行われていた事が機密指定解除となった外交文書に記述されている。
- 時期不明 - MKウルトラ計画
1960年代
- 1960年代 - アコースティック・キティー
- 猫を使った盗聴作戦。専用に生体改造された盗聴用の猫を盗聴先の現場へ送り込むというものであったが、失敗に終わった。
- 1960年 - U-2撃墜事件
- 1961年 - ピッグス湾事件
- キューバの「反革命傭兵軍」による親米化クーデターを支援し、「反革命傭兵軍」をピッグス湾から上陸させて政権転覆を狙ったものの失敗に終わった。
- 1961年 - 大韓民国中央情報部 (KCIA) の設立に関与
- 設立後は、育成、監督にも関与することとなる。
- 1962年 - コールドフィート計画
- ソヴィエト連邦の北極基地での情報収集
- 1963年 - アブドルカリーム・カーシム政権転覆支援
- イラクのバアス党への資金提供で関与したとされる。
- 1963年 - 1964年 - ルイス・ポサダ・カリレスへの支援
- カリレスはCIAの工作員であったが、後にクバーナ航空455便爆破事件やフィデル・カストロ暗殺未遂事件など一連のテロ活動に従事することになる。
- 1965年 - 9月30日事件
ベトナム戦争関連
- 1964年 - トンキン湾事件
- 民間不正規戦グループ (CIDG) 計画および、特殊部隊の支援
1970年代
- 1973年 - チリ・クーデター
- 社会主義政権のサルバドール・アジェンデ政権転覆支援。
- 1974年 - プロジェクト・ジェニファー
- 沈没した旧ソ連の629型潜水艦K-129のサルベージ作戦。
- 1977年 - パキスタン陸軍参謀長ジア・ウル・ハク将軍によるクーデター
- ズルフィカル・アリ・ブットパキスタン元首相が処刑された他、後のハク将軍事故死にも関与説がある。
- 1978年 - グラディオ作戦
- 1978年 - アフガニスタン紛争
- この紛争に際してCIAがアフガニスタンに共産政権を打ち立てたアフガニスタン人民民主党に対する抵抗運動を行ったムジャーヒディーンへ武器、資金を援助した結果、紛争は1989年まで続いた。
- 1979年 - 韓国大統領朴正煕暗殺への関与
1980年代
- 1980年 - カナダの策謀によりアメリカ外交官6人イラン脱出
- 1983年 - フィリピンのベニグノ・アキノ暗殺への関与
- 1986年 - エドゥサ革命への関与
- 1986年発覚 - イラン・コントラ事件
1990年代
- 1998年 - スーダンの製薬工場へのミサイル攻撃
- 実際は製薬工場であった所をVXガスの製造工場であると主張してミサイル攻撃を行わせた。これはエジプト人情報提供者一人のみの情報を信用した結果であった。
2000年代
- 2002年 - ベネズエラにおける、クーデター未遂、コロンビア人民兵による武装蜂起未遂。
- 2003年 - イラク戦争
- 2009年11月5日 - イタリアでイスラム教聖職者アブ・オマル(オサマ・ムスタファ・ハッサン・ナスール)師の拉致への関与
- 協力したSISMIのエージェントを含めた関係者達がイタリア司法当局に訴追され、欠席裁判でミラノの拠点責任者が8年、他に22人の要員が5年の禁固刑となった。
- 2009年12月30日 - アルカイダへの二重スパイの派遣
- CIAが派遣した人物は二重どころか、本来ならあり得ない三重スパイであり、完全に騙されたアフガニスタンのチャップマン前哨基地では自爆テロが発生した。CIA局員7人を含む9人が死亡[17]。
- 時期不明 - 2001年のアフガニスタン紛争後のアフガニスタンにおいて成立したカルザイ政権内部の情報収集のために高官達へ資金提供
2010年代
- 2010年 - ウサーマ・ビン・ラーディンの殺害に係る事前調査
この他にも全世界で親米・反共工作(日本に対しても行われていた事[18]は日本への関与で述べられている通り)を行うことによって、親米政権の確立、あるいは反米政権や特定社会集団の破壊に活躍してきた。なお、工作費用の捻出のために現地のみならず、アメリカ国内の黒人集住地域、ヒスパニック集住地域においても麻薬を販売する方式を未だに採用していること、および破壊工作に使用することから麻薬流通にも国際的に一役買っているとの主張もある。
CIAを取り扱ったフィクション
小説
※欧米の主なスパイ小説の殆どに登場している。日本でも『007』シリーズによって名が広まることとなった。
- トム・クランシーによるジャック・ライアンシリーズ、その他長編
- ロバート・ラドラムによる「ジェイソン・ボーン」三部作、その他長編
- 大沢在昌による『追跡者の血統』『秋に墓標を』『氷舞』、その他長編
- 大藪春彦による「伊達邦彦」シリーズ、その他長編
- 平井和正による『ウルフガイ』シリーズ及び『アダルト・ウルフガイ』シリーズ、『死霊狩り』他
映画
- 007 ドクター・ノオ (1962)
- 007 ロシアより愛をこめて (1963)
- 007 ゴールドフィンガー (1964)
- 五月の七日間 (1964)
- コンドル (1975)
- 刑事ニコ/法の死角 (1988)
- レッド・オクトーバーを追え! (1990) ジャック・ライアンシリーズ
- ハドソン・ホーク (1991)
- エル・マリアッチ (1992)
- 今そこにある危機 (1994) ジャック・ライアンシリーズ
- 暴走特急 (1995)
- デスペラード (1995)
- ミッション:インポッシブル (1996)
- 沈黙の陰謀 (1999)
- スパイ・ゲーム (2001)
- ボーン・アイデンティティー (2002)
- トータル・フィアーズ (2002) ジャック・ライアンシリーズ
- エージェント・コーディ (2003)
- リクルート (2003)
- レジェンド・オブ・メキシコ/デスペラード (2003)
- ボーン・スプレマシー (2004)
- イントゥ・ザ・サン (2005)
- シリアナ (2005)
- グッド・シェパード (2006)
- ボーン・アルティメイタム (2007)
- チャーリー・ウィルソンズ・ウォー (2007)
- ザ・シューター/極大射程 (2007)
- バーン・アフター・リーディング (2008)
- ソルト (2010)
- グリーン・ゾーン (2010)
- Killers (2010)
- デンジャラス・ラン (2012)
- ゼロ・ダーク・サーティ (2012)
- アルゴ (2012)
ゲーム
テレビドラマ
漫画
アニメ
- ルパン三世 アルカトラズコネクション
- 名探偵コナン
- 攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX 第10話 密林航路にうってつけの日 JUNGLE CRUISE
- 攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG 第26話 憂国への帰還 ENDLESS∞GIG
関連項目
- スパイ
- インテリジェンス・コミュニティー
- 国家情報会議
- 死の部隊
- ザ・ワールド・ファクトブック (CIA World Factbook)
- アメリカ同時多発テロ事件陰謀説
- エシュロン
- 関係機関・協力機関
- 類似機関
注記・参考資料
- ↑ Lama Group Says It Got Money From C.I.A ニューヨークタイムス 1998年10月6日
- ↑ CIAがひた隠す秘密暗殺部隊 ニューズウィーク 2009年7月15日
- ↑ 3.0 3.1 ティム・ワイナー「CIA秘録」文藝春秋
- ↑ 角間隆 (1979) 角間隆 [ ドキュメント日商岩井 ] 徳間書店 1979
- ↑ 川端治 (1963) 川端治 [ 自民党 その表と裹 ] 新日本出版社 1963
- ↑ Foreign Relations of the United States, 1964-1968, Vol. XXIX, Part 2, Japan(英語)
- ↑ C.I.A. Spent Millions to Support Japanese Right in 50's and 60's New York Times, October 9, 1994(英語)
- ↑ 左派弱体化狙い、秘密資金提供~CIAが50年前、日本の保革両勢力に U.S. FrontLine, 2006年07月19日
- ↑ "田岡俊次著『日本を囲む軍事力の構図』 中経出版 2003年9月18日第1刷発行 ISBN 4-8061-1872-9
- ↑ 2,619 CIA Sources: The Crowley Files
- ↑ 松浦総三 (1977) 松浦総三 [ 現代ジャーナリズム事件誌 ] 白川書院 1977
- ↑ 日本共産党 (1978) 日本共産党 [ 韓国の謀略機関―国際勝共連合=統一協会 ] 日本共産党中央委員会出版局 1978
- ↑ 有馬哲夫 (2006) 有馬哲夫 [ 日本テレビとCIA 発掘された「正力ファイル」 ] 新潮社 2006
- ↑ 有馬哲夫 (2008) 有馬哲夫 [ 原発・正力・CIA 機密文書で読む昭和裏面史 ] 新潮新書 2008
- ↑ 『米国が12月に公開した国家文書に注目せよ 2008年米国の対外政策を読む』2008年1月21日付配信 日経ビジネスオンライン
- ↑ ヘルムズには McGarrah というミドルネームがあるが、本人が嫌って M をつけないとされる。
- ↑ ジョビー・ウォリック『三重スパイ――CIAを震撼させたアルカイダの「モグラ」』太田出版, 2012年
- ↑ ウィリアム・E.コルビー著、大前 正臣、 山岡 清二訳『栄光の男たち―コルビー元CIA長官回顧録』日本語版に寄せて、 政治広報センター、 1980年1月第1刷発行 ISBN B000J742DU、PP.1-5。