久間三千年
久間三千年(くまみちとし)とは、1992年(平成4年)に2人の小学1年生女児に性的暴行を加えて殺害した犯人。また、1988年にも久間の息子を訪ねてきた友人の姉(当時小学校1年生)が行方不明になる事件があったがこちらは未解決である。往生際が悪く最後まで犯行を否認していたが、数々の証拠が存在していたため、判決は第一審から一貫して有罪・死刑判決となり、2008年に執行された。判決文を読めば彼が犯人であることは間違いないのだが、一部のマスコミは、判決文ですでに検証されている事実(DNA鑑定の信憑性の低さや遺体にあったAB型の血液型等)をあたかも新事実が判明したかのように報道し、さらに他の証拠(久間車内の尿痕や久間が性器から出血する症状を有しておりそれが遺体の状況と一致すること)には一切触れないなど、誘導的な内容によって冤罪を印象づける報道をしている。
目次
事件の概要
1992年2月20日、福岡県飯塚市の小学1年生だった2人の女児(ともに当時7歳)が登校中に行方不明になり、翌日同県甘木市(現朝倉市)の山中で共に性的暴行を受けたと見られる状態で殺害・遺棄されているのが発見された。死因は共に頸部圧迫による窒息死であった。
同地域では、1988年に本事件の被害者と同じ小学校の女児が行方不明になる事件が発生して未解決であった。福岡県警は、その女児が行方不明になる直前に訪れた家の住人であり、当時も取り調べを受けた久間三千年(当時54歳)を事情聴取。翌年、同小学校の近くで通学路の安全確保を兼ねて警戒していた私服警官2人を久間が剪定鋏で切りつけ、2人の手に5日および10日間の怪我をさせる事件が発生[1]。近所の人の通報で駆けつけた署員が傷害および暴行の疑いで久間を緊急逮捕[1]。
女児殺害に関しては、犯人と久間のDNA型がほぼ一致するという鑑定結果が出たもののそれだけでは逮捕に至らず[2]、2年後の1994年9月23日に、女児の衣服についていた繊維片が久間所有車のシートのものと一致したことが決め手となって[3]、死体遺棄容疑で久間を逮捕。同10月14日に殺人等で久間を再逮捕。同日、福岡地検は死体遺棄で久間を起訴し、同年11月5日には殺人・略取誘拐でも追起訴した。
裁判
カギ括弧内は判決文をそのまま引用(匿名)。
第一審・福岡地裁判決
一審の福岡地方裁判所1999年9月29日判決[1]は、状況証拠として、
- 5名の目撃証言から、紺色の後輪ダブルタイヤのワゴンで窓に色付きフィルムが貼ってあるなどの特徴を持った車が犯人の車であることが極めて濃厚であるところ[4][5]、久間が同じ特徴の車を有していたこと[6]。
- 他に該当車の所有者は9名いたが、すべてアリバイが成立し、色付きフィルムも貼っていなかった[6]。
- 繊維片の特徴が合致したことから、被害児童の着衣から発見された繊維片が久間所有車の座席シー卜の繊維片である可能性が極めて濃厚であること[7]。
- 被害者両名が出血・失禁した状態で発見された一方で、久間所有車の後部座席やマットから血痕・人尿痕が検出され誰かがかなりの量の尿をもらしたことが認められるところ、久間がその付着の原因について納得のいく合理的な説明をすることができないこと[8]。
- 被害者の膣内や膣周辺部から犯人の血痕が検出されたが下着等には血痕が付着していなかったため、犯人の手指ではなく陰茎が出血していた可能性が高いといえるところ、久間が亀頭包皮炎に罹患しており陰部から容易に出血する症状を有していたこと[10]。
- 久間が通院した泌尿器科の医師の証言より[10]。また、久間の警察官に対する発言及び久間が録音して記者に渡した会話内容とも合致した[10]。久間は、捜査段階で「シンボル(陰茎)の皮がやぶけてパンツ等にくっついて歩けないほど血がにじんでしまう」[10]「事件当時ごろも挿入できない状態で(中略)セックスに対する興味もなかった」[10]と性的暴行との関連を否定していたにも拘わらず、犯人の血痕が発見された公判段階では突如完治していたという供述に変更した[10]ため、捜査段階での病状に関する供述が信用できると判示された[10]。また久間と妻は、ある薬局で某皮膚薬を購入した事実は全くないと一貫して主張していたが、同店の経営者と元店員が久間を常連客として覚えていたため、久間と妻の供述は「明らかに虚偽であるといわざるを得ない」と判示された[10]。
- 久間のアリバイを直接に裏付ける証拠は全くなく、間接的に裏付ける証拠については久間と妻の供述が捜査段階と公判段階で変遷しており成立しないこと[11]。
- 当日のアリバイについて、久間は、捜査段階で、妻を職場に送って一度帰宅した後に実母宅に向かったと述べていた[11]が、捜査官の再現によって女児が行方不明になった時間に久間が現場を通過する結果になったところ[11]、公判段階で、妻を送った後まっすぐ実母方に向かったと供述を変更した[11]。また、事件当日の行動を思い出した時期ときっかけも、捜査段階では、3月20日に「刑事が帰った後で、あの日は何をしていたのかなあと思って思い出した。妻とは事件の話をしていないので、妻と話し合っているうちに思い出したということはない」と供述していた[11]が、公判段階では、2月25日頃に妻が事件当日のことではないかと挙げた話を聞いて思い出した、と供述を変更した[11]。そのため、「被告人のアリバイに関する供述は(中略)信用できない」と判示された[11]。また、久間の妻の供述も、久間が実母方に行った日について、捜査段階では「事件当日の前後頃だったと思う」と曖昧な記憶であった[11]のに、公判段階では事件当日であると特定するようになっており[11]、「たやすく信用できない」と判示された[11]。
を認定し、これらの総合判断として、被告人が犯人であることについては合理的な疑いを超えて認定することができる[12]として、久間に死刑判決を下した。
- ほか、弁護人から申請された久間の性格鑑定でも、「ストレス状況では、犯罪を犯す本来的な傾向を十分もっている」「情性欠如から性倒錯的行動をとる可能性が十分考えられる」と久間に不利な結果が示されたが、裁判所は「鑑定の結論は採用することができない」と判示し、証拠として採用しなかった[13]。
控訴審・福岡高裁判決
控訴審の福岡高等裁判所2001年10月10日判決[2]は、第一審で認められた状況証拠を同様に評価したほか、
- 久間所有車内の血痕が新たなDNA型鑑定法によって検出可能になったところ、そのTH01型・PM型が被害者の一人のものと合致したこと[14]。
を新たに認め、「その血痕がA子に由来するものであることを更に補強しているものと認めるのが相当である」とした[14]。
そして、「これらの情況事実は、いずれも犯人と犯行とを結びつける情況として重要かつ特異的であり、一つ一つの情況がそれぞれに相当大きな確率で犯人を絞り込むという性質を有するものであり、これらは相互に独立した要素であるから、その結果、犯人である確率は幾何級数的に高まっていることが明らかである」と述べ、死刑判決を維持した[14]。
上告審・最高裁判決
最高裁判所2006年9月8日第二小法廷判決[3]は、「被告人が犯人であることについては合理的疑いを超えた高度の蓋然性があるということができるから、これと同旨の原判決の事実認定は、正当として是認することができる」[15]と上告を棄却し死刑が確定した。
死刑執行
2008年10月28日、森英介法務大臣(当時)によって福岡拘置所において久間の死刑執行がなされた。享年70[16]。
再審請求
2009年10月に久間の妻が、福岡地方裁判所に再審請求した[17]。その後、裁判で証拠採用されたDNA型の鑑定資料が弁護団の請求によって取り寄せられた後、2012年10月に弁護団が記者会見を開き、第三者のDNA型が確認されたという主張や、ネガが改竄された可能性があるという主張を展開した(下記参照)。なお、2014年3月31日に福岡地方裁判所(平塚浩司裁判長)によって再審請求棄却の決定がなされた。[18]
その他
足利事件との関係
2009年6月、足利事件での服役囚がMCT118型検査法による鑑定結果を最新のDNA型鑑定によって否定されたため、本事件もマスコミで採り上げられた。
もっとも、足利事件は、当時の123塩基マーカーで計測したMCT118型の鑑定結果を新しいアレリックラダーマーカーで計測したところ、犯人と服役囚のDNA型が一致しないことが明らかになったものであった。それに対して、本事件は、第二審でアレリックラダーマーカーが検討されているほか、新たに開発されたTH01型とPM型の検査法によっても久間が犯人であることと矛盾しない結果が出ている[14]点で異なる。また、足利事件ではDNA型がほぼ唯一の証拠でありその証拠力が最大の争点となったのに対し、本事件では複数の状況証拠が存在し、血液型とMCT118型の一致は「決定的な積極的間接事実とはなりえない」と判示されている点でも異なる。
また、足利事件は、日本弁護士連合会が支援する再審事件であった[19]が、本事件はそうではない点も異なる。
冤罪説など
弁護団の記者会見
- 弁護団(徳田靖之団長)は、2012年10月に記者会見を開き、犯人のものとされるDNA型の写真のネガフィルムを鑑定したところ、ネガの周辺が切り取られておりその部分から第三者のDNA型も確認された旨、及び、そのような切り取りをしたことを根拠に改竄捏造の可能性がある旨を主張した[20]。
- それに対して、福岡地方検察庁は、以下のように反論している。
判決文をろくに読んでいない(もしくは意図的に誘導した)テレビ報道
- 「報道特集NEXT」では、MCT118型のDNA型検査法の疑問点を述べ、他の状況証拠とともに有罪となったと報道した[25]。
- ただし、同番組では、TH01型・PM型のDNA型検査法も久間を有罪とする証拠になった点や、他に具体的にどのような状況証拠があったかについて触れられなかった[25]。
- 「ザ・スクープ」では、MCT118型検査法に対する問題点以外に、目撃者Tの証言内容に関して以下のように疑問を呈した。
- 日本テレビは、清水潔と境一敬の取材を基に、2013年に「NEWS ZERO」と「news every」と「NNNドキュメント」で特集を立て続けに放送した[30][31][32](NNNドキュメントのディレクターは境一敬、チーフディレクターは清水潔であり、その後出版された清水の著書に同内容の記述がある[33])。これらの番組と清水の著書では以下のような指摘がなされている。
- 目撃者Tの「車体にはラインが入ってなかった」という供述調書の記載に対し、心理学者の厳島行雄日本大学教授による"ラインが入っていないものをわざわざラインが入っていないとは言わない"という旨の主張を紹介した[30][31][32][33]。
- Tは1992年2月20日に車を目撃して3月9日に調書作成となったところ、調書作成前の3月7日に、調書を作成する警察官が久間車の特徴を確認していたことが捜査資料から明らかになったとし、その警察官の前提知識が調書作成に影響を与えた可能性を示した[30][31][32][33]。
- 現場で見つかった血痕に関して久間の血液型はB型であるところ、弁護側が依頼し、足利事件の再審請求でもDNA鑑定をした本田克也筑波大学教授による“単独犯ならばAB型しか考えられない”との見解を紹介した[32](なお、足利事件の再審請求では、本田教授の鑑定と主張は受け入れられておらず、鈴木廣一大阪医科大学教授の鑑定が採用されて再審無罪となったものである[35])。
出版物
- 別冊宝島および清水潔の著書によると、当初16-26型とされた久間のDNA型が16-27型であったという[36][33]。
- フリージャーナリストの天笠啓祐らの著書によると、久間のDNA型不検出という帝京大学の鑑定結果が裁判所に提出されなかったという[38]。
- ただし、第一審判決では帝京大学の鑑定結果が判決で触れられているため[9]、天笠らの指摘は真実ではない。
- 清水潔の著書によると、本件のDNA鑑定をした石山昱夫帝京大学教授が、科警研鑑定の結果を批判して「鑑定方法が杜撰で技術が低く、私の教室ならばやり直せと命じたいほどだ」と述べたという[33]。また、天笠啓祐らの著書によると、同教授が、久間が犯人でないとするのが常識であると述べたという[38]。
1988年の女児行方不明事件
本事件以前の事件現場周辺では、1988年12月4日に本件被害者と同一小学校で小学校1年生の女児が、弟の友人(久間の息子)を訪ねて久間宅に遊びに行ったのを最後に行方不明になる事件が発生[39][40]。本件で逮捕後の久間をポリグラフにかけた際に反応の出た山林一帯を捜索した結果、女児のジャンパーとトレーナーが発見された[39]。久間は事件当日に女児と会っていた事は認めたが、行方については知らないとした。その後はさらなる発見がなく1995年2月18日に再捜索は打ち切られ、現在も未解決である。
参照元
以下の参照元において死刑囚の実名箇所はイニシャルとする
- ↑ 1.0 1.1 1993年9月29日西部読売夕刊
- ↑ 日本経済新聞1994年9月24日
- ↑ 毎日新聞1994年9月24日
- ↑ 4.0 4.1 4.2 4.3 福岡地方裁判所判決 二 被害児童の遺留品発見現場付近で目撃された自動車及び人物について
- ↑ 福岡地方裁判所判決 三 被害児童が最後に目撃された時刻、場所と接着した時刻、場所で目撃された自動車について
- ↑ 6.0 6.1 福岡地方裁判所判決 四 被告人が本件犯人像と矛盾しないことについて
- ↑ 7.0 7.1 福岡地方裁判所判決 五 被害児童の着衣等に付着していた繊維片について
- ↑ 8.0 8.1 8.2 8.3 8.4 8.5 8.6 福岡地方裁判所判決 六 被告人車内から検出された血痕及び尿痕について
- ↑ 9.0 9.1 9.2 9.3 9.4 9.5 9.6 9.7 福岡地方裁判所判決 七 被害児童の身体等に付着していた血液の血液型及びDNA型について
- ↑ 10.0 10.1 10.2 10.3 10.4 10.5 10.6 10.7 福岡地方裁判所判決 八 本件前に被告人が亀頭包皮炎を発症していたことについて
- ↑ 11.0 11.1 11.2 11.3 11.4 11.5 11.6 11.7 11.8 11.9 福岡地方裁判所判決 九 被告人に犯行の機会があったこと(アリバイが成立しないこと)について
- ↑ 福岡地方裁判所判決 一一 結論
- ↑ 福岡地方裁判所判決 一〇 被告人の性格鑑定について
- ↑ 14.0 14.1 14.2 14.3 14.4 福岡高等裁判所判決
- ↑ 最高裁判所判決
- ↑ K死刑囚ら2人刑執行 ペース定着、年間最多更新 47NEWS 2008年10月28日
- ↑ http://kyushu.yomiuri.co.jp/news/national/20140318-OYS1T00137.htm
- ↑ http://www.nikkei.com/article/DGXNASJC1802P_R30C14A3000000/
- ↑ http://www.nichibenren.or.jp/library/ja/publication/books/data/hakusho_tokushu2013_1.pdf
- ↑ 20.0 20.1 http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20121025-OYT1T01330.htm[リンク切れ]
- ↑ http://mainichi.jp/select/news/20121026k0000m040111000c.html 毎日新聞2012年10月25日[リンク切れ]
- ↑ 22.0 22.1 22.2 http://www.nikkei.com/article/DGXNASJC1602T_Z11C12A1ACY000/
- ↑ http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20140317-OYT1T00927.htm?from=ylist
- ↑ 久間元死刑囚と不一致か=「犯人DNA型」ネガ鑑定-弁護団が発表、飯塚事件・福岡時事ドットコム 2012年10月25日[リンク切れ]
- ↑ 25.0 25.1 TBSテレビ「報道特集NEXT」2009年6月6日放送
- ↑ 26.0 26.1 26.2 26.3 26.4 26.5 26.6 26.7 26.8 テレビ朝日「ザ・スクープ」2009年8月9日放送。
- ↑ 27.0 27.1 1992年2月22日読売新聞、毎日新聞、朝日新聞各紙
- ↑ 読売新聞1992年2月27日31面
- ↑ 福岡地方裁判所判決 一 事案の概要
- ↑ 30.0 30.1 30.2 30.3 30.4 日本テレビ「NEWS ZERO」2013年4月11日放送
- ↑ 31.0 31.1 31.2 31.3 31.4 日本テレビ「news every」2013年4月13日放送
- ↑ 32.0 32.1 32.2 32.3 32.4 32.5 32.6 日本テレビ「NNNドキュメント」2013年7月28日放送
- ↑ 33.0 33.1 33.2 33.3 33.4 清水潔「殺人犯はそこにいる」10章
- ↑ 函館地裁平成9年3月21日判例時報1608号33頁以下。
- ↑ 東京高等裁判所決定平成21年6月23日/平成20年(く)第94号
- ↑ 別冊宝島「日本の『未解決事件』100」77ページ(宝島社)。
- ↑ 報道特集NEXTで映された対照表より。
- ↑ 38.0 38.1 天笠啓祐・三浦英明「DNA鑑定―科学の名による冤罪」150ページ(緑風出版)。
- ↑ 39.0 39.1 読売新聞西部1995年1月3日
- ↑ 朝日新聞1994年11月11日夕刊