イルマ・グレーゼ
[[Image:Irma Grese.jpg|300px|thumb|イルマ・グレーゼ([[1945年]]8月撮影)]] '''イルマ・グレーゼ'''(''Irma Grese'', [[1923年]][[10月7日]] - [[1945年]][[12月3日]])は[[アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所]](以下「アウシュビッツ強制収容所」と称する)ならびに[[ベルゲン・ベルゼン強制収容所]]の女性看守。 == 経緯 == 元々[[ナチス]]の一組織[[ドイツ女子同盟]](BDM)に深く共鳴し、15歳で学校を辞めた後、[[親衛隊]]幹部の[[サナトリウム]]で[[看護師]]などをしていたが、18歳のときに[[ラーフェンスブリュック強制収容所]]で看守として訓練を受け、19歳のときにアウシュビッツ強制収容所に配属され、連絡主任にまで出世する。 == 収容所での振る舞い == アウシュビッツ強制収容所の囚人女医[[ジゼラ・ペルル]]によると、風貌は美しい天使の如き無垢な顔の少女であったが、女性看守の中では最も残酷な看守であり、ユダヤ人女性の乳房に鞭を振るって大ケガをさせ、それに心的快感を得ると言うサディスティックな側面を持っていたと言う。また、[[ヨーゼフ・メンゲレ]]らとの醜聞の噂も絶えず、堕胎手術を頼んだ事もあったとされる。 さらに、ガス室行きが決定された囚人に犬をけしかけて噛み付かせたりする行為等、収容所を説明する数々の文献には悪名高き者として取り上げられる事も多く、[[ベルゲン・ベルゼン強制収容所]]の元収容者、[[バリー・スパンヤード]]は解放後にイルマの悪事の数々を自著に綴った上で「石の心を持つ女」と講演等において激越に批判している。 == ベルゼン裁判 == ドイツ降伏直前の[[1945年]][[4月17日]]ベルゼンに攻め入ったイギリス軍によってイルマは逮捕され、ナチスの数々の非人道に対する罪を裁くベルゼン裁判で「戦争犯罪裁判規定」第4条に基きコンウォール公軽歩兵第五連隊よりベルゼン所長[[ヨーゼフ・クラーマー]]を含む他の43名と共に戦争犯罪の罪状で起訴されている。同年[[11月17日]]に死刑判決を受け、翌月の[[12月3日]]にイギリスの[[死刑執行人]][[アルバート・ピエレポイント]]の手で刑が執行される。22歳の[[刑死]]だった。 == 関連項目 == * [[アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所]] * [[ベルゲン・ベルゼン強制収容所]] * [[ヨーゼフ・メンゲレ]] * [[ヨーゼフ・クラマー]] * [[アルバート・ピエレポイント]] == 外部リンク == {{Commons|Category:Irma Grese|イルマ・グレーゼ}} * [http://www.bis.uni-oldenburg.de/bisverlag/taaang98/kap6.pdf Bericht über den Prozess gegen Irma Grese (Universität Oldenburg)] ([[PDF]]) * [http://sucra.saitama-u.ac.jp/modules/xoonips/detail.php?id=BKK0000639 SUCRA イルマ・グレーゼ 「美しき野獣」か「偽証の犠牲者」か:戦争犯罪裁判のテキスト・クイリティーク] {{DEFAULTSORT:くれせ いるま}} [[Category:ナチ党員]] [[Category:ナチ強制収容所看守]] [[Category:ホロコースト]] [[Category:刑死した人物]] [[Category:1923年生]] [[Category:1945年没]] [[Category:アウシュヴィッツ強制収容所職員]] [[Category:カッコ良すぎる姐]] [[Category:カワイすぎる姐]] [[Category:美人]]