日本プロ野球のドーピング問題
日本プロ野球のドーピング問題(にほんぷろやきゅうのどーぴんぐもんだい)とは、日本野球機構(NPB)における薬物使用に対する一連の疑惑とその対策である。メジャーリーグ機構(MLB)は2005年以降に本腰を入れてドーピング対策に取り組んでおり、現在は血液検査まで導入されている一方で、NPBは日本アンチ・ドーピング機構に加入せず、独自の検査方法と公表方法を貫いている。
ドーピングの報道
NPBでは、2000年代に過去のドーピング問題が登場した。まず、2004年に長嶋一茂が生放送[1]で現役時代にステロイドを使用していたことを告白。2005年には、週刊朝日が千葉ロッテマリーンズの選手10名近くがグリーニーを使用していると報道[2](球団は一貫して否定)。2007年には野村貴仁が週刊ポスト上で2週にわたって自らの薬物使用とともに2000年の読売ジャイアンツ内で一部の選手にグリーニーが使用されていたことを暴露[3]。2009年には愛甲猛が自らの著書で中日ドラゴンズ時代にステロイドを使用していたことを告白[4]。その他、夕刊フジにおいて、「不振のカブレラ&松中、消えぬ“疑惑”」というタイトルで、「『日本でも2年前からドーピング検査が厳しくなっ たから…』との憶測が流れる」[5]という記事が書かれた。なお、NPB所属経験のある日本人選手のうち、養父鉄と入来祐作は、メジャーリーグ傘下に所属中、ドーピング検査で陽性を示してメジャーリーグ機構から制裁を受けた(養父は15試合、入来は50試合の出場停止)。
NPBの独自の対策
2006年
2006年、日本プロ野球機構は、シーズン中に啓蒙期間として罰則なしのドーピング検査を104人に実施したところ、その中に陽性事例があったことを長谷川一雄コミッショナー事務局が発表した[6]。しかし、同氏は悪質ではないと主張し、氏名も公表されていない。
また、この頃、メジャーリーグにおいて、コミッショナーのバド・セリグは、元民主党上院議員のジョージ・ミッチェルに薬物使用の実態調査を依頼したところ、ミッチェル報告書と呼ばれるこの調査の報告書は、2007年12月13日に発表された。この報告書で薬物を使用したとされる選手の中には日本プロ野球に所属した経験のある選手の名前もあったが、当時のNPBのコミッショナーである根來泰周はNPBの薬物対策に問題はないとし、報告書とは無関係の立場を取った[7]。
2007年以降
2007年以降、同機構は機構内にアンチ・ドーピングガイドを掲げ[8]、独自の方針でドーピング検査を実施・公表している。違反者は、NPB医事委員会の報告の後にNPBアンチ・ドーピング調査裁定委員会で審議され[9]、その結果により譴責・10試合以下の公式戦出場停止・1年以下の公式戦出場停止・無期限出場停止のいずれかが科されると発表されている[10]。今まで、リッキー・ガトームソン(20日間出場停止)、ルイス・ゴンザレス(1年間出場停止)、ダニエル・リオス(1年間出場停止)、井端弘和(譴責)の4人が制裁を受けた[11]。
NPBの隠蔽体質
上記のように対策を行っているNPBだが、過去様々な隠蔽体質が明らかになっている。このような現状であるため、仮に一流の人気選手がドーピングをしていたことが検査で分かっても、果たして公表するかどうか疑問である(というか実際あってすでに隠しているとしても不思議ではないだろう)。また、現在のドーピング検査で出場停止になったのは、大して戦力になっていない助っ人外国人ばかりであり、まるで大相撲の八百長問題におけるトカゲのしっぽ切りのようだとネットで指摘されている。
以下、過去の不明瞭な隠蔽。
- 金村義明などから、アマチュア時代に裏金が普通にあったことが告白されており、また2000年にダイエーホークスに入団した山田秋親の契約金が上限の1億円を遥かに超える6億5千万円であることが山田の親族によって明かされたりするなど、むしろ裏金や規定以上の契約金は公然の秘密となっていた。それに対し、わずか数十万円~数百万円の栄養費を受けていた一場靖弘の件で、NPBは関係者を処分。これが実質唯一といってよい裏金処分である(ほか、木村雄太に関する件もあり)。なお、後に横浜ベイスターズの那須野巧が契約金5億3千万円、読売ジャイアンツの阿部慎之助ら数選手が10億円他の契約金を受けていたことが明らかになったが、あくまで契約金の上限は標準額であるとしてNPBは厳重注意処分にとどめた。さらに、巨人の野間口貴彦は入団前に巨人から数回に渡り200万を渡されていたが、これも厳重注意処分にとどまっている。この辺りはキリがないので、詳細は、Wikipediaの希望入団枠制度#契約金の最高標準額超過参照。
- 2013年、前年より明らかにボールが飛ぶことが指摘されたにも拘わらず、ボールに変更はないという主張を続けていた。しかし、選手会の執拗な追及によって、ついにボールを密かに換えていたことを認めた。
脚注
- ↑ 日本テレビ「北京オリンピック」2004年8月30日
- ↑ 週刊朝日2005年8月19・26日号
- ↑ 週刊ポスト2007年1月26日号、2007年2月2日号
- ↑ 愛甲猛「球界の野良犬」
- ↑ zakzak2008年4月11日 http://www.zakzak.co.jp/spo/2008_04/s2008041114_all.html (リンク切れ)
- ↑ 毎日新聞2007年3月16日19面、北海道新聞2007年2月3日20面
- ↑ 文藝春秋 「ミッチェル・レポート」(2007年12月20日)
- ↑ http://www.npb.or.jp/anti-doping/
- ↑ http://www.npb.or.jp/anti-doping/chapter3.html
- ↑ http://www.npb.or.jp/anti-doping/chapter5.html
- ↑ http://www.npb.or.jp/anti-doping/doc_notice.html