中川多平

提供: Yourpedia
2013年6月20日 (木) 14:05時点におけるえせ同和 (トーク | 投稿記録)による版

(差分) ←前の版 | 最新版 (差分) | 次の版→ (差分)
移動: 案内検索

中川 多平(なかがわ たへい)は部落解放同盟京都府連合会田辺(現・京田辺)支部長。多平建設社長。中川夛平とも表記。倒産事業の事後処理に介入し暴利を貪る「整理屋」で、暴力団寺村組とも深い関係がある(『京都民報』1980年9月23日付)。

概略

みずからが建設する多平建設は、田辺町の第2期同和向け住宅建設(1973年12月から1974年10月)を受注した際、下請業者の工事代金の半額に近い3700万円の不払いを起こしている。また、第3期同和向け住宅建設(1975年12月から1977年7月)工事落札に際しては、落札後40日間近くも着工せず、町は多平建設の保証人である大信建設に施工させた前歴もある。しかし田辺町からは「同和企業育成」の名目のもとに公共事業の指名業者から外されることもなく優遇を受け続けている。

1984年7月と9月、同志社大学京田辺キャンパスの工事に関して同志社大学に苦情を申し入れる。工事に際して地元に迷惑がかかるから地元に仕事を回せ、また校内での物品販売や建設工事にも参加させろ、との内容である。翌1985年にも同志社大学と交渉し、「通学路の草刈りや清掃やゴミ処理を請け負わせろ」「学食の食材は地元から買え。学食の従業員も地元から採用しろ」「同志社大学の職員も同和地区から採用せよ」「学内の清掃も地元にやらせろ」などと要求を増やしていった。しかし、同志社大学京田辺キャンパスの敷地は部落解放同盟支部のある同和地区と隣接しているわけではなく、したがって同志社大学としてはキャンパスの開発にあたって部落解放同盟と協議しなければならない理由はどこにもなかった。「同志社は金になる」(『京都民報』1985年5月5日)。地元の同和地区ではそうささやかれた。

1986年1月13日、都市計画法違反・建築基準法違反・食品衛生法違反で地元住民から刑事告発を受ける。それによると、中川夫妻は田辺町の市街化調整区域の山林に農家住宅と偽って多平建設の事務所と喫茶店を無許可で建築・営業しているという。府田辺土木事務所は、中川による違法行為を着工後の1984年9月に発見していたが、口頭や文書で是正指導をしただけで、全く実効ある措置をとらなかった。行政側のこの甘い態度には、中川が部落解放同盟田辺支部長の地位にあることが関係しているといわれている。

2003年9月5日、滋賀県草津市で飲酒運転事故をおこし逮捕される。

出典

  • 中原京三『追跡・えせ同和行為』p.160-166(部落問題研究所、1988年)