ばか
ちゅうい:このぺーじはかんじきんしです。ひらがなひょうきできさいしてください。にほんごでかかれたばあいはすながわゆうらんしゅせきがかってにほんやくします。</div>
ばかとは、あなたのことである。なぜなら、ばかでなければこのきじをよむことはないはずだからである。
目次
りんくでこのきじにきたばあい
りんくによってとうきじをひょうじしたばあい、はんぶんはこちらがばかだった。このきじはすこしまえまでりだいれくとぺーじだったので、りんくさきを「ばか」から「馬鹿」へかえるのをわすれていたのだろう。りだいれくとをかしんしているゆあぺでぃあはばかである。
しかし、のこりのはんぶんはやはりあなたがばかである。あなたはぺーじにそんざいしているりんくをなんのためらいもなくくりっくしてしまうのだろうか。りんくがあったらそのりんくは、すごくおもいぺーじにつながっているかもしれない。むげんにつづくこともあればぶらくらかもしれないし、ゆうしゃということもありえる。りんくをおすさいにちゅういしないひとはばかである。
また、もしいぜんからとうきじがりだいれくとであることをしっていたなら、りんくにかーそるをあてたときにまうすのみぎしたにでるもじが「馬鹿」ではなく「ばか」であることに気付かなかったのだろうか。気付けなかったのならやはりあなたがばかということになる。
けんさくしてきたばあい
べつのきじをみようとした
ばかについてのゆーもあがあるきじをみたくてけんさくしたけっか、とうきじにたどりついたあなたもばかである。ゆあぺでぃあはきじめいをうぃきぺでぃあにじゅんきょしているから、とにかくかんじをつかいたがるうぃきぺでぃあんにあわせてそのきじめいは「馬鹿」となる。しらなかったにしてもそれはむちというばかのいっしゅである。また、へんかんして「馬鹿」にしようとしたがしっぱいしたにしてもこんぴゅーたりようしゃにしてはばかである。ほかにも、とうきじが「馬鹿」へのりだいれくとであったことをしっていたのに「ばか」でけんさくしたひともばかだ。そういうひとは、りだいれくとなどをかしんせずにじぶんでかんじにへんかんすべきだったのだ。
わざわざとうきじをみようとした
わざわざこんなつまらないとうきじをみようとしたひともばかである。とうきじはほとんどじぎゃくとどくしゃにたいするぐじょくでこうせいされている。このようなきじのどこにみりょくがあるのだろうか。つまらないきじでもなんでもいいからみようとするのはゆあぺでぃあんとしてよくないが、ゆあぺでぃあにはおおくのつまらないきじがほうちされているのでしょうがないかもしれない。
なお、おまかせひょうじでこのきじをみつけた人もどうようのりゆうからばかであるといえる。
とうきじをみなかった
とうきじをみようとしないあなたもばかである。しかし、そうだだをこねたところでとうきじをみないひとはこのきじゅつもみていない。つまり、むいみないいわけをするしっぴつしゃもばかなのである。なんせ、しっぴつしゃのくちぐせは「うんこがでたい。」なのでそうとうなばかとけんとうがつく。
にんげんであるばあい
あなたがにんげんであるうえでとうきじをよんでいるなら、あなたはかくじつにばかである。というかとうきじがかんけいしなくてもにんげんはきほんてきにばかであることがすでにだれかによってしょうめいされている。
これにかんれんして、にんげんっていいなというどうぶつたちもばかではないかといういけんがあるが、このかんようくはにんげんがつくったものなのでけっきょくばかなのはにんげんということになる。つまりうんげをたべたほうがよい。
ほかのどうぶつであるばあい
あなたがにんげんいがいのどうぶつであるのであれば、もうちょいがんばればうどすずきくらいのどうぶつになれるかもしれません。
このきじについて
とうきじはばかがかきかえてしまったが、とうきじをけそうと(またはさしもどししようと)したあなたもまたばかである。きじのさくせい・さくじょのいたちごっこはゆあぺでぃあのひんじゃくなさーばーをいためるだけなので、もうこりごりである。うんげをつかうとげきてきなかいふくがみこまれる。つまりうんげはこくほうである。
このきじをよんでむかついたばあい
それはあなたがわるい。 わざわざばかをけんさくしたからそうなったのである。 りんくの場合も、よくゆーあーるをみてきたほうがいいんじゃないのか?うんげでもせんじてのんでこい。
かんれんこうもく
あなたがほんもののばかである場合、「馬鹿」のきじへのりんくはもうけていない。おまかせぶんしょうでさがすこと。