小さな政府
小さな政府(ちいさなせいふ)とは、民間で過不足なく供給可能な財・サービスにおいて政府の関与を無くすことで、政府・行政の規模・権限を可能な限り小さくしようとする思想または政策である。アダム・スミス以来の伝統的な自由主義に立しており、政府の市場への不要な介入を最小限にすることを目指す。小さな政府を徹底した体制は夜警国家あるいは最小国家ともいう。基本的に、より少ない歳出と低い課税、低福祉-低負担-自己責任を志向する。主に、新自由主義者またはリバタリアンによって主張される。
概要
「小さな政府」では、市場の失敗などが起きず民間でも問題なく運営・供給可能な事業においては、極力民間に行わせることを目指す。そのため、国営事業の民営化・私企業化(privatization)や、規制の撤廃、国有資産の売却などを行う。
背景には、第二次大戦後の傾斜生産・護送船団方式や賃金物価管理政策、欧州での企業国有化政策が行き詰まりを見せた1970年代に政府の硬直性が批判の対象とされたことがある。また、1991年にはソビエトの失敗が明らかとなり社会主義的な政策の不合理性を印象づける要因となった。
「小さな政府」とは、中央政府でさえ需給などに関わる情報を収集する能力には限界があり、政府が介入するよりも市場に任せて価格メカニズムを活用する方が、より効率の高い資源の配分が達成できるという考え方に基づく。そのため、市場の価格メカニズムを乱すこととなる政府の介入は、公共財の供給などの市場の失敗への対処やマクロ経済安定化政策などの、政府にのみ適切に行い得るものに限定し、民間でできることはできるだけ民間に委ねるべきだとする。また、選挙によって選ばれる政治家には、放漫的な財政を行うのは容易だが緊縮的な財政を行うことは難しいというバイアスが掛かるため、財政は次第に肥大化していってしまうという政府の失敗を抑えることも目的とする。
80年代以来、米国ではそれまで政府が担ってきた業務を民間の独立した公共部門である非政府セクター(nongovernment sector)、非営利セクター(nonprofit sector)に移管する試みが行われた。英国では保守党のサッチャー政権により「サッチャー革命」と呼称されるかたちで政策が進められた。日本においては日本国有鉄道・日本電信電話公社・日本専売公社(3公社)の民営化が中曽根内閣によって実現された。
一方で、富の偏在や貧富の格差拡大、犯罪の増加、社会不安の増加、世代間にまたがる富の偏在と固定化、教育機会の不均衡、職業の世襲的独占など「スタートの平等」が担保されにくくなる事が問題と指摘される。しかしこの批判について、小さな政府推進の立場の人々からはトリクルダウン(先行して資産家や企業が富める事が、結果としてそこからしたたり落ちた富によって全体が潤うという考え方)によってこの問題は解決されると主張され、これらの議論は堂々巡りを繰り返してきた。
金融政策については、中央銀行の設置や通貨発行の独占を批判する議論が存在しており(自由銀行制度)、ハイエクほどの自由主義者によれば金融政策も自由への介入となる。ケインズおよびその思想に同調的な学派によれば、社会保険制度や各種国営事業など政府の行う範囲を拡大させるというということと金融政策を積極的に行うということは別の問題であり、「小さな政府」を求める者が果敢なマクロ経済安定化政策を支持することは矛盾しない。
歴史
国家を財政面でとらえた場合の呼称は国庫であるが、市民社会における経済運営と国庫の問題はルネサンス期のイタリアに体系化されたものと見られ、都市の経済運営のため税を担保とした公債が発行された。この慣習が神聖ローマ帝国の諸領域国家に広まり、租税収入を担保に国王が有力商人に公債を発行する慣習がなりたちオランダでは市議会が皇帝の歳費を肩代わりする形で公債を引き受け課税権や徴税権を獲得してゆき、国富のうちで現実に近代的国民の全体的所有にはいる唯一の部分としての国債が成立した。(⇒国庫)
市民社会を対象に、国家と経済のあり方が論じられたのは重商主義以降、クロムウエルの元での航海条例やルイ14世の元でのコルベール主義に関わる議論であり、啓蒙思想の諸学派は国家による経済介入は国の富をそこなうとする理論的な集約をみる(⇒レッセフェール)。一方フランス革命後とりわけナポレオンの総領政権の頃にはアダム・スミス以来の伝統的な自由放任主義(レッセフェール)を主張するセイはナポレオンの目にとまり戦争経済の構築のため保護政策と規制について書き直すように要求される。
アダム・スミスによれば政府による経済活動はすべて不生産的労働であり、政府が公衆から資金を借入れて消費することはその国の資本の破壊であり、さもなければ生産的労働の維持に向けられたであろう生産物を不生産的労働に向けるものである。古典的な経済理論においては、行政府の支出はその源泉が租税であろうが国債によろうが民間の経済活動は圧迫(クラウド・アウト)される。これに対する理論的な反論は19世紀前半におこった過少消費説(一般過剰供給論争)であり、所得の不平等や貯蓄過多(投資不足)による経済的不均衡が生産縮小のサイクルを産むと理論化された(⇒過少消費説)。
英国では均衡財政にもとづく経済運営のもと、救貧法などに見られる糊塗的・懲罰的な貧困対策は格差問題の解消になんら寄与せず、貧困と不平等を問題視する人々の中からラッダイトなどの社会運動、やがて社会主義の思想が生まれ欧州全体に拡散した。1880年代にビスマルクの「飴と鞭」政策により導入された公的福祉制度(社会保障制度)は各国に広まり、また1930年代の世界恐慌において、ケインズにより提唱された有効需要理論に基づいた数々の政策が実行に移され、政府の経済への関与と財政の占める規模は増大した。米国で失業保険や公的年金、生活保護などの社会保障が設けられたのはこの時期である。
1960年代には、財政政策と金融政策をミックスし完全雇用を志向する「大きな政府」が主流となるが、1970年代にスタグフレーションを招いたため、フリードマンら経済学のシカゴ学派による批判に基づいて、イギリスやアメリカで「小さな政府」への転向が始まった。肥大化した政府による資源配分の歪みや規制、財政政策依存による財政赤字拡大、クラウディングアウト効果による民間投資の過少化、政府支出へ依存した産業構造、それらの結果としての供給力不足がインフレーション体質の問題点であると考えられた。「小さな政府」は、新自由主義(ネオリベラリズム)あるいは新保守主義と親和性が高い。
「小さな政府」肯定論
- 規制がなければ、個人や企業が思う存分力を発揮できるため、良いサービスが提供され、全体としても経済が活性化する。
- リバタリアニズムの観点に立てば主権は至上であり、課税は自由を奪い人を奴隷化することに他ならない。人は自分のみが自分の所有者でなければならない。
- 大きな政府になると、官の非効率性や課税などによる資本蓄積、労働供給へのマイナス効果により、経済活動に抑制的な影響が及ぶ可能性がある。
- 裁量的な政策は賢人によって行われるというハーヴェイロードの仮定は現実には程遠く、実際には国民の厚生の改善とは相容れないような政策が裁量的に行われる。
- 政府財政はつねに「経費膨張の法則」に曝されており、財政においては「財政需要膨張の法則」が働く。ケインズ政策の先駆ともいえるペティ「租税貢納論」(ペティは貧民救助や病院経営など社会政策経費と福祉費の増額を提唱し、貧民対策として公共土木事業に労働者を投入すべきことを提言している。また「かりにソールズベリ高原に無用なピラミッドを建設しようが、ストーンヘンジの石をタワーヒルにもってこようが、その他これに類することをしても」公共事業に労働力を投入することは有用であるとして公共事業の経済的・社会的効果を提唱した)。
- (かつての国鉄や郵政など)民間で同等の営業サービスが展開されている事業分野では、公的資金による経営は市場の公平性を損なう。公営事業の場合、忠誠の宣誓を行い政治活動が禁止・制限され、人事院が給与水準を管理する「公務員」でなければできない仕事かどうか検討すべきである。
- (塩の専売、通信業や労働者派遣業など)民間が提供できるサービスを中央政府が独占していることは経済的自由権の不当な制限であり、適切に見直すべきである。
- 公営による独占的経営では、コスト削減や生産性向上のモチベーションが機能せず、競争に晒されていないため技術革新への投資が行われない。安定的な雇用条件の下では従業員労働者にフリーライドの問題が発生する。
「小さな政府」論への批判
- 国内に失業者があるなど資源が遊休している場合、その遊休資源を活用して政府が適切に事業を行うことが出来れば国富が拡大する可能性がある(→ケインズ政策参照)。ただし、政府による積極的なマクロ経済安定化政策と小さな政府という方針は、必ずしも齟齬しない。
- 安定的に充分に提供すべきサービスの場合、自由な企業経営による競争に放任すれば、市場参加者は将来予測の不確実性を持ち、期待収益への不確実性から経済全体として充分な投資が行われない。このような場合は公的経営が長期的な「呼び水」になる可能性がある。
- 成員の圧倒的大部分が貧困で惨めであるような社会は、繁栄した幸福な社会ではありえない。不平等はもっとも不遇な立場にある人の利益がその時点で最大であるべきであり、全ての人には公正な機会の均等が与えられるべきである(ロールズの第二原理)。
- 発展途上の資源国では採掘事業や権益管理の国有化は珍しいことではない。国富や国益に資することが目的であり「民営化・私営化」すれば効率的な経済運営が為されるとは限らない(2010年メキシコ湾原油流出事故、コピアポ鉱山落盤事故も参照のこと)。大戦直後の日本では傾斜生産が、英仏では主要産業の国有化が国土復興に大いに貢献した。
- 一般に行政の管轄する人口規模や域内市場規模の多寡と政府の規模は逆相関(インフラ投資や行政実務の効率化の観点から小国や都市国家のほうが行政負荷が高い)ことが想定されるが、現実にはかならずしもそうではない。また政府支出の域内市場(GDP)に占める割合規模と域内の経済効率に明確な因果関係を見いだす研究は提出されていない。
- 国債の累積発行問題や行政部門での浪費問題、行政支出やプロジェクトの失敗問題を棚上げにして、義務的支出である教育・福祉・医療等関連予算を削減する名目として「小さな政府」を標榜するのは論点のすり替えであり、小さな政府を実現すれば財政上の諸問題が解決するかどうかは(論証的には)分からない。
日本の場合
- 日本では国鉄や郵政などの民営化論議が争点となってきた経緯があり、公務員定数の削減が小さな政府の実現と見なされがちであるが、税収を公務員サービスから民間サービスへ振り替えることで行政府が同等のサービスを維持している場合、国庫の観点からは「政府の大きさ」に違いはない。この場合市場原理を導入(私営化)するなどサービス内容の向上や経費削減効果を目的とした行政支出の効率化が焦点となる。
- 規制緩和や許認可制度の見直し、権限の地方政府(自治体)への委譲は行政行為の観点からの「政府の大きさ」に関する議論である。入札方法の見直しや官許方式から業界自主ルール方式への移行、住民サービスに関する行政権限の地方への移管などが論じられることが多い。
- 社会保険庁などの外局、特別会計に見られる国会予算審議から隔離された国庫財源、あるいは公益法人や天下りなどの「隠れた」官の肥大化などが批判の対象となり、小さな政府論の主要なテーマとされることが多い。
- 日本では財政再建を主眼として自民党が積極的に「小さな政府」を掲げていた。規制緩和や経済の自由化による日本経済の建て直しを主張する議員は党派を超えて存在しており、社会給付の強化を主張する民主党議員のなかにも「国庫の大きさ」の観点ではなく「行政行為の大きさ」の観点から地方分権や特殊法人の廃止(隠れた「官」)を主張する議員は多い。
- 財界や金融市場においては、税負担の軽減や各種規制の自由化(緩和)をもたらす「小さな政府」政策が好まれる傾向が強い。小泉内閣以降の自民党政権は、「『小さな政府』でなければ日本に未来は無い」として、歳出の抑制や規制緩和、法人税減税、郵政公社や特殊法人の民営化などを進めている。
- 麻生太郎の総理大臣就任以降、自民党の福祉政策は小泉内閣以前の中福祉中負担路線に回帰した。自民党を離党した渡辺喜美を中心に結党されたみんなの党は、低福祉低負担の「小さな政府」路線を明確に掲げている。
- 欧州諸国やカナダなどと比較して、福祉の支出が公共投資よりも少ないことから、小さな政府が行き過ぎているのではないかという批判が、主に左派からなされている。これに対しては、日本の(高齢者)福祉の給付水準は先進国の中でも最高レベルであり、また、総支出でも、急激な少子高齢化に伴って、将来的には一部の欧州並みの規模まで膨らまざるを得ないとする反論もある。また、政府の福祉支出を低所得者向けの最低限のもののみに限定して残りをボランティアや民間保険に置き換え、アメリカ並みの小さな政府とすることが望ましいとする意見もある。
- 最低限度の安全保障自体も完全に達成できていない現状ではいくら理想である「小さな政府」を掲げて社会保障分野の業務を民営化、削減したとしても、警察官などの増員による治安維持部門の肥大化によって財政的には結局「大きな政府」になっていく可能性があるという人もいる。実際に日本では公務員数の削減が進む一方、警察官は増員されている。しかし、社会保障が充実していないアメリカで治安維持費が特に重いというわけではなく(軍事費は多いが、連邦軍は国内の治安維持には関与していない)、経済に占める社会保障の規模と治安関係公務員数の相関関係は明確ではない。
- 小さな政府の根幹である最低限度の安全保障の部局である防衛省・警察庁においてすら職員の不祥事や装備品の水増し調達などの不正経理・背任行為、天下りなどの官民癒着を根絶できていない。解決すべきは、職員の不正や背任・天下りなど官民癒着の問題(モラルハザード、モチベーションのクラウディングアウト)であって、本来無関係な「大きな政府」に関わる民業圧迫(クラウディングアウト)問題を持ち出すことがかえって混乱をもたらしているという意見も根強い。
- 本来、「小さな政府」を推進する場合、セーフティ・ネットを張り巡らさなければ富の偏在、所得差の急激な拡大などによって社会的な混乱を招く蓋然性がある。ところが、日本で議論されているのは生活保護の切り詰め・医療費の値上げなどの福祉の抑制や、ハローワーク事業の民営化論・年金保険料の段階的値上げなどの社会保障の抑制などが議論されており、セーフティーネットに含まれる公的業務の削減・廃止が他の公的業務より進められている。これらは「小さな政府」を推進している経済財政諮問会議などの多くの改革会議の顔ぶれが社会保険料の企業負担の削減を大幅に減らした上で、所謂官制ビジネス・貧困ビジネスといわれる行政や社会保障を給付される国民を対象としたビジネスを展開したい財界人や「御用学者」と見られる場合もある政府要人ときわめて近い学者などで占められていることから、いわゆる「政商」的な自分達の利益を優先させるため「小さな政府」論を提唱しているに過ぎないとする批判が後を絶たない。
- 人口千人あたりの公的分野における公務員数(地方公務員含む)は日本が約42.2人、フランス約95.8人、アメリカ約73.9人、イギリス約78.3(フルタイム換算)人、ドイツ69.6人であり比較的少ない人数で日本を支えていることになる。こうした中での単純な国家公務員の頭数の削減は、行政処理能力の具体的な低下をもたらす可能性があり、また治安など国民の安全や地域経済に悪影響を与える恐れがある。たとえば米国の証券取引委員会は3798名(2007年)であるが、日本の証券取引等監視委員会は374名(2009年)である。日本の場合、消防団や民生委員など民間部門が無給で公的な役割を担う仕組みが整備されているが、近年はわずかな手当てで負担・責任を負うことになるこれら奉仕活動や地域の世話役活動が敬遠されるようになり、人手不足で行き詰まりに瀕している。
文献情報
- 「政府の大きさをめぐる議論」西川明子 国会図書館レファレンス2007.12[1]
- 「諸外国の国家公務員制度」首相官邸・公務員制度の総合的な改革に関する懇談会[2][3]
- 「諸学国の地方公務員制度の概要」行政改革推進本部専門調査会[4][5]
関連項目
- 政府の失敗
- 市場の失敗
- 自由主義
- リバタリアニズム
- 新自由主義
- 新保守主義
- 第三の道 - 規制緩和などで経済政策にのみ小さな政府化を目指し、福祉面や雇用対策では大きな政府を目指すという考え方。
- 厚生経済学
- クラウディングアウト
- 中曽根康弘
- 福田赳夫
- 橋本龍太郎
- 聖域なき構造改革、小泉純一郎
- 事業仕分け (行政刷新会議)
- ロナルド・レーガン、レーガノミクス
- マーガレット・サッチャー、サッチャリズム
- 小さな政府研究会(河村たかしらが結成)