「南都七大寺」の版間の差分

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(七大寺)
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2021年11月13日 (土) 15:35時点における版

南都七大寺(なんとしちだいじ, Nanto Shichidaiji Temple)は奈良に所在する7つの大寺をいう。単に「七大寺」ということもある。

概要

756年(天平勝宝8)5月に「七大寺」の名は『続日本紀』の「於(二)七大寺(一)誦経焉」の記載が初見である[1]。七大寺は朝廷の保護を受けた。奈良時代の寺院は「官寺」と「私寺」の区別があり、主要な寺は官寺(国営)であった。『続日本紀』大宝2年条の大官大寺、弘福寺、法興寺、薬師寺の四寺、または天平勝宝八年の御願寺すなわち南都七大寺が官寺であり、それぞれ寺領が給付された[2]。僧侶はいまでいう国家公務員であった。のちに「十三大寺」「十五大寺」と拡大された。

879年清和上皇の大和国の名山巡礼から、貴族を中心として南都七大寺への巡拝が流行した。

七大寺

南都七大寺
寺名 正式名 宗派 本尊 所在地
東大寺 金光明四天王護国之寺 華厳宗 盧舎那仏 奈良県奈良市雑司町406-1
興福寺 法相宗大本山 興福寺 法相宗 釈迦如来 奈良県奈良市登大路町48
元興寺 真言律宗 阿弥陀如来 奈良市中院町11番地
大安寺 熊凝山 高野山真言宗 十一面観世音菩薩 奈良県奈良市大安寺2丁目18-1
西大寺 勝宝山 四王院 西大寺 真言律宗 釈迦如来 奈良県奈良市西大寺芝町1-1-5
薬師寺 法相宗大本山 薬師寺 法相宗 薬師如来[3] 奈良県奈良市西ノ京町457
法隆寺 法隆学問寺 聖徳宗 釈迦如来 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1

七大寺巡礼私記

平安時代末期に南都七大寺などを巡礼した際の見聞記である。『七大寺日記』と『七大寺巡礼私記』が残されている。院政期の諸大寺の実情を知る史料として貴重である。一 般 には大江親通の著作と目されているが、異論もある。内容は、東大寺・興福寺・元興寺・大安寺・西大寺・薬師寺・法隆寺の順に、各寺の縁起・堂舎・仏像などについて記し、そのほか行基の伝記を書き加えている。

創立順

創立年代では次の順である。

  1. 元興寺 596年
  2. 法隆寺 607年
  3. 大安寺 617年
  4. 興福寺 669年
  5. 薬師寺 680年
  6. 東大寺 728年
  7. 西大寺 765年

注・参考文献

  1. 続日本紀 天平勝宝八年五月四日
  2. 白鳳文化研究会編(2008)『薬師寺白鳳伽藍の謎を解く』冨山房
  3. 正式には「薬師瑠璃光如来」という