「甘利虎泰」の版間の差分
提供: Yourpedia
細 (表示崩れ防止、内部リンク追加) |
|||
4行目: | 4行目: | ||
== 生涯 == | == 生涯 == | ||
− | 武田信虎時代から武田家に仕え、板垣信方と共に「両職」を務める武田家臣団最高位の重臣だったというが、信方がかなり早くから活動しているのに対し、虎泰の史料上の初見は天文9年([[1540年]])である | + | 武田信虎時代から武田家に仕え、板垣信方と共に「両職」を務める武田家臣団最高位の重臣だったというが、信方がかなり早くから活動しているのに対し、虎泰の史料上の初見は天文9年([[1540年]])である{{Sfn|柴辻|2007|p=190}}。また[[甘利氏|甘利家]]は[[板垣氏|板垣家]]と較べると家格・実力に隔絶した差があったため、本当に両職を務めていたのか疑問も持たれている{{Sfn|柴辻|2007|p=190}}。諱の「虎」は信虎の偏諱と推測される{{Sfn|柴辻|2007|p=190}}。 |
− | 信虎追放後は晴信に仕え、天文12年([[1543年]])4月に[[明王寺]]([[増穂町]])に禁制を出した | + | 信虎追放後は晴信に仕え、天文12年([[1543年]])4月に[[明王寺]]([[増穂町]])に禁制を出した{{Sfn|柴辻|2007|p=190}}。また板垣信方を[[上原城]]代に任命する上使のひとりを務めている{{Sfn|柴辻|2007|p=190}}。天文17年(1548年)2月14日、[[村上義清]]と会戦した上田原の戦いにおいて大敗した際に戦死{{Sfn|柴辻|2007|p=190}}。享年は40歳代と推測される{{Sfn|柴辻|2007|p=190}}。家督は子の信忠(昌忠)が相続した{{Sfn|柴辻|2007|p=190}}。 |
[[政治家]]の[[甘利正]]・[[甘利明]]父子は虎泰の子孫を称している。 | [[政治家]]の[[甘利正]]・[[甘利明]]父子は虎泰の子孫を称している。 | ||
12行目: | 12行目: | ||
== 甘利虎泰が登場する作品 == | == 甘利虎泰が登場する作品 == | ||
; 小説 | ; 小説 | ||
+ | |||
* [[岩井三四二]]『二千人返せ』([[光文社]]『難儀でござる』収録) | * [[岩井三四二]]『二千人返せ』([[光文社]]『難儀でござる』収録) | ||
+ | |||
; テレビドラマ | ; テレビドラマ | ||
+ | |||
* [[天と地と (NHK大河ドラマ)|天と地と]](1969年、[[日本放送協会|NHK]][[大河ドラマ]]、演:甘利備前守 - [[中村伸郎]]) | * [[天と地と (NHK大河ドラマ)|天と地と]](1969年、[[日本放送協会|NHK]][[大河ドラマ]]、演:甘利備前守 - [[中村伸郎]]) | ||
* [[武田信玄 (NHK大河ドラマ)|武田信玄]](1988年、NHK大河ドラマ、演:[[本郷功次郎]]) | * [[武田信玄 (NHK大河ドラマ)|武田信玄]](1988年、NHK大河ドラマ、演:[[本郷功次郎]]) | ||
22行目: | 25行目: | ||
== 参考文献 == | == 参考文献 == | ||
− | * [[柴辻俊六]] 編『武田信虎のすべて』([[新人物往来社]]、2007年) ISBN 978-4-404-03423-6 | + | *{{Aya|柴辻|year=2007}} [[柴辻俊六]] 編『武田信虎のすべて』([[新人物往来社]]、2007年) ISBN 978-4-404-03423-6 |
{{デフォルトソート:あまり とらやす}} | {{デフォルトソート:あまり とらやす}} |
2019年6月19日 (水) 00:42時点における最新版
甘利 虎泰(あまり とらやす、? - 天文17年2月14日(1548年3月23日))は、戦国時代の武将。甲斐武田家の家臣。受領名は備前守。父は甘利宗信。弟に曽雌虎忠。子に信益、信忠、信康、娘(鎮目惟真室)。
武田信虎の時代から武田家に仕えた譜代の重臣で、武田晴信初期の覇業を板垣信方と共に支えた老臣。晴信の信濃出兵に従い各地を転戦したが、上田原の戦いで戦死。子孫は晴信・勝頼を支えて活躍した。
生涯[編集]
武田信虎時代から武田家に仕え、板垣信方と共に「両職」を務める武田家臣団最高位の重臣だったというが、信方がかなり早くから活動しているのに対し、虎泰の史料上の初見は天文9年(1540年)である[1]。また甘利家は板垣家と較べると家格・実力に隔絶した差があったため、本当に両職を務めていたのか疑問も持たれている[1]。諱の「虎」は信虎の偏諱と推測される[1]。
信虎追放後は晴信に仕え、天文12年(1543年)4月に明王寺(増穂町)に禁制を出した[1]。また板垣信方を上原城代に任命する上使のひとりを務めている[1]。天文17年(1548年)2月14日、村上義清と会戦した上田原の戦いにおいて大敗した際に戦死[1]。享年は40歳代と推測される[1]。家督は子の信忠(昌忠)が相続した[1]。
甘利虎泰が登場する作品[編集]
- 小説
- テレビドラマ
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 柴辻 (2007) 柴辻俊六 編『武田信虎のすべて』(新人物往来社、2007年) ISBN 978-4-404-03423-6