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*[[宮城県]][[仙台市]]で末っ子として生まれる<ref>[http://getnews.jp/archives/786815 「「私が代わりに人質に」=後藤さん母「政府信じる」―涙ながらに訴え・東京[時事]」]2015.01.25 14:13 時事通信社 カテゴリー </ref>。2歳まで仙台に住む。母は石堂順子で、その父親で後藤の祖父は位の高い軍人でP.B.Jという平和団体の理事長も務めていた。 | *[[宮城県]][[仙台市]]で末っ子として生まれる<ref>[http://getnews.jp/archives/786815 「「私が代わりに人質に」=後藤さん母「政府信じる」―涙ながらに訴え・東京[時事]」]2015.01.25 14:13 時事通信社 カテゴリー </ref>。2歳まで仙台に住む。母は石堂順子で、その父親で後藤の祖父は位の高い軍人でP.B.Jという平和団体の理事長も務めていた。 | ||
+ | * [[1990年]]初めころより国際[[ジャーナリスト]]として活動を開始<ref name="saigaijyouhou">[http://saigaijyouhou.com/blog-entry-5381.html 真実を探すブログ]</ref>。 | ||
*[[1991年]]に[[法政大学]]を卒業。高校は不明<ref name="keisuketekiblog">[http://keisuketekiblog.blog.so-net.ne.jp/2015-01-22-3 けーすけ的☆ブログ]</ref>。 | *[[1991年]]に[[法政大学]]を卒業。高校は不明<ref name="keisuketekiblog">[http://keisuketekiblog.blog.so-net.ne.jp/2015-01-22-3 けーすけ的☆ブログ]</ref>。 | ||
*[[東京放送ホールディングス|東京放送]]系のテレビ番組制作会社を担当。 | *[[東京放送ホールディングス|東京放送]]系のテレビ番組制作会社を担当。 | ||
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*[[2011年]]の[[東日本大震災]]では、被災地の[[石巻市]]や[[気仙沼市]]で[[日本ユニセフ協会]]の記録員を務めた<ref>[http://www.asahi.com/articles/ASH1N5V60H1NUTIL03H.html 「「果敢な記者」人質に 後藤さん、10月下旬に音信不通」]朝日新聞2015年1月20日</ref><ref>[http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201501/20150121_13021.html 「<2邦人殺害警告>仙台出身後藤さん無事祈る」]河北新報2015年01月21日水曜日</ref>。 | *[[2011年]]の[[東日本大震災]]では、被災地の[[石巻市]]や[[気仙沼市]]で[[日本ユニセフ協会]]の記録員を務めた<ref>[http://www.asahi.com/articles/ASH1N5V60H1NUTIL03H.html 「「果敢な記者」人質に 後藤さん、10月下旬に音信不通」]朝日新聞2015年1月20日</ref><ref>[http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201501/20150121_13021.html 「<2邦人殺害警告>仙台出身後藤さん無事祈る」]河北新報2015年01月21日水曜日</ref>。 | ||
*[[2014年]]10月に妻が夫婦の2人目の子供となる[[男子]]を[[出産]]<ref>[http://logmi.jp/35651 「イスラム国拘束・後藤健二氏の母親が会見」]ログミー2015.01.23</ref><ref name="reuters20150121">{{cite web |url= http://www.reuters.com/article/2015/01/21/us-mideastcrisis-islamicstate-japan-idUSKBN0KU1XV20150121|title= Japanese reporter's bid to save friend led to Islamic State abduction|first= |last= |date= 21 January 2015|work= |publisher= Reuters|location= Tokyo|archiveurl= |archivedate= |accessdate= 24 January 2015}}</ref>。前妻との間にも一女を設けている<ref name="reuters20150121"/>。 | *[[2014年]]10月に妻が夫婦の2人目の子供となる[[男子]]を[[出産]]<ref>[http://logmi.jp/35651 「イスラム国拘束・後藤健二氏の母親が会見」]ログミー2015.01.23</ref><ref name="reuters20150121">{{cite web |url= http://www.reuters.com/article/2015/01/21/us-mideastcrisis-islamicstate-japan-idUSKBN0KU1XV20150121|title= Japanese reporter's bid to save friend led to Islamic State abduction|first= |last= |date= 21 January 2015|work= |publisher= Reuters|location= Tokyo|archiveurl= |archivedate= |accessdate= 24 January 2015}}</ref>。前妻との間にも一女を設けている<ref name="reuters20150121"/>。 | ||
+ | *2014年10月、湯川遥菜を救出するためトルコ経由でシリアに向かい、「イスラム国」の支配地域に入ったとみられ、その後、連絡が取れなくなる。イスラム国に拘束されたとみられる<ref name="asahi.com">[http://www.asahi.com/articles/ASH1T5RC5H1TUHBI01G.html 朝日新聞DIGITAL 後藤健二さん殺害か 「イスラム国」が新たな動画]</ref>。 | ||
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==アル=ヌスラ戦線に拘束== | ==アル=ヌスラ戦線に拘束== |
2015年2月1日 (日) 20:09時点における版
後藤 健二(ごとう けんじ、1967年 -2015年1月?日 )は、日本のジャーナリスト。
目次
人物・来歴
- 1990年初めころより国際ジャーナリストとして活動を開始[2]。
- 1991年に法政大学を卒業。高校は不明[3]。
- 東京放送系のテレビ番組制作会社を担当。
- 1996年に映像通信会社インデペンデント・プレスを設立。アフリカや中東などの紛争地帯の取材に携わる。
- 1997年に受洗し日本基督教団田園調布教会信徒となる。
- 2002年秋、アメリカ主導の連合軍がイラクのサダム・フセイン政権への軍事攻撃を仕掛けると考えられていた時期。多くの難民が隣国ヨルダンに流出するとことが予想されることから、後藤は取材に行く。その際、UNHCRのアンマン事務所(ヨルダン)に松下千津を訪ねる[4]。
- 2004年、佳境にさしかかっていた、アンゴラ人難民の母国への帰還を取材しに行き、西部のモングに実際の帰還状況を映像におさめ、その後UNHCRルサカ事務所(ザンビア)を訪問。松下千津と再会[4]。
- 2006年、紛争地域の子供を取材した『ダイヤモンドより平和がほしい』で、第53回産経児童出版文化賞フジテレビ賞を受賞[5]。
- 2011年の東日本大震災では、被災地の石巻市や気仙沼市で日本ユニセフ協会の記録員を務めた[6][7]。
- 2014年10月に妻が夫婦の2人目の子供となる男子を出産[8][9]。前妻との間にも一女を設けている[9]。
- 2014年10月、湯川遥菜を救出するためトルコ経由でシリアに向かい、「イスラム国」の支配地域に入ったとみられ、その後、連絡が取れなくなる。イスラム国に拘束されたとみられる[10]。
- 2015年1月下旬、過激派組織「イスラム国」に拘束されていたが、日本がイスラム国と戦う連合に参加したことを理由に殺害される[10]。
アル=ヌスラ戦線に拘束
中東での取材中でアル=ヌスラ戦線に拘束されたものの、1日で解放された[11]。
イスラーム国での拘束
2014年8月に「イスラーム国に拘束された湯川遙菜を救出するために中東に向かう」と家族に告げ、10月22日頃に日本を出国した[12]。23日にトルコのコーディネーターに電話をかけ、24日に国境の町で接触し、同日にトルコ南部のキリスからシリアに入国し[13]、クリスチャントゥデイのコラムのメールを送信し、10月26日に掲載された[14]。10月25日にイスラーム国への入国の目的を語ったビデオメッセージをシリア人ガイドに託し[15]、シリア北部のアレッポ県から別のシリア人ガイドと共にイスラーム国の支配地域へと入った[13]。帰国予定の10月29日になっても戻らず、行方不明となった[16]。帰国予定は10月29日だった。トルコのコーディネーターの証言では、27日になっても帰らなかった場合、家族を含めた5件の連絡先に電話を入れてくれと後藤に頼まれ、本人の携帯電話を渡していた。この2泊3日の行動予定は極めて短期間であり、ここから推測されるのは後藤は事前に何ら情報がないままイスラム国(ラッカ)に入ったのではなくて、イスラム国側のコーディネーターの手引きに従い、イスラム国側との打ち合わせに従って、後藤の立場からすれば、湯川の身柄を引き取りに行ったとも推測されている。この救出劇を単に後藤の個人プレーとは見ずに、日本政府が背後におり、政府関係者と入念に相談した上で、言わば日本政府のエージェントとして動いたとする見方もある[17]。
2014年11月1日頃に「シリアに同行したガイドに裏切られ、武装グループに拘束された」とトルコの知人に電話連絡があった[18]。この数日後にイスラーム国の関係者を名乗る人物から数十億円の身代金を要求するメールが家族に届いた[18]。2015年1月20日になり、イスラーム国が日本国民と日本政府に向けたビデオにYと共に人質として登場し、Jihadi Johnとして知られるISISメンバーの男性が「72時間以内に2億ドルの身代金の支払いがないと両人質を殺害する」と述べた[16]。 1月23日、母親が記者会見を行ったが[19]、配布された声明文以外の無関係な反原発等の政治的主張も行った[20][21](中継を完全に放送したのはNHKBSのみ)。
1月24日午後11時に殺害されたYの写真を掲げる動画がインターネット上に流れ、後藤とされる声(英語)で湯川遥菜を殺害したという声明が出された。この中でイスラム国は「湯川を殺したのは安倍晋三である」という旨を述べている[22]。 また、同声明の中には2005年にヨルダンの首都アンマンで発生した爆弾テロ事件(2005年アンマン自爆テロ)の実行犯として収監中のサジダ・リシャウィの釈放を要求するものが含まれていた。
湯川遥菜との関係
後藤健二と湯川遙菜の接点について、2014年7月末、湯川がトルコ経由でシリアに二度目の潜入をし、反アサドの自由シリア軍に拘束され、アジトで尋問を受けていた際、英語が堪能な後藤健二が湯川遙菜を救ったのが最初の接触だというのが定説だ。後藤自らが2014年8月にテレビで湯川遙菜との関係にを詳しくは説明しなかったものの、そのときが初対面であるかのような印象で語った。しかし、実際にはそうではなく、本人のブログから、2014年の湯川の中東渡航にはすべて後藤が同行していることが推測されている。外務省から渡航禁止令が出ている状況で湯川はシリアに一回目の潜入を果たした。湯川にとって紛争地入りの初体験であったが帰国後の報告に、「僕が入国して数日後、ジャーナリストの後藤健二さんが入国し、お会した」との発言がある。2014年8月の湯川遙菜事件の際にはこの事実はマスメディアでも見落とされていた。4-5月のシリアに続き、6月下旬に湯川はイラクに渡航した。イスラム国がイラク北部に侵攻して勢力を拡大させ、米国が空爆で阻止をしようとしていた時期に当たる。湯川は日本に帰国後、現地のレポートを書いているが、6月29日の記事では、イスラム国と戦うクルド人部隊と撮影した写真に、後藤が収まっていた。このとき、後藤は同時に現地レポートを報道ステーションで行っている。この事実について、メディアは一切注目しなかったが、2014年4月のシリア、6月のイラク、7月のシリアでも、湯川と後藤は常に一緒だった。英語が堪能ではない湯川は、現地で活動するためには事情をよく知る通訳が必要性があったため、シリア、イラクともに、後藤が湯川遙菜のガイドとなって世話をしていたと推測される[17]。
事件の影響
1月23日の音楽駅でKAT-TUNの曲変更された 24日の暗殺教室休止なった 25日の笑点の前半差し替えられた 相棒のかんきんが封印された
主な著作
著書
- 『ようこそボクらの学校へ』NHK出版DVD+book 2003
- 『ダイヤモンドより平和がほしい 子ども兵士・ムリアの告白』汐文社(2005)ISBN 4811380010 産経児童出版文化賞フジテレビ賞受賞
- 『エイズの村に生まれて 命をつなぐ16歳の母・ナターシャ』汐文社(2007)ISBN 4811384741
- 『ルワンダの祈り 内戦を生きのびた家族の物語』汐文社(2008)ISBN 4811384970
- 『もしも学校に行けたら アフガニスタンの少女・マリアムの物語』汐文社(2009)ISBN 4811386116
ビデオディスク
- 『世界の学校シリーズ』(ケイエムコンサルティング)
- 『ワールド・エコ・トラベラー』(ケイエムコンサルティング)[23]
テレビ出演
2015年1月20日以降のニュース番組
脚注
- ↑ 「「私が代わりに人質に」=後藤さん母「政府信じる」―涙ながらに訴え・東京[時事」]2015.01.25 14:13 時事通信社 カテゴリー
- ↑ 真実を探すブログ
- ↑ けーすけ的☆ブログ
- ↑ 4.0 4.1 私の友人による後藤健二さんについての追想-拡散希望 阪口直人 2015年01月24日
- ↑ (2014-05-30) 【インタビュー】国際ジャーナリスト・後藤健二〜それでも神は私を助けてくださる〜」 クリスチャントゥデイ 2014-05-30 [ arch. ] 2015-01-20
- ↑ 「「果敢な記者」人質に 後藤さん、10月下旬に音信不通」朝日新聞2015年1月20日
- ↑ 「<2邦人殺害警告>仙台出身後藤さん無事祈る」河北新報2015年01月21日水曜日
- ↑ 「イスラム国拘束・後藤健二氏の母親が会見」ログミー2015.01.23
- ↑ 9.0 9.1 (21 January 2015) Japanese reporter's bid to save friend led to Islamic State abduction Reuters Tokyo 21 January 2015 [ arch. ] 24 January 2015
- ↑ 10.0 10.1 朝日新聞DIGITAL 後藤健二さん殺害か 「イスラム国」が新たな動画
- ↑ 「かつて拘束も解放、後藤さんの判断に影響か 」ANN22日
- ↑ (2015-01-21) 「果敢な記者」人質に 後藤さん、10月下旬に音信不通 朝日新聞デジタル 2015-01-21 [ arch. ] 2015-01-21
- ↑ 13.0 13.1 (2015-01-21) 後藤さんが知人に「家族に連絡を」 NHKニュース NHK 2015-01-21 [ arch. ] 2015-01-22
- ↑ (2014-10-26) 戦争に行くという意味 後藤健二 : 論説・コラム : クリスチャントゥデイ クリスチャントゥデイ 2014-10-26 [ arch. ] 2015-01-21
- ↑ (2015-01-21) 「後藤さん シリア入り直前映像「必ず生きて戻ります」」 News i - TBSの動画ニュースサイト TBS 2015-01-21 [ arch. ] 2015-01-22
- ↑ 16.0 16.1 (2015-01-20) 「イスラム国」邦人殺害警告か 身代金要求 NHK 2015-01-20 [ arch. ] 2015-01-20
- ↑ 17.0 17.1 後藤健二の疑惑 - マスコミが正確に報道しない湯川遥菜との関係(世に倦む日日)
- ↑ 18.0 18.1 (2015-01-21) イスラム国拘束:後藤さん「裏切られた」トルコ知人に連絡 毎日新聞 2015-01-21 [ arch. ] 2015-01-21
- ↑ (2015-01-23 この影響で一服の増田と朝鳥の芸能が早まった スッキリのドンが中断されエンタメクイズ放送されなかった) 後藤さんの母親 声明文で解放訴え NHK 2015-01-23 この影響で一服の増田と朝鳥の芸能が早まった スッキリのドンが中断されエンタメクイズ放送されなかった [ arch. ] 2015-01-23
- ↑ (2015-01-23) 【全文】「私はこの3日間、何が起こっているのかわからず悲しく、迷っておりました」ジャーナリスト・後藤健二さんの母・石堂順子さんが会見 2015-01-23 [ arch. ] 2015-01-24
- ↑ () 後藤さん母親「健二はイスラム国の敵ではない」涙の会見 “原子力のない国”持論も [ arch. ] 2015-01-25
- ↑ 「イスラム国」が写真公開 Yさん殺害か日テレNEWS24
- ↑ () 後藤健二 未公開/絶版 画像 DVD ケイエムコンサルティング [ arch. ] 2015-01-20
- ↑ () 後藤 健二 INDEPENDENT PRESS [ arch. ] 2015-01-20
外部リンク
- 後藤健二(@kenjigotoip)- Twitter
- 後藤健二 シリア現地リポート① 「トルコからシリアへの入国」2014年10月2日 Journalist Goto heads for the Syrian border
- 後藤健二 シリア現地リポート② 「トルコ側に脱出する避難民の様子」2014年10月2日 Syrian refugees fleeing into Turkey
- 後藤健二さんトークライブ 1/4
- ジャーナリスト後藤健二氏「報道ステーション」シリア2014年5月9日
- 2014年10月8日 Reportr ユーザーの後藤 健二さんがTBSの情報番組「ひるおび!」で生出演する直前
- INDEPENDENT PRESS
- 男装の麗人川島芳子とHARUNA(遥菜)のブログ
- 後藤健二氏の母、石堂順子会見 (Junko Ishido, Mother of Kenji Goto who is a Hostage by the Islamic State group)