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[[2014年]][[8月]]に「[[イスラーム国]]に拘束された[[湯川遙菜]]を救出するために中東に向かう」と家族に告げ、10月22日頃に日本を出国した<ref>{{Cite web| url=http://www.asahi.com/articles/ASH1N5V60H1NUTIL03H.html |title=「果敢な記者」人質に 後藤さん、10月下旬に音信不通 |publisher=朝日新聞デジタル |accessdate=2015-01-21 |date=2015-01-21}}</ref>。23日にトルコのコーディネーターに電話をかけ、24日に国境の町で接触し、同日に[[トルコ]]南部の[[キリス]]からシリアに入国し<ref name="nhk20150121">{{Cite web |url=http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150121/t10014861961000.html |title=後藤さんが知人に「家族に連絡を」 NHKニュース |publisher=NHK |accessdate=2015-01-22| date=2015-01-21}}</ref>、クリスチャントゥデイのコラムのメールを送信し、10月26日に掲載された<ref>{{Cite web |url=http://www.christiantoday.co.jp/articles/14394/20141026/goto-kenji.htm |title=戦争に行くという意味 後藤健二 : 論説・コラム : クリスチャントゥデイ |publisher=クリスチャントゥデイ |accessdate=2015-01-21 |date=2014-10-26}}</ref>。10月25日にイスラーム国への入国の目的を語ったビデオメッセージをシリア人ガイドに託し<ref>{{Cite web |url=http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2400045.html |title=「後藤さん シリア入り直前映像「必ず生きて戻ります」」 News i - TBSの動画ニュースサイト| publisher=TBS |accessdate=2015-01-22 |date=2015-01-21}}</ref>、シリア北部の[[アレッポ県]]から別のシリア人ガイドと共にイスラーム国の支配地域へと入った<ref name="nhk20150121"/>。帰国予定の10月29日になっても戻らず、行方不明となった<ref name="nhk">{{Cite web |url=http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150120/k10014825031000.html |title=「イスラム国」邦人殺害警告か 身代金要求 |accessdate=2015-01-20 |publisher=NHK |date=2015-01-20}}</ref>。帰国予定は10月29日だった。トルコのコーディネーターの証言では、27日になっても帰らなかった場合、家族を含めた5件の連絡先に電話を入れてくれと後藤に頼まれ、本人の携帯電話を渡していた。この2泊3日の行動予定は極めて短期間であり、ここから推測されるのは後藤は事前に何ら情報がないままイスラム国(ラッカ)に入ったのではなくて、イスラム国側のコーディネーターの手引きに従い、イスラム国側との打ち合わせに従って、後藤の立場からすれば、湯川の身柄を引き取りに行ったとも推測されている。この救出劇を単に後藤の個人プレーとは見ずに、日本政府が背後におり、政府関係者と入念に相談した上で、言わば日本政府のエージェントとして動いたとする見方もある<ref name="critic20">[http://critic20.exblog.jp/23360557/ 後藤健二の疑惑 - マスコミが正確に報道しない湯川遥菜との関係(世に倦む日日)]</ref>。
 
[[2014年]][[8月]]に「[[イスラーム国]]に拘束された[[湯川遙菜]]を救出するために中東に向かう」と家族に告げ、10月22日頃に日本を出国した<ref>{{Cite web| url=http://www.asahi.com/articles/ASH1N5V60H1NUTIL03H.html |title=「果敢な記者」人質に 後藤さん、10月下旬に音信不通 |publisher=朝日新聞デジタル |accessdate=2015-01-21 |date=2015-01-21}}</ref>。23日にトルコのコーディネーターに電話をかけ、24日に国境の町で接触し、同日に[[トルコ]]南部の[[キリス]]からシリアに入国し<ref name="nhk20150121">{{Cite web |url=http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150121/t10014861961000.html |title=後藤さんが知人に「家族に連絡を」 NHKニュース |publisher=NHK |accessdate=2015-01-22| date=2015-01-21}}</ref>、クリスチャントゥデイのコラムのメールを送信し、10月26日に掲載された<ref>{{Cite web |url=http://www.christiantoday.co.jp/articles/14394/20141026/goto-kenji.htm |title=戦争に行くという意味 後藤健二 : 論説・コラム : クリスチャントゥデイ |publisher=クリスチャントゥデイ |accessdate=2015-01-21 |date=2014-10-26}}</ref>。10月25日にイスラーム国への入国の目的を語ったビデオメッセージをシリア人ガイドに託し<ref>{{Cite web |url=http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2400045.html |title=「後藤さん シリア入り直前映像「必ず生きて戻ります」」 News i - TBSの動画ニュースサイト| publisher=TBS |accessdate=2015-01-22 |date=2015-01-21}}</ref>、シリア北部の[[アレッポ県]]から別のシリア人ガイドと共にイスラーム国の支配地域へと入った<ref name="nhk20150121"/>。帰国予定の10月29日になっても戻らず、行方不明となった<ref name="nhk">{{Cite web |url=http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150120/k10014825031000.html |title=「イスラム国」邦人殺害警告か 身代金要求 |accessdate=2015-01-20 |publisher=NHK |date=2015-01-20}}</ref>。帰国予定は10月29日だった。トルコのコーディネーターの証言では、27日になっても帰らなかった場合、家族を含めた5件の連絡先に電話を入れてくれと後藤に頼まれ、本人の携帯電話を渡していた。この2泊3日の行動予定は極めて短期間であり、ここから推測されるのは後藤は事前に何ら情報がないままイスラム国(ラッカ)に入ったのではなくて、イスラム国側のコーディネーターの手引きに従い、イスラム国側との打ち合わせに従って、後藤の立場からすれば、湯川の身柄を引き取りに行ったとも推測されている。この救出劇を単に後藤の個人プレーとは見ずに、日本政府が背後におり、政府関係者と入念に相談した上で、言わば日本政府のエージェントとして動いたとする見方もある<ref name="critic20">[http://critic20.exblog.jp/23360557/ 後藤健二の疑惑 - マスコミが正確に報道しない湯川遥菜との関係(世に倦む日日)]</ref>。
 
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2014年11月1日頃に「シリアに同行したガイドに裏切られ、武装グループに拘束された」とトルコの知人に電話連絡があった<ref name="mainichi20150121">{{Cite web |url=http://mainichi.jp/select/news/20150121k0000e040228000c.html |title=イスラム国拘束:後藤さん「裏切られた」トルコ知人に連絡 |publisher=毎日新聞 |accessdate=2015-01-21 |date=2015-01-21}}</ref>。この数日後にイスラーム国の関係者を名乗る人物から数十億円の身代金を要求するメールが家族に届いた<ref name="mainichi20150121"/>。2015年1月20日になり、[[イスラーム国]]が日本国民と日本政府に向けたビデオにYと共に人質として登場し、[[:en:Jihadi John|Jihadi John]]として知られるISISメンバーの男性が「72時間以内に2億ドルの身代金の支払いがないと両人質を殺害する」と述べた<ref name="nhk"/>。
 
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1月23日、母親が記者会見を行ったが<ref>{{Cite web
 
1月23日、母親が記者会見を行ったが<ref>{{Cite web

2015年1月26日 (月) 20:05時点における版

後藤 健二(ごとう けんじ、1967年 - )は、日本ジャーナリスト

取材地での後藤健二

人物・来歴

母、石堂順子
  • 宮城県仙台市で末っ子として生まれる[1]。母は石堂順子で、その父親で後藤の祖父は位の高い軍人でP.B.Jという平和団体の理事長も務めていた。

アル=ヌスラ戦線に拘束

中東での取材中でアル=ヌスラ戦線に拘束されたものの、1日で解放された[7]

イスラーム国での拘束

イスラーム国に拘束中の後藤健二

2014年8月に「イスラーム国に拘束された湯川遙菜を救出するために中東に向かう」と家族に告げ、10月22日頃に日本を出国した[8]。23日にトルコのコーディネーターに電話をかけ、24日に国境の町で接触し、同日にトルコ南部のキリスからシリアに入国し[9]、クリスチャントゥデイのコラムのメールを送信し、10月26日に掲載された[10]。10月25日にイスラーム国への入国の目的を語ったビデオメッセージをシリア人ガイドに託し[11]、シリア北部のアレッポ県から別のシリア人ガイドと共にイスラーム国の支配地域へと入った[9]。帰国予定の10月29日になっても戻らず、行方不明となった[12]。帰国予定は10月29日だった。トルコのコーディネーターの証言では、27日になっても帰らなかった場合、家族を含めた5件の連絡先に電話を入れてくれと後藤に頼まれ、本人の携帯電話を渡していた。この2泊3日の行動予定は極めて短期間であり、ここから推測されるのは後藤は事前に何ら情報がないままイスラム国(ラッカ)に入ったのではなくて、イスラム国側のコーディネーターの手引きに従い、イスラム国側との打ち合わせに従って、後藤の立場からすれば、湯川の身柄を引き取りに行ったとも推測されている。この救出劇を単に後藤の個人プレーとは見ずに、日本政府が背後におり、政府関係者と入念に相談した上で、言わば日本政府のエージェントとして動いたとする見方もある[13]

湯川遥菜 yukawa.jpg

2014年11月1日頃に「シリアに同行したガイドに裏切られ、武装グループに拘束された」とトルコの知人に電話連絡があった[14]。この数日後にイスラーム国の関係者を名乗る人物から数十億円の身代金を要求するメールが家族に届いた[14]。2015年1月20日になり、イスラーム国が日本国民と日本政府に向けたビデオにYと共に人質として登場し、Jihadi Johnとして知られるISISメンバーの男性が「72時間以内に2億ドルの身代金の支払いがないと両人質を殺害する」と述べた[12]。 1月23日、母親が記者会見を行ったが[15]、配布された声明文以外の無関係な反原発等の政治的主張も行った[16][17](中継を完全に放送したのはNHKBSのみ)。

1月24日午後11時に殺害されたYの写真を掲げる動画がインターネット上に流れ、後藤とされる声(英語)で湯川遥菜を殺害したという声明が出された。この中でイスラム国は「湯川を殺したのは安倍晋三である」という旨を述べている[18]。 また、同声明の中には2005年にヨルダンの首都アンマンで発生した爆弾テロ事件(2005年アンマン自爆テロ)の実行犯として収監中のサジダ・リシャウィの釈放を要求するものが含まれていた。

湯川遥菜との関係

後藤健二と湯川遙菜の接点について、2014年7月末、湯川がトルコ経由でシリアに二度目の潜入をし、反アサドの自由シリア軍に拘束され、アジトで尋問を受けていた際、英語が堪能な後藤健二が湯川遙菜を救ったのが最初の接触だというのが定説だ。後藤自らが2014年8月にテレビで湯川遙菜との関係にを詳しくは説明しなかったものの、そのときが初対面であるかのような印象で語った。しかし、実際にはそうではなく、本人のブログから、2014年の湯川の中東渡航にはすべて後藤が同行していることが推測されている。外務省から渡航禁止令が出ている状況で湯川はシリアに一回目の潜入を果たした。湯川にとって紛争地入りの初体験であったが帰国後の報告に、「僕が入国して数日後、ジャーナリストの後藤健二さんが入国し、お会した」との発言がある。2014年8月の湯川遙菜事件の際にはこの事実はマスメディアでも見落とされていた。4-5月のシリアに続き、6月下旬に湯川はイラクに渡航した。イスラム国がイラク北部に侵攻して勢力を拡大させ、米国が空爆で阻止をしようとしていた時期に当たる。湯川は日本に帰国後、現地のレポートを書いているが、6月29日の記事では、イスラム国と戦うクルド人部隊と撮影した写真に、後藤が収まっていた。このとき、後藤は同時に現地レポートを報道ステーションで行っている。この事実について、メディアは一切注目しなかったが、2014年4月のシリア、6月のイラク、7月のシリアでも、湯川と後藤は常に一緒だった。英語が堪能ではない湯川は、現地で活動するためには事情をよく知る通訳が必要性があったため、シリア、イラクともに、後藤が湯川遙菜のガイドとなって世話をしていたことが推測される[13]

主な著作

藤健二.jpg

著書

ビデオディスク

  • 『世界の学校シリーズ』(ケイエムコンサルティング)
  • 『ワールド・エコ・トラベラー』(ケイエムコンサルティング)[19]

テレビ出演

2015年1月20日以降のニュース番組

脚注

  1. 「「私が代わりに人質に」=後藤さん母「政府信じる」―涙ながらに訴え・東京[時事」]2015.01.25 14:13 時事通信社 カテゴリー
  2. (2014-05-30) 【インタビュー】国際ジャーナリスト・後藤健二〜それでも神は私を助けてくださる〜」 クリスチャントゥデイ 2014-05-30 [ arch. ] 2015-01-20
  3. 「「果敢な記者」人質に 後藤さん、10月下旬に音信不通」朝日新聞2015年1月20日
  4. 「<2邦人殺害警告>仙台出身後藤さん無事祈る」河北新報2015年01月21日水曜日
  5. 「イスラム国拘束・後藤健二氏の母親が会見」ログミー2015.01.23
  6. 6.0 6.1 (21 January 2015) Japanese reporter's bid to save friend led to Islamic State abduction Reuters Tokyo 21 January 2015 [ arch. ] 24 January 2015
  7. 「かつて拘束も解放、後藤さんの判断に影響か 」ANN22日
  8. (2015-01-21) 「果敢な記者」人質に 後藤さん、10月下旬に音信不通 朝日新聞デジタル 2015-01-21 [ arch. ] 2015-01-21
  9. 9.0 9.1 (2015-01-21) 後藤さんが知人に「家族に連絡を」 NHKニュース NHK 2015-01-21 [ arch. ] 2015-01-22
  10. (2014-10-26) 戦争に行くという意味 後藤健二 : 論説・コラム : クリスチャントゥデイ クリスチャントゥデイ 2014-10-26 [ arch. ] 2015-01-21
  11. (2015-01-21) 「後藤さん シリア入り直前映像「必ず生きて戻ります」」 News i - TBSの動画ニュースサイト TBS 2015-01-21 [ arch. ] 2015-01-22
  12. 12.0 12.1 (2015-01-20) 「イスラム国」邦人殺害警告か 身代金要求 NHK 2015-01-20 [ arch. ] 2015-01-20
  13. 13.0 13.1 後藤健二の疑惑 - マスコミが正確に報道しない湯川遥菜との関係(世に倦む日日)
  14. 14.0 14.1 (2015-01-21) イスラム国拘束:後藤さん「裏切られた」トルコ知人に連絡 毎日新聞 2015-01-21 [ arch. ] 2015-01-21
  15. (2015-01-23 この影響で一服の増田と朝鳥の芸能が早まった スッキリのドンが中断されエンタメクイズ放送されなかった) 後藤さんの母親 声明文で解放訴え NHK 2015-01-23 この影響で一服の増田と朝鳥の芸能が早まった スッキリのドンが中断されエンタメクイズ放送されなかった [ arch. ] 2015-01-23
  16. (2015-01-23) 【全文】「私はこの3日間、何が起こっているのかわからず悲しく、迷っておりました」ジャーナリスト・後藤健二さんの母・石堂順子さんが会見 2015-01-23 [ arch. ] 2015-01-24
  17. () 後藤さん母親「健二はイスラム国の敵ではない」涙の会見 “原子力のない国”持論も [ arch. ] 2015-01-25
  18. 「イスラム国」が写真公開 Yさん殺害か日テレNEWS24
  19. () 後藤健二 未公開/絶版 画像 DVD ケイエムコンサルティング [ arch. ] 2015-01-20
  20. () 後藤 健二 INDEPENDENT PRESS [ arch. ] 2015-01-20

外部リンク