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* [[門司駅]] - 九州側にある検問所であるがそのまま九州の奥へ行く列車もあり、下関よりかなり緩い。 | * [[門司駅]] - 九州側にある検問所であるがそのまま九州の奥へ行く列車もあり、下関よりかなり緩い。 | ||
* [[津軽今別駅]] - 本州の北の検問所的ポジションだが、当駅どまりの列車はないためもはや検問所ではない。 | * [[津軽今別駅]] - 本州の北の検問所的ポジションだが、当駅どまりの列車はないためもはや検問所ではない。 |
2014年9月20日 (土) 10:01時点における最新版
下関駅(しものせきえき)とは、山口県下関市にある本州と修羅の国との検問所である。
概要[編集]
山陽本線・山陰本線の2路線乗り入れているが、貨物列車を除くすべての列車が必ずここで強制下車となる。以前は必ずしも強制下車させられる訳ではなかったが、21世紀になってからこのような形式に変更され、最新の関所となった。
良識のある九州人だけを本州の奥にいれるためだったが、ここであぶれた良識のない修羅の国北九州の民が駅構内・駅周辺をうろつくようになったため、治安はよろしくないと言われている。実際に修羅の国からやってきた良識のない者によって、通り魔事件や「バカん駅」と呼ばれていた頃からの歴史を持つ旧駅舎への放火事件が起きた。
こんな事件があったため、一般には修羅の国の方が国を閉ざしたとする説が主流である。しかし、修羅の国がアジア諸国との積極的交流を打ち出しているのに対して、山口県は外国との対立を煽ることしか眼中にないハートを抱く政治屋を偉大なる領導者として崇め奉っていることから、山口県の方が国を閉ざしているというのがより真相に近いようだ。事実、下関駅の歴史的地位は一貫して低下し続けており、下関側からの鎖国を説明する有力な傍証となっている。それに、修羅の国の方に問題があるのだったら、修羅の国領内にある門司駅の方に検問所ができるはずである。
駅構内[編集]
- 山口方面
- 山口方面とあるが、実際には純粋なる県庁所在地に直通する訳でなく、伊藤博文的精神で強制合併した新山口駅へ行く。県庁所在地と最大の街が接続されていないところが、総理大臣補正をもってしても変化しない山口県の真の姿である。
- 2つ隣の駅が新下関駅という山陽新幹線の駅である。しかし、8割の利用者はたとえ広島、大阪へ行く時でも、まず修羅の国の小倉駅へ向かう。その理由は決して越えられない両駅の待遇差にある。
- 山陰本線方面
- いわゆる参院本線への道は電車でなく気動車である。山口の偉大なる領導者・安倍晋三総理の地元までしか直通していないし、本数も少ない。ここに、総理大臣補正を受けてなおこの程度の本数しか残らない地元の実力をみることができる。地味だが、形式上山陰本線は隣の幡生駅から始まる。下関駅は途中駅でしかない。
- 小倉方面
- 関門海峡を越えて修羅の国へ行くこの方向が、下関駅の中軸である。何気に山陽本線の終着駅は下関でなく門司駅である。列車は小倉駅までの区間運転となっている。子供たちよ、ちょっと前までは熊本県まで行けたのだからな。
- 釜山方面
- 歴史的にずっと釜山へ続く路線が用意されている。しかし、韓国を何が何でも嫌いたい総理崇拝者を除いて、その存在を認識できない未確認鉄道物体となった。
駅周辺[編集]
九州はおろか某半島から見ても本州最初の街のため、いかに大日本帝国が入口から栄えてるかを見せるために駅ばかりか街まで大きくした。街を大きくしすぎていつの間にか山口県の県庁所在地より街が大きくなってしまった。しかし、それも今は昔の物語だ。
下関駅からはかつて、朝鮮半島へと向かう汽船が発着し、大日本帝国の幹線の一部を構成していたが、その地位の凋落振りは関釜フェリーを取り囲み、廃止を求めてシュプレヒコールを上げる愛国者たちの姿に象徴されている。彼らが主導して下関に検問所を敷き、電車から降りてくるべきでない犯罪者たちを駅構内に降ろさせたのだ。