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2014年4月14日 (月) 21:09時点における版

世界首都ゲルマニア(せかいしゅとゲルマニア、Welthauptstadt Germania)とは、ドイツ首都ベルリンが広く国内外で「世界の首都」と讃えられる様、アドルフ・ヒトラーがグランド・デザインを考え、建築家アルベルト・シュペーアが細部デザインを任された都市改造構想である。戦時下であっても土地収用や工事は並行して行われていた。

概要

小規模で設計・建造を進めながらも後に1933年アルベルト・シュペーアが総合建設計画「ゲルマニア」(Germania) 計画として本格的に具体化設計・建設総指揮を担ったベルリン改造計画の名称。欧州有数の大都会ながら建築の面では地方的であり見劣りのしたベルリンを、ロンドンパリをしのぐ世界の首都にふさわしい外観と規模のものにしようとした大計画であった。シュペーアの回想録によれば独ソ戦開始時点のヒトラーの考えでは、1945年に戦争に勝利した後、1950年に世界首都ゲルマニアを完成させて自身は引退する予定であったと記述されている。肝心のドイツが敗戦した事もあり、完成を迎える事は無かった。

幻に終わった建造物

新南北縦貫メインストリートと飛行場
それまでのベルリン南北縦貫メインストリートであるフリードリヒ通りに取って代わり、道幅120m(参考:赤の広場道幅130m)・南北5kmの道路として、東西での立地位置がティーアガルテン東端付に近接する形で配置。道幅は60mで、旧来よりベルリンを東西1.4kmに渡り横断していた東西メインストリート(間にブランデンブルク門を挟み、一直線に繋がっている二本の通り、即ちウンター・デン・リンデンシャルロッテンブルガー・ショセー(現:6月17日通り)と十字に交差する様になっていた。メインストリートの南北両端に飛行場(南端:旧テンペルホーフ空港)が設置され、飛行場を取り巻くように環状道路が6本、放射状道路が17本作られるようになっていた。
ベルリン中央駅 (世界首都ゲルマニア構想版)
新南北縦貫メインストリートの出発点。プラットホームは上下4層あり、エレベーターとエスカレータで行き来可能とした。東西ドイツ統合後に造られた現ベルリン中央駅、および旧東ドイツ末期に「ベルリン中央駅」を名乗っていたベルリン東駅とは、立地場所など全く異なる。
国家中枢区画
都市の南の端には総統宮殿と大理石の巨大な凱旋門がそびえ立つ。新メインストリートは凱旋門から始まる。11の政庁ビルがあり、2万人収容の映画館、1,500のベッド数を持つ21階建てホテルがある。
フォルクス・ハレ(別名「聖杯神殿」)
メインストリートの端にはドーム型集会ホール「フォルクス・ハレ(邦訳:国民会議場)」が威容を誇る。1,200人の議席がある国会議事堂(当時の国会は議員席は580席で足りるが、ドイツとは異なる国籍を持ちドイツ国外に居住しているゲルマン系諸民族代表議員達も参加する事を展望していた)なども予定されていた。

完成部分

現存する建物(現在、閉鎖中の建物も含む)

現存しない建物

ゲルマニアを扱った作品

関連項目

外部リンク

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