「昭和50年代」の版間の差分

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「小学生や中学生のころ定番だったテレビ番組」を聞くと、トップは「[[ダウンタウンのごっつええ感じ]]」で以下、「[[とんねるずのみなさんのおかげです]]」、「[[8時だョ! 全員集合]]」、「[[マジカル頭脳パワー!!]]」、「[[ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!]]」、「[[タモリのボキャブラ天国]]」が続いた。
 
「小学生や中学生のころ定番だったテレビ番組」を聞くと、トップは「[[ダウンタウンのごっつええ感じ]]」で以下、「[[とんねるずのみなさんのおかげです]]」、「[[8時だョ! 全員集合]]」、「[[マジカル頭脳パワー!!]]」、「[[ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!]]」、「[[タモリのボキャブラ天国]]」が続いた。
  

2013年8月24日 (土) 15:58時点における版

昭和50年代とは、昭和50年から昭和59年までの時代である。

この世代の少年時代

起業家ではミクシィ笠原健治さん(昭和50年生まれ)、スポーツ選手では松坂大輔さん(昭和55年生まれ)、俳優では水嶋ヒロさん(昭和59年生まれ)などが該当する。

昭和50年代生まれの男性に「昭和を象徴すると思うフレーズや流行語」を尋ねたところ、トップは「ファミコン(ファミリーコンピュータ)」で、「コマネチ」、「バブル・バブル崩壊」、「かめはめ波」、「ガチョーン」、「ナウい」、「Bダッシュ」、「ドラクエ(ドラゴンクエスト)」が続いた。

ファミコンは、任天堂1983年に発売し、爆発的なブームを起こした家庭用ゲーム機。ファミコンで遊ぶゲームに関連して、「Bダッシュ」や「ドラクエ」なども上位にランクインした。

小学生や中学生のころ好きだった週刊マンガ雑誌

トップはダントツで『週刊少年ジャンプ』。以下、『週刊少年マガジン』、『週刊少年サンデー』が続いた。

ジャンプ、サンデー、マガジンのいずれかを読んでいた人に「好きだったマンガ」を聞くと、1位は『ドラゴンボール』で以下、『SLAM DUNK(スラムダンク)』、『こちら葛飾区亀有公園前派出所』、『キン肉マン』、『北斗の拳』、『はじめの一歩』、『幽☆遊☆白書』、『ジョジョの奇妙な冒険』、『聖闘士星矢』、『キャプテン翼』が続いた。週刊少年ジャンプに連載していたマンガが上位を占めている。

何かをコレクションすることに熱中したことのある人も多いだろう。「小学生や中学生のころ集めていたもの」を尋ねたところ、最も多かったのは「ビックリマンシール」で以下、「ミニ四駆」、「キン肉マン消しゴム」、「ギザ10(外枠がギザギザの10円玉)」、「ガンダムプラモデル」、「練り消し」、「プロ野球チップスのカード」、「カードダス(ドラゴンボール)」が続いた。

同じ昭和50年代生まれでも昭和50年代前半生まれと昭和50年代後半生まれでは違いがあるようで、「キン肉マン消しゴム」は後半生まれより前半生まれの方が集めており、「カードダス(ドラゴンボール)」は前半生まれより後半生まれの方が集めていた。

定番のテレビ番組は

「小学生や中学生のころ定番だったテレビ番組」を聞くと、トップは「ダウンタウンのごっつええ感じ」で以下、「とんねるずのみなさんのおかげです」、「8時だョ! 全員集合」、「マジカル頭脳パワー!!」、「ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!」、「タモリのボキャブラ天国」が続いた。

「8時だョ! 全員集合」は後半生まれより前半生まれの方が見ており、「マジカル頭脳パワー!!」は前半生まれより後半生まれの方が見ていた。

もう一度復活してほしいと思うNHK教育テレビの番組

トップは「できるかな」で以下、「おーい! はに丸」、「さわやか3組」、「たんけんぼくのまち」、「にこにこ、ぷん」、「天才てれびくん」、「アルフ」が続いた。

バブル。狂乱地価と円高が生んだ一過性の好景気

全国最高路線価を4年連続更新した東京銀座の「鳩居堂」前 バブルの予兆はほとんどなかった。むしろ不況が慢性化していた時代。昭和57年(1982年)に政府が財政非常事態宣言を出し、それまで国が行っていた鉄道、電信電話、たばこ、航空などの事業を民営化することを決定した。

一方、大沢商会リッカーミシンの大型倒産、三菱高島炭鉱の閉鎖など暗い話題が尽きなかった。こうした中、昭和61年(1986年)には経済企画庁が景気後退宣言を発表し、公定歩合が引き下げられる。

このような慢性的不況の底流で、バブルが進行しつつあった。まず株価が徐々に上がり始め、昭和59年(1984年)初頭には日経平均株価が初の1万円台に乗り、昭和62年(1987年)初頭に2万円台を達成。その直後に一般向けに売り出されたNTT株は、5万円の額面に対して初値160万円を記録した。

地価急騰で銀座「鳩居堂」前はハンカチ1枚600万円

次に、日米通商摩擦を反映して円高が急加速していった。その主役は地価の高騰だった。昭和61年(1986年)の首都圏の商業地が急上昇し、狂乱地価といわれた。

昭和64年(1989年、平成元年)の最高路線価発表では、東京・銀座の「鳩居堂」前が4年連続第1位。価格は1平方メートルあたり2440万円で、ハンカチ1枚の広さで600万円と話題になった。この傾向は地方も同じだった。日本全国の地価を合計するとアメリカ全土が丸ごと買える、といったジョークが話題になったのもこのころである。

このジョークには、一部真実が込められていた。金余りと円高のために、日本企業は海外の土地や建物を買いあさっていく。ついに平成元年(1989年)、ソニーが34億ドルでコロンビア映画を買収するに及ぶと、アメリカ人から「アメリカの魂を買った」と怒声を浴びてしまった。

このバブル景気の破綻が始まったのは平成2年(1990年)。株価の暴落からだった。同時に債権や円も下がってトリプル安と呼ばれ、やがて土地も値下がりし始める。あの好景気がバブル(泡)のように消えていくのに時間はかからなかった。

各年の代表的事象

昭和50年

昭和51年

昭和52年

昭和53年

昭和54年

昭和55年

昭和56年

昭和57年

昭和58年

昭和59年