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(経歴)
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理科系の大学を経て写真家に弟子入りし、プロとなり、服飾関係の写真家としてパリに2年滞在した、戦場で活動したこともある、などと自称。しかし「大西俊之 写真家」「大西俊之 カメラマン」などで検索してもそれらしき仕事の痕跡は見つけることができない。30代には、いい歳をして右翼活動で警察に逮捕されたこともある。
 
理科系の大学を経て写真家に弟子入りし、プロとなり、服飾関係の写真家としてパリに2年滞在した、戦場で活動したこともある、などと自称。しかし「大西俊之 写真家」「大西俊之 カメラマン」などで検索してもそれらしき仕事の痕跡は見つけることができない。30代には、いい歳をして右翼活動で警察に逮捕されたこともある。
  
2000年頃、仕事上の必要から半年間パソコンの学校に通い、ウェブデザインを習う。
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殿岡駿星著『犯人 狭山事件より』(晩聲社、1990年)を読んでから狭山事件の調査を開始。2000年頃、仕事上の必要から半年間パソコンの学校に通い、ウェブデザインを習う。
  
 
2002年12月頃から、2ちゃんねる創価・公明板で「盛況新聞 ◆cQ5CwQT2.c」というコテハンとして活動。次いで2003年1月頃から2ちゃんねるオカルト板の狭山事件スレッドで「盛況 ◆cQ5CwQT2.c」というコテハンとして活動。2003年7月20日、Yahoo!ジオシティーズでウェブサイト「狭山事件を推理する」を開設。のちFC2ブログに内容を移し、「狭山事件を検証する」に改題。
 
2002年12月頃から、2ちゃんねる創価・公明板で「盛況新聞 ◆cQ5CwQT2.c」というコテハンとして活動。次いで2003年1月頃から2ちゃんねるオカルト板の狭山事件スレッドで「盛況 ◆cQ5CwQT2.c」というコテハンとして活動。2003年7月20日、Yahoo!ジオシティーズでウェブサイト「狭山事件を推理する」を開設。のちFC2ブログに内容を移し、「狭山事件を検証する」に改題。

2013年7月10日 (水) 15:48時点における版

自称ダンディー(笑)近影。頭が薄くなっている。

大西 俊之(おおにし としゆき、1958年12月25日 - )は自称写真家、自称ウェブデザイナー、自称右翼、自称狭山事件研究家。癌患者。自称ダンディー大西、略称ダン大西

2ちゃんねるでは「盛況新聞 ◆cQ5CwQT2.c」「盛況 ◆cQ5CwQT2.c」のコテハンを名乗っていた。一人称は「小生」。東京都三鷹市在住。妻と死別して以来独身。六白金星、戌年、山羊座、AB型。

経歴

東京都中野区出身。母は元芸者。1982年頃に父が自殺。

理科系の大学を経て写真家に弟子入りし、プロとなり、服飾関係の写真家としてパリに2年滞在した、戦場で活動したこともある、などと自称。しかし「大西俊之 写真家」「大西俊之 カメラマン」などで検索してもそれらしき仕事の痕跡は見つけることができない。30代には、いい歳をして右翼活動で警察に逮捕されたこともある。

殿岡駿星著『犯人 狭山事件より』(晩聲社、1990年)を読んでから狭山事件の調査を開始。2000年頃、仕事上の必要から半年間パソコンの学校に通い、ウェブデザインを習う。

2002年12月頃から、2ちゃんねる創価・公明板で「盛況新聞 ◆cQ5CwQT2.c」というコテハンとして活動。次いで2003年1月頃から2ちゃんねるオカルト板の狭山事件スレッドで「盛況 ◆cQ5CwQT2.c」というコテハンとして活動。2003年7月20日、Yahoo!ジオシティーズでウェブサイト「狭山事件を推理する」を開設。のちFC2ブログに内容を移し、「狭山事件を検証する」に改題。

何事も自分が中心でなければ気が済まぬ痛い性格のため、狭山事件スレッドにいられなくなり、コテハン活動を停止。もともと自分も匿名で活動していたにもかかわらず、匿名による発言者に反発し、2ちゃんねるを激しく敵視するようになる。

2011年1月23日には日本語版ウィキペディアに登場し、みずからが運営する狭山事件ウェブサイトの宣伝リンクを修正している[1]。しかしその後、ウィキペディアの記事「狭山事件」から自分のウェブサイトへのリンクを外されると逆恨みし、ウィキペディアそのものを激しく敵視するようになる。

何事も自分が中心でなければ気が済まぬ痛い性格のため、2ちゃんねる狭山事件スレッドのコテハン仲間だった伊吹隼人とも、2010年秋頃に絶交している。

ピアノ教師への恋情

2007年9月からピアノを習い、趣味で下手クソなピアノを弾き、その演奏の録音をネット上に公開している。

ピアノに関するブログの2012年3月13日のエントリでは、若い女性ピアノ教師(2007年8月当時に音大4年生)に対する老いらくの恋情を切々と綴っている[2]

昨日先生が、拙宅にお見舞いにきてくださりました。発表会で英雄Polonaise(6番)を弾いたとのお話しであったので、僕の雨垂れやエリイゼ、あるいはヘタクソな革命エチゥドを前座として披露したあと、弾いてくださりました。
あとドビッシーのLumière de la lune[3]。僕がどれほど喜んだかはご想像にお任せします。きっと、近所中で、評判となるにチガイありません(うちは防音をしてないからと言うこと)。
先生は……ご迷惑でなければ、と言って、いろいろのことをしてくれようと仰るほどに良くしてくださいます。それが今の僕に、どれだけ有難いことか……病気になって、解ったことのひとつは、それ以前のひとづきあいの質ですね。
おざなりのつきあいの人は、自然と離れて行きました。人間は、いざと言う時に本性を発揮します。そして、今僕の最大の関心事は、貴女を、悲しませたくないと言うことです。ただ、そうするために、どうするのが良いのか、僕には解りません。
ちかぢか、また来てくれること、今具合の悪い僕のためにご飯を作って来てくれること、また、つぎは夜会の約束をしたこと、を記し、参考までに(せんせいのじゃないけど)曲を貼っておきます。この演奏は先生のに似ていました。
先生以上の存在。
貴女が僕に会いたいですと言ってくださるのはなぜだろう
貴女はそんなにも優しくしてくれるのはなぜだろう
貴女にとって僕はどんな存在なのだろう

              ぅぉぇっぷ 
           〃⌒ ヽフ 
          /   rノ        ∧_∧  ぅ゙ぉぇぇぇ        ぉぇぇぇ 
         Ο Ο_);:゚。o;:,.  〃,(||i´┌`)                 ∧∧  ○ 
                     / ,つ ィ;,゚;:δ゚,,.  ビチョビチョ     ⊂(´Д`⊂⌒`つ 
                    ⊂こ_)_)',;:゚。o;:,..,゚.,。          ⊂;:.,.。o,;⊃ 
                         ,,;:;;。.:;;゚'。o.,            ⊂;;゚'。⊃

外部リンク

脚注