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+ | 父は第[[第1次小泉内閣|87]]・[[第2次小泉内閣|88]]・[[第3次小泉内閣|89]]代[[内閣総理大臣]]の[[小泉純一郎]]、兄は[[俳優]]・[[タレント]]の[[小泉孝太郎]]。曾祖父・又次郎、祖父・純也、父・純一郎と4代続く[[世襲政治家]]である。 | ||
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+ | == 人物 == | ||
+ | === 出生・国政出馬まで === | ||
+ | [[神奈川県]][[横須賀市]]で生まれる。[[1988年]](昭和63年)、[[関東学院六浦小学校]]に入学し、その後[[関東学院六浦中学校・高等学校|同中学校・同高校]]を経て、[[関東学院大学|同大学]]に進み、一貫して[[学校法人関東学院|関東学院]]で過ごした。中学高校では[[スポーツ]]([[野球]])に熱中した。[[2004年]](平成16年)に[[関東学院大学]]経済学部を卒業後、[[アメリカ合衆国]]の[[コロンビア大学]]大学院に留学した。同大学院では、[[ジェラルド・カーティス]]教授の指導の下で政治学を専攻し、[[2006年]](平成18年)に政治学[[修士]]号を取得した、[[アイビー・リーグ|アイビー・リーガー]]である。その後、同国の[[戦略国際問題研究所]]で非常勤研究員を務め、翌[[2007年]](平成19年)に帰国した後は父・純一郎の私設秘書となった。 | ||
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+ | [[2008年]](平成20年)、父・純一郎の政界引退表明に伴い、後継候補に指名された。[[2009年]](平成21年)8月に施行された[[第45回衆議院議員総選挙]]では、自由民主党の公認を得て、[[神奈川県第11区]]から初出馬。同選挙区では、自民党公認の進次郎は28歳、対立候補である[[民主党 (日本 1998-)|民主党]]公認の[[横粂勝仁]]は27歳(進次郎とは同学年)と、非常に若い有力候補同士の対決となった。選挙戦は、自民党に対する逆風に加え、[[比例南関東ブロック|比例区]]との[[重複立候補]]をせず、[[公明党]](当時の連立与党)の選挙協力も受けず、地元の有権者からも世襲であることを批判されるなど不利な状況下にあったが、父から受け継いだ強固な地盤を基に活動を展開して終始優勢を保ち、[[過半数]]となる150,893票(得票率57.1%)を得て、初当選を果たした。この衆院選に当選した5人の自民党新人議員では、唯一の20歳代となった。また、小選挙区で初当選した自民新人議員は小泉、[[伊東良孝]]、[[橘慶一郎]]の3人に留まった。 | ||
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+ | === 自民党のホープとして === | ||
+ | 2009年(平成21年)12月13日、自民党が進次郎による[[海上自衛隊]][[横須賀基地 (海上自衛隊)|横須賀基地]](神奈川県横須賀市)見学ツアーを実施した際、50人の定員に約5200人の応募が殺到するなど、「スター不在」とされる自民党内で際立った存在と見られている。2010年1月の時点で、衆議院では[[内閣委員会]]、[[総務委員会]]、[[安全保障委員会]]に所属し、自民党では遊説局長代理、青年局次長、環境副部会長、財務金融副部会長、外交副部会長と6つの役職を兼務して、外交、環境、財政金融の3つの部会に所属している。また2010年10月には自民党の学生部長、新聞出版局次長に就任した。 | ||
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+ | == 略歴 == | ||
+ | * 1981年(昭和56年)4月 - 神奈川県横須賀市で生まれる。 | ||
+ | * 2004年(平成16年)3月 - [[関東学院大学]][[経済学部]]卒業。 | ||
+ | * 2006年(平成18年) | ||
+ | ** 5月 - [[コロンビア大学]][[大学院]][[政治学部]]にて[[修士号]]取得。 | ||
+ | ** 6月 - [[戦略国際問題研究所]](CSIS)の非常勤研究員。 | ||
+ | * 2007年(平成19年)9月 - 実父で衆議院議員・[[小泉純一郎]]の私設秘書。 | ||
+ | * 2008年(平成20年)9月 - 小泉純一郎が政界からの引退を表明。後継者として指名される。 | ||
+ | * 2009年(平成21年)8月 - [[第45回衆議院議員総選挙]]にて[[神奈川県第11区]]より自民党候補として出馬し、初当選。 | ||
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+ | == その他 == | ||
+ | * 父の[[小泉純一郎]]同様、歯切れの良い話し方をすると評される。[[2010年]](平成22年)4月19日[[たけしのTVタックル]]に出演した[[麻生太郎]]は「お父さんと違って普通の人」「政界の[[石川遼]]。爽やかであいさつもきちんとしている。出来すぎ」と評した。 | ||
+ | * 趣味は[[野球]]、[[サーフィン]]、[[ゴルフ]]、読書。尊敬する歴史上の人物は[[ジョン・F・ケネディ]]。好きな言葉は「意志あるところに道はある」。 | ||
+ | * 2009年(平成21年)12月13日に開催された[[横須賀基地 (海上自衛隊)|横須賀基地]]見学ツアーの立食[[パーティー]]にて、生のトマトを残していたことがツアー参加者の撮影で確認された。進次郎は参加者の質問に対し「生のトマトは苦手です」と答えている。 | ||
+ | * 進次郎の[[資金管理団体]]「泉進会」の2008年(平成20年)の総収入の全額が父・純一郎元首相の資金管理団体からの寄付である。「泉進会」は2008年(平成20年)10月に設立され、元首相の資金管理団体「東泉会」から50万円の寄付を受けている。また、神奈川県が所管する進次郎の政治団体「小泉進次郎同志会」の収入のほぼ全額に相当する350万円も「東泉会」による寄付だった。「東泉会」は2009年(平成21年)1月に資金管理団体の指定を取り消している。 | ||
+ | * 2010年(平成22年)1月[[小沢一郎]]民主党幹事長の政治資金問題で現職国会議員1人を含む元秘書3人が逮捕されても民主党党内部から批判の声が出ないことに「自由があるのが自由民主党、自由がないのが民主党。まさに党名が表しているなと思いますよ」と批判した。 | ||
+ | * 衆院選を控えた2009年(平成21年)5月、横須賀市内の祭りで民主党の立候補予定者である[[横粂勝仁]]から同日13回目の握手を求められたが無視したとされ、この動画が[[YouTube]]で25万回再生され反響を呼んだ。横粂が「握手もしてもらえなかった」と発言したことに対し、動画の撮影者は、初対面の有権者をとの触れ合いを優先しようと考えた小泉は横粂とそれ以上の握手に応じず「頑張りましょう」と声も掛けるに留めた為に、横粂はその後も小泉に握手を求め、このシーンだけが切り取られて問題動画として公開されたと述べている。ただ、動画の撮影者自身、当初から動画タイトルに「対面でも完全無視」と記しており、「マスコミの捏造」とする撮影者の説明と行動には矛盾がある。また、小泉自身も2009年7月26日の産経新聞の取材に対して、横粂との握手を拒否した事実を認め「(限られた時間内にできる限り多くの)有権者と触れ合いたかった。ひんしゅくを買ったとしたら大変残念」などと語っている。 | ||
+ | * 2010年(平成22年)5月12日[[内閣委員会]]での採決の際に発生したいわゆる[[三宅雪子議員の転倒騒動]]に関連して自民党から[[田中慶秋]]内閣委員長に対する[[解任決議]]案が出され、5月13日本会議での賛成討論で小泉は「昨日、暴力行為は一切なく、あったのは民主党の強行採決であったこと。もし、暴力行為があったとするならば、その暴力行為が一体なんであるのかはっきりさせ、もし暴力行為がなかった場合、それを潔く撤回すること」を要求した。 | ||
+ | * 2010年(平成22年)6月11日、小泉に関連する[[政治団体]]が提出した[[政治資金収支報告書]]の中の[[事務所費]]に関して、過大な金額を計上した疑いがあると報道された。同報道によれば、小泉が、父である元首相から後継指名された2008年(平成20年)の政治資金収支報告書では、元首相の実弟(小泉にとっては叔父)が代表を務める政治団体「小泉純一郎同志会」(2009年(平成21年)解散)、自由民主党の支部である「自由民主党衆議院神奈川第11選挙区支部」(支部長は小泉)、小泉の資金管理団体である「泉進会」、政治団体「小泉進次郎同志会」の4つの政治団体の事務所が、横須賀市内にあるテナントビルの一室に置かれており、「泉進会」を除く3団体が、別々に家賃などの事務所費を計上していた。その内訳は、「小泉純一郎同志会」が約379万円、「自民党支部」が約609万円、「小泉進次郎同志会」が32万円で、総額約1020万円となっていた。この一室は「広さは約110平方メートルで、家賃は月約40万円。管理費や駐車場代を含めても年間600万円程度。」とされる。 | ||
+ | * [[終戦の日]]に[[靖国神社]]参拝を実施している。 | ||
+ | * 2010年[[11月10日]]の衆議院[[予算委員会]]の質問の中で、[[尖閣諸島中国漁船衝突映像流出事件]]に関し、強い語調で「(政府がビデオを)公開していたら、流出事件は起こらなかった」、つまり、流出に関する政府の責任は、管理責任ではなく非公開にしたことの責任だとの旨を発言した。 | ||
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+ | == 家族 == | ||
+ | * 父 [[小泉純一郎]](政治家、第87・88・89代内閣総理大臣) | ||
+ | * 母 宮本佳代子([[エスエス製薬]]の元会長[[泰道照山]]の孫娘) | ||
+ | * 兄 [[小泉孝太郎]]([[俳優]]・[[タレント]]) | ||
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+ | == 系譜 == | ||
+ | ; 小泉家 | ||
+ | * 曾祖父は[[小泉又次郎]]。 又次郎は、[[武蔵国]][[久良岐郡]][[六浦荘村]]大道(現在の[[神奈川県]][[横浜市]]金沢区大道)に[[鳶職|とび職人]][[小泉由兵衛|由兵衛]]の二男として生まれた。[[小泉由兵衛|由兵衛]]はのちに[[横須賀市|横須賀]]に移って、海軍に[[労務者]]、砲弾や[[石炭]]、食糧などを送り込む[[手配師|請負師]]<ref>[[沖仲仕]]を父に持つ作家[[火野葦平]]著『青春の岐路』には「[[手配師|請負師]]も、小頭も、[[沖仲仕|仲仕]]も、ほとんどが、[[酒]]と[[博打|バクチ]]と女と喧嘩とによって、仁義や[[任侠]]を売りものにする一種の[[ヤクザ]]だ。大部分が無知で、低劣で、その日暮らしといってよかった。普通に考えられる工場などの労働者とはまるでちがっている」とある。</ref>になった<ref>梅田功 著『変革者 小泉家の3人の男たち』28頁に「又次郎が生まれた当時、[[鎌倉街道]]に面したこの地は、戸数わずか三十二戸の小さな[[村]]であったという。父・小泉由兵衛は村の代々の[[鳶職]]だったが、のちに軍港[[横須賀市|横須賀]]に進出して、海軍に[[労働者]]を送り込む軍港随一の[[手配師|請負師]]になった」とある。</ref>。又次郎は、1908年([[明治]]41年)に衆議院議員に当選、浜口雄幸内閣、第2次若槻禮次郎内閣で[[逓信大臣]]を務めた。若い頃、軍人になることを諦め[[鳶職|とび職人]]になることを決意した証に、全身に[[入れ墨]]を彫っていた<ref>[[入れ墨]]を入れている者は軍人になることができなかった。又次郎が背中から二の腕、足首まで彫った入れ墨は、九門竜だったとも「[[水滸伝]]」の魯智深(ろちしん)、すなわち花和尚だったともいわれる([[佐野眞一]] 著『小泉純一郎――血脈の王朝』140頁)。藤原肇 著『小泉純一郎と日本の病理』39-40頁に「巷間(こうかん)いわれている“軍人になるのを諦めるために刺青を彫った”という話はつくり話であり、やはり[[テキ屋]]の親分になるために彫ったという方が真相に近いと私は解釈している」とある。彫り師[[凡天太郎]]は「とくに[[港町]]ともなれば素性もわからないような流れ者がゴロゴロ集まった。そんな彼らの上に立つには、[[刺青]]を彫るような人物ではないと現場を仕切れなかったろう」と述べている(岩崎大輔 著『ダークサイド・オブ・小泉純一郎』58頁)</ref>ことはよく知られていたため、「[[入れ墨]]大臣」、「いれずみの又さん」などの異名で呼ばれた。 | ||
+ | * 祖父は[[小泉純也]]。純也は[[鹿児島県]][[川辺郡]][[東加世田村]](のち[[加世田市]]、現[[南さつま市]])で[[漁業]]を営む鮫島家に生まれ、1937年([[昭和]]12年)に衆議院議員に当選。小泉又次郎の[[女婿]]となった。第3次池田勇人内閣、第1次佐藤榮作内閣で[[防衛庁長官]]を務めた。 | ||
+ | * 父は[[小泉純一郎]]。純一郎は第[[第1次小泉内閣|87]]・[[第2次小泉内閣|88]]・[[第3次小泉内閣|89]]代[[内閣総理大臣]]を務めた。東京都知事[[石原慎太郎]]、衆議院議員[[石原伸晃]]などの石原家は遠い[[親戚]]である。 | ||
+ | * 小泉家について、別冊宝島『知られざる日本の特権階級』38頁に「[[総理]]を出してなお、小泉家を“[[名家]]”とはいいがたい。これは他の一族とは異なる小泉家の持ち味なのだろう。」とある。 | ||
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+ | * [[小泉組 (請負業)|小泉組]] | ||
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2010年11月13日 (土) 23:54時点における版
小泉 進次郎(こいずみ しんじろう、1981年4月14日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。
父は第87・88・89代内閣総理大臣の小泉純一郎、兄は俳優・タレントの小泉孝太郎。曾祖父・又次郎、祖父・純也、父・純一郎と4代続く世襲政治家である。
人物
出生・国政出馬まで
神奈川県横須賀市で生まれる。1988年(昭和63年)、関東学院六浦小学校に入学し、その後同中学校・同高校を経て、同大学に進み、一貫して関東学院で過ごした。中学高校ではスポーツ(野球)に熱中した。2004年(平成16年)に関東学院大学経済学部を卒業後、アメリカ合衆国のコロンビア大学大学院に留学した。同大学院では、ジェラルド・カーティス教授の指導の下で政治学を専攻し、2006年(平成18年)に政治学修士号を取得した、アイビー・リーガーである。その後、同国の戦略国際問題研究所で非常勤研究員を務め、翌2007年(平成19年)に帰国した後は父・純一郎の私設秘書となった。
初当選
2008年(平成20年)、父・純一郎の政界引退表明に伴い、後継候補に指名された。2009年(平成21年)8月に施行された第45回衆議院議員総選挙では、自由民主党の公認を得て、神奈川県第11区から初出馬。同選挙区では、自民党公認の進次郎は28歳、対立候補である民主党公認の横粂勝仁は27歳(進次郎とは同学年)と、非常に若い有力候補同士の対決となった。選挙戦は、自民党に対する逆風に加え、比例区との重複立候補をせず、公明党(当時の連立与党)の選挙協力も受けず、地元の有権者からも世襲であることを批判されるなど不利な状況下にあったが、父から受け継いだ強固な地盤を基に活動を展開して終始優勢を保ち、過半数となる150,893票(得票率57.1%)を得て、初当選を果たした。この衆院選に当選した5人の自民党新人議員では、唯一の20歳代となった。また、小選挙区で初当選した自民新人議員は小泉、伊東良孝、橘慶一郎の3人に留まった。
自民党のホープとして
2009年(平成21年)12月13日、自民党が進次郎による海上自衛隊横須賀基地(神奈川県横須賀市)見学ツアーを実施した際、50人の定員に約5200人の応募が殺到するなど、「スター不在」とされる自民党内で際立った存在と見られている。2010年1月の時点で、衆議院では内閣委員会、総務委員会、安全保障委員会に所属し、自民党では遊説局長代理、青年局次長、環境副部会長、財務金融副部会長、外交副部会長と6つの役職を兼務して、外交、環境、財政金融の3つの部会に所属している。また2010年10月には自民党の学生部長、新聞出版局次長に就任した。
略歴
- 1981年(昭和56年)4月 - 神奈川県横須賀市で生まれる。
- 2004年(平成16年)3月 - 関東学院大学経済学部卒業。
- 2006年(平成18年)
- 2007年(平成19年)9月 - 実父で衆議院議員・小泉純一郎の私設秘書。
- 2008年(平成20年)9月 - 小泉純一郎が政界からの引退を表明。後継者として指名される。
- 2009年(平成21年)8月 - 第45回衆議院議員総選挙にて神奈川県第11区より自民党候補として出馬し、初当選。
その他
- 父の小泉純一郎同様、歯切れの良い話し方をすると評される。2010年(平成22年)4月19日たけしのTVタックルに出演した麻生太郎は「お父さんと違って普通の人」「政界の石川遼。爽やかであいさつもきちんとしている。出来すぎ」と評した。
- 趣味は野球、サーフィン、ゴルフ、読書。尊敬する歴史上の人物はジョン・F・ケネディ。好きな言葉は「意志あるところに道はある」。
- 2009年(平成21年)12月13日に開催された横須賀基地見学ツアーの立食パーティーにて、生のトマトを残していたことがツアー参加者の撮影で確認された。進次郎は参加者の質問に対し「生のトマトは苦手です」と答えている。
- 進次郎の資金管理団体「泉進会」の2008年(平成20年)の総収入の全額が父・純一郎元首相の資金管理団体からの寄付である。「泉進会」は2008年(平成20年)10月に設立され、元首相の資金管理団体「東泉会」から50万円の寄付を受けている。また、神奈川県が所管する進次郎の政治団体「小泉進次郎同志会」の収入のほぼ全額に相当する350万円も「東泉会」による寄付だった。「東泉会」は2009年(平成21年)1月に資金管理団体の指定を取り消している。
- 2010年(平成22年)1月小沢一郎民主党幹事長の政治資金問題で現職国会議員1人を含む元秘書3人が逮捕されても民主党党内部から批判の声が出ないことに「自由があるのが自由民主党、自由がないのが民主党。まさに党名が表しているなと思いますよ」と批判した。
- 衆院選を控えた2009年(平成21年)5月、横須賀市内の祭りで民主党の立候補予定者である横粂勝仁から同日13回目の握手を求められたが無視したとされ、この動画がYouTubeで25万回再生され反響を呼んだ。横粂が「握手もしてもらえなかった」と発言したことに対し、動画の撮影者は、初対面の有権者をとの触れ合いを優先しようと考えた小泉は横粂とそれ以上の握手に応じず「頑張りましょう」と声も掛けるに留めた為に、横粂はその後も小泉に握手を求め、このシーンだけが切り取られて問題動画として公開されたと述べている。ただ、動画の撮影者自身、当初から動画タイトルに「対面でも完全無視」と記しており、「マスコミの捏造」とする撮影者の説明と行動には矛盾がある。また、小泉自身も2009年7月26日の産経新聞の取材に対して、横粂との握手を拒否した事実を認め「(限られた時間内にできる限り多くの)有権者と触れ合いたかった。ひんしゅくを買ったとしたら大変残念」などと語っている。
- 2010年(平成22年)5月12日内閣委員会での採決の際に発生したいわゆる三宅雪子議員の転倒騒動に関連して自民党から田中慶秋内閣委員長に対する解任決議案が出され、5月13日本会議での賛成討論で小泉は「昨日、暴力行為は一切なく、あったのは民主党の強行採決であったこと。もし、暴力行為があったとするならば、その暴力行為が一体なんであるのかはっきりさせ、もし暴力行為がなかった場合、それを潔く撤回すること」を要求した。
- 2010年(平成22年)6月11日、小泉に関連する政治団体が提出した政治資金収支報告書の中の事務所費に関して、過大な金額を計上した疑いがあると報道された。同報道によれば、小泉が、父である元首相から後継指名された2008年(平成20年)の政治資金収支報告書では、元首相の実弟(小泉にとっては叔父)が代表を務める政治団体「小泉純一郎同志会」(2009年(平成21年)解散)、自由民主党の支部である「自由民主党衆議院神奈川第11選挙区支部」(支部長は小泉)、小泉の資金管理団体である「泉進会」、政治団体「小泉進次郎同志会」の4つの政治団体の事務所が、横須賀市内にあるテナントビルの一室に置かれており、「泉進会」を除く3団体が、別々に家賃などの事務所費を計上していた。その内訳は、「小泉純一郎同志会」が約379万円、「自民党支部」が約609万円、「小泉進次郎同志会」が32万円で、総額約1020万円となっていた。この一室は「広さは約110平方メートルで、家賃は月約40万円。管理費や駐車場代を含めても年間600万円程度。」とされる。
- 終戦の日に靖国神社参拝を実施している。
- 2010年11月10日の衆議院予算委員会の質問の中で、尖閣諸島中国漁船衝突映像流出事件に関し、強い語調で「(政府がビデオを)公開していたら、流出事件は起こらなかった」、つまり、流出に関する政府の責任は、管理責任ではなく非公開にしたことの責任だとの旨を発言した。
家族
系譜
- 小泉家
- 曾祖父は小泉又次郎。 又次郎は、武蔵国久良岐郡六浦荘村大道(現在の神奈川県横浜市金沢区大道)にとび職人由兵衛の二男として生まれた。由兵衛はのちに横須賀に移って、海軍に労務者、砲弾や石炭、食糧などを送り込む請負師[1]になった[2]。又次郎は、1908年(明治41年)に衆議院議員に当選、浜口雄幸内閣、第2次若槻禮次郎内閣で逓信大臣を務めた。若い頃、軍人になることを諦めとび職人になることを決意した証に、全身に入れ墨を彫っていた[3]ことはよく知られていたため、「入れ墨大臣」、「いれずみの又さん」などの異名で呼ばれた。
- 祖父は小泉純也。純也は鹿児島県川辺郡東加世田村(のち加世田市、現南さつま市)で漁業を営む鮫島家に生まれ、1937年(昭和12年)に衆議院議員に当選。小泉又次郎の女婿となった。第3次池田勇人内閣、第1次佐藤榮作内閣で防衛庁長官を務めた。
- 父は小泉純一郎。純一郎は第87・88・89代内閣総理大臣を務めた。東京都知事石原慎太郎、衆議院議員石原伸晃などの石原家は遠い親戚である。
- 小泉家について、別冊宝島『知られざる日本の特権階級』38頁に「総理を出してなお、小泉家を“名家”とはいいがたい。これは他の一族とは異なる小泉家の持ち味なのだろう。」とある。
泰道照山━━━志計子 ┣━━━━━━━━佳代子 宮本氏 ┃ ┏小泉孝太郎 ┣━━━━━╋小泉進次郎 綾部幸吉━━━━ナオ (鮫島) ┃ ┗三男(宮本姓) ┃ 小泉純也 ┏小泉純一郎 ┏━小泉又次郎 ┣━━━━━━┫ ┃ *━━━━━━━芳江 ┗小泉正也 小泉由兵衛━┫ 石川ハツ ┃ ┃ ┃ ┗━小泉岩吉 ┃ ┃ ┏━石田重蔵━━━石田吉之輔━━━━美枝子 ┃ ┗━石田光治━━━━典子 ┣━━━━━┳━石原伸晃 ┏━石原慎太郎 ┣━石原良純 ┗━石原裕次郎 ┣━石原宏高 ┗━石原延啓
関連項目
脚注
- ↑ 沖仲仕を父に持つ作家火野葦平著『青春の岐路』には「請負師も、小頭も、仲仕も、ほとんどが、酒とバクチと女と喧嘩とによって、仁義や任侠を売りものにする一種のヤクザだ。大部分が無知で、低劣で、その日暮らしといってよかった。普通に考えられる工場などの労働者とはまるでちがっている」とある。
- ↑ 梅田功 著『変革者 小泉家の3人の男たち』28頁に「又次郎が生まれた当時、鎌倉街道に面したこの地は、戸数わずか三十二戸の小さな村であったという。父・小泉由兵衛は村の代々の鳶職だったが、のちに軍港横須賀に進出して、海軍に労働者を送り込む軍港随一の請負師になった」とある。
- ↑ 入れ墨を入れている者は軍人になることができなかった。又次郎が背中から二の腕、足首まで彫った入れ墨は、九門竜だったとも「水滸伝」の魯智深(ろちしん)、すなわち花和尚だったともいわれる(佐野眞一 著『小泉純一郎――血脈の王朝』140頁)。藤原肇 著『小泉純一郎と日本の病理』39-40頁に「巷間(こうかん)いわれている“軍人になるのを諦めるために刺青を彫った”という話はつくり話であり、やはりテキ屋の親分になるために彫ったという方が真相に近いと私は解釈している」とある。彫り師凡天太郎は「とくに港町ともなれば素性もわからないような流れ者がゴロゴロ集まった。そんな彼らの上に立つには、刺青を彫るような人物ではないと現場を仕切れなかったろう」と述べている(岩崎大輔 著『ダークサイド・オブ・小泉純一郎』58頁)