「大宅壮一文庫」の版間の差分

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明治や大正に創刊された雑誌の「創刊号」まで保管されている。
 
明治や大正に創刊された雑誌の「創刊号」まで保管されている。
 
データベース化の作業が重く、年間およそ400種類の雑誌、のべ4,500冊の雑誌を対象にキーワード入力作業を行っている。これらはすべて手作業。
 
データベース化の作業が重く、年間およそ400種類の雑誌、のべ4,500冊の雑誌を対象にキーワード入力作業を行っている。これらはすべて手作業。
スタッフ4~5人が、1冊1冊記事本文を読みし、人名や事件、事柄から独自の検索キーワードを入れていきます。
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スタッフ4~5人が、1冊1冊記事の本文を読み、人名や事件、事柄から独自の検索キーワードを入れていく。
この作業は、熟練スタッフで1日1冊程度であるが、年間に20万キーワードを登録する。
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この作業は、熟練スタッフで1日1冊程度であるが、年間に約20万キーワードを登録する。
大宅壮一は、単行本では、一人の著者の一つの視点でしか書かれていないが、雑誌ではまるで正反対の意見が同時に掲載されている。そういった意味で、雑誌は資料の宝庫だ」と語った。また一時、大衆の間で圧倒的に受けて今はゴミ溜めの中にあるような雑誌、書籍が価値があるんだと語り、昔なら死蔵されたり捨てられたりするものをあくまで継続して集めていくことによって、積み重ねから価値が出てくる。索引をつくるアルバイトが、重要なものだけを索引をとって、つまらないものは省くべきだ、と提案したとき、大宅壮一は「重要か重要でないかはどうやって決めるんだね」と答えた。何が重要で何が重要でないかは大宅壮一自身にも決められない。最終的には大衆・利用者が価値を発見するのである。
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大宅壮一は、単行本では、一人の著者の一つの視点でしか書かれていないが、雑誌ではまるで正反対の意見が同時に掲載されていると語った。そういった意味で、雑誌は資料の宝庫とした。また一時、大衆の間で圧倒的に受けていたが、今ではゴミ溜めの中にあるような雑誌、書籍が価値があると語り、昔なら死蔵されたり捨てられたりするものをあくまで継続して集めていくことによって、その積み重ねから価値が出る。ある時、索引をつくるアルバイトが、重要なものだけを索引をとって、つまらないものは省くべきだと提案したとき、大宅壮一は「重要か重要でないかはどうやって決めるんだね」と答えた。何が重要で何が重要でないかは大宅壮一自身にも決められない。最終的には大衆・利用者が価値を発見するのである。
  
 
== 文庫から産まれたもの ==
 
== 文庫から産まれたもの ==
[[立花隆]]が[[田中角栄]]の金権政治を暴いた「田中角栄研究」の資料集めに、大宅壮一文庫を利用した。1974年に「田中角栄研究」という記事を執筆した立花隆が「どうやってこんなに資料を集めたのか」と聞かれて大宅壮一文庫の利用を話し、マスコミ関係者に広く知られていった。1976年のロッキード事件では、八幡山の駅から大宅壮一文庫前まで、マスコミの社用車が並んでいたという伝説がある。
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[[立花隆]]が[[田中角栄]]の金権政治を暴いた「田中角栄研究」の資料集めに、大宅壮一文庫を利用した。1974年に「田中角栄研究」という記事を執筆した立花隆が「どうやってこんなに資料を集めたのか」と聞かれて大宅壮一文庫の利用を話し、マスコミ関係者に広く知られていった。1976年のロッキード事件では、[[八幡山]]の駅から大宅壮一文庫前まで、マスコミの社用車が並んでいたという伝説がある。
  
 
== 経営状況 ==
 
== 経営状況 ==

2017年10月8日 (日) 19:27時点における版

大宅壮一文庫(おおやそういちぶんこ)は、日本で最初の雑誌図書館である。大宅壮一雑誌のコレクションをもとに1971年に設立された。公益法人。現在の理事長は、大宅壮一の三女・大宅映子

概要

1971年、財団法人大宅文庫設立。 1982年、我が国唯一の雑誌図書館として社会に寄与した実績により第30回菊池寛賞を受賞した。 1995年、雑誌記事索引のコンピュータ検索(館内)を開始した。 2017年9月13日(水)、NHK番組「探検バクモン」で紹介された。

特徴

大宅壮一文庫は週刊誌をはじめとする商業雑誌を、大宅独特の方法により索引をつけている。 2016年時点で雑誌約1万種類、76万冊、現在刊行されている雑誌だけでも1000種類を収蔵している。 明治や大正に創刊された雑誌の「創刊号」まで保管されている。 データベース化の作業が重く、年間およそ400種類の雑誌、のべ4,500冊の雑誌を対象にキーワード入力作業を行っている。これらはすべて手作業。 スタッフ4~5人が、1冊1冊記事の本文を読み、人名や事件、事柄から独自の検索キーワードを入れていく。 この作業は、熟練スタッフで1日1冊程度であるが、年間に約20万キーワードを登録する。 大宅壮一は、単行本では、一人の著者の一つの視点でしか書かれていないが、雑誌ではまるで正反対の意見が同時に掲載されていると語った。そういった意味で、雑誌は資料の宝庫とした。また一時、大衆の間で圧倒的に受けていたが、今ではゴミ溜めの中にあるような雑誌、書籍が価値があると語り、昔なら死蔵されたり捨てられたりするものをあくまで継続して集めていくことによって、その積み重ねから価値が出る。ある時、索引をつくるアルバイトが、重要なものだけを索引をとって、つまらないものは省くべきだと提案したとき、大宅壮一は「重要か重要でないかはどうやって決めるんだね」と答えた。何が重要で何が重要でないかは大宅壮一自身にも決められない。最終的には大衆・利用者が価値を発見するのである。

文庫から産まれたもの

立花隆田中角栄の金権政治を暴いた「田中角栄研究」の資料集めに、大宅壮一文庫を利用した。1974年に「田中角栄研究」という記事を執筆した立花隆が「どうやってこんなに資料を集めたのか」と聞かれて大宅壮一文庫の利用を話し、マスコミ関係者に広く知られていった。1976年のロッキード事件では、八幡山の駅から大宅壮一文庫前まで、マスコミの社用車が並んでいたという伝説がある。

経営状況

2017年5月29日、年間約2000万円の赤字を立て直すため、入館料300円を500円に引き上げ、クラウドファンディングにより支援を呼びかけた。

参考文献