「ジョサイア・コンドル」の版間の差分
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+ | 1877年(明治10年)明治政府の要請を受けて来日、工部大学校造家学教師および工部省営繕局顧問。1886年(明治19年)帝国大学工科大学講師。 | ||
1888年(明治21年)講師辞任、建築事務所を開設。 | 1888年(明治21年)講師辞任、建築事務所を開設。 | ||
1893年(明治26年)花柳流の舞踊家、前波くめと結婚。1894年(明治27年)勲三等瑞宝章。 | 1893年(明治26年)花柳流の舞踊家、前波くめと結婚。1894年(明治27年)勲三等瑞宝章。 | ||
1914年(大正3年)工学博士号を授与される。 | 1914年(大正3年)工学博士号を授与される。 | ||
1920年(大正9年)麻布の自邸で脳軟化症により逝去。67歳。 | 1920年(大正9年)麻布の自邸で脳軟化症により逝去。67歳。 | ||
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*1913年 三井家倶楽部(現・綱町三井倶楽部) | *1913年 三井家倶楽部(現・綱町三井倶楽部) | ||
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2017年9月24日 (日) 21:57時点における版
ジョサイア・コンドル(Josiah Conder、1852年9月28日 - 1920年6月21日) はイギリスの建築家。日本人の建築家を育成し、日本の近代建築の基礎を築いた。
経歴
1852年9月28日、ロンドンのケニントン(22 Russel Grove, Brixton, Surrey)に生まれる[1]。11歳のとき、父が急死。奨学金を得て中学校に進学。1869年からロジャー・スミスの建築事務所で働きながら、サウスケンシントン美術学校とロンドン大学で建築を学ぶ。1873年 ウィリアム・バージェス事務所に入所。建築界の新人賞である、イギリスで王立建築家協会主催コンペでソーン賞を受賞。 1877年(明治10年)明治政府の要請を受けて来日、工部大学校造家学教師および工部省営繕局顧問。1886年(明治19年)帝国大学工科大学講師。 1888年(明治21年)講師辞任、建築事務所を開設。 1893年(明治26年)花柳流の舞踊家、前波くめと結婚。1894年(明治27年)勲三等瑞宝章。 1914年(大正3年)工学博士号を授与される。 1920年(大正9年)麻布の自邸で脳軟化症により逝去。67歳。 東京大学工学部1号館前の広場に銅像が立つ。
主要建築作品
- 1883年 鹿鳴館(華族会館)
- 1891年 ニコライ堂(重要文化財)実施設計のみ。
- 1894年 旧海軍省本館
- 1896年 岩崎久弥茅町本邸(現・旧岩崎邸庭園洋館および撞球室
- 1908年 岩崎弥之助高輪邸(現・三菱開東閣)
- 1910年 岩崎弥之助家廟
- 1913年 三井家倶楽部(現・綱町三井倶楽部)
- 1917年 古河虎之助邸(現・旧古河庭園大谷美術館)
弟子
[[辰野金吾、曾禰達蔵、片山東熊、佐立七次郎- ↑ Olive Checkland:"Japan and Britain After 1859: Creating Cultural Bridges"RoutledeCurzon,2003