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'''SF'''(エスエフ)、'''サイエンス・フィクション'''('''S'''cience '''F'''iction)は、[[科学]]的な[[空想]]にもとづいた[[フィクション]]の総称。また'''[[SF漫画]]'''、'''[[SFアニメ]]'''、'''[[SF映画]]'''などを総称する名前でもある。特に[[小説]]を指す場合には'''SF小説'''とも呼ばれる。 | '''SF'''(エスエフ)、'''サイエンス・フィクション'''('''S'''cience '''F'''iction)は、[[科学]]的な[[空想]]にもとづいた[[フィクション]]の総称。また'''[[SF漫画]]'''、'''[[SFアニメ]]'''、'''[[SF映画]]'''などを総称する名前でもある。特に[[小説]]を指す場合には'''SF小説'''とも呼ばれる。 |
2020年1月8日 (水) 04:11時点における版
{{Otheruses3|サイエンス・フィクション|その他のSF|SF (曖昧さ回避)}} '''SF'''(エスエフ)、'''サイエンス・フィクション'''('''S'''cience '''F'''iction)は、[[科学]]的な[[空想]]にもとづいた[[フィクション]]の総称。また'''[[SF漫画]]'''、'''[[SFアニメ]]'''、'''[[SF映画]]'''などを総称する名前でもある。特に[[小説]]を指す場合には'''SF小説'''とも呼ばれる。 英語では通常 '''Sci-Fi'''と表記して'''サイファイ'''と言う(SFと表記してもサイファイと読む)。以前の日本には、「'''科学小説'''」、「'''空想科学小説'''」、「'''幻想科学小説'''」という言い方もあったが、現在では一般的でない。中国語表記では「'''科学幻想小説'''」または「'''科幻'''」である。 == SFという名称に関して == 「'''[[サイエンス・フィクション]]'''」という名前を生み出したのは、世界初のSF雑誌『[[アメージング・ストーリーズ]]』の初代編集長[[ヒューゴー・ガーンズバック]]である。ただし、正確には「サイエンス・フィクション」ではなく、「'''サイエンティフィクション'''」〔Scientifiction, Scientific+Fiction〕と呼んだ。 SFにおける[[ニュー・ウェーブ]]運動の参加者は、「SFは科学小説ばかりではない」という見解から「SFはサイエンス・フィクションの略ではなく、'''スペキュレーティブ・フィクション'''(思索的小説)の略だ」と主張した。 またSFにファンタジー的要素を取り込んだ時期があったので、広義ではファンタジーもSFに分類されることがあるが狭義では通常含まない。拡大解釈では、「サイエンス・ファンタジー」「スペース・ファンタジー」というような取り方もしばしば見られる。 『[[ドラえもん]]』などの作者[[藤子・F・不二雄]]は、自身がSF[[漫画家]]と呼ばれることに触れ、科学について全くの無知であるからと「'''すこしふしぎ(Sukoshi Fushigi)''' な」の略としてのSF漫画家であると述べた。 == SFの歴史 == === 創世以前のSF === 最初のSF作家として普通認知されているのは、[[ジュール・ヴェルヌ]]もしくは[[H・G・ウェルズ]]である。しかしそれ以前にもSF的な文学は存在した。おそらく最古のSF的小説は、古代[[ギリシア]]の作家[[ルキアノス]]の書いた『[[イカロ・メニッパス]]』であろう。この小説では、主人公のメニッパスが両手に翼をつけて[[オリュンポス山]]の上から[[イカロス]]のように(イカロ)飛び立って月の世界に行き、そこで月の哲学者と会う。そしてかれに、目を[[千里眼]]にしてもらって地上を見て、世界の小ささを実感する。日本の[[竹取物語]]([[平安時代]])では月から人が来るし、[[浦島太郎]]([[室町時代]])では時間の流れの歪みが描かれている。14世紀に[[ダンテ・アリギエーリ]]によって書かれた『[[神曲]]』も、当時の科学的知見が盛り込まれ、天国篇では、主人公ダンテが[[天動説]]宇宙に基づいて構想された天界を遍歴し、恒星天の上にまで昇っていく。 17世紀には[[天文学者]][[ヨハネス・ケプラー]]が天動説が主流であった当時、[[地動説]]の考えに基づいて書いた小説『夢』がある。この小説は、天文学者[[ティコ・ブラーエ]]から[[アイスランド]]人ドゥラコトゥスが地球(ヴォルヴァ)と月(レヴァニア)を自由に往復する精霊に連れられて月世界へと旅行する物語である。 さらに、1816年に当時19才の[[メアリー・シェリー]]が書いた『[[フランケンシュタイン|フランケンシュタイン-あるいは現代のプロメテウス]]』がある。科学者ヴィクター・[[フランケンシュタイン]]が死体を集めて人造人間を作ることに成功する。こうした[[人造人間]]は、こころを持ち、フランケンシュタインに対して、自分の伴侶となり得る異性を一人造るように要求する。しかし人造人間は、自己の存在に悩み人間への絶望から、殺人を重ね最後は[[北極]]の海へと消えて行く。 この小説は、メアリー・シェリーが夫([[パーシー・シェリー]])とともに[[バイロン]]卿の別荘に行った時に書かれたものである。ある日バイロン卿は3人が怪奇小説を書いて互いに見せ合うことを提案した。パーシーとバイロンは途中で小説を投げ出してしまった(バイロンがこの時書いた構想を借りて、ポリドリが『ヴァンパイア』を書いた)が、メアリーはこれを仕上げた。ここで注目したいのは、本作がSF的テーマを扱いながら「怪奇小説」として書かれたことである。メアリーの先駆的な業績は、科学小説を書こうというモチベーションによって書かれたわけではない。しかし現代では、多くの作家や[[評論家]]たちが、メアリー・シェリーが「'''SF'''」の先駆者あるいは、創始者であると捉えている。 参考:[[フランケンシュタイン・コンプレックス]] 19世紀前半の作家[[エドガー・アラン・ポー]]も、余り知られていないがSFの開祖の一人である。彼の作品は人間心理の異常性に踏み込んだ怪奇・恐怖小説が多いが、『鋸山奇譚』・『大渦に呑まれて』・『ハンス・プファールの無類の冒険』など、科学知識を応用した作品も見られる。特に『ハンス・プファールの無類の冒険』は、[[気球]]による月世界旅行を描いたもので、当時の最新の科学知識を用いた、まさに正統派のSFであった。後述のヴェルヌやウェルズもポーの影響を受けており、現代SFの発展に功績があったと断定してよいであろう。 === 創世期のSF === ==== ジュール・ヴェルヌ ==== [[ジュール・ヴェルヌ]]は若い頃は[[大デュマ]]に師事してロマン劇を書いていたが、愛読書の[[エドガー・アラン・ポー]]の小説にある科学技術を織りまぜて現実性をより高めるという手法に注目し、1863年に[[冒険小説]]『気球に乗って五週間』を発表して好評を博した。この作品は純粋なSFではないが、ヴェルヌの作風に多大な影響を与えた。本格的な科学小説としては1865年に書かれた『[[月世界旅行]]』(邦題では『月世界探検』とも)が最初といえる。月世界旅行では砲弾に乗って月へ行くという科学的な宇宙旅行が初めて描かれておりSFの嚆矢としての意義は大きい。その後も『[[海底二万リーグ]]』や『インド王妃の遺産』など多くの科学小説が書かれた。ヴェルヌの作風は正しい科学知識を活用したものがほとんどでかなり現実味があり、その点では現在のSFとかなり異なる。科学を賞賛した一方で人間が科学に支配されることについて『[[悪魔の発明|国旗に向かって]]』(別題:『悪魔の発明』)や『[[二十世紀のパリ]]』などの作品で強い警鐘を鳴らした。 ==== ハーバート・ジョージ・ウェルズ ==== それに遅れる事30年、イギリスで[[H・G・ウェルズ]]が『[[タイム・マシン (小説)|タイム・マシン]]』を書いた。 『タイム・マシン』は、主人公のタイムトラベラー(名前は明かされない)が時間を移動する機械を発明し、西暦80万2701年の世界へ行く物語。人類が二種に分岐した未来の世界では、美しい体つきをしたエロイという人類が、理想郷的な世界で無為に暮らしている。地下にはモーロックというもう一種の不気味な人類がいて、エロイ達を喰って生きている。タイムマシンをモーロック達に持ち去られた主人公は、恋人となったエロイのひとりとともにタイムマシンを探し出し、地下世界から奪い返す。そしてさらに未来へと旅立ち、人類の終焉、生物と地球の終焉を見た後に現代に帰還する。 注目したいのは、ヴェルヌが冒険小説的な'''科学小説'''を書いたのに対し、ウェルズは[[ファンタジー]]をベースにした'''SF小説'''を書いている点である。ヴェルヌは、『[[海底二万リーグ]]』などで(当時の)'''現代世界'''を描き、ともすれば単なる科学礼賛になりがちであったのに対し、ウェルズは'''未来世界'''を描き、ファンタジーの要素を取り入れる事で「現実から外挿される世界を書きながらも現実という束縛を離れる」という現代SFの特徴を最初に取り入れている。しかも[[ユートピア]]におけるファンタジーを描きながらも、アンチ・ユートピア的な側面をも描き、'''文明批判'''を描いて'''思想小説'''的な要素をも取り入れるという離れ業に成功している。ウェルズは、[[優生学]]の信奉者だったが、『タイム・マシン』でエロイが有閑階級の、モーロックが労働者階級の成れの果てであるのは、この思想と無関係ではないだろう。また、この小説が、'''生物の終焉'''を扱っている事も見逃してはならない。世界、地球、人類等の終焉は、後にウェルズ自身の『[[最終戦争の夢]]』、[[ネビル・シュート]]の『[[渚にて (小説)|渚にて]]』、[[アーサー・C・クラーク]]の『[[幼年期の終り]]』等数多くの小説で描かれるテーマであるが、SFの最初期に書かれたこの小説が、すでに生物の終焉を扱っている事は注目に値する。 ウェルズのもう一つの業績は、SF的ギミック(ガジェット)を数多く「発明」した事にある。たとえばウェルズ以前に書かれた時間小説として知られる、[[チャールズ・ディケンズ]]の『[[クリスマス・キャロル (小説)|クリスマス・キャロル]]』では、「妖精の力」で時を越えるのに過ぎなかったが、ウェルズは「タイムマシン」という時を超える道具を主人公に「発明」させる事で時間を越えている。ウェルズの「発明」はタイムマシン以外にも、蛸型火星人、[[透明人間]]、[[冷凍睡眠]]装置、[[最終戦争]]等、SFの基本的なギミックのほとんどは、かれが考え出したものである。このためウェルズを評して時に「SF作家はウェルズを読まないほうがいい。自分のやろうとしてる事をすでにウェルズがやっている事を知って愕然とするから」といわれる事がある。 ==== [[ロボット]]の「発明」とアンドロイド ==== 「ロボット」という言葉は[[1921年]]に[[チェコスロバキア|チェコ・スロバキア]]の作家[[カレル・チャペック]]が書いた[[戯曲]]『[[R.U.R ロッサムの万能ロボット会社]]』(「R.U.R」は[[チェコ語]]なので「エル・ウー・エル」と読む)で初めて使われた(この戯曲に出てくるロボットは、機械人間ではなく[[人造人間]]に近い)。この戯曲では、ロボットは人間に代わる[[労働力]]として扱われている。 科学が発展の限りを尽くしたが、子供が何故か生まれなくなり人間が減少し、労働力としてロボットが大量に生産される世界が舞台となる。ある時一人の[[人道主義]]者の女性が、ロボット達のこの境遇に同情してロボットに心を持たせるよう、ロボット会社R.U.Rに掛け合う。彼女の申し出は、ロボット会社の技術者達が彼女に惚れていたため、即刻叶う事になる。心を持ったロボットらは、自分たちの境遇に憤怒し、反乱を起こして人類を滅ぼしてしまう。この小説は、ただ1人生き残った人類が、男女のロボットが互いに相手をかばい合うのを見て、ロボットたちに「[[愛]]」が目覚めたのを知ったところで終わる。解釈はいくつかあるが、非人間的になった人類と人間的なロボットとの対比を用いて、科学批判を行っているという解釈が主流である。 ロボットと並ぶ人造人間の名称、「[[アンドロイド]]」は、[[ヴィリエ・ド・リラダン]]の長編小説『[[未来のイヴ]]』([[1886年]])によってはじめて世に出された。この作品では、エワルド卿が、完璧な肢体と美貌を持ちながら内面はどうしようもない俗物であった美女アリシャ・クラリーに恋焦がれながら、その内面に失望して、友人のエジソン博士に相談を持ちかけた。エジソンはアリシャそっくりのアンドロイド、アダリーを作るが、アダリーもまたどうしようもない俗物であった。 両作品とも、急速な科学技術の発展や普及を危惧し、警告するという意図で書かれていると言われる。 ==== コナン・ドイル ==== ウェルズやヴェルヌに影響を受けた作家として、[[コナン・ドイル]]がいる。彼は、[[シャーロック・ホームズシリーズ]]などの推理小説以外にも、[[チャレンジャー教授]]を主人公とした『[[失われた世界]]』や『[[毒ガス帯]]』などのサイエンス・フィクションも書いた。死去する前年の[[1929年]]に発表された海洋SF小説『[[マラコット深海]]』は科学的予見に満ちたドイルの傑作である。 === 黎明期のSF === ==== 科学小説としてのSF:ラルフ124C41+ ==== ウェルズによって最初の完成を見たSF小説であったが、SFが[[アメリカ合衆国|アメリカ]]に輸入されたところで、再び、未来予測的で科学礼賛的な科学小説の時代になる。このような傾向を持ったSFの頂点に立つのが、1911年にガーンズバックによって書かれた『[[ラルフ124C41+]]』だろう。この小説は、文章もプロットも今から見れば単純だが、未来予測という点では画期的であった。本作は近未来の生活を扱ったロマンス小説で、執筆当時にはまだ発明されていなかった未来の道具が100以上も描かれている。例えば、蛍光照明、飛行機による文字広告、[[テレビ]]、[[ラジオ]]、[[プラスチック]]、野球のナイター、立体映像機、[[ジュークボックス]]、[[液体肥料]]、[[自動販売機]]、[[睡眠学習]]、電波を利用した電力送信、[[ガラス繊維]]、[[ナイロン]]などである。 ==== ヒロイック・ファンタジーの流行 ==== この頃のアメリカSFのもう一つの潮流としては、[[エドガー・ライス・バローズ]]の[[火星シリーズ]]を代表とする[[ヒロイック・ファンタジー]]の流行がある。バローズは1912年、火星シリーズの第一作『火星の月の下で』(後の『[[火星のプリンセス]]』)を書く。 火星シリーズのストーリーは単純にして荒唐無稽である。最初の3冊のストーリーを簡単に説明する。主人公のジョン・カーターは、ある時肉体から魂が飛び出てしまい、魂だけが火星に飛ばされてしまう。火星は地球よりも科学力が何千年も進んでいるが、文化的には中世を想像させる。火星は地球よりも重力が小さいため、元々体力のあるカーターは、火星ではスーパーマンも同然である。火星の悪人どもを剣でなぎ倒し、ヘリウム大帝国の王女にして絶世の美女でもあるデジャーソリスを救い、彼女と結婚して「火星の大元帥」の地位に収まる。 御都合主義的で設定に矛盾が多く、B級の魅力がたっぷりなこの作品は、容易に量産できる為、近代商業主義にとてもマッチしていた。それ故「バロウズ風の」作品は一大ブームを巻き起こし、後のSFとファンタジーに絶大な影響を与える。バロウズが生きている頃には数百人の模倣者がいて、その模倣者の中でも有力な者にはさらに数百人の模倣者がいたという伝説(リチャード・ルポフ『バルスーム』)がある。 ==== スペース・オペラ ==== バロウズの小説のファンタスティックな側面(中世、剣、傾国の美女)からはヒロイック・ファンタジーという剣と魔法で戦うロマンチックな冒険談が生まれ、SF的な側面(火星、人造人間、異星の不気味な怪物)からは、スペースオペラ(西部劇(ホースオペラ)のもじり)と呼ばれる宇宙活劇が産まれた。 当時の代表的なスペースオペラ作家には、[[エドモンド・ハミルトン]]、[[E・E・スミス]]、[[マレイ・ラインスター]]等がいる。[[宇宙戦争]]や[[ロボット]]など、現在でもしばしばSF小説や[[SF映画]]に登場する数々のモチーフのほとんどが、この頃までに現れている。 ==== アンチ・ユートピアSF ==== だが、すでに[[1920年代|1920]]~[[1930年代|30年代]]からSF作家たちは、そのような架空の世界に楽天的な空想をはせるだけではなく、科学技術の急速な進歩とその悪用に対して倫理的な歯止めが必要であるとの認識も示していた。 死んだ人間の首から上だけを人工的に復活させるグロテスクな技術を描く[[アレクサンドル・ベリャーエフ]]の『ドウエル教授の首』などがそうであり、さらに[[第二次世界大戦]]後には、科学技術による[[全体主義]]的管理社会を描いた「アンチ・ユートピア([[ディストピア]])」ものの代表作である[[ジョージ・オーウェル]]の『[[1984年 (小説)|1984年]]』も書かれた。 === 1950年代のSF === 1950年代はSFの全盛期なので、1950年代SFを「黄金時代」('''ゴールデンエイジ''')のSFと呼ぶ。 ==== ハードSFの誕生 ==== [[1950年代]]はSFの一大転換期である。それまで荒唐無稽なB級小説に過ぎなかったSFにリアリズムの概念が初めて導入された。 リアリスティックなSFの出現は、SF雑誌『[[アスタウンディング]]』(後の『[[アナログ]]』誌)の3代目編集長[[ジョン・W・キャンベル]]の影響が強い。 50年代以前のSFにありがちな荒唐無稽なSFが編集長である彼の元に送られてくると、キャンベルはそれらをこてんぱんに批判した。たとえば、宇宙人が地球人を食用の家畜として飼う話を「食用にするなら地球人を育てるより牛を育てたほうがずっと効率的だ」と批判したり、宇宙人が地球人女性を性の奴隷として連れ去る話を「ちょっと美の感覚が違えば、人間の女でなくとも豚でもよかったはずだ」と批判した。このため、「準光速で走っている宇宙船が突然直角に曲がる」ような小説は無くなった。 しかし「科学的」(に見える事)にこだわったキャンベルは、[[ダイアネティックス]]を始めとする[[疑似科学]]に次々とはまっていった。 [[ハリイ・ハリスン|ハリー・ハリスン]]の暴露本によれば、ダイアネティクスにはまったキャンベルは、彼のかかえる作家達に「ダイアネティクス的な」SF小説を書かせる事を強制したという。 一方、最新の物理学的、あるいは天文学的な知識に基づいた遠大かつ科学的な宇宙叙事詩も書かれた(映画『[[2001年宇宙の旅]]』の原型となった『前哨』など)。このように厳密な科学的知識に基づいたSFを'''[[ハードSF]]'''と呼ぶ。[[アーサー・C・クラーク]]や[[アイザック・アシモフ]]、より新しい作家では[[ジェイムズ・P・ホーガン]]、[[堀晃]]などがこの傾向の作品を書いている。 ==== 心地よい破滅テーマ ==== 1950年代以降、[[冷戦]]や[[核戦争]]による人類の滅亡が現実的な問題となってくると、そのような状況を反映した「終末もの」SFが書かれた。この時期の「終末もの」の代表作として[[ネビル・シュート]]の『[[渚にて (小説)|渚にて]]』がある。この作品では、核戦争が起こって北半球が死の灰に覆われてしまっている。人類は南半球で、次第に南下してくる死の灰におびえながら生活している。 しかしこの時期に書かれた破滅もののSFが真にリアリスティックなものであったかどうかに関して疑問の声もある。この頃書かれたSF小説は、世界が破滅するという絶望的な状況でありながら、主人公はなぜか幸福な生活をして哲学者のように破滅を達観している。[[ブライアン・オールディス]]はこうした特徴を皮肉ってこれらの小説群を「心地よい破滅テーマ」と呼んだ(『十億年の宴』)。 === 1960年代のSF === SFの模索期であった1960年代には、1950年代ほどの人気が無かったので、黄金期(ゴールデンエイジ)のSFと呼ばれる1950年代SFと比べて1960年代SFを'''シルバーエイジ'''のSFと呼ぶ事がある。 ==== ニュー・ウェーブSF ==== [[1960年代]]には、[[イギリス]]を中心に'''[[ニュー・ウェーブ]]SF'''の流れが起きた。これは、対象を外宇宙から内宇宙へ、内省的・思弁的な方向に向けたもので、[[マイケル・ムアコック]]の主宰する『ニューワールズ』誌を中心に、[[J・G・バラード]]、[[ブライアン・オールディス]]などが前衛的な作品を発表した。この流れはアメリカにも波及し、SFと他のジャンルとの中間的な作品や、SFの中で文学的実験を行おうとする作品も現れ、ニュー・ウェーブSFの登場を印象づけた。このムーブメントは[[フィリップ・K・ディック]]の『[[アンドロイドは電気羊の夢を見るか?]]』や[[ハーラン・エリスン]]、[[ロバート・シルヴァーバーグ]]などに代表される。かれらに共通するのは、人間の社会や歴史、文明、文化に対する巨視的で批判的な視点であり、また、単なる科学の礼賛やその批判ではなく、SFを人間にかかわるあらゆる問題に対する文学的思索(スペキュレーション)の手段として利用していることである。寓話性や哲学性を持った文学的価値も高いSFが増えてきたのも、この頃からである。 その極北的な作品として、[[トマス・M・ディッシュ]]の『[[リスの檻]]』がある。この作品ではSF的ギミックも疑似科学もいっさいでてこない。[[主人公]](実はディッシュ自身)は、ドアも窓もない部屋に閉じ込められている。(理由は説明されない)。あるのは[[タイプライター]]一台だけ。毎日[[新聞]]が届けられるが、なぜか次の日には消えてしまう(これも理由は説明されない)。この小説はその一台だけある[[タイプライター]]に、主人公が暇潰しに書いた文章というスタイルを取っている。その為「暇だからちょっと物語を書いてみよう」といって、話を書き始めたかと思うと、「やっぱり飽きたのでやめる」といって突然話を中断したりする。 ディッシュはこの物語で、現代人の孤独を浮き彫りにしようとしたのだと言われているが、それを読みとれた読者は多くなかったであろう。この物語は、文学性を意識し過ぎるあまり、難しくなり過ぎていた。既存のSFの枠を打ち壊して文学的であろうとしたニューウェーブはその目的ゆえついには娯楽の小説であるはずの大衆小説ですらなくなってしまい、最終的に読者を失って急速にしぼんでしまう。 ==== ファンタジーとの融合 ==== この時期はまた[[ファンタジー]]との融合が試みられた時期でもある。 (以下、作成中) === 1970年代のSF === (以下、作成中) === 1980年代のSF === ==== サイバー・パンク ==== [[1980年代]]になると<!---、[[アップルコンピュータ]]社の[[パーソナルコンピュータ]]の[[ポスター]]から啓示を受けて{{要出典}}、--->[[ウィリアム・ギブスン]]が『[[ニューロマンサー]]』を書き、[[サイバーパンク]]の時代になる。サイバーパンクでは[[コンピュータネットワーク]]内の[[サイバースペース]]が主な舞台となる。既にデビューしていた[[ブルース・スターリング]]がこの分野の旗を振るようになった。この分野の作家には『[[重力が衰えるとき]]』の[[ジョージ・アレック・エフィンジャー]]や[[ルーディ・ラッカー]]が挙げられる。サイバーパンクの雰囲気を日本語に訳すために[[黒丸尚]]はルビを多用した独自の訳文を使った。「サイバースペース」という用語は、1990年代に実社会において[[インターネット]]が普及すると、それを表現するキーワードとして注目された。 その後、主体となる技術を[[コンピュータ]]から[[蒸気機関]]に移し替えた[[スチームパンク]]と呼ばれる派生作品も書かれるようになる。そこでは[[19世紀]]の蒸気機関車時代あるいはそれに似た世界を舞台に、極端に発達した[[蒸気機関]]による文明が描かれた。 ==== ポスト・サイバー・パンク ==== やがてサイバーパンクは収束していき、[[ポストサイバーパンク]]の時代となる。ポスト・サイバーパンクでは[[ニール・スティーヴンスン]]の『[[スノウ・クラッシュ]]』などが有名である。 == 日本SFの歴史 == === 戦前 === [[第二次世界大戦]]以前にも、[[押川春浪]]や[[海野十三]]などがSFとみなされる作品が書いてきた。また、[[1878年]]には日本初の翻訳SF小説となる[[新未来記]](原著の作者は[[ジオスコリデス]])を[[近藤真琴]]が書いた。彼ら以外にも、[[江戸時代]]から[[昭和]]前期にかけて古典SF作家が存在し、多数の先駆的SF作品を発表してきた。こうした作品群は、[[横田順彌]]の『日本SFこてん古典』シリーズにまとめられおり、現在も[[日本古典SF研究会]]等で研究が続けられている。 === 戦後 === 現在の日本SFに連なる流れは、戦後、[[進駐軍]]の兵士の読んでいた[[ペーパー・バック]]が古書店に並び、その影響の下に再開された。[[1954年]]に日本初のSF雑誌「[[星雲 (雑誌)|星雲]]」が刊行されて創刊一号のみで頓挫した後、様々なSF叢書・シリーズが出されたがいずれもヒットにはいたらず、出版界では「SFと西部劇に手を出すとつぶれる」[[ジンクス]]が通念となった。[[1960年]]の前後に、SF同人誌「[[宇宙塵 (同人誌)|宇宙塵]]」の創刊、[[早川書房]]の発行する『[[SFマガジン]]』の創刊、第1回[[日本SF大会]]の開催が続き、本格的に日本SFが始まる。戦後初の長編が、[[今日泊亜蘭]]の『刈得ざる種』([[1962年]]、『光の塔』と改題)である。 『[[SFマガジン]]』で募集された[[早川SFコンテスト]]から、[[小松左京]]、[[筒井康隆]]、[[半村良]]、[[光瀬龍]]、[[平井和正]]、[[豊田有恒]]などが次々とデビュー。早川書房が発行する雑誌・書籍以外でも、[[眉村卓]]、[[星新一]]、[[今日泊亜蘭]]などがSF作品を発表した。これらの作家は、海外SFの影響を受けながらも、それぞれに特徴ある作風で日本独自のSFを展開していった。また[[平井和正]]、[[豊田有恒]]、[[柴野拓美]]などは、[[SF漫画]]の原作や[[SFアニメ]]の[[脚本]]や[[SF考証]]などを手がけ、小説に留まらない活躍をした。 さらに、日本SFの特徴として、[[矢野徹]]、[[野田昌宏]]、[[浅倉久志]]、[[伊藤典夫]]などの優れた[[翻訳家]]の存在が挙げられる。彼らは優れた海外SFを紹介するだけでなく、どういうSFが面白いのかという点でSFファンの[[オピニオン・リーダー]]としての役割を果たしていた。また、『SFマガジン』初代編集長の[[福島正実]]は、雑誌編集だけでなく、海外SFの翻訳や創作も手がけ、確固たる信念に基づいて日本SFの普及に努めた。そしてSFブームが始まる。 === SFの浸透と拡散 === [[1970年代]]には[[日本万国博覧会]]が[[大阪]]で開かれたこともあって、SFに対する世間の関心も一挙に高まった。更に、[[小松左京]]の『[[日本沈没]]』が[[ベストセラー]]になり、それまでのSFアニメに比べて本格的な『[[宇宙戦艦ヤマト]]』がTV放映され、1970年代後半には、映画『[[スター・ウォーズ]]』の公開が日本SFにも強い影響を与え、SFの浸透と拡散が起る。これは日本SFの変質の始まりでもあった。 半村良の[[伝奇SF]]や[[平井和正]]の「[[ウルフガイ]]・シリーズ」は、[[菊地秀行]]や[[夢枕獏]]や[[高千穂遙]]の諸作品を経て、[[ライトノベル]]へと連なる流れの源流となった。SF雑誌も、『[[奇想天外 (SF雑誌)|奇想天外]]』、『[[SFアドベンチャー]]』、『[[SF宝石]]』などが相次いで創刊され、それぞれ新人賞を設けるなどして新人の発掘にあたったため、『SFマガジン』とあわせて、[[堀晃]]、[[横田順彌]]、[[田中光二]]、[[山田正紀]]、[[かんべむさし]]、[[野阿梓]]、[[神林長平]]、[[大原まり子]]、[[火浦功]]、[[草上仁]]、[[新井素子]]、[[夢枕獏]]、[[田中芳樹]]、[[菅浩江]]などが続々とデビューした。 [[1980年代]]になると、引き続きビジュアル面でのSFは繁栄を示し、『[[風の谷のナウシカ]]』や『[[うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー]]』が公開され、[[サンライズ (アニメ制作会社)|サンライズ]]が『[[機動戦士ガンダム]]』を経て『[[装甲騎兵ボトムズ]]』というハードSFを打ち立てる一方、SFイラスト集団の[[スタジオぬえ]]も『[[超時空要塞マクロス]]』でSFアニメに参加する。日本SF大会'''DAICON III'''、'''DAICON IV'''での優れたオープニングアニメでファンの注目を集めた集団が[[GAINAX]]を設立し、商業アニメに進出する。[[日本SF作家クラブ]]はメディアにとらわれない[[日本SF大賞]]を設けた。 === SFの転換期 === このように小説以外のSFが栄える一方で、[[1980年代]]後半になると増えすぎたSF雑誌が次々と廃刊に追い込まれる。生き残ったSFマガジンも「早川SFコンテスト」を中断し、新人SF作家の行き場は失われる。しかし、小説では[[新井素子]]、[[神林長平]]、[[夢枕獏]]などが活躍するとともに、[[田中芳樹]]の『[[銀河英雄伝説]]』正伝が完結する。そして文庫や新書を中心として[[ライトノベル]]と呼ばれるようになる作品群が大量に出版され始める。[[ライトノベル]]系の文庫では、[[野尻抱介]]、[[山本弘 (作家)|山本弘]]、[[嵩峰龍二]]、[[笹本祐一]]らがSF、[[スペースオペラ]]を発表していた。 === SF潮流の脱構築 === [[1990年代]]後半にはSFと[[ライトノベル]]の境界はますます不確かになる。[[森岡浩之]]の『[[星界の紋章]]』が日本SFの牙城、[[早川書房]]の[[ハヤカワ文庫]]から出版される。その一方で[[笹本祐一]]や[[野尻抱介]]など、[[ライトノベル]]系のSFを書いていた作家が、同時に本格的なハードSFも書きはじめる。さらに[[上遠野浩平]]が出現してライトノベル系文庫、一般文庫を問わずに活躍する。こうしてそれまでの日本におけるSF受容の流れに代わって、ライトノベル系と一般出版が一体となった領域にSF文学は広がりつつある。 『奇想天外』などの休刊後、SF雑誌は再び『[[SFマガジン]]』一誌のみとなったが、SFを志す者は[[日本ファンタジーノベル大賞]]や[[日本ホラー小説大賞]]からデビューし続けた。またライトノベル系の新人賞からも次々とSF作家がデビューしていた。1990年代後半には[[日本SF作家クラブ]]によって[[日本SF新人賞]]が設けられ、本格的に新人の発掘が再開された。2001年には[[徳間書店]]がビジュアル先行型の新SF雑誌「[[SF JAPAN]]」を創刊した。 SFアニメはますます盛んで、1990年代半ばに[[ガイナックス]]の『[[新世紀エヴァンゲリオン]]』が、『[[宇宙戦艦ヤマト]]』、『[[機動戦士ガンダム]]』以来の大ヒットとなり、一般の若者に衝撃を与えるとともに共感を呼んだ。また、漫画『[[攻殻機動隊]]』を原作とする[[Production I.G]]の『[[GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊]]』は映画作品として高い評価を受けた。 エヴァンゲリオンの影響は[[高橋しん]]の漫画『[[最終兵器彼女]]』、先述の上遠野の『[[ブギーポップシリーズ]]』等とともに[[セカイ系]]と呼ばれるプロットを生み出す。そこには従来のSF要素に加えて[[心理学]]や[[哲学]]が自在に導入される物語領域が生まれ、さらには小説、漫画、アニメ、ゲームといった既存のメディアの違いを越えて展開される。[[タイムトラベル]]の科学考証等を活用した『[[涼宮ハルヒシリーズ]]』をはじめとする[[谷川流]]の作品群はその展開として顕著なものである。 == 道具立ての変遷 == SFの道具立て(ガジェット)は、科学技術の進歩に伴って変遷する。 かつて現実味を持ちえた「火星に知的生命体がいたら」といった仮定は、天体観測技術の発展・さらには[[火星探査機]]での調査により科学的には否定され、ファンタジーやパロディ的作品の設定として利用するか、その仮定を成立させるためのバックグラウンドの構築をともなうことでしか成立しなくなった。 逆に、[[手塚治虫]]らがSF的設定として描いた「人間の接近を感知して自動的に開閉する扉」は、現代では[[自動ドア]]として日常的なっており、未来技術を演出するSFの小道具ではなくなった。 また、[[コンピュータ]]の進歩によって[[サイバースペース]]や[[人工知能|AI]]を小道具に使ったり、[[バイオテクノロジー]]や[[ナノテクノロジー]]などの最新の研究やその発想を押し進めたSFも書かれている。 その一方で、[[タイムマシン]]や[[超光速航法]]、[[超光速通信]]、[[反重力]]などの架空の技術は、考案された当初は様々な架空理論による理論づけがされたが、現在では特別な架空理論を伴わずに、あらかじめそういう技術が存在するものとして作品中で使用されることも多い。 == SFと科学技術 == SFと現実の[[科学技術]]の関係については、科学的知見がSFのネタとなることが多いのは当然だが、逆にSFが[[科学]]の発展を方向付けることもある。その典型的な例が[[ロボット]]である。[[手塚治虫]]の『[[鉄腕アトム]]』や[[横山光輝]]の『[[鉄人28号]]』、あるいは[[機動戦士ガンダム]]などにあこがれて[[ロボット工学]]の道を進んだ技術者は大勢おり、[[日本]]が[[ロボット工学]]で世界の最先端にいるのはこれが原因だ、と分析する人もいる。アメリカでも、「『[[2001年宇宙の旅]]』の[[HAL 9000]]を実際に作ってみたい」という動機で[[人工知能]]の研究を行っている研究者が多い。 [[ジュール・ヴェルヌ]]の『月世界旅行』も、[[コンスタンチン・E・ツィオルコフスキー]]や[[ロバート・H・ゴダード]]、[[ヴェルナー・フォン・ブラウン]]らのように[[少年期]]にこれを読んで[[ロケット]]工学の研究に着手した研究者がおり、彼らの手によってついには実際に[[月]]まで人間を運ぶに至った。 [[携帯電話]]、[[テレビ]]、[[潜水艦]]なども、まずSFの世界に現われて、実現した。このように、ある意味ではSFが科学技術に影響を与えているとも考えられる。 == SFとは何か? == SFは時代によって大きく変遷したジャンルなので、 「SF」という名称で呼ばれている小説群全てに対して当てはまる共通の特徴を見出すのは不可能に近い。 「SF」という単語が生まれて間もない頃は、小説中に科学が扱われていさえすればSFなのだと単純にとらえられており、例えばアシモフは「SFとは未来の科学と科学者を扱った小説」であると述べているし、スタージョンは「科学的な部分を取り除いてしまった場合にストーリーがまったく無意味なものになってしまう作品にのみ、SFという言葉を適応できる」と述べている。しかしSFに対する認識は時代とともに大きく変わっていく。 [[ジョージ・ターナー]]は上のような認識を批判し、SFを「リアリスティックな小説と非リアリスティックな小説の間に位置する」ものとして規定している。 黄金期のSF関係者達の中には、'''未来の外挿'''というキーワードを重視しているものも多く、 例えばブライアン・オールディスは『十億年の宴』で、SFを現実から未来を外挿する小説として規定している。 しかしこの定義は、黄金期のSFにはよく当てはまる面もあるが、ニューウェーブSFにはあまり当てはまらない。また、こうした発言にも関わらずオールディス自身はニューウェーブの作家であった。 実際「未来の外挿」というキーワードは、多少なりともSFと現実社会や科学文明との繋がりを示唆するものであるが、一方でニューウェーブSFの存在はこうした繋がりそのものを否定する。 ニューウェーブの創始者の一人である[[J・G・バラード]]は、これからのSFは'''外宇宙より内宇宙'''が重要で、現実社会や科学といったものを重視する従来型のSFよりも人間の内面世界を描写する事が重要なのだと説く。 このようにニューウェーブの作家達は従来「SF的である」ととらえられてきた事を否定し、実はそれらがSFの必要条件では無い事を示したが、一方で彼らは「ではSFとは何か?」という問いには答えなかった。 またSFの重要な要素として'''病んでいる'''事を挙げるものもおり、[[畑中佳樹]]のように'''病んでない人間にはSFを読む資格は無い'''と極言するものさえいる。(『読書の快楽ブックガイド・ベスト1000』、ぼくらはカルチャー探偵団編、角川文庫、1985年発行) 実際50年代、60年代には[[フィリップ・K・ディック]]をはじめ病んだSFを書く作家も多かったので、「病んでいる」事はSFとは何かという問題に対してある種の答えを与えている。しかし[[スペースオペラ]]のようにこの定義から大きく外れるジャンルも存在する。 以下の文章は、主に[[石川喬司]]の「SFででくたぁ」、『SFの時代』を参考にした。この為石川喬司や彼と同時代のSF関係者の主張に偏っている可能性があるので注意を要する。 === SFに科学は必要か? === SFが「科学小説」(=科学のプロパガンダ小説)と見なされる事を嫌がるSF関係者も多い。SFの創世紀には「科学小説」が数多く発表されたがそれらは今のSFと比べればストーリー性も深みもなかった。こうした事情が彼らに「科学小説」と同一視される事を嫌悪させるのだと考えられる。 [[石川喬司]]のようにSFが科学と関連づけられる事すら嫌うものもおり、彼は「'''SFと科学を関連づけるのはいい加減やめて欲しい'''」と言う趣旨の発言を再三している(「SFででくたぁ」、『SFの時代』)。彼は[[矢野健太郎 (数学者)|矢野健太郎]]が「SFによって科学に興味を持つ子供が多くて嬉しい」という趣旨のSFに肯定的な発言をした時にもこのような発言をしているので、科学と関連づけられるのを彼がいかに嫌っていたかが分かる。 [[ロバート・A・ハインライン|ロバート・アンソン・ハインライン]]は「SF」は「サイエンス・フィクション(=科学小説)」ではなく「スペキュレーティブ・フィクション(=思索の小説)」の略であると主張し、SFと「科学小説」との差別化を計ろうとした。当時は[[ニュー・ウェーブ]]SFの全盛期で、実際に科学がほとんどもしくは一切出てこないSF小説が多数書かれており、SF性が科学とは無関係な概念である事がはじめて証明された時代であったので、ハインラインの意見は当時のSF関係者の主流な意見であったと思われるし、今もそう考えているSF関係者も多い。 一方、[[SF考証]](=SFを科学的に見えるようにする議論・手法)を重要視し、ハインラインと違い[[ライトノベル]]側のSF関係者である[[山本弘 (作家)|山本弘]]はこの意見に異を唱えている。彼によれば「SFはスペキュレーティブ・フィクション」なのだというハインラインの発言は「意味の分からない」ものであり、SF考証に基づいたSFこそが真のSFである(『トンデモ本?違う、SFだ!』より)。 === UFO研究はSFか? === UFO研究とSFを同一視される事を嫌うSF関係者も多い。 彼らの主張によれば、UFO研究は単なる[[疑似科学]]ないし[[オカルト]]であって、[[文学]]であるSFはUFO研究とは一線を画するのだという。 「SF関係者はSF小説の内容を(まるでUFO研究家のように)現実のものだと信じている」という見識を「SFに対する誤解」として捕らえているSF関係者も多く、例えば[[アイザック・アシモフ]]はこうした人物の一人であった。 この手の「誤解」に常々辟易していた彼は、SFを現実のものとして捕らえているかというインタビュアーの質問に対して、以下の趣旨の発言をしている。 ---- 「ではあなたは、童話作家は妖精が存在したり、動物達が口をきけると信じてると思いこんでるんですね?」 インタビュアーがそんな事はないと発言すると、アシモフはこう答えた。 「ならなぜSF作家がSFの内容を現実のものだと信じていると思うのですか?」 (注:正確な引用ではない。正確なセリフを覚えている方フォローをお願いします) <!--フォロー:私の記憶では 「ハードボイルド小説の作家は不死身の探偵の存在なんかを信じてはいないだろうし、ロマンス小説の作家は美人秘書が必ず二枚目社長と結婚するなどと信じてはいない。然るに何故、SF作家だけが自分の小説の内容を信じていなければならないのか?」 という感じだったと思います。載ってたのは『アシモフのミステリ世界』あたりだったでしょうか? 近い内に確認します。07年2月3日Five-toed-sloth --> ---- またSFとUFO研究者と同一視されるのを嫌がる背景には、一般にはあまりいい目で見られないUFO研究者と同一視される事を嫌がるのだという事情もあるのかもしれない。 しかし一方でSFと疑似科学との関係は深いという事実もある。 例えば日本最初のSF同人誌「[[宇宙塵]]」の創設メンバーの多くが「空飛ぶ円盤研究会」の元会員であったり、キャンベルやヴォクトのような黄金期のSFの立役者が何度と無く[[疑似科学]]や[[カルト]]に騙されている上、[[ダイアネティックス]]の創始者[[L・ロン・ハバード]]は元SF作家であるし、ハインラインの『[[異星の客]]』の作中に出てくる宗教を実際に現実世界で創始した人物もいる。 <!--=== スター・ウォーズはSFか? === [[スターウォーズ|スター・ウォーズ]]の旧3部作が公開されたとき、日本SF界ではこの作品がSFかどうか大論争になった。 そして当時のSF界が出した結論は'''スター・ウォーズはSFではない'''というものだった。 スターウォーズは普通[[スペースオペラ]]ないしそれに近いSF映画とみなされるが、当時はSFと見なされなかったのは、当時のSFは少なくとも彼らから見ればすでにスペースオペラのような「幼稚な」レベルを脱却しており、日本SF界は黄金期の「高度な」海外SFをいかにして日本に定着させるかに腐心していたという事情によるとされる。 そうした状況下現れたスター・ウォーズが一般人にSFと見なされた事が彼らには耐えられなかったのかもしれない。 当時彼らがいかに努力してもSFが日本に定着しなかったのに、「ぽっと出の」スター・ウォーズが一般人に簡単に受け入れられた事に対する嫉妬も([[とり・みき]]が言うように)あったのかもしれない。(このような一般的とはいえない個人的な見解は不要)--> === SFアニメはSFか? === 巨大[[ロボット]]アニメをはじめとしたSFアニメは日本で育ったものであり、海外SFないしその後継である伝統的な日本SFとは内容的文化的に大きく異なる。 [[機動戦士ガンダム]]は、放送当時「[[ホワイトベース]]が大気圏中を低速飛行している」などの理由でSFではないという議論がされたこともあった。 しかし[[永井豪]]のように海外SFの土場を理解しつつ同時にSFアニメに大きな足跡を残した人も多い。また、今日のSFアニメの隆盛は科学考証においてもいくつもの新機軸を生み出し、伝統SFの運動とは別の意味でのサイエンス・フィクションとして国内外に影響を与えている。 === SFパンチラ論 === [[とり・みき]]は'''SFパンチラ論'''を(諧謔的に)提唱した。 この説によれば、SF作家やSFファンは恥ずかしがり屋であり、感動する内容が直接作品に書かれる事を嫌悪している為、彼らは感動が作中に「完全に見えるのは恥ずかしいが、さりとて全く見えなくては意味がない」と考える。 これは丁度[[パンチラ]]の考え方に相似し、とり・みきにとっては、すでにSFとパンチラは完全に同一視されたものなのだという。 == SFの分類 == === 形式による分類 === SFには表現のスタイルによって以下のような分類がある。しかし、それぞれのジャンルに特化することのない「ふつうのSF」が最も多いと思われる。 * [[ハードSF]] - アイデアの科学性に重きを置いた作品群。ハードコアSFとも。 * [[スペースオペラ]] - 波瀾万丈の宇宙活劇。西部劇を換骨奪胎したもの。 * [[ワイドスクリーン・バロック]] - 宇宙的スケールの豪華絢爛な展開。 * [[ニュー・ウェーブ]] - 従来の外宇宙志向SFに背を向けて、内宇宙を目指す作品群。 * [[サイバーパンク]] - 電脳世界と濃密にリンクした世界を描く。しばしば退廃的で混沌とした世界観をテーマにする。 * [[スチームパンク]] - 蒸気機関が高度に発達した「ありえたかもしれない未来」を描く。 === テーマによる分類 === SFでは以下のような[[テーマ]]による分類がなされるが、必ずしも小説の[[主題]]となっているとは限らない。 * '''時間SF'''は、[[タイムマシン]]などによる[[時間旅行]]や、[[タイムパラドックス]]を扱ったSF。 * '''[[破滅SF]]'''は、壊滅的な大惨事、極端な場合は[[人類]]の滅亡を描くSF。 * '''[[侵略SF]]'''は、[[異星人]]などによって[[地球]]が侵略される状況を描くSF。 * '''[[ファースト・コンタクト]]SF'''は、異星人との初めての出会いの状況を描くSF。 * '''超能力SF'''は、[[超能力]]を持った(持ってしまった)人間を描くSF。 * '''ミュータントSF'''は、新人類または[[突然変異体]]を描くSF。 * '''[[ロボットSF]]'''は、[[ロボット]]または[[人工知能]]に関する様々な状況を描くSF。 * '''[[方程式もの]]'''は、「酸素や燃料に余裕のない宇宙船に密航した人間の扱い」をめぐる局限された状況などを描くSF。 === 舞台による分類 === 小説の舞台によって次のような分類がなされる。 * 宇宙SF - 宇宙空間に進出した人類文明とその中で活動する人の姿を描く。スペースオペラが多い。 * 海洋SF - 宇宙に匹敵する多くの謎を秘めた海洋を舞台とする。深海に住む謎の生命など。 * 歴史SF - タイムマシンを扱った歴史改変ものや、過去の歴史時代を舞台としたSF。 * 未来SF - 未来世界を描くSF。タイムマシンや冷凍睡眠などで過去人が未来世界に紛れ込むというテーマもある。 * [[学園SF]] - 学校を舞台としたSF作品。[[ジュヴナイル]]、[[ライトノベル]]系に多い。 === その他の分類 === これ以外にも「猫SF」、「犬SF」などといった上記にあてはまらない分類がある。 == 関連項目 == {{Commonscat|Science fiction}} * [[SF作家一覧]] * [[SF漫画]] * [[SFアニメ]] * [[SF映画]] * [[SFテレビ番組]] * [[SF大会]] ** [[ワールドコン]] ** [[日本SF大会]] * [[ネビュラ賞]] * [[ヒューゴー賞]] * [[日本SF大賞]] * [[星雲賞]] * [[冒険小説]] * [[架空戦記]] * [[怪獣映画]] == 参考文献 == *[[ブライアン・アッシュ]]、『SF百科図鑑』、[[サンリオSF文庫]] *[[石川喬司]]、「SFででくたぁ」。([[SFマガジン]]の連載記事。[[筒井康隆]]の日本ベストSF集成シリーズに再録あり。)<!--何年度版なのか失念。誰かフォローお願いします。--> *石川喬司、『SFの時代、日本SFの胎動と展望』、奇想天外社。(双葉文庫から『SFの時代』のタイトルで復刊)。 *[[ブライアン・オールディス|ブライアン・W・オールディス]]、『十億年の宴SF―その起源と発達』、創元社。 *ブライアン・W・オールディス、『一兆年の宴』、創元社。 *[[とり・みき]]、『とりの眼ひとの眼』、筑摩書房。 == 外部リンク == * [http://www.sfwj.or.jp/ 日本SF作家クラブWWW] * [http://www.sasabe.com/SF/mllist.html sf-retro-ml] {{デフォルトソート:えすえふ}} [[Category:SF|*]] [[af:Wetenskapsfiksie]] [[ar:خيال علمي]] [[bg:Фантастика]] [[bn:বিজ্ঞান কল্পকাহিনী]] [[br:Skiant-faltazi]] [[bs:Naučna fantastika]] [[ca:Ciència-ficció]] [[cs:Science fiction]] [[cy:Ffuglen wyddonol]] [[da:Science fiction]] [[de:Science Fiction]] [[el:Επιστημονική φαντασία]] [[en:Science fiction]] [[eo:Sciencfikcio]] [[es:Ciencia ficción]] [[eu:Zientzia-fikzio]] [[fa:علمی-تخیلی]] [[fi:Science fiction]] [[fr:Science-fiction]] [[gl:Ficción científica]] [[he:מדע בדיוני]] [[hr:Znanstvena fantastika]] [[hu:Sci-fi]] [[ia:Science-fiction]] [[id:Fiksi ilmiah]] [[io:Fingura cienco]] [[it:Fantascienza]] [[ka:ფანტასტიკა]] [[ko:과학 소설]] [[lt:Mokslinė fantastika]] [[lv:Zinātniskā fantastika]] [[mk:Научна фантастика]] [[nl:Sciencefiction]] [[nn:Science fiction]] [[no:Science fiction]] [[pl:Fantastyka naukowa]] [[pt:Ficção científica]] [[ro:Science fiction]] [[ru:Научная фантастика]] [[sco:Science Feection]] 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