「二階堂行頼 (行義の子)」の版間の差分

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== 略歴 ==
 
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通称は[[出羽国出羽]]七郎、七郎左衛門尉。[[弘安]]6年([[1283年]])6月14日に[[上総宗長]]や[[三善宗康]]らと[[引付衆]]に任命される。翌年4月に[[出家]]して道静と号し、間もなく没した<ref name="安田P456"/>。
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通称は[[出羽国|出羽]]七郎、七郎左衛門尉。[[弘安]]6年([[1283年]])6月14日に[[上総宗長]]や[[三善宗康]]らと[[引付衆]]に任命される。翌年4月に[[出家]]して道静と号し、間もなく没した<ref name="安田P456"/>。
  
 
== 脚注 ==
 
== 脚注 ==

2015年3月30日 (月) 23:44時点における最新版

二階堂 行頼(にかいどう ゆきより、? - 弘安7年(1284年4月)は、鎌倉時代中期の武将。父は二階堂行義。兄に行有。同時代に同姓同名の人物(二階堂行頼)がいるため、通称から七郎左衛門尉行頼と称される[1]

略歴[編集]

通称は出羽七郎、七郎左衛門尉。弘安6年(1283年)6月14日に上総宗長三善宗康らと引付衆に任命される。翌年4月に出家して道静と号し、間もなく没した[1]

脚注[編集]

  1. 1.0 1.1 安田、1991年、P456

参考文献[編集]