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2014年8月24日 (日) 20:06時点における版
厚木駅(あつぎえき)は、神奈川県海老名市河原口一丁目にある、小田急電鉄・東日本旅客鉄道(JR東日本)・相模鉄道(相鉄)の駅である。
目次
概要
駅名は「厚木」であるが、厚木市ではなく「海老名市」に所在する。理由は、はじめに神中(じんちゅう)鐵道(現・相模鉄道)が駅を作ったとき、海老名は寒村であったため、海老名村の村長であった望月珪治と厚木町の助役で神中鐵道の重役であった中野再五郎と相談し、相模川対岸のよく知られた厚木町の名前をもらって駅名にしたことによる。厚木市の中心駅は小田急本厚木駅で、厚木駅のひと駅隣である。
旅客駅としては、小田急とJR東日本が構内を共用する共同使用駅となっており、小田急が駅を管轄している。
海老名市のホームページでは2009年に市民からの「本厚木ではなく偽厚木と説明しなければならないため駅名変更してほしい」という意見への回答として、2008年度にJR東日本に改名の提案をしたが、厚木の駅前が定着していることと、駅名変更に多額の費用がかかるため駅名変更の予定がないと回答されたこと、小田急からも変更の予定はないと回答されたことを示している[1]。
神奈川県鉄道輸送力増強促進会議は、2012年度の小田急電鉄向け要望書にて、海老名市にあるにもかかわらず当駅が「厚木駅」と名乗っていることから駅名の改称を要望している(JRに対しては未確認)。これに対し、小田急電鉄は「駅名変更計画は、現在のところない」としている[2]。
乗り入れ路線
旅客線は小田急の小田原線と、JR東日本の相模線が乗り入れ、接続駅となっている。
歴史
- 1926年(大正15年)
- 1927年(昭和2年)4月1日 - 小田原急行鉄道の河原口駅が開業。「相模川の河原」を指す「河原口」という当地の大字が付けられた。
- 1928年(昭和3年)5月 - 相模鉄道が相模川河畔の中新田地内で砂利採取を開始。これに伴い砂利採取線(後述)を敷設。
- 1929年(昭和4年)2月 - 神中鉄道が路線を延長し、厚木駅構内扱いとして中新田口乗降場を小田原急行鉄道の河原口駅の隣に開業。
- 1931年(昭和6年)4月29日 - 相模鉄道が橋本駅まで開業。
- 1937年(昭和12年) - 海老名国分駅(後に海老名駅)と中新田停留場(後に社家駅)を結ぶ短絡線が開業(詳細は後述)。
- 1941年(昭和16年)
- 1942年(昭和17年)5月1日 - 小田急電鉄は吸収合併され、東京急行電鉄(大東急)となる。
- 1943年(昭和18年)4月1日 - 相模鉄道が神中鉄道を合併(東急主管によるもの)。
- 1944年(昭和19年)6月1日 - 相模鉄道相模線が国有化され、国有鉄道相模線となる。同時に東急河原口駅至近に厚木乗降場(参考)を新設し、厚木駅本屋の旅客扱いを廃止。国鉄と東急の改札口を共同使用することとなったため、東急の河原口駅が厚木駅に改称。
- 1948年(昭和23年)6月1日 - 東京急行電鉄から小田急電鉄が分離し、再発足する。
- 1964年(昭和39年) - 厚木操車場に隣接して小野田セメントの生コンクリート工場が開設され、相模鉄道の駅に専用線で接続(詳細は後述)。
- 1971年(昭和46年)7月13日 - 相模川橋梁の架け替え工事完成に伴い、上り線を新駅に移行。8月には下り線も新駅に移行。
- 1986年(昭和61年)11月1日 - 国鉄駅での貨物取り扱いが廃止。ただし相模鉄道と国鉄(後の日本貨物鉄道)との貨物連絡運輸は現在まで継続。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、相模線の駅はJR東日本の駅となる。
- 2001年(平成13年)8月1日 - JR東日本でICカードSuica供用開始。
- 2007年(平成19年)3月11日 - 相模線ホームを移設、構内踏切を撤去。
- 2008年(平成20年) - 小田急線下りホームにトイレを設置。
- 2009年(平成21年) - 改札~小田急線ホーム間にエレベーターを設置。
- 2013年(平成25年)1月11日 - 小田急線の行先案内表示器が新設され、使用開始。
砂利採取線
駅構内から茅ヶ崎方へ向かい、相模川の川岸にある相模興業の敷地内まで砂利輸送用の専用線があり、その先にはトロリー線もあった。現在の静岡中央銀行厚木支店の東側から分岐し、坂本祭典厚木斎場の建物の場所・マンションと駐車場の間の道・県道を横切り、相模興業の敷地に至っていた。開業時は相模鉄道が砂利採取を行っていたが、1931年以降は相模興業に委託していた。
短絡線
戦時体制において東海道本線が攻撃された場合に相模湾方面と東京都心をつなぐ路線を確保するために小田原急行鉄道(現在の小田急電鉄)小田原線と相模鉄道(現在のJR)相模線を結ぶことを国から要請されていた。それに応えて建設されたのがこの短絡線である。
現在のURえびな団地とえびな幼稚園の間より若干新宿寄り(35 26 40 N 139 22 51 E付近)で小田原急行鉄道小田原線から分岐し、URえびな団地の北西側・フェルキー厚木(マンション)・小田急電鉄厚木変電所の南東の道・桜接骨院・ごみ集積所を通り、坂本祭典厚木斎場の東側で相模鉄道相模線に合流していた。小田原急行鉄道小田原線の河原口駅構内扱いであったが、この短絡線は小田原急行鉄道小田原線の河原口駅のホーム・相模鉄道相模線の厚木駅のホーム・前記の砂利採取線へ直通する路線ではない。
短絡線使用後も小田急線の側線として残され、変電所車が留置されて仮設変電所とされていた時期がある。
小野田セメント専用線
厚木操車場の東側には、1964年(昭和39年)に小野田セメント(現在は厚木レミコン、2012年3月に閉鎖)の生コンクリート工場が開設され、相模鉄道の駅に専用線で接続し、原料のセメントが鉄道輸送により搬入されるようになった[3]。この輸送は、1979年(昭和54年)以前は相鉄本線の西横浜 - 保土ヶ谷間貨物支線を介し、相鉄本線・厚木線経由で行われていた[4]が、同年の西横浜 - 保土ヶ谷間貨物支線の廃止に伴い経路変更され、茅ヶ崎から相模線経由で輸送されるよう改められている。この経緯から、輸送経路変更後も工場への専用線は相模鉄道の厚木駅に接続しており、相模線の貨物列車で到着したセメントホッパ車の工場への入線及び空車の送り出しは相模鉄道の機関車で行われ、小野田セメントから相模鉄道に対し構内輸送運賃が支払われていた[5]。1986年(昭和61年)にこの輸送は終了した。
駅構造
小田急とJR東日本が改札口を共用しており、自動改札機はすべて小田急のものを使用している。そのため、JRの一部の磁気定期券および企画乗車券は自動改札機を通過できない。JRの券売機は設置されているが、普通乗車券と回数券のみの発売で、定期券や特別企画乗車券の購入はできない。
小田急電鉄
相対式ホーム2面2線を有する高架駅である。準急も停車するため、ホーム有効長は10両対応となっている。改札口は新宿側の先端の1か所。改札口と中2階・ホームとの間にはエレベーターが設置されている。
トイレは長らく中2階にあったが、下りホームに移転した。従来トイレがあった位置には多目的トイレが設置された。また、JR側にはトイレがないため、JR利用者も小田急側のトイレを利用することになる。
海老名駅の管理下にある。
ホーム | 路線 | 方向 | 行先 |
---|---|---|---|
1 | ■小田原線 | 下り | 小田原・箱根湯本方面 |
2 | ■小田原線 | 上り | 相模大野・新宿・千代田線方面 |
毎年8月に開催される「あつぎ鮎まつり」開催日は臨時に急行も停車することがある。
小田急厚木駅の1番線(下り線)プラットホームの小田原寄りから線路と反対側の下を見た所と、小田急の線路とJRの線路が立体交差する地点の南東側(海西交番から相模線を挟んだ反対側)に、相模川橋梁架け替え前の旧線の橋脚が残っている。相模川橋梁架け替え前の小田急厚木駅跡地には、小田急マルシェ厚木が建てられている。
JR東日本
単式ホーム1面1線を有する地上駅である。駅設備は海老名駅によって管理されている。
2007年3月10日までは改札口から線路を越えたところにホームがあり、構内踏切を有していた。この構内踏切は手動式で、列車が来る時は駅員が接近放送を行った後に遮断機を下ろしていた。その後同年3月11日に横断踏切が撤去され、側線の跡地(線路は撤去されていない)にスロープを配した新しいホームの使用を開始したので、小田急との乗り換えの利便性が向上し、バリアフリーに配慮された構造となり、駅員の接近放送や遮断機下ろしもなくなった。
2014年2月14日までは改札内にSuica・PASMOのJR東日本線用簡易改札機(読み取り機)が設置されており、乗換やJRのみの利用いずれもICカードをタッチすることになっていたが、新たに乗換改札口が設置され、2月15日よりICカード、磁気券ともに改札を通ることとなった。
かつて一般貨物扱いがあった時期は独立した駅舎が設置されていたため、駅の中心となる本屋(停車場中心)は北側に広がる操車場部分であり、ホームのある地点は「厚木乗降場」と称されている。2010年現在、旧駅舎はJR東日本厚木提携販売センターとして使用されている。海老名駅の開業以前は本屋で列車交換や列車の夜間留置が行われ、当駅から橋本・茅ヶ崎へ向かう区間列車も存在していた。
国有化前の相模鉄道時代は相対式ホーム2面2線の交換可能な駅だったが、国有化と同時に小田急との乗り換えの利便性を高めるためホームのみを南に移設した。このため、列車交換が行われなくなったのにもかかわらず、現在もかつてホームがあった部分では、列車は左側通行で通過している。
相模鉄道
相模鉄道の厚木駅は、旅客扱いを行わない貨物駅である。
当駅に乗り入れる相鉄厚木線は、本線の相模国分信号所から分岐し、JR線海老名駅の南側線路を並行して当駅のJR線のりばの北側で接続しており、同ホームの裏側まで厚木操車場と呼ばれている。
かつては在日米軍厚木基地への貨物列車の連絡や旧・小野田セメントへの貨物輸送が行われていたが、その後は新車の搬入や夜間の車両留置に使われるのみである。近隣住民の申し入れで早朝と夜間の列車の出・入庫は制限されている。
また、この留置線は廃車・休車となった車両の留置にも使用されている。
利用状況
小田急電鉄・JR東日本
各年度の一日平均乗車および乗降人員は下表のとおり。
年度 | 小田急 | JR東日本 | ||
---|---|---|---|---|
一日平均 乗降人員 |
一日平均 乗車人員 |
一日平均 乗車人員 |
出典 | |
1982年 | 15,681 | |||
1998年 | 9,642[9] | 5,497 | ||
1999年 | 9,358[10] | 5,538 | [10] | |
2000年 | 9,266[10] | 5,426 | [10] | |
2001年 | 9,144[11] | 5,353 | [11] | |
2002年 | 9,025[11] | 5,249 | [11] | |
2003年 | 18,141 | 9,046[12] | 5,231 | [12] |
2004年 | 18,271 | 9,041[12] | 5,355 | [12] |
2005年 | 18,119 | 8,978[13] | 5,477 | [13] |
2006年 | 18,682 | 9,279[13] | 5,770 | [13] |
2007年 | 19,925 | 9,903[14] | 6,371 | [14] |
2008年 | 20,246 | 10,090[14] | 6,527 | [14] |
2009年 | 20,246 | 10,017[15] | 6,424[16] | [15] |
2010年 | 19,782 | 9,887[15] | 6,319[17] | [15] |
2011年 | 19,530 | 9,740[18] | 6,106[19] | |
2012年 | 20,039 | 6,525[8] |
JR貨物
各年度の年間発着トン数は下表のとおり。
年度 | 発送トン数 | 到着トン数 | 出典 |
---|---|---|---|
1998年 | |||
1999年 | |||
2000年 | |||
2001年 | |||
2002年 | 400 | [11] | |
2003年 | |||
2004年 | |||
2005年 | |||
2006年 | 400 | [13] | |
2007年 | |||
2008年 | 800 | [14] | |
2009年 |
駅周辺
厚木と名乗るが厚木市外にあり、市街地からは相模川を隔てて2kmほど離れている上、海老名市の中心市街にもないため駅前の商業的な広がりは薄く、飲食店が多少ある程度。駅舎の北側にある歩道橋は駅の東西を行き来するために設けられたものである(当駅は改札が1カ所しかないため通り抜けが不可能)。
かつては駅周辺にあったバス停留所から神奈川中央交通や相模鉄道の路線バスが海老名駅、本厚木駅、藤沢駅、二俣川駅方面に向かっていたが、いずれも2002年12月までに廃止された。
- 相模川
- 相模大橋
- 海老名市立青少年会館
- 三信電気 厚木物流センター
- 海老名運動公園
- 神奈川県立海老名高等学校
- 海老名河原口郵便局
- 海老名中新田郵便局
- 雪印メグミルク海老名工場
- 静岡中央銀行厚木支店
- 宗教法人ものみの塔聖書冊子協会
- 首都圏中央連絡自動車道海老名インターチェンジ
隣の駅
- 相模鉄道
- 厚木線
- (相模国分信号所) - 厚木駅
脚注
- ↑ 海老名市 - 市長への手紙~これまでにいただいたご意見・ご要望・ご提案(Q&A)~ Q.4-2 ロマンスカー海老名駅停車?:
- ↑ 神奈川県鉄道輸送力増強促進会議 平成24年度 - 神奈川県 2013年10月10日閲覧
- ↑ これに伴う輸送力増強のため、相模鉄道では1965年(昭和40年)に電気機関車ED14を増備。
- ↑ 柴田重利 『カラーブックス562 日本の私鉄13 相模鉄道』 保育社、1982年、52-53ページ
- ↑ 渡辺一策 『相模鉄道の貨物輸送』(『鉄道ピクトリアル』1999年7月増刊号(NO.672)掲載)
- ↑ 2012年度の鉄道事業設備投資計画 (2)駅施設改良、サービスの向上 2.行先表示装置の新設PDF - 小田急電鉄(2012年4月27日閲覧)
- ↑ 小田急電鉄「事業案内」
- ↑ 8.0 8.1 JR東日本「各駅の乗車人員」
- ↑ 神奈川県県勢要覧(平成12年度)220,223ページ
- ↑ 10.0 10.1 10.2 10.3 神奈川県県勢要覧(平成13年度)222,225ページ
- ↑ 11.0 11.1 11.2 11.3 11.4 神奈川県県勢要覧(平成15年度)220,223ページ
- ↑ 12.0 12.1 12.2 12.3 神奈川県県勢要覧(平成17年度)222,225ページ
- ↑ 13.0 13.1 13.2 13.3 13.4 神奈川県県勢要覧(平成19年度)224,227ページ
- ↑ 14.0 14.1 14.2 14.3 14.4 神奈川県県勢要覧(平成21年度)238,241ページ
- ↑ 15.0 15.1 15.2 15.3 神奈川県県勢要覧(平成22年度)239ページ
- ↑ JR東日本「各駅の乗車人員」(2009年度)
- ↑ JR東日本「各駅の乗車人員」(2010年度)
- ↑ 神奈川県県勢要覧(平成24年度)235ページ
- ↑ JR東日本「各駅の乗車人員」(2011年度)
関連項目
外部リンク
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