「日野駅 (東京都)」の版間の差分
1行目: | 1行目: | ||
+ | [[ファイル:日野駅.jpg|360px|thumb|日野駅]] | ||
'''日野駅'''(ひのえき)は、[[東京都]][[日野市]]大坂上一丁目にある、[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)[[中央本線]]の[[鉄道駅|駅]]である。 | '''日野駅'''(ひのえき)は、[[東京都]][[日野市]]大坂上一丁目にある、[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)[[中央本線]]の[[鉄道駅|駅]]である。 | ||
2015年1月18日 (日) 18:21時点における最新版
日野駅(ひのえき)は、東京都日野市大坂上一丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)中央本線の駅である。
当駅を含む区間は、運行系統上は「中央線」と案内される。運転形態の詳細については該当記事を参照のこと。
歴史[編集]
- 1890年(明治23年)1月6日 - 地元有志の寄付により甲武鉄道の駅として開業。旅客および貨物の取り扱いを開始。
- 1906年(明治39年)10月1日 - 甲武鉄道の国有化により国有鉄道の駅となる。
- 1937年(昭和12年)6月 - 複線化に伴い300mほど北、現在地に移転。
- 1959年(昭和34年)12月1日 - 貨物の取り扱いを廃止。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR東日本の駅となる。
- 2001年(平成13年)11月18日 - ICカードSuica供用開始。
- 2010年(平成22年)1月11日 - 開業120周年記念として記念セレモニー・記念入場券発売などを実施。
駅構造[編集]
築堤上に島式ホーム1面2線を有する高架駅。これは日野台地と多摩川の橋梁の間に駅が存在し、地上駅にすると線路の高低差が問題になるためである。なお、ホーム西側の一部は日野台地に掛かっている。
高尾側にホームのない中線が1線設置されている(旧駅の中線を転用したもの。後述)。土手に設けられたため、ホームの幅が狭く、特に高尾寄りは危険である。
高尾方には過去に踏切が1か所あったが(旧甲州街道踏切)、都市計画で駅西側に新設道路の取付やターミナル新設の改良工事があったこと、さらに人身事故などが多かったことを理由に1981年に廃止された。
駅舎は1937年の移転時に建てられたもので、民家風の素朴な造りになっている。改札口は立川方に1か所。みどりの窓口、自動改札機、指定席券売機が設置されている。ホームから改札口への通路の途中にトイレとNEWDAYSがある。KIOSKは改札口を出てすぐのところにある。バリアフリー対応施設として、エレベーター1基と車椅子対応多目的トイレが設置されている。
現在のホームから駅改札までの通路は1969年の改良工事にて竣工されたものだが、それまでは現在の中央線ガード脇(歩行者トンネルの入口付近)からホーム上に昇降する通路があり、立川方ホーム終端部分にホーム出入口が存在した。改札口の位置も当時は現在のKIOSK付近に存在した。
のりば[編集]
番線 | 路線 | 方向 | 行先 |
---|---|---|---|
1 | ■■中央線 | 下り | 八王子・高尾方面 |
2 | ■■中央線 | 上り | 立川・新宿・東京方面 |
- 当駅には中央本線の中距離列車も乗り入れるため、本項では中央線のラインカラーを■オレンジと■青の併記としたが、実際のホーム案内はすべて■オレンジのみ用いられている。
利用状況[編集]
2013年度の1日平均乗車人員は28,651人である。日野自動車やエスアールエル、セイコーエプソン、スーパーアルプスなどへの通勤や、実践女子大学、実践女子短期大学、東京都立日野台高等学校に通学する学生・生徒の利用が多い。また、八王子や立川および東京都心方面への通勤・通学や買い物客の利用も多い。近年の推移は下記の通り。
年度 | JR東日本 | 出典 |
---|---|---|
1992年 | 28,195 | [1] |
1993年 | 28,468 | [2] |
1994年 | 28,537 | [3] |
1995年 | 28,537 | [4] |
1996年 | 28,912 | [5] |
1997年 | 28,259 | [6] |
1998年 | 27,764 | [7] |
1999年 | 27,049 | [8] |
2000年 | 25,867 | [1] |
2001年 | 25,823 | [2] |
2002年 | 25,719 | [3] |
2003年 | 26,291 | [4] |
2004年 | 26,708 | [5] |
2005年 | 26,857 | [6] |
2006年 | 27,288 | [7] |
2007年 | 27,706 | [8] |
2008年 | 27,798 | [9] |
2009年 | 27,340 | [10] |
2010年 | 27,713 | [11] |
2011年 | 27,710 | [12] |
2012年 | 28,038 | [13] |
2013年 | 28,651 | [14] |
駅周辺[編集]
改札口を出て左手(西側)に行くとバスターミナルがある。ここには京王電鉄バスと西東京バスの路線が発着し、日野市内および隣接する八王子、立川、国立、府中の各市内への路線バスが運行されている。駅の南側すぐには中央自動車道の高架がある。南側の豊田寄りには鉄道総合研究所の日野土木実験所がある。
- 日野市役所
- 日野市民会館
- 日野市立日野図書館
- 日野市中央公民館
- 日野市中央福祉センター
- 日野中央公園
- 日野市生活保健センター(旧日野市役所跡)
- 日野市市民の森スポーツ公園(旧養蚕試験場跡)
- 日野市市民の森ふれあいホール(旧養蚕試験場跡)
- 日野市立新選組のふるさと歴史館
- 日野宿本陣
- 東京消防庁 日野消防署※現在建替工事中(仮庁舎は万願寺に所在)
- 警視庁 日野警察署
- 日野郵便局
- 日野駅前郵便局
- 日野神明郵便局
- 日野新町郵便局
- 日野多摩平六郵便局
- みずほ銀行 日野駅前支店(旧・富士銀行店舗)
- マツモトキヨシ
- いなげや
- 食品の店 おおた(スーパー)
- よむよむ(書籍・CDレンタル)
- くまざわ書店(書籍)
- ウェルパーク(ドラッグストア)
新撰組と日野[編集]
日野市は、新選組副長・土方歳三の出身地として知られるが、六番組隊長の井上源三郎の出身地でもある。当駅のホームから東の方に見える宝泉寺は井上家の菩提寺であり、源三郎もここに眠っている。また、生家も当駅から歩いて5分ぐらいのところにあり、子孫が資料館を開設している。
甲州街道(東京都道256号八王子国立線)に面した改札口を抜け、右手(東側)へ甲州街道を行くと八坂神社がある。さらに進むと新選組を物心両面で支えた佐藤彦五郎家がある。ここは東京都内に唯一当時の建物の遺された本陣址である。現在駐車場になっている辺りに道場があり、近藤や土方はこの道場にて剣の腕を磨いたといわれている。
バス路線[編集]
日野駅
- 1番乗り場
- 2番乗り場
- 3番乗り場
- 4番乗り場
- 日21:宇津木台行(西東京)
- 5番乗り場
- 6番乗り場
付記[編集]
- 中央特快・通勤快速の停車駅であるが、大宮発着の普通列車(むさしの号)は2014年3月14日まで通過していた。なお、立川発着の普通列車も1996年(平成8年)までは通過扱いであった。
- 昭和40年代初頭まで当駅始発・終着列車が設定されていた。歴史の項で触れた旧駅の機回し線を利用した折り返し運転が可能だったためである。その後、西隣の豊田駅に隣接して当時東洋一の規模の車両基地だった豊田電車区(現・豊田車両センター)が開設されてからは同駅が始発・終着駅となったため、当駅始発・終着列車は廃止となった。その後、この折り返し線は上下線の待避線(中線)となり、貨物列車、試運転列車などの事業用途列車、回送電車の待避として使用されることが多い。また、三鷹方面から武蔵野線に入る回送列車や臨時列車が使用している。
- 将来計画として、ホームを増設して上下で分離させる計画がある。また、築堤になっている当駅を高架化に合わせて、西口と豊田駅寄りに改札口を新設する計画もある[9]。しかしながら、市の事業スキームとしての陳情意見でありJRとの調整がついていないことや、市の財政逼迫から自治体負担分である予算捻出が困難であることから、具体的な目途は立っていないのが現状である。
- 多摩モノレールの甲州街道駅まで徒歩15分程であり、中央線の輸送障害時には同駅まで移動してモノレールによる振替輸送を利用するよう推奨されることがある。
- 中央線は当駅より東京駅まで立体交差化されており、当駅以東において踏切は一つもない。
隣の駅[編集]
- 東日本旅客鉄道
- ■■中央線
脚注[編集]
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- JR東日本 日野駅
- ひのっ子日野宿発見 日野駅開業
- ひのっ子日野宿発見 新日野駅の誕生
- 日野宿発見隊 まちかど写真館 - 移転前の昭和初期の日野駅や、廃止された踏切の写真を見ることができる。