「山本竜太の公判」の版間の差分
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[[中央大学教授刺殺事件]]の犯人・[[山本竜太]]の公判記録である。 == 初公判(2010年11月24日) == 山本被告が初公判で起訴内容認める 中央大理工学部教授の高窪統さんを刺殺したとして、殺人罪に問われた卒業生で元家庭用品販売店従業員、山本竜太被告の裁判員裁判初公判が24日、東京地裁(今崎幸彦裁判長)で開かれた。起訴状の間違いの有無を問われた山本被告は「なかったです」と起訴内容を認めた。 弁護側は「犯行当時、心神耗弱状態だった」と主張。検察側も心神耗弱については争わず、争点となる刑の重さについて裁判員がどう判断するか注目される。 同日午前に選任された6人の裁判員の内訳は男女3人ずつで、補充裁判員2人はいずれも女性。 うつむきがちに入廷した山本被告は、白いセーターにグレーのズボン姿。今崎裁判長が名前を尋ねると「山本竜太と申します」と、か細い声で答えた。 「起訴内容は分かりましたか」との問いには「はい」と短く応じたが、顔色は青白く、セーターのすそを手でいじりながら、落ち着きなく瞬きを繰り返した。 公判は計5回開かれ、非公開の評議を経て、12月2日に判決が言い渡される。被告人質問は、26、29の両日に予定されている。山本被告の精神鑑定を行った医師の証人尋問も行われる。 検察側は精神鑑定の結果などから、「刑事責任能力は問える」として、昨年10月に山本被告を殺人罪で起訴。一方、弁護側は公判前整理手続きで、「山本被告は犯行当時、妄想にとらわれる障害があり、責任能力は限定的で心神耗弱状態だった」と主張していた。 心神耗弱とは、物事の善悪を判断したり、それに従って行動する能力が著しく損なわれた状態を指し、刑法はこの場合に刑を軽減すると定めている。 起訴状によると、山本被告は昨年1月14日、東京都文京区の中央大キャンパスのトイレで、刃物で高窪さんの背中や胸を多数回突き刺して殺害したとされる。 === 妄想にとりつかれた被告の心… 裁判員にまたも難題 === 中央大理工学部教授の高窪統を刺殺したとして、殺人罪に問われた卒業生で元家庭用品販売店従業員、山本竜太被告の裁判員裁判初公判が24日、東京地裁(今崎幸彦裁判長)で開かれた。山本被告は「(間違いは)なかったです」と起訴内容を認めた。 裁判員の内訳は男女3人ずつで、補充裁判員2人はいずれも女性。検察側と弁護側には犯行当時、妄想性障害による心神耗弱状態だったという点に争いはなく、刑の重さを裁判員がどう判断するか注目される。 検察側は冒頭陳述で、山本被告が平成11年に大学入学後、人間関係で孤立したことなどから自傷行為を繰り返すようになったと指摘。15年の忘年会では、高窪さんが他の学生と話しているのを見て「疎外されている」と感じ、さらに食中毒になったことで「陥れられた」と研究室全体への不信感を募らせた。20年5月には「周囲に不審な出来事が続くのは教授のせいだ」と殺害を決意したという。 検察側は、現場の下見を繰り返していたことなどから「周到に準備しており、妄想の影響を考慮しても、一方的な思い込みに基づく動機は、強い非難に値する」と主張した。 これに対し、弁護側は「高窪さんらに組織的・継続的に監視され、いずれ殺されるという妄想を深めた末の犯行。当時の被告にとって、殺害はやむを得ない選択肢だった」と訴えた。 === 「教授を中心とした団体が自分に危害を加えようとしている」 === 恩師を刺殺したとして殺人罪に問われた山本竜太被告について検察側、弁護側はともに妄想性障害に罹患した「心神耗弱」と判断した。妄想にとりつかれた被告の心の中を裁判員らがどう読み取り、刑の重さに反映させるか。 心神耗弱とは物事の善悪を判断したり、それに従って行動する能力が著しく損なわれた状態を指し、刑法はこの場合に刑を軽減すると定めている。 検察側は精神鑑定の結果、もともと山本被告が持っていたうたぐり深い性格が発展した結果、「教授を殺害すれば不審な出来事がやむかもしれない」などと思うようになったと主張。心神耗弱状態にはあったが、深刻な精神障害はないと結論づけた。 争点は精神障害が犯行にどの程度影響を及ぼしたか。「プロの裁判官でも意見が分かれる」(刑事裁判に詳しい弁護士)という難しい課題で、鑑定医の結論を裁判員がどの程度理解できるか、制度開始前から不安視されていた。 今年3月、自宅に放火したとして、現住建造物等放火罪に問われた被告の裁判員裁判で、弁護側は「被告は心神喪失か少なくとも心神耗弱だった」として刑を軽くするよう求めた。東京地裁は判決で弁護側の主張を退け責任能力を認めたが、裁判員からは「鑑定医の説明は資料を読んでも分からなかった」との声も漏れた。 刑事事件で精神鑑定に携わった経験もある精神科医の日(ひ)向(が)野(の)春(はる)総(ふさ)さんは「心神耗弱がどういった状態にあたるのか一般の人が判断するのは難しい。医学用語を裁判員に詳しく説明する機会を設けるなど、精神鑑定の絡む公判の進め方はもっと慎重に検討されるべきだ」と話している。 妄想性障害…誤った思い込みが長期間持続する精神障害で、統合失調症と近い関係にあると分類される。主な症例として(1)誰かに見張られたり、嫌がらせをされたりしている(2)配偶者や恋人が浮気をしている(3)自分に偉大な才能がある-などと思い込む。厚生労働省が平成20年のサンプリング調査を基に推計した、医療施設で診断された患者数は約1万8千人。元厚生次官ら連続殺傷事件の1審で弁護側が「妄想性障害のため心神喪失か心神耗弱だった疑いがある」と主張し退けられたケースがある。 == 第2回公判(2010年11月26日) == 中央大学理工学部教授の高窪統を刺殺したとして殺人罪に問われた卒業生で元家庭用品販売店従業員、山本竜太被告の裁判員裁判員第2回公判が26日午前、東京地裁で始まった。午後には被告人質問が行われる予定で、どのように犯行を思い立ち、計画・実行に移していったか、山本被告本人の口から語られることになる。 === 「自分を奮い立たせるためにリストカット」…授業についていけず追いつめられた被告 === 検察官「それでは朗読します。出生地は神奈川県平塚市だと思います。前科前歴はありません。私には兄弟がおらず、独身です。交際している女性もいません」 《 検察官は、中央大電気電子工学科に入学し、平成16年3月に卒業、埼玉県狭山市の食品加工会社に就職した後の経歴についての山本被告の供述調書を読み上げていく 》 検察官「狭山市の会社の寮に住み、工場に出勤する生活を送りました。やりたい仕事ではなかったですが、内定はここしかなく、とりあえず就職しました」 《 だが、山本被告は1カ月ほどで会社を辞め、その後は図書館やホームセンター、パソコン店のアルバイトやパートを転々とする 》 検察官「『能力不足』と判断され、退職を促されました。仕事の能力が備わっていなかったと解雇されました」 「親しい友人は思い付きません。資産はなく、預金は60万円ぐらいです。趣味はヒーリングミュージックを聴くことです。健康に特におかしいところはありません。血液型はAB型で、右利きです」 「高校当時の成績はまあまあで、推薦枠で11年4月に中央大に入学しました」 「1年生の後期には内容が難しく、授業についていけなくなりました。やりたかったことは、人間関係学でしたが、推薦枠で入ったため、転部はできないと言われました」 「大学を受け直すしかないけど、やめると、自分の高校の推薦枠が取り消され、先輩や後輩に迷惑をかけることになると思いましたが、人間関係学が勉強できる文教大学をこっそり受験しました」 《 だが、「受験勉強も中途半端だった」ため、あっさり落ちてしまう。それからは「ここで死にもの狂いで勉強するしかない」と、日曜日に終日図書館にこもったりと猛勉強を始めたという 》 検察官「でも逃げ出したいときもありました。電気は僕には無理なんだという気持ちになったとき、自分を奮い立たせるためにリストカットをしました」 《 山本被告は1年間、留年した末、ようやく研究室に入れる単位に達し、高窪教授の研究室を選んだ。理由は「2、3年生のとき講義を受けて教え方が丁寧で、生徒に配慮する態度が安心できた」からだという 》 検察官「しかし、高窪教授は『こいつどういう奴なんだろう』という目で見てきました。リストカットの跡があることを聞いているんだろう。それで、いかがわしい奴と判断してほしくありませんでした」「面と向かっては言いにくく、事務課の人に『リストカットの跡があっても変な目で見ないでください』と伝えてもらいました」 《 それから1週間後、高窪教授が「ナーバスですね」と話すのを耳にする。山本被告に向かって言ったのではなかったが、教授が山本被告の告げ口で大学側から責められたから当てこすりで言っているのだと感じたという 》 検察官「『いじめじゃない』『ありえない』と電車内で話す人がいました。高窪教授は私をいじめていないという意味だと思いました。なんで突然、私の知らない人がウワサをするのかと思い、このときは、聞き間違いと思いました」 《 別の教授が「なぜ、しゃべらない。異常だぞ」と別の学生に言っているのも自分のことだと思いはじめていったという 》 検察官「母と旅行に行った後、誰にも話していないのに同期の学生が『山本さんが旅行に行ったとき…』と話していました。盗聴されているのじゃないかと思いました」「あがってしまい、うまく研究発表できず、高窪教授に相談したことがありました。高窪教授からは『私も緊張する。ビクビクして講義しているんだ。このことは誰にも言わないで』と告げられました」 === 「やらなかったらやられる」「精神的方法で人生を壊そうと」 === 殺害決意の理由に法廷は重苦しく 山本被告は大学5年で、高窪さんの研究室に所属。発表などの際に緊張してしまうことを高窪さんに相談したところ、 「自分も講義の時は緊張している」と打ち明けられ、「このことは誰にも言わないで」とも頼まれたという。しかし、山本被告は知人の帝京大学教授にこの話をしてしまう。その後、研究室へ行くと「裏切った」と話している声が聞こえてきたという。 検察官「なぜみんなが、私が帝京大の教授に高窪教授のことを話したことを知っているのか、と思いました。研究室の人たちに盗聴されているのかと思いました。これまでも、歩いているときに人から『ありえない』といわれたことがありましたが、あれもやっぱり幻聴なんかじゃなかったんだと思いました」「お別れ会では、有名企業に決まった人たちが仕事などについて話していて、高窪教授も加わっていました。私も内定はもらっていましたが、大学の専門と関係のない食品会社で、私だけ仲間はずれにされた感じがしました。高窪教授はほとんど話しかけてくれず、寂しかったです」 この時、近くのテーブルにいた中年の男性が「高窪教授の足元にも及ばない」と、山本被告に向かって話しかける声が聞こえたという。さらに、お別れ会の翌日、山本被告は食中毒による激しい下痢と吐き気に襲われた。この日は卒業アルバムに載せる研究室の記念写真を撮影する予定だったが、参加を断念。その翌日には研究室へ行ったが、高窪教授に体調について何も聞かれず、不自然に感じたという。 検察官「この一件で、研究室全体に対する不信感が高まりました。研究室全体が私を陥れて、食中毒にさせたんじゃないかと思いました。高窪教授が裏で糸を引いているかは分からないが、無関係ではあり得ないと思いました」 《 この後、大学構内を歩いているときや電車内で、周囲の人が「教授がいじめるなんてあり得ない」「教授が勝ち」と言っている声を聞くようになったという。山本被告はこうした出来事が続いたため、「高窪教授が嫌がらせをしているんじゃないか」と考えるようになっていった 》 《 山本被告は平成16年3月に大学を卒業した後、同年4月に大手食品メーカーに入社。ここでも、不思議な出来事があったという 》 検察官「研修のボウリング大会で、スコアボードに自分の名前をもじって『リュウチャン』と書きました。その後、(埼玉県)狭山(市)の寮に入りましたが、近所の5、6歳の男の子に突然、『リュウチャン』と言われました。また、隣の部屋から『何で間違っている』と怒っているような声が聞こえることが、何度もありました」 《 結局、山本被告は「気持ち悪いことが多く、こんな会社にはいられない」と考え、入社からわずか1カ月程度で食品メーカーを退社する。同年5月には、退社の報告をするために高窪教授を研究室に訪ねたが、希望通りの対応をしてもらえず、落胆したという 》 検察官「何かアドバイスをくれるかと思っていましたが、高窪教授は『そうですか、やめたんですか。仕事が難しかったんですか』というくらいしか言ってくれませんでした」 《 17年1月には、電子機器関連の会社に入社。しかし、ここは3カ月の試用期間で解雇されてしまう。能力不足などが理由だったという。「大学で習う知識だけでは、会社で通用しない」と考えた山本被告は、同年夏、再び高窪さんを訪ねる 》 検察官「それとなく高窪教授に、大学院へ行きたいという気持ちを伝えたかったのですが、『大学院には行かせられない』というようなことを言われました。また、このときにちょうど政治家が自殺したニュースをやっていて『こういう人でも死ぬんですか』と話しかけると、高窪教授は『難しいですね』と言った後、『怖い』と続けました。この話題をした私が怖い、という意味だと感じました」 《 また、山本被告は実家周辺でも“異変”を感じていたという。この当時、山本被告は実家で家族と同居していたが、向かいの建物の2階シャッターが何日も閉まったままになっているなど不自然さを感じた、と調書の中で説明している。そして、これらの出来事から山本被告が連想したのは、大学時代の研究室だった 》 検察官「何で自分だけがこんな目に遭わなければならないのかと、苦しくて苦しくてしょうがなかった、どうやったらここから抜け出せるのかと考えると、いつも思い浮かぶのは高窪研究室でした。中でも高窪教授のことは、切っても切り離せませんでした。やっぱり、高窪教授が私に危害を加えようとしているとしか思えませんでした」 ここで女性検察官は、取り調べ担当の検事と山本被告のやり取りを、会話形式で紹介した。 検事「高窪教授を殺害すれば、どうなると思ったのか」 山本被告「自分の周りで起きているおかしなことが終わるかもしれないと思いました」 検事「それはどうして?」 山本被告「殺せば、高窪教授が本当に裏で糸を引いていたか分かると思いました」 検事「それはどういう意味?」 山本被告「高窪教授を殺して、おかしなことがやめば、高窪教授が裏で糸を引いているということが分かると思いました」 検事「人を殺すことは悪いことだと知っていましたか」 山本被告「何もしていない人を殺すのは、当然悪いことだと分かっていました。ただ、相手がこちらの人生を奪ったり、殺そうとしているなら、むしろ殺さなければいけないと思いました。やらなければやられるんです」 検察官「高窪教授が私を殺そうとしているとは思っていませんでした。物理的な方法ではなく、精神的な方法で私の人生を壊そうとしていると思いました。殺すのは仕方ないと思っていました」 「最終的に殺そうと決意したのは、(20年)5月ごろです。具体的に何かあったわけではありません。アルバイトをしていたところから正社員にならないかと声をかけられましたが、このままでは自分の周りに起きている出来事に耐えられず、会社に迷惑をかけてしまうと思いました」 「いつまでもこんな生活をしていちゃいけない、と思いました。そのためには、今のままでいるわけにはいかない。高窪教授を殺すことで、自分自身で解決するしかないって思ったんです」 === 「神風特攻隊の心境」「ついにきた」…犯行直前に高揚する被告 === 検察官「犯行を平成20年5月ぐらいに決意してから、計画を練る時間がほしいと考えるようになったため、掛け持ちしていた2つのアルバイトのうち、パン屋のバイトを6月末でやめたいと申し出ました」 「計画を練り始めた当初から、殺す場所は大学の校内と決めていました。だって、高窪教授の自宅は知らないし、確実に会えるのは大学だと考えていたからです」 《 犯行を決意して約1カ月後の20年6月10日、山本被告は犯行の下見のために大学を訪れる。このときに校内の掲示板で高窪教授が火曜日と水曜日に授業のため出勤してくることや、試験期間の開始日を確認した 》 検察官「試験期間が(半年後の)1月15日に始まると知り、それまでに実行しようと決めました。試験期間が始まると、高窪教授がいつ出勤してくるか分からなくなるからです」「この日は、高窪教授のところには行こうとは考えませんでした。殺すと決めた人に会いに行く気にはならなかったからです」 《 具体的な殺害方法や、場所についてどのように考えていたかに話が移る 》 検察官「殺す方法は刺し殺そうと決めていました。刺すというのは一番やりやすいからです。高窪教授の個人的なことは全然知らないけど、もしかしたら、武道をやっているかもしれない。一発で殺すためには刺すのが一番です。これについては迷いませんでした」 「最初は包丁で刺すことも考えましたが、奪い取られたら逆にこっちが危ない。次に、オノのようなものを考えましたが、オノは重く、体力に自信がないのでやめました」 「その結果、ヤリなんかがいいなと考えるようになりました。ですが、売っているところを知りませんでした。でも、ホームセンターで枝きりばさみをみて、分解したらヤリみたいになると思いつきました」 「高窪教授は、自分が殺そうとしていることを知っているはずだと考えていました。取り上げられたときにもう1本いると考え、用意しました」 「用を足しているときは無防備で殺せるのではないかと考えました。あるいは、トイレの時間は分からないので歩いているときに襲うことも考えました」 《 11月下旬から、山本被告は下見を繰り返し、校内の写真を撮影するなどして殺害のイメージトレーニングを重ねた。高窪教授の行動も監視し、待ち伏せする場所などの計画を練り始める。下見の結果、出勤のときは毎回、東門から入ってきていることに気付いた。また、トイレで待機して高窪教授がいつ利用するのかを確認した 》 検察官「トイレのドアのすき間に顔を近づけ、じっと外の様子をうかがっていました。ですが、12月中には高窪教授はやってきませんでした」 「1月6日の下見のときに、4階のトイレに隠れて10~20分たったころ、高窪教授が入ってきました。格好や背丈から高窪教授だと思いました。本当に来てくれた。待ったかいがあったとうれしくなりました」 「トイレでの犯行はあきらめていたので、一気に期待感が高まりました」 《 高窪教授の姿をトイレで確認したことで、山本被告は殺害の場所をトイレに絞った。日程も、15日には試験期間に入るため、高窪教授が出勤してくるのは13、14日しかなくなっていた。山本被告は、撮影した写真をもとに殺害のイメージトレーニングを重ねたという。そして、山本被告は殺害前日の13日に最後の下見を行う 》 検察官「この日、凶器をもって実行しようと考えていたが、なんとなく本番前の最後の予行演習になると考えていました」 「サンダルの音がして気持ちを集中させました。高窪教授が入ってきましたが、この日は決心がつきませんでした」 「中途半端なことをやっては私がやられてしまう。絶対に殺さなくてはならない。まさに神風特攻隊の気持ちでした」 「14日はついにこの日が来たと思いました。前日の夜は時々目が覚めました」 「何としても今日中に殺さなくてはいけない。命懸けで刃向かってくるだろう。逆に殺されるかも-などと考えていました」 《 山本被告は下見の通り、午前6時半ごろに校内に入り、4階の空き教室で凶器の準備に入る。そして午前10時ごろに高窪教授の姿を確認した 》 検察官「ついにきたと思いました。緊張で顔がこわばっているのが自分でも分かり、神風特攻隊が敵を見つけて飛び立つ心境でした」 === 殺害の瞬間「心臓がバッグンバッグンものすごい音」…教授は振り向き「あーっ」と叫んだ === 男性検察官は、山本被告が東京・後楽園キャンパスのトイレに隠れ、高窪さんを殺害するために待っていた際の心情について説明している。 検察官「廊下からパタパタという足音が聞こえ、いよいよこのときが来たと心臓がドッグンドッグンとしていました。だんだんこっちに近づいてきて、とうとう高窪教授が来たと思い、心臓がさっきよりドッグンドッグンとしているのが分かりました」 「心臓がバッグンバッグンとものすごい音がしていることが分かりました。昨日何回もシミュレーションしたのを思いだしました。音を立てないようにいったん左側の洗面所に移動して高窪教授に気づかれないよう後ろに立って心臓を突き刺すということをシミュレーションしたので、うまくいくと思っていました」 「高窪教授は私にさんざん嫌がらせをしてきたから殺されるのは当然ですが、かわいそうだなと思いました」 「躊躇したらやられると思い、体ごとぶつかっていこうと思いました」 《 山本被告は首にまくネックウォーマーで顔を隠すようにして、コートの中の刃物を握りしめ、トイレの個室から外に出た。3つあるトイレの真ん中に高窪さんがいることを確認した 》 検察官「すごく怖かったです。心臓がバクバクバクバクして本当に怖かったです。神風特攻隊が敵の船めがけて突っ込んでいくような気持ちでした」 「オーバー(コート)から刃物を取り出して先っぽを教授に向けて立ちました。心臓を後ろから突き刺して殺すつもりでした。何度も練習を繰り返しました。刃物の先を高窪教授に向けて刺しましたが、狙いがはずれて右側に刺さっちゃいました。スッていう感じでした」 「高窪教授はびっくりしたみたいで振り向いて『あーっ』と叫びました。痛そうなうめき声というよりも私と気づいて怒っているような感じでした。叫び声を上げるということは想定していなかったので焦りました。死にそうな感じがしなかったのでもう1回か2回突き刺しました」 「高窪教授は必死な顔をして刃物をつかんでいました。私の体を押してきたりもしました。あごを押されたので、口に指が入ってきました。今でも何となくその感触が残っています」 《 抵抗する高窪さんを何度も刺した山本被告。高窪さんは足を床に投げだし、寝そべった格好で、足をばたつかせたりするが、次第に動かなくなった 》 検察官「体の方は床にぺったり付いていましたが、右手が動いていました。これだけ刺してもまだ死なないので焦りました。早く殺して逃げなきゃと焦りました」 《 倒れた高窪さんの背中を5、6回刺した山本被告。刃物の先が床に当たるほど強く刺していたという。高窪さんはまったく動かなくなり、背中のシャツが血で真っ赤になっていた 》 検察官「これで死んだと思いました。何で抵抗してこなかったのか不思議に思いました。高窪教授は私に狙われていることに気づいていたはずなのにまったく反撃してこなかったので、こういう展開になるなんてまったく想定していませんでした」 「不思議な気持ちでした。天の声とか『殺せ』という声が聞こえたというのはまったくありません。私の意志で殺そうと思って殺したのです」 《 高窪さんを殺害する一連の状況について説明した山本被告の供述調書の読み上げが終わった。続いて、女性検察官が、山本被告が犯行後の行動について説明した供述調書の読み上げを始めた 》 検察官「一刻も早くここから逃げだそうと思いました」 「高窪教授を踏まないように横を通り抜けました。ドアが閉まる前にもう一度見ましたが、まったく動かず、間違いなく死んでいると思いました」 《 山本被告が廊下に出ると、男性が向かっていることに気づく。山本被告は中央階段で3階まで移動し、非常階段で1階まで下りた。手のひらに血が付いていることに気づいたが、怪しまれると思いそのままにしたという。6号館の4階の教室に立ち寄って荷物を取る 》 検察官「事件前は、高窪教授にやられるか、すぐに捕まるだろうと思ったので、逃げるルートはまったく考えていませんでした。運良く逃げることができました」 《 キャンパスを後にし、途中の公衆トイレで手を洗ったり、寺の集会場で凶器の刃物を持ってきていた野球のバットケースにしまい、飯田橋駅まで徒歩で向かった。駅の防犯カメラに写っていた山本被告の画像がモニターに映し出される。山本被告は電車で(神奈川県の)平塚駅まで移動。自宅に帰る途中で平塚八幡宮に寄る 》 検察官「無事、帰れるなんて思っていなかったので、ぐるぐる考えていて気持ちが落ち着きませんでした。神社で無心で手を合わせ、絵馬を買いました」 《 絵馬に「終生新旅」と書き込んだ山本被告。その意味はあの世でいい旅ができることを願って書いたという 》 《 山本被告は帰宅してからも、高窪さんの仲間が襲いに来るのではないかと不安を抱えていたが、何も起こらず、犯行翌日は普段通り出勤した。半月後にはトレーナー以外の犯行時に着ていた服を捨て、その2週間後に刃物を捨てた。このときの心情を『捕まりたくなかった。自首する気もなかった』と供述。刑事が来ることを想定し、逮捕されないためのアリバイなどを考えた想定問答集も作っていた 》 検察官「想定問答は考えていましたが、逮捕されるまで呼び出しもなく、いきなり刑事が家に来たので、もう証拠もあるんだろうなと思ったので、すぐに認めました」 === テロまで計画、「爆弾の作り方調べた」…犯行後は「刑事さんがきたときほっとした」 === 検察官「(平成20年)5月に高窪教授を殺すと決めてからは、周囲の人に変なことをいわれたりすることは減りました。10月以降はいわれた記憶はありません」 「高窪教授を殺せば、教授が本当に裏で糸を引いていたか分かると思いました。捕まれば死刑になるかもしれないと思い、怖かったです。でもどうしても、私への嫌がらせをやめてほしかったのです」 「幕末に武士が誰かに嫌がらせを受けたとしたら、武士として(殺害を)やったと思います。武士としてのメンツを守るためというか、人間の誇りを守るためというか…。こんなに嫌がらせを受け、追いつめられたから、何もしないわけにはいきませんでした」 「嫌がらせを受けるために生まれてきたんじゃないんです。私がどれだけ嫌な思いをしているか、知ってほしかったんです」 《 高窪さんを殺害した後も、周囲の“異変”は減ったものの、続いたという 》 検察官「事件前から、月曜日はテレビを見ない(同居している)おじは、事件後も月曜日にテレビを見ないままでした。どうして変なことがなくならないのでしょうか」 「私は事件後、ずっと考えていました。また、事件後はすぐに捕まると思っていました。私の生活は高窪教授に盗聴されていたのですから。なんで私を泳がせているのか分かりませんでした」 「首謀者は高窪教授以外にいて、嫌がらせを続けているのかと思いました。場合によっては、その人も殺さねばならないのか、と考えていました」 《 ここで、法廷内の大型モニターに小型ノートが映し出された。山本被告の書いたメモだという。ノートにはきちょうめんな文字で、「目的は何か? 個人か? 複数か?」と書き込まれている。高窪さん殺害後も続く異変に、山本被告がとまどっていた様子が浮かび上がる。さらに、別のページには「今は実行するときではない」という記述もあった。女性検察官が、メモの内容について山本被告が説明した調書を読み上げる 》 検察官「実行とは騒ぎを起こすことです」 「しかし、司法書士を目指そうとしていたときだったのでやめました」 《 モニターに別のメモが映し出された。これは、先ほどのメモよりもさらに小さいもののようだ。中には、「Aするしかないのではないか」という記述が見られる 》 検察官「Aというのは、恥ずかしいですがテロのことです」 《 テロも、首謀者を探すための手段として山本被告が考えたもののようだ。さらに、驚くべき調書の内容が明らかにされた 》 検察官「爆弾はインターネットで作り方を調べました」 「なぜ私を泳がせているのかと思いました。だから、刑事さんが(自宅に)来たときは本当にほっとしました。今も、なぜ刑事さんが来るのがこんなに遅かったのかと、ひっかかっています」 「私は真実を知りたいのです。首謀者は本当に高窪教授だったのか。一体誰が何のために(嫌がらせを)したのか分からないと、高窪教授を殺したことが正しかったのか、間違っていたのか分かりません」 《 調書の末尾は、「刑事さん、検事さんにはぜひ明らかにしてほしい」という言葉で結ばれていた 》 《 ここで、検察側が提出した証拠調べが終了し、弁護側が提出した証拠の説明が始まった。男性弁護人がまず取り上げたのは、山本被告の供述調書だ。事件の約2週間前にあたる21年の正月に母親にあてて書いた手紙の内容について説明したものだという 》 弁護人「お母さんへ。今、どのような気持ちでお読みでしょうか。どうしても耐えられませんでした。ごめんなさい。でもこうするしかないと思ったのです。どうしても嫌がらせが、教育のため、指導のためとは思えなかったのです。なぜ嫌がらせをするのか分からなかったのです」 「一日も早く、企業で正社員として働きたいと思っていました。嫌がらせをやめてもらえない限り、落ち着いて仕事をすることもできなかったのです。相手(自分)がどれだけ迷惑しているか、傷ついているか分かってもらうためには、行動するしかない」 「ウサギも追いつめられれば、ライオンにかみつくこともあるといいます。弱者も強者に立ち向かっていかねば、この世の中を生きていかれないのかもしれませんね」 「死刑になるのは怖いです。でも行動しなければ、何も変わらないと思いました。お母さんには迷惑かけてばかりで何もできなくてごめんなさい。今までありがとうございました」 《 続いて、高窪さんの研究室に所属していた男性の調書が読み上げられた。男性は山本被告と同じく、11年4月に中央大に入学。1年次は同じクラスだったという 》 弁護人「山本君はまじめな印象で、教室でも一人でいることが多かったです。同級生にも敬語で話しかけ、いいところのお坊ちゃんという感じでした。一度、帰り際に『今日は話せて楽しかったです、ありがとうございました』と言われたのは印象的でした。希望に満ちた、ごくごく普通の大学1年生でした」 《 しかし、留年し、男性の1年後に高窪さんの研究室に入ってきた山本被告は、印象が大きく変わっていたという 》 弁護人「以前と違い、表情が硬く、無口で重苦しい雰囲気でした。高窪研究室で何かを学び取らねばならない、という強い決意を感じました。優秀な学部生というわけではなかったですが、食事も取らずに黙々と研究に打ち込んでいました」 「高窪教授は山本君のことを気に掛け、『彼はまじめでよい子なんです』と言っていました。高窪教授は『実は、山本君の親御さんともコンタクトを取っているんです』とも言っていました」 「平成15年10月、研究室で高窪教授と話していたとき、教授が『山本君は大丈夫なんですか? 彼は大変ですよね』といいました。そのときちょうど山本君が研究室に入ろうとして、その言葉を聞いて去っていったらしいです」 「高窪教授はその姿を見てしまって、後で『あのときはしまったと思ったんですよ』と話していました」 「確かに私たちも変わり者の山本君を敬遠していたかもしれないし、高窪教授も『完璧主義者すぎる』と言っていましたが、悪口をいったり、バカにしたことはなく、基本的にはみんな応援していました」 === 「教授が家庭の事情を知りすぎている」「盗聴されている」…友人にぶちまけた疑念 === 供述調書は山本被告の自傷行為の話に移る。 弁護人「平成15年夏、山本君が半袖を着ていたときに腕の横に何本も古い傷があったのを見ました。怖くて聞けなかったのですが、追いつめられて自傷行為に走っているんだと思いました」 「高窪教授も山本君の顔の傷を見て気づいていたようで、私に『本人はひげをそるのに失敗したと言っていたけれど、気になります』と言っていました」 《 山本被告の自傷行為は研究室内では周知の事実だったようだ 》 弁護人「山本君は思い込みが激しく、被害妄想を持っているようでした」 「平成15年の最初のゼミのとき、山本君の発表の中の専門用語が間違っていたので、高窪教授が『その言葉の使い方は気持ち悪いですね』と言いました」 「山本君は自分の話し方が気持ち悪いと思いこんだようで、体を大きくのけぞらせて動揺しているようでした」 「平成16年1月ごろ、山本君が私に『申し上げにくいのですが…』と話しかけてきました。そして『どうして僕は盗聴されたりするんでしょうか』と強い口調で聞いてきたのです」 「びっくりして何のことかと聞き返したら、『教授が僕の家庭の事情を知りすぎているんです。盗聴されているんだとある人に言われたんです』と言いました」 《 山本被告は自宅が盗聴されていると疑っていたようだが、高窪さんが山本被告の家庭事情を知っていたことには理由があったようだ 》 弁護人「私は以前、高窪教授から『よく山本君の親御さんとコンタクトをとっているんです』と聞いていました」 「山本くんに『誰も盗聴なんてしていないよ』といったら彼は『Aさん(法廷では実名)ではないんですね、疑ってすいません』と言いました。教授だけでなく研究室全員を疑っているようでした」 《 友人はその話をすぐに高窪さんに伝えたという 》 弁護人「高窪教授は『悲しい話ですね。研究室に火でもつけられたらいけないから、彼のことを気にかけてやってくださいね』と言いました」 「私は不器用な彼が将来を模索して苦しんでいる姿を見てきました。許されることではありませんが、今回のことは追いつめられた結果ではないかと、不思議と怒りは感じません」 《 次に平成15年に行われた研究室の忘年会での話に移った 》 弁護人「山本君は10メートルくらいある長テーブルの左端に座っていて、一度も席を動きませんでした」 「高窪教授は真ん中に座っていて、山本君とは4~5メートル離れていたので、2人は話していないと思います」 《 山本被告は事件後、捜査員に対し、「忘年会で先生と話せず疎外されていると感じた」と殺害に至った動機を語っている。この忘年会では集団食中毒が発生したが、山本被告は食中毒についても「自分だけ陥れられた」と研究室全体に不信感を持つようになったという 》 《 ここでもう1人の男性弁護人が中央大の非常勤講師だった男性の供述調書の朗読を始めた 》 弁護人「山本君はおとなしく、繊細で常識的な考え方のできる人物だと思っていたので、殺人事件の犯人だなんて最初は信じられませんでした」 「山本君は一番前の席で熱心に授業を受けていました。私はそんな彼が気になって本を貸したりしました」 《 男性はその後、中央大の非常勤講師を退職するが、平成17年秋、突然山本被告から自宅に手紙が届いたという 》 弁護人「手紙には『就職したけれど、人間関係でつまずいた。再度大学に入学して人間関係学を学びたい』と書かれていました」 「私はメールを送り返し、実際に4月に新宿で食事をしました。彼は『資格をとるためにパソコンの学校に通っている』と言っていて、熱意を感じ、彼の未来が開けるように前向きな話をしました」 「今回の事件の責任はとてつもなく重い。でもその罪の重さに気づき、人のためになる新たな道を探してほしい。むしろその背中を強く押してあげたいと思います」 《 次に山本被告が勤めていた電子機器開発製造会社の男性従業員の供述調書の朗読が始まった 》 弁護人「平成19年5月の初出社日に、山本の両頬に7~8本のひっかいた跡がありびっくりしました」 「疑問に思いましたが研究員の中には変わったやつも多いので理由は聞きませんでした」 《 山本被告の自傷行為の跡を見た男性は初日から不信感を抱いたようだ 》 弁護人「入社後まもなく、山本は就業時間が始まるまでどこかに消えるということを繰り返していました。6月に初めて他部署の人間から『トイレの個室にこもっている』と聞き、注意しました」 「そのころには山本は仕事ができないと思い、総務部長に『山本は研究員に向かない』と言いました」 「山本は仕事ができず、『ものは下から上に落ちる』と計算してきたり、使い物にならないと確信しました」 「決定的だったのは従業員全員で行ったグアム旅行での出来事です」 調書によると、グアムでの社員旅行で、山本被告がバスの車内で突然大声を上げ始めたという。 弁護人「『どうして私だけ…』と叫び、一呼吸置いて『何で…するんだ』と続けました。さらに一呼吸置いて、『わ…じゃないか』と言っていました。大声でしたが、突然のことだったので、聞こえないところもありました。3回くらい、体を震わせながら叫んでいました」 「思い当たることといえば、旅行2日目の昼食後、山本が謝ってきた際、『いい、いい』とろくに返事しなかったことくらいです。この一件で早く解雇しなければ、との思いを強くしました。心の病を抱えていると思ったからです」 「研究員としてだけでなく、他の部署でも役に立たないだろうと考えました。上司(法廷では実名)に進言したところ、上司もグアム旅行の顛末を知っていたため、今度は解雇が決まりました」 《 試用期間での解雇が決まった後も、勤務中の奇妙な行動は目立ったようだ 》 弁護人「就業時間中、突然いなくなったことがありました。解雇の方針はすでに決まっており、仕事には影響がありませんでしたが、会社に損害を与えるような行動に出られたら困ると思い、研究員全員で社内を捜しました」 「山本は屋上に通じる階段で、携帯電話で電話をしていました。内容は聞き取れませんでしたが、母親と話し込んでいるようでした」 「私と上司が山本を会議室に呼び出し、『仕事はできないし、グアムでも問題行動があった』と解雇理由を伝えたところ、『仕事を頑張りたい。ここで解雇されれば、もう再就職ができない』といい、『仕事ができないのは、周りの音が気になって集中できないから。理解してください』と話しました」 「私が『あなたは仕事以外で問題を抱えている。解決してからでないと仕事はできない』と話すと、『一日中、真剣に考え、仕事もしている』と反論してきました」 「実態とかけ離れた自己弁護にばからしくなり私が失笑すると、『上司がそんなだからダメなんだ』と、私の顔の一点を見据え、声を震わせた。やはり心の病なんだ、と思いました。これが山本の本性なのか、と」 === ホームセンターのバイトでかごの置き方にこだわり続けた被告…解雇通告に「音が気になり集中できない」 === 続いて、殺人容疑で逮捕されるまで勤務を続けていたホームセンターの同僚の供述調書が朗読される。山本被告は約2年間、週4日のペースで商品を売り場に陳列する「早朝品出し」の仕事を行っていた。まじめな勤務態度で問題を起こすようなこともなかったが、一点だけ強いこだわりをみせたという。 弁護人「買い物かごを置く位置には、妙なこだわりがありました。決まった場所に決まった向きで置くのですが、場合によっては邪魔になることもありました。はじめのうちは何度か注意しましたが、山本君は注意を聞かず、しばらくするとかごを元に戻していました。気が済まないんだな、とあきらめ、それからは何も言いませんでした」 「かごの位置をめぐり、お客さんとトラブルになったこともあったそうです。山本君に話を聞いたところ、『客にかごをどかせ、と怒られてしまった。でも、僕は悪くない』と話していました。実際のところは分かりませんが、そうしたこだわりが影響したのかもしれません」 次に、事件の半年ほど前まで勤務していた製パン工場の工場長の供述調書が読み上げられる。平成19年9月から20年6月まで、午前のホームセンター勤務終了後、午後にパン工場で働いていた山本被告は、まじめな勤務態度で高く評価された。工場長から正社員登用の打診を受けたが、「やりたいことが見つかっていない」と応じなかったという。 弁護人「山本君を呼び出し、『いつか君も家庭を持つ。いつまでもアルバイトを続けているわけにはいかないだろう』と話したところ、『少し考えさせてください』と言われました。返事は1カ月から1カ月半たった20年4月か5月ごろで、『自分のやりたいことが見つかっていない。もう少しこのままでもいいですか』と断られました」 「その直後、20年5月下旬ごろ、『パソコン関係の仕事に就くことになったので、退職したい』と申し出がありました。辞めるまでの約1カ月間、ほかの従業員に『お世話になりました』と律義にあいさつして回っていました。変なことを口走るようなこともまったくなかったし、とても事件を起こしたことが信じられません」 《 続いて、山本被告の幼いころからの知人である、中央大とは別の大学の准教授の供述調書朗読に移る。准教授は山本被告が高校生のとき、山本被告の自宅を訪問した際の記憶を調書で述べている 》 弁護人「久しぶりに訪れた山本君の家の壁に、以前にはないこぶし大の穴が3、4カ所空いていました。山本君のお母さんに尋ねると、『竜太がやった。(子供のころから習っていた)バイオリンも壊してしまった。包丁を持ち出したこともある』と話していました」 《 准教授は15年ごろ、山本被告の母親から「息子が大学のゼミ担当教授からパワハラ被害に遭っている」と相談を受けたという 》 弁護人「その教授はゼミのパソコンがウイルス感染したときに『お前がウイルスを作った』などとほかのゼミ生に言うなど、人格攻撃をしたという話で、『竜太は理工学部に進んだことを悩んでいる』と話していました。私は大学の事務方に相談したほうがいいと、アドバイスしましたが、その後の話は聞いていません」 「平成16年の2月か3月ごろ、山本君本人から自宅に『卒業が決まった。お会いしたい』と連絡があり、2人で会いました。食品会社(法廷では実名)の埼玉の工場に入ると、うれしそうに話していました。本人の口からパワハラの話は出なかったので、『一からスタートしなさい』とだけ励ましました。訪問のことは中央大の関係者を含め、誰にも話をしていません」 《 ここで女性弁護人に交代し、幼いころから続けてきたピアノの女性講師の供述調書が読み上げられる。講師は山本被告に対する母親の干渉に懸念を抱いていたという 》 弁護人「大学を卒業し、就職したがすぐに辞めた、という話は竜太君の母親から聞いていました。具体的な時期は覚えていませんが、竜太君から今後の進路について相談したい、と電話かメールで連絡があり、家に来ました」 「具体的な内容は覚えていませんが、私は『母親の言いなりにならず、自分のやりたいことをやりなさい』『母親から離れて一人で生活したらどうか』とアドバイスしました。母親は厳しい人で、いつも竜ちゃん、竜ちゃんと溺愛している様子だった。小中高で竜太君は友だちのいない様子だったが、母親が家に友だちを呼ばないようにして、シャットアウトしている様子でした」 === 母親は「同級生と遊ばせないようにした」…友だちもなく家庭は「張りつめた空気」 === 弁護人「竜太君はいつまでたってもお母さんから離れない印象でした」 「竜太君はまじめで素直な印象。とても殺人をするようには思えず、今でも信じられません」 《 山本被告の逮捕後にも母親と電話で話したという女性。事件の前兆はなかったのかと問いただしたが、母親は「分からなかった」と答えたという 》 弁護人「私は竜太君のお母さんの過剰な期待の影響だと思いました」 「私としては竜太君を救ってあげられなかったことに悔しさで一杯です」 《 続いて、山本被告の母親の供述調書の読み上げが始まった 》 弁護人「事件は口では言い表せないほどのショックでした。高窪先生には竜太のしでかしたことで取り返しのつかないことをしてしまいました」 「結婚2年目で(山本被告が)生まれ、地にしっかりと足をつけ、竜のように天高くのぼっていくようにという意味で竜太と名付けました」 「世界で一番幸せになってもらおうと、辛いことや嫌なことは絶対に遭わせないようにしようと考えました」 《 子供時代はやんちゃだったこと、小学校3年で転校し、いじめにあったことなどが読み上げられていく 》 弁護人「いじめはしばらく続いていました。当時私は働いていたので、私の知らない間にお行儀の悪い子につき合わせたくないと考えました。小学校の同級生と遊ばせないようにしました」 《 学校の同級生と遊ばせない一方、山本被告が通っていたバイオリン教室やピアノ教室の子供たちとは遊んでいたという。母親はそのおかげで、おっとりしておとなしいいい子に育ったと振り返る。その後、地元の公立中学校には不良がいたため、私立中学校を受験したが不合格。結局、地元の中学校に通った。中学校でもあまり友人はいなかったようだ。都立高校に進んだ後、指定校推薦で中央大への入学が決まる 》 弁護人「私は文系のほうがいいのではといったが、竜太は『僕は理系だ』といって自分で決めました。うれしそうにしていたのを覚えています」 「入学してしばらくして、『授業が難しくてついて行けない』『辞めたい』とこぼすようになりました。ほかの大学に入り直したら、と勧めても『高校に迷惑がかかるからやめられない』と言い張っていました」 《 山本被告は1年生のとき、親に内証でほかの大学を受験。母親もこれに気づき、本人には明かさないまま、こっそり合格発表を見に行った。だが、結果は不合格だった。そのまま中央大に在籍した山本被告。2年生のときには朝6時に学校に向かい、午後111時に帰ってくる生活だったという。家では毎日張りつめたような空気が広がり、親子の会話は徐々になくなった。さらに山本被告の奇行が目立つようになっていく 》 弁護人「大学5年生の、ちょうど高窪先生の研究室に入ったころからおかしいと感じるようになりました。突然『絶対に卒業しなくちゃいけない』と話すようになったり、壁をげんこつでたたいたりするようになったんです」 「ガスのメーターを調べる業者の人が来たときも、竜太は『今の誰? 盗聴器を仕掛けたんじゃないの』と話すようになっていました。勉強のせいでおかしくなったのではないかと考えていました」 《 母親は山本被告を病院に連れて行くことも考えたが、連れて行けば自殺するのではないかと考え、できなかったという。リラックスさせるために、母親と2人で長野に旅行したが、ここでも山本被告は思い悩んだ様子だったという。しかし、平成16年の初めごろのある日、山本被告は突然、卒業と就職のメドが立ったことを母親に告げてきたという。実際に卒業し、食品メーカーに就職を果たした山本被告だったが、結局その仕事もすぐに辞めたいとこぼすようになった 》 弁護人「それからは、仕事を自分で見つけてきても辞めてしまうことの繰り返しでした」 「竜太のおかしな行動がエスカレートしたことも事実でした。ほおやひじから手首あたりまで切ったような長い傷があったときもありました。精神的なプレッシャーがあったんだと思います」 「平成17年夏ごろには突然、『盗聴器って知っている?』と聞いてきたり、18年夏ごろには『向かいの住民が僕を避けている』と言いだしました。『そんなことない』といっても、竜太は聞きませんでした」 《 19年夏には、山本被告は会社のグアム旅行で「どうせやめさせるなら、最初から雇わないでほしい」といって暴れたという。母親が会社におわびの電話を入れたが、その電話で解雇を告げられたという 》 弁護人「19年夏に、竜太は独り立ちしたいと言って、神奈川県平塚市の親戚の家で生活すると言ってきました。私は嫌だったのですが、すでにアルバイト先も見つけており、しようがなく認めました」 「離れて暮らすと、竜太からも電話がかかるようになって特におかしなことを言わなくなりました。だいぶよくなっているのだなと感じました」 《 事件が起きた昨年1月の前後も、母親は変わった点には気が付かなかったという。ただ、ひとつ気になることを山本被告は母親に言い残していたという 》 弁護士「事件後に、竜太からは『大学から連絡があったら教えて』といわれていました」 《 母親は5月に警察から、山本被告が高窪さん殺害の疑いをかけられていることを知らされ、頭が真っ白になり、倒れそうになったという 》 〈 被告人質問 〉 ◆逮捕後、38キロまで激やせ 「からかい、ロッカーに閉じこめ」小中時代からいじめで孤立深め 弁護人「私と君が初めてあったのは昨年の6月9日でした。覚えていますか」 被告「うろ覚えですが覚えています」 弁護人「私は君に『私は中央大学法学部を卒業し、弁護士になった』と自己紹介をしました。私が中央大出身と聞いてどんな印象を持ちましたか」 被告「最初は驚きました。同じ大学なので一方的に解釈されたり、誤解されたりしないか心配でした」 弁護人「私が、君の恐れている“圧力団体”に関与していると思いませんでしたか。今はどう思っていますか」 被告「関与していると思いました。今は思っていません」 弁護人「私が圧力団体に関与していないと判断できたのはいつごろでしょうか。なにがきっかけだったのかな?」 被告「2回目に(当時、勾留されていた)東京拘置所にきてから、警視庁から移ってからです。頼んだ書籍を購入して差し入れていただいたことがきっかけだったと思います」 弁護人「あのころ君は体調が悪かったね。体重はどれくらいだったかな?」 被告「38キロくらいでした。食欲がなくて食事を取らなかったことが原因だったと思います」 弁護人「先ほどお母さんの調書の中で君が小学校のときにいじめにあっていたというくだりがあったけれど事実ですか」 被告「事実です」 弁護人「どんなことがあったのか話してみて」 被告「小学校6年のときに、同じ教室の男の子からときどき砂をかけられたりしていました」 弁護人「小学校では『お坊ちゃん』といわれ、からかわれていたことは記憶にありますか」 被告「記憶にあります。特定の、2~3人の限られた少数の人から、何回もいわれたことです」 弁護人「小学校でいじめは終わりましたか」 被告「中学校でもありました」 弁護人「背中をけられてくつの跡がついたと私に言っていましたが、おぼえていますか。それは1回だけでしたか」 被告「覚えています。2、3回はあったと思います」 《 山本被告はほかにも教室のロッカーに閉じこめられるなどのいじめがあったと語った 》 弁護人「中学時代は楽しい時代でしたか」 被告「うーん…その逆でした」 弁護人「思いだしたくない?」 被告「はい」 弁護人「君は習い事や塾に行っていたようだけれど、それはやりたいことでしたか」 被告「決してやりたいことではありませんでしたが、母の勧めがあったので習い事は習っていました」 弁護人「いじめをしないような子で友達はできましたか」 被告「小学校ではできました。中学校ではできませんでした。習い事では…できたと思います」 弁護人「中学校のころに泥棒に入られましたね」 被告「1回だけありました。犯人は見つかりませんでした」 弁護人「犯人はどんな人だと家族と話しましたか」 被告「もしかしたら同じ中学の誰かじゃないかと話しました」 弁護人「君の方から家族にそういったの?」 被告「たぶんそうだったと思います」 《 弁護人が大学進学時のことについて質問を始めた 》 弁護人「理系と文系どちらに行きたかったのですか」 被告「希望はありませんでしたが、数学が好きだったので理系向きかなという気持ちはありました」 弁護人「中央大学は偏差値が高かったんじゃないの? 推薦枠でそこに進学することは胸を張れることだよね」 被告「…だと思います」 弁護人「大学に進むにあたってどんなことを期待していましたか」 被告「学歴のある大学に行ってちゃんとした企業に就職したいという気持ちがありました」 弁護人「大学で最初は多摩校舎だったけれど充実していましたか」 被告「充実はしていませんでした」 弁護人「どの点が欠けていたと思いますか」 被告「多摩校舎だったので…後期には後楽園キャンパスに移るので、多摩校舎にはなじめなかったことが欠けていました」 弁護人「大学のカリキュラム以外に何かやってみたいことはなかったのですか」 被告「管弦楽部に入りたいと思っていました。説明会には参加しましたが、実際は入りませんでした」 「その理由の一つは多摩校舎にしか管弦楽部がなかったことと、もう一つは勉強についていけるか、不安だったので入部を見送りにしていました」 弁護人「大学では話をする友人はいましたか」 被告「2、3人はいたと思います」 弁護人「どんな話をしていましたか。悩みとか進路とか深い話をする人はできましたか」 被告「サークルはどこに入ったとか…深い話をする人はできませんでした」 弁護人「それは君から避けていたのですか」 被告「…自分の方から話しかけはしませんでした。周りからもそういった話はされませんでした」 弁護人「大学1年時には6単位くらいしか取れませんでしたね。なぜですか」 被告「一番大きな理由は、人間関係学について学びたいという気持ちが大きくて、勉学に励まなかったことだと思います」 《 大学の授業には身が入らず、試験結果も「思うようにはいかなかった」と話した山本被告。自分だけ取り残されているという孤立感を深めていったようだ 》 === 「尊敬していた」教授が発した「ナーバスですね」 以後幻聴が聞こえ始め… === 弁護人「学部の転部もできず、他大受験もうまくいかない。いずれも道がない、となったときの心境はどうでしたか」 被告「理工学部の電気電子工学科の勉強に専念しようと思いました」 弁護人「専攻に興味も持てず、中途退学は考えませんでしたか」 被告「高校に迷惑がかかると思い、取りやめました。指定校推薦がなくなると考えました」 《 2年生に進級し、勉学に極端なほど熱中していく状況について質問が続く 》 弁護人「1年次のとりこぼしと、新たに取得しなければいけない単位で負担が増えました。夜にベッドで寝るのをやめ机につっぷして寝るようになったのはそのころからですか」 被告「はい」 弁護人「睡眠時間は1日に何時間くらいでしたか」 被告「6時間くらいだったと思います」 弁護人「熟睡はできましたか」 被告「不思議と熟睡できていました」 弁護人「教室では、最前列の中央で授業を受けていたということでしたね」 被告「ほとんどそうだったと思います」 弁護人「最前列の中央を定席と考えた理由は?」 被告「一つは前の席に座ることで気持ちを奮い立たせよう、と。もう一つは目が悪いので、前でないと黒板が見えませんでした」 弁護人「ほかの学生が自分をどんな目で見ているか、気になりませんでしたか」 被告「気になりませんでした」 弁護人「他人の視線はどうでもいい、ということですか。それとも自分が変だということはあり得ない、ということですか」 被告「両方です」 弁護人「ちょっと目立っている、という気持ちはありましたか」 被告「ありました」 《 山本被告はこのころ、勉強への集中力を高めるためにリストカットを始めたという 》 弁護人「自分を痛めつける必要があったのか。なぜリストカットを始めたんですか」 被告「どうしても学びたかった人間関係学のことを考えず、今の電気電子工学科の勉強に専念しなければいけないと自分に言い聞かせるため、腕や顔に傷を付けました」 弁護人「傷つけるのに使ったのはカッターだけですか」 被告「初めは図工の授業で使う彫刻刀を使っていました」 弁護人「腕は縦に傷つけるんですか。それとも腕を横切るように、横に傷つけるんですか」 被告「縦が多かったと思います」 弁護人「顔についてはなぜ傷つけたんですか」 被告「理由は特にありません」 弁護人「母親は顔の傷に気付いていましたか」 被告「気付いているようでした」 弁護人「理由を尋ねられませんでしたか」 被告「母からは特に何も言われませんでした。何か言いたそうにはしていました」 弁護人「2年生の時、高窪先生の講義を受講したきっかけは?」 被告「必修だったからです」 弁護人「先生の授業はどうでしたか」 被告「丁寧で分かりやすく説明される方だと思いました」 弁護人「優秀、という印象ですか」 被告「(沈黙)…はい」 弁護人「言いよどんだのは、何か別の表現がよいからですか」 被告「学生がノートを全部書き終わるまで待つ、学生に配慮する先生という印象です」 弁護人「尊敬していましたか」 被告「尊敬していました」 《 山本被告は4年生のとき、再び高窪さんの講義を受けることに。圧力、熱、音などの「センサー」に関する授業の内容に関心を持った 》 弁護人「講義を受け、高窪教授に対する評価は2年生のときと変わりましたか」 被告「気持ちに変化はありませんでした」 弁護人「尊敬する気持ちは変わらなかった?」 被告「特に変わりませんでした」 弁護人「大学4年の秋、10の研究室から高窪先生のゼミを選んだ理由は」 被告「一つはセンサーの研究がしたいと思ったことです。もう一つは研究室説明会の時、院生が研究内容について丁寧に教えてくれました。まじめな院生、学生がいるところで勉強がしたいと思い、高窪先生の研究室に決めました」 弁護人「自己分析をして、当時の君はよく話す方でしたか。それとも無口でしたか」 被告「勉学については院生や教授に…」 弁護人「いや、そこではなくて。研究室に入る前の段階で」 被告「無口だったと思います」 弁護人「大学の同級生の供述調書では当時、1年生のころとずいぶん違い、堅く暗い印象を受けた、とありました」 被告「勉学については院生や教授に質問に行くことはありましたが、勉学以外ではクラスメートや研究室の人と話をすることはありませんでした」 《 一つ先の問答を誤って答えた様子の山本被告。質問に淡々と答えているが、事前練習を繰り返した様子がうかがえる 》 弁護人「高窪教授が『ナーバスですね』と言うのを、そばで聞いていたんですか」 被告「はい」 弁護人「なぜ、それが自分のことを指すと思ったんですか」 被告「突然『ナーバスですね』とおっしゃって、前置きもなかったので。自分のことを言っているんじゃないか、と思いました」 弁護人「その前に、高窪教授は君のことを見たんですか」 被告「おそらく見たと思います。高窪先生が自分の後ろの方にいて、目では確認できませんでした」 弁護人「それから1週間ほどたったころから、校内や電車内などで『ありえない』『いじめじゃない』などという声が聞こえてきたんですね。君の方を向き、君に向かって声をかけてきたんですか」 被告「こっちを向く人もいれば、携帯電話を見ながら言葉を発する人もいました」 弁護人「例えば電車の中であれば、どこから声が聞こえましたか」 被告「例えば脇のほうから。電車を降りる際に『ありえない』と。車内に伝わるような大きな声ではありません」 弁護人「毎日、朝も晩もですか」 被告「1週間に3~4日ぐらいです」 弁護人「それは、君が高窪教授からいじめを受けている、と考えているときに言われたんですか」 被告「はい」 弁護人「声をかける人の姿を見ましたか」 被告「見ました」 弁護人「明らかに君を向いていましたか」 被告「そう受け止めました」 《 ここで、今崎幸彦裁判長が割って入り、「ありえない」「いじめじゃない」のイントネーションについて質問する。山本被告は、ともに疑問型ではなく断定の意味だと答える 》 弁護人「突然、声をかけられることを疑問に感じなかったですか」 被告「感じました。例えば高窪教授が私をいじめていることについて、大学側から責められているのかな、とも思いました」 === 自宅で盗聴器探した被告…教授殺害すれば「自分を監視する団体の首謀者が分かると思った」 === 質問は、山本被告が高窪さんに盗聴されていると感じた経緯についてだ。山本被告は、高窪さんが山本被告を監視する団体に所属しているとの思いを募らせていた。 山本被告によると、授業中に別の教授から「なぜしゃべらないのか、異常だぞ」と言われたことがあったという。 弁護人「その発言は君に向かっていったのですか」 被告「私の方は向いていませんでした」 弁護人「でも君に向かっていったと受け止めたのですか」 被告「はい」 弁護人「なぜ」 被告「その当時、自宅で話をしていなかったので、そのことを指摘して教授が怒ったんだと思いました」 弁護人「そのことを教授はどうやって知ったと思いますか」 被告「盗聴器を使って調べたんじゃないかと思いました」 《 疑いを募らせた山本被告は、自宅の壁のコンセントをはずしたり、テレビやパソコンを調べたりしたという。しかし、盗聴器は発見できなかった 》 弁護人「発見できなくても、盗聴されているのは間違いないと思いましたか」 被告「間違いないと思いました」 弁護人「今でも間違いないと思いますか」 被告「今でも盗聴されていたと思います」 《 山本被告が監視されていたと主張する団体に質問が及ぶ 》 弁護人「監視したり、盗聴している人は高窪先生1人ですか、複数ですか」 被告「複数と思いました」 弁護人「その中で、高窪先生はどんな立場の人だと思っていましたか」 被告「自分のことを盗聴している人の1人だと思いました」 《 研究室にもこの団体の人物がいるという不信感を募らせていった山本被告。一つの転機になった平成15年12月の研究室の忘年会に話題が移った。山本被告はこの忘年会に参加後、食中毒になり、翌日の集合写真に参加できなかった。研究室から陥れられたと思いこむようになる 》 弁護人「忘年会で他の人が食中毒を君に訴えましたか」 被告「そういうことはなかったです」 弁護人「食中毒になったことについて研究室の人からは声をかけられましたか」 被告「声はかけられませんでした」 弁護人「撮れなかった集合写真について話した人はいましたか」 被告「いません」 弁護人「誰かに尋ねましたか」 被告「誰にも尋ねませんでした」 《 続いて、食中毒になった後、山本被告が高窪さんを訪ねたときの質問に及んだ 》 弁護人「訪ねたのは食中毒になったことの報告が主たる目的ですか」 被告「いいえ、違います」 弁護人「どんな目的ですか」 被告「食中毒にかかったか、聞きたくて行きました」 弁護人「それだけですか」 被告「盗聴器を仕掛けているか、聞きにいきました」 弁護人「君の周りに仕掛けたということ?」 被告「はい」 《 ここで、「いま聞いている、訪問とはいつのことか」と今崎幸彦裁判長が確認した。男性弁護人は16年9月だと即答する。このとき、山本被告はすでに大学を卒業しており就職した食品メーカーも退職していた。弁護人は退職の原因について聞いた 》 弁護人「退職に高窪先生が関与していたと思いますか」 被告「いいえ」 弁護人「退職の理由は何ですか」 被告「(しばらく考え込んで)会社の寮の隣の部屋から『何で間違っている』という声が聞こえたり、夜中に音楽をかけたりしていたからです」 弁護人「隣の人も君を監視する団体に関係あると思いますか」 被告「はい」 《 山本被告は、この後転職した会社や自宅の前でも不審な人物を目撃し、自分を監視しているように感じていたという。その組織は、高窪さんの指示を受けて山本被告の調査をしているのではないかと思ったという。その中で、山本被告は高窪さんが組織の上位にいると感じるようになった 》 《 殺害の動機に質問が及ぶ 》 弁護人「組織の監視から逃れるため3つの方法を考えましたね」 被告「はい」 弁護人「自殺は考えましたか」 被告「考えました」 弁護人「なぜやめたんですか」 被告「自殺しても何も変わらないと考えたからです」 弁護人「いじめ殺されることも待ちましたか」 被告「ありました」 弁護人「それはいやだった?」 被告「はい」 弁護人「3つめが高窪先生を殺害することですね」 被告「はい」 弁護人「殺害の効果についてはどう考えていましたか」 被告「団体の首謀者が分かると思いました」 弁護人「殺意が揺らぐことはなかったですか」 被告「ありませんでした」 《 証拠採用された、山本被告が中央大学の廊下を走る様子を撮影した動画について弁護人が質問した 》 弁護人「あれはどういう動画だったのですか」 被告「高窪先生が中央階段から研究室に入っていく様子を調べるために撮りました」 弁護人「廊下で殺害したことも想定していたのですか」 被告「最初から選択肢に入っていました」 《 山本被告は廊下で背後から高窪さんを襲うことも考えていたという 》 弁護人「高窪先生が防刃チョッキを着ていたと考えていたんですよね。それなら廊下で背中から襲っても刺さらない可能性がありますが…」 被告「刺さるかどうかは別にして、一度やってみて刺さらなかったら、別のところを攻撃しようと考えてました」 《 ここで、今崎裁判長が再度、動画の意図について確認する。山本被告は前を向いて「時間や歩き方を調べるために撮りました」と回答した 》 裁判長「今日はこれで終わります」 今崎裁判長は29日に、引き続き被告人質問と、鑑定医の証言を聞く予定であることを告げ、この日の公判は終了した。 == 第3回公判(11月29日) == 〈 被告人質問 〉 === 「あの世で教授と新たな出会いができたら」…絵馬に記した「終生新旅」の意味語る被告 === 裁判長「それでは、開廷いたします。前回に引き続き、被告人質問を行います。被告、前に出てきてください」 裁判長「弁護人お願いします」 弁護人「では質問を始めます」 弁護人「今回は少しネジを巻き戻して話を聞きたいと思います。(事件直前の)昨年の正月、あなたは手紙を書きましたね。誰に向かって書きましたか」 被告「主に母親です」 弁護人「(当時、まだ起きていなかった)今回の事件が、あたかも過去形のように書かれていますが、これは意識して書いたのですか」 被告「はい、意識しました」 弁護人「どんな気持ちで書きましたか」 被告「(事件後に)逮捕されたり、誰かに殺害されたりする前に、母に気持ちを理解してほしいと思っていました」 弁護人「逮捕されることと、殺されること、どちらの可能性が高いと思っていましたか」 被告「後者の方です」 《 ここから、弁護人の質問は、事件前に山本被告が存在すると信じていたとされる「高窪教授が首謀者の圧力団体」に関するものに移っていく 》 弁護人「高窪教授を要とする圧力団体が存在する確率はパーセントでいうと、どれぐらいでしたか。100%でしたか」 被告「事件当時は100%でした」 弁護人「あなたは、事件の動機について、高窪教授を殺せば教授が団体の首謀者かどうか分かる、と話していましたが、これは、高窪教授が首謀者であるという確信を持っていなかった、ということではないんですか」 被告「確信を持っていたからこそ、高窪教授を殺せば、何か分かると思っていました」 《 あくまでも高窪教授によって、身の周りの不審な出来事が起きていたと信じていたという山本被告 。弁護人はさらに、高窪教授殺害後の心境や行動の意味について問いかける。高窪教授殺害後、歩いてJR飯田橋駅まで向かい、神奈川県の平塚駅まで電車に乗っていった山本被告。駅到着後は平塚八幡宮へ向かったという 》 弁護人「平塚天満宮(実際には平塚八幡宮のこと)に寄りましたが、いつの時点から(寄ることを)考えていましたか」 被告「駅に着いた時点です」 弁護人「何をしようとしましたか」 被告「お参りして気持ちを落ち着かせようと思いました」 弁護人「どんなことをお参りしようと思いました?」 被告「…」 弁護人「殺害当時、高窪教授を憎んでいましたか」 被告「憎しみではなく、怒りだったと思います」 弁護人「殺害成功後、怒りの気持ちは整理できましたか」 被告「はい」 弁護人「達成感は?」 被告「感じました」 弁護人「天満宮(実際には平塚八幡宮)で参拝することは、達成感を持てたことの報告ですか」 被告「いえ、違います」 弁護人「では、何をしようと思ったのですか」 被告「もしかしたら、誰かが自分の命を狙ってくるかもしれないので、もし命を落としたときに、あの世で新たな旅ができるようにと思い、お参りしました」 弁護人「絵馬を書こうとどの時点で考えましたか」 被告「お参りの後です」 弁護人「『終生新旅』の『終生』は、具体的に何をイメージしたのですか」 被告「誰かから命を奪われて死んでしまうかもしれない、あるいは法廷で死刑になるかもしれない。そうなったら、あの世で新たな旅ができるようにと思って書きました」 弁護人「『終生』とは、あなたの命が終わるということ?」 被告「私と高窪教授です」 弁護人「『終生新旅』とは、あの世で高窪教授と出会えればいいという意味が入っているのですか」 被告「はい」 弁護人「あの世では、高窪教授と仲良くできると思ったのですか」 被告「この世ではいい出会いができなかったけど、あの世ではいい出会いができればと思いました」 《 死後の世界で高窪教授との新たな出会いを願い、絵馬に「終生新旅」と記した山本被告。その後、当時住んでいた叔父の家に帰宅した 》 弁護人「(事件当日の)夜は何をしていましたか」 被告「(凶器として用意した)枝切りばさみをそばに置き、電気ストーブの脇で体育座りをして、寝ないでいました」 弁護人「事件後、圧力団体から攻撃は?」 被告「なくなりました」 弁護人「理由は考えましたか」 被告「考えたけど、うまく考えることができませんでした」 《 ここで山本被告は、実は高窪教授が首謀者ではないのではないか、と思い始めたという 》 弁護人「首謀者じゃないことから、目立った攻撃はしてこないのではと考えたのではないですか」 被告「はい」 弁護人「逮捕されたときの気持ちは?」 被告「ほっとしました」 弁護人「何にほっとしましたか」 被告「圧力団体ではなく、ちゃんとした警察の人が来たことにほっとしました」 === 圧力団体存在の可能性「今も50%」「大切な人奪い申し訳ない」と遺族に謝罪 === 弁護人「高窪教授が圧力団体の首謀者でない可能性はどれくらいだと考えていましたか」 被告「50%程度と考えていました」 弁護人「圧力団体が実在する可能性は?」 被告「50%程度です」 弁護人「なぜ考えが変わったのですか」 《 山本被告は両手をひざの上におき、沈黙する。しきりに瞬きを繰り返し、口を開いた 》 被告「逮捕されてから、以前のような『イジメだ』『ありえない』という言葉が聞こえず、普通に生活できたからです」 弁護人「起訴後、ほかの警察署に移送されましたね?」 被告「はい」 弁護人「少し状態が悪い方に変化しましたか?」 被告「そうは思っていません」 弁護人「とても落ち着かない様子に見えましたが、そんな気持ちはありましたか」 被告「ありました」 弁護人「何に落ち着かなかったのですか」 被告「起訴された後、少し気持ちが動揺しました」 弁護人「動揺だけですか」 被告「それともう1つ、体調不良がありました」 弁護人「(山本被告は)小さな物音にもびっくりして、警戒するような表情をしていました。何かに警戒していたのですか」 被告「警戒心を持っていました」 弁護人「何に警戒をしていたのですか」 被告「もしかしたら、警察の中に圧力団体に属する人がいるのではないかと警戒していました」 《 山本被告はこの時期、他人がぶつぶつ言葉を発する声が聞こえ、自分への何らかの警告ではないかと気にしていたという 》 弁護人「看守の人から私のところに連絡があり、『壁に向かって正座して、小さな言葉を発していて様子が少しおかしい』と言ってきました。覚えていますか」 被告「記憶に残っています」 弁護人「壁に向かって何を考えていたのですか」 被告「裁判になったとき、どう回答したらいいのか考えて正座したのだと思います」 弁護人「『高窪教授の遺族がどうしているのか確認する方法はないか』と尋ねていたことがありましたが、どうしてですか」 被告「遺族がどうしているのか気になりました。例えば、息子さん、娘さんがちゃんと学校に行っているのか考えました」 弁護人「遺族に対して申し訳ないという気持ちはありましたか」 被告「ありました」 《 弁護人は看守から『山本被告がうつぶせになって大の字になっている』という報告があったことを明らかにして、山本被告に当時の思いを尋ねる。山本被告は「覚えていない」と繰り返した 》 《 山本被告は平成21年10月30日、警察署から東京拘置所に移送された。弁護人はこの移送後、山本被告の様子がさらに悪化していったと指摘する 》 弁護人「私の質問に答えなかったり、答えが遅いことが続きました。答えたくない気持ちがあったのですか」 被告「どういう風に答えたらいいのか分かりませんでした」 《 その後も状態がよくならない山本被告は22年3月10日、再び拘置所から警視庁の警察署に移送される 》 弁護人「その後も私の問いに答えないことが続きました。理由は」 被告「気持ちがめいっていました」 弁護人「どんなことを考えていましたか」 被告「両親がどうしているのか(考えていました)。裁判が近づき、裁判がどうなるのか不安でした」 弁護人「警視庁の職員に食事や水分を取ることを止めると宣言したことはありますか」 被告「宣言していません」 弁護人「今は気持ちも落ち着いていると思うが、圧力団体が実在している可能性は何%だと考えていますか」 被告「50%程度です」 弁護人「実在しているとして、高窪教授が首謀者の可能性は何%だと考えていますか」 被告「0%です」 弁護人「高窪教授が圧力団体に関与している可能性は?」 被告「50%程度です」 弁護人「圧力団体が存在して、高窪教授が団体に関与しているという前提で、高窪教授を殺害したことについてどんな気持ちを持っていますか」 被告「殺してしまったこと、命を奪ったことは仕方ないと思います」 弁護人「圧力団体が存在せず、高窪教授が団体に関与していない前提では?」 被告「申し訳ないことをしたと思っています」 弁護人「圧力団体が存在して、高窪教授が団体に関与している前提で、高窪教授の遺族についてはどう思いますか」 被告「申し訳ないことをしたと思います」 弁護人「何について?」 被告「高窪教授を殺してしまい、遺族にとっては大切な人を奪ったことを申し訳ないと思います」 弁護人「圧力団体が存在せず、高窪教授が団体に関与していない前提ではどうですか」 被告「同じように申し訳ないと思います」 弁護人「もし刑を終えて出所することがあったら、法廷で指摘されているように精神的な病気があると考え、治療を受けようと考えていますか」 被告「必要であれば、しようと思います」 弁護人「私の質問はこれで終わりますが、何か説明したいことはありますか」 被告「特にないです」 《 続いて、今崎裁判長に促され、男性検察官が質問を始めた》 検察官「護身用に武器を持ったことはありますか」 被告「それはなかったと思います」 検察官「果物ナイフを持ったことはありませんか」 被告「中学校のとき、一度だけ」 検察官「そのナイフをみんなの前でみせたことは」 被告「ありません」 検察官「同級生5、6人から暴力を受けたとき、見せたことはありませんか」 被告「ありました」 検察官「どうして同級生に見せたのですか」 被告「身を守るためです」 検察官「攻撃のためではなく、見せるだけでしたか」 被告「はい」 検察官「その後、イジメはありましたか」 被告「落ち着きました」 《 高校では友達ができ、落ち着いた学生生活を送った山本被告。検察官の質問は大学の5年目に、高窪教授の研究室に入ったときのことに移る 》 検察官「当初は高窪教授に尊敬の気持ちはありましたか」 被告「研究室に入った当初は尊敬していました」 検察官「5年のときは研究室にちゃんと行っていましたか」 被告「後半は行かない日が多かったです」 === 事件悔やむ一方で「殺さなければ伝わらないと思った」 === 検察官「なぜ研究室に行かなくなったのですか」 被告「研究室の院生や学生、教授から不審な目で見られると感じたからです」 《 検察側の冒頭陳述などによると、山本被告は大学入学後、人間関係で孤立したことなどから、顔や腕を刃物で傷つける自傷行為を始めるようになる。研究室に入った後も、自傷行為の跡があることを高窪教授らに不審な目で見られているのではないかと感じるようになり、事務室の職員に「不審な目で見ないでほしいと高窪教授に伝えてほしい」と依頼したこともあったという 》 検察官「不審な目で見られると、どうして研究室に行かなくなるのですか」 《 検察官の問いに、山本被告は数秒間沈黙した後、「行きづらかったです」とだけ答えた 》 検察官「研究室へ行かないことについて、高窪教授に何かいわれたことはありますか」 被告「特になかったと思います」 検察官「学生時代、高窪教授から厳しく怒られたことはありますか」 被告「ありませんでした」 検察官「高窪教授は、他の学生を叱責することはありましたか」 被告「ありました。発表の際、専門用語の使い方を間違っている場合などに、叱責したことはあると思います。たとえば、『その言葉遣いは間違っていますね』といった感じに」 検察官「あなたの卒業論文のテーマは何でしたか」 被告「消費電力を低く抑える、低消費電力に関するテーマでした」 検察官「そのテーマはあなたが一人で考えたのですか」 被告「院生に相談しました」 検察官「高窪教授からもアドバイスを受けたのではないですか」 被告「アドバイスはありました」 検察官「どのようなアドバイスでしたか」 被告「はっきりとは覚えていません」 検察官「あなたは研究室にほとんど顔を出さず、ゼミ合宿にも行かなかったといいます。そういう学生は普通、卒業させてもらえるのですか」 被告「後半から研究室に行くことは少なくなりましたが、それまで(の出席)を評価してもらえたのと、卒業論文をしっかりと書いたので、そこを評価してもらえたのではないでしょうか」 検察官「高窪教授があなたの卒業のために骨を折ってくれたという思いはありますか」 被告「卒業論文の提出の1カ月前に自宅に電話があり、『卒業論文はちゃんと出した方がいいよ』といわれました。卒業論文を出さずにもう一年留年しようと思っていましたが、出すことにしました」 検察官「留年するつもりだったのですか」 《 男性検察官が、意外な様子で問い直した 》 被告「留年して、別の研究室に入ろうと思っていました」 検察官「なぜその考えを変えたのですか」 被告「高窪教授のアドバイスを受け入れた方がいいと思ったからです」 検察官「自分が卒業できたのは、高窪教授の力添えがあったから、という意識はありますか」 被告「持っています」 検察官「卒業後も、感謝の気持ちは持っていましたか」 被告「持っていました」 《 さらに、検察官は卒業後の高窪教授とのやり取りについても質問した。山本被告は卒業後に2回、研究室に高窪教授を訪ねている 》 検察官「前回の被告人質問で、弁護人の質問に、高窪教授に会いに行った理由について『食中毒の件と盗聴器のことを聞きに行こうとした』と話していましたね?」 被告「はい」 検察官「取り調べをした検事には『就職がうまくいかないことについて、相談に行った』と話していませんか」 被告「あ、はい。それと、食中毒の件と盗聴器の件を聞きたかったんです」 検察官「このとき、高窪教授を信頼する気持ちと疑う気持ち、両方があったということですか」 被告「はい」 検察官「結局、2回とも食中毒や盗聴のことを聞けなかったのはなぜですか」 被告「質問するのが怖かったからです」 検察官「どういうことですか」 被告「質問したら、かえって不審に思われるのではないかと思い、聞けませんでした」 検察官「高窪教授が圧力団体の中心人物であるという確信は、このときは持っていなかったのですか」 被告「はい」 検察官「このとき思い切って聞いておけば、良かったのでは?」 被告「そう思います」 検察官「このとき疑問が解けていれば、今回の事件は起こらなかったかもしれませんよ」 《 山本被告は「はい」と小さく答えた 》 検察官「1回目に訪ねたときは、高窪教授に履歴書の書き方を教えてもらったんですね?」 被告「はい」 検察官「これはあなたが聞いたのですか」 被告「私から具体的にどういうことを教えてほしい、とはいいませんでしたが、高窪教授が具体的にアドバイスしてくれました」 検察官「教授に感謝しましたか」 被告「感謝しました」 検察官「2回とも、アポイントメントは取ってから訪ねたのですか」 被告「アポイントメントは取らなかったです」 検察官「高窪教授は、嫌な顔をしませんでしたか」 被告「しませんでした」 検察官「学生時代に、高窪教授に迷惑をかけたという気持ちはありますか」 被告「あります」 検察官「卒業後も感謝する気持ちはありましたか」 被告「あります」 《「嫌がらせのこと、(犯行よりも)事前に確かめることはできなかったの?」と検察官がたたみかけると、山本被告は「あいさつしたときにちゃんと確かめておけばよかったと思います」と淡々と答えた 》 検察官「あなたは、いくつかの会社を能力不足という理由で解雇されていますが、その理由には納得していましたか」 被告「納得していました」 検察官「能力不足という以外に原因があると考えたことはありますか」 被告「あります」 検察官「どんなこと?」 被告「自分に嫌がらせをする団体が、会社に話をしてやめさせようとしているんじゃないかと思っていました」 検察官「どちらが大きいと思っていましたか」 被告「両方とも同じくらい。50%、50%ぐらいだったと思います」 検察官「周囲の人があなたに向かって『ありえない』といったり、付近の家のシャッターが不審に閉まっていても、あなたの身に何かが起きているわけではないですよね。それなのに、なぜ高窪教授を殺したのですか」 《 山本被告は事件前に、路上や電車内で見知らぬ人から「教授がいじめるなんてありえない」などと話しかけられたり、自宅近くの家のシャッターが長時間閉まっているなど、自分への「嫌がらせ」が続いていたと説明していた 》 被告「不審に思っていた出来事が、高窪研究室に入ってから始まったので、高窪教授が何かしていたんじゃないかと思い、高窪教授を殺害する方向に向かっていったんだと思います」 検察官「どうして、殺人という大それたことまでやっちゃったの?」 被告「殺すということまで、命を奪うということまでしなければ、迷惑しているという気持ちが伝わらないんじゃないかと思いました」 検察官「でも、死んじゃった相手には気持ちは伝わらないのでは?」 被告「高窪教授以外にも嫌がらせをしている人がいると思っていたので、そういう人たちに『ありえない』といったり、シャッターを閉めたりするのをやめてほしいと思いました」 《 また、検察官は捜査段階の供述調書の内容についても質問した。山本被告は取り調べの検事に、動機について「幕末に武士が誰かに嫌がらせを受けたとしたら、武士として(殺害を)やったと思います。武士としてのメンツを守るためというか、人間の誇りを守るためというか…。こんなに嫌がらせを受け、追いつめられたから、何もしないわけにはいきませんでした」と話したという 》 検察官「こういう江戸時代の武士の話には興味があるのですか」 被告「歴史や日本史が好きで、そういった小説を読むのが好きだったので、そういう気持ちを持っていたのだと思います」 検察官「高窪教授を殺害するにあたって、こういう考え方が背景にあったということですか」 被告「はい」 === 「高窪教授が団体の首謀者」と思いつつも「どこかで尊敬していた」被告 === 検察官「事件前、あなたは3つ考えがありましたよね。自殺する、座して死を待つ、高窪教授を殺害する」 被告「はい」 検察官「座して死を待つというのは、武士の考えとは真逆のような考えだと思いますが」 被告「はい」 検察官「重い意味があるんですか」 被告「座して死を待つという考えを持っていたんですけど、その考えはなくなって高窪教授を殺すという考えになりました」 検察官「武士の精神の価値観としては正しい考えだと思っていたんですか」 被告「はい」 検察官「今も?」 被告「今もそういう風に考えています」 《 検察官は、再び山本被告が事件前に存在すると信じていたとされる「高窪教授が首謀者の圧力団体」についての質問に移る 》 検察官「高窪教授が団体に関与していたとするなら、殺害は後悔していない?」 被告「はい」 検察官「武士の精神につながっていると?」 被告「つながっていると思います」 《 山本被告は、高窪教授が圧力団体の要だと確信するようになったのは、神奈川県平塚市にある叔父の家に引っ越した後の平成20年2月くらいだと説明する 》 検察官「きっかけは?」 被告「なぜいじめじゃない、あり得ないと考えているうちにいつの間にかです」 検察官「特別なきっかけはない?」 被告「はい」 検察官「平成20年2月以降は高窪教授を殺してしまって、もし団体と無関係ならどうしようと考えなかった?」 被告「なかったです。100%(高窪教授が)要で間違いないと思っていました」 検察官「当時は(団体の)首謀者がはっきりとはしていなかったんでは?」 被告「首謀者が分かっていないから殺すのではなく、首謀者が分かっているから殺すという…」 《 山本被告は、逮捕後の取り調べでは、「高窪教授が団体の要だという気持ちは90%」と話していたことから、検察官は現在の説明と異なると指摘。山本被告は「90%です」と答えると、すかさず裁判長が質問した 》 裁判長「90%くらいで正しいの?」 被告「はい」 裁判長「多分、高窪教授が要であることは間違いないけど、少し疑いもあるという気持ちでいいのかな?」 被告「はい」 裁判長「高窪教授を殺せば首謀者が分かると思っていたということで間違いないのかな?」 被告「間違ってないです。正しいです」 検察官「警察官が逮捕しに来たときは、ほっとしたと?」 被告「はい」 検察官「警察が圧力団体とつながっているとは思わなかった?」 被告「10%くらい思っていました」 検察官「事件前に、高窪教授に嫌がらせをされているということについて、警察に助けを求めようという選択肢がないのはなぜ?」 被告「被害妄想や勘違いと思われる可能性があったからです」 検察官「事件前に大学に下見に行ったり、刃物を入れるケースを買ったり、準備をしましたよね」 被告「はい」 検察官「高窪教授が自分を盗聴していて、行動が筒抜けと思っていたら準備しても無駄だと思わなかった?」 被告「ばれるんじゃないかと思っていました」 検察官「準備せずに『えい』っていっちゃえばよかったんじゃない?」 被告「10%ほど、気づいていないと考えて準備していたんだと思います」 《 検察官が立ち上がり、山本被告に資料を見せる。山本被告が平成21年の正月ごろに書いた母親にあてた遺書めいた手紙だという。手紙には高窪教授については書かれていないと指摘されるが、山本被告は「書かなくてもすぐに分かるだろうと思っていた」と答える」》 検察官「殺害したとき、50カ所近くの刺し傷がありますが、1つ1つ覚えていますか」 被告「覚えていません」 検察官「うつぶせの高窪教授について記憶の中で絵として浮かんできますか」 被告「はい」 検察官「足をばたつかせて抵抗したりしていたけど、最後はうつぶせになった?」 被告「間違いないです」 検察官「背中を突き刺したことも?」 被告「はい」 《 検察官は、殺害後、神社に立ち寄り、絵馬に『終生新旅』と書いたときの心境について尋ねる 》 検察官「あの世でまたいい出会いができたらということとのことですが、自分が殺したんですよね。この世での出会いは最悪ですよね」 被告「はい」 検察官「それがなぜあの世でのいい出会いということになるんですか」 被告「どこかで高窪教授のことを尊敬している気持ちがあったからです」 検察官「弁護人の質問には尊敬していないと」 被告「やはり10%ほど高窪教授を尊敬したり、どこかで敬う気持ちがあったからあの世でお互いいい出会いができるようにという気持ちを込めて書いたんだと思います」 《 続いて検察官は、山本被告が取り調べに対し「事件後に自首の気持ちはなく、テロを考え爆弾を作ろうという考えを持っていた」と供述していたことについて言及する 》 検察官「なぜ、そういう(爆弾テロ)考えを持った?」 被告「圧力団体が動くんじゃないかと思いました。盗聴すると思っていたのでその前に止めに来ると」 検察官「ああ…」 《 検察官が質問の答えに一瞬、言葉を詰まらせた 》 《 質問は、山本被告は事件後、司法試験の勉強をしていたことに移った。山本被告によると、その理由は「法律を学べば人を殺すとどうなるか分かると思ったから」だという 》 検察官「人を殺すって大変なことと思っていた?」 被告「はい」 検察官「逮捕してから、検事や精神科医などいろいろな人があなたの話を聞きましたよね。きっかけがあれば信頼関係を築くことができるんじゃないんですか」 被告「はい」 検察官「誰かに相談して不安を取り除いていれば、高窪教授との間でも疑いが解けてこんなことにならなかったとは思わない?」 被告「はい」 検察官「今振り返ってみればできたんじゃないんですか」 被告「はい」 === 「武士道」「特攻隊」犯行時の心境表す言葉の意味…「殺せば味方の団体から攻撃されると思った」 === 検察官「精神鑑定の結果、あなたは妄想性障害という心の病だと診断されました。あなたはこの診断について、納得していますか。それとも、よく分からないという気持ちですか」 被告「後者です」 検察官「自分自身の中で、完全に納得しているわけではないということですか」 被告「はい」 検察官「逆に、鑑定医の先生がそうおっしゃるなら、そうかもしれないと思っているのですか」 被告「はい」 検察官「さきほどの弁護人の質問にもありましたが、圧力団体が存在するのかどうかということについては、フィフティフィフティということですか」 被告「はい」 検察官「あなたはさきほど弁護人から、将来社会復帰した場合にカウンセリングや弁護士の援助を受けるつもりがあるか問われ、『必要があれば』と話していました。それは、誰が判断することだと考えていますか」 被告「鑑定医の方や、それ以外のカウンセリングに携わる方が必要だと判断すれば」 検察官「お母さんに、事件前に悩みを相談したことはありますか」 被告「ありません」 検察官「お母さんに『精神科に行った方がいいかな』と聞いたことはありますか」 被告「あ、あります。大学5年次です」 検察官「お母さんは看護婦さんをされているということでしたね。お母さんの答えはどのようなものでしたか」 被告「『よく分からないわ』といっていました」 検察官「ご両親は、あなたに心の病があることを認識していますか」 被告「分からないです」 検察官「お父さんに相談したことはありますか」 被告「父にはありません」 検察官「お父さんとお母さん、どっちの方が相談しやすいですか」 被告「主に母です」 検察官「お母さんは信頼できる存在なのですか」 《 ここで山本被告は、「あ、両親どっちともです」と答えた 》 検察官「お母さんは裁判に来ていますか」 被告「来ていないと思います」 検察官「なぜですか」 被告「分かりません」 検察官「事件を起こす前、あなたは高窪教授を殺害することで、高窪教授の家族が苦しむということを分かっていましたか」 被告「考えていませんでした」 検察官「思いが至らなかったということですか」 被告「はい」 検察官「遺族に直接謝罪はしていますか」 被告「してないです」 検察官「損害賠償などもできていないですよね?」 被告「はい」 検察官「仮に高窪教授が圧力団体に関与している人間で、(山本被告に)嫌がらせをしていたとしたら、殺害したことは後悔していない、とさきほどいっていましたね?」 被告「はい」 検察官「あなたがしたことは、人を一人殺すという大それた行為です。それでも高窪教授が、自分に嫌がらせをしていたとしたら、殺されてもしようがないということですか」 被告「はい」 《 ここで、検察官の質問が終了。男性弁護人が今崎裁判長に補充質問を求めた。裁判長が許可すると、弁護人が再び、質問に立った 》 弁護人「あなたは卒業後に2回、研究室に高窪教授を訪ねましたが、真相を聞くことはできませんでしたね」 被告「はい」 弁護人「さきほどはその理由について『怖いから』と話していましたが、何が怖かったのですか」 被告「(高窪教授に)また不審に思われるのが嫌だったからです」 弁護人「仮に高窪教授が(食中毒や盗聴器への関与を)否定していたら、信じることはできましたか」 被告「半信半疑だったと思います」 弁護人「高窪教授に不審に思われると、何か悪影響があると思ったのですか」 被告「仮に(高窪教授が)圧力団体に所属していたら、嫌がらせがエスカレートするんじゃないかと思いました」 弁護人「さきほどの質問で武士道の話が出ましたが、あなたの調書には『神風特攻隊』という言葉が更に多く出てきます。これはあなたが言った言葉ですか」 被告「はい」 《 検察側が証拠提出した供述調書によると、山本被告は動機について「幕末に武士が誰かに嫌がらせを受けたとしたら、武士として(殺害を)やったと思います」と説明したという。また、犯行直前の精神状態を「神風特攻隊が敵を見つけて飛び立つ心境だった」と表現したという内容の調書も法廷で読み上げられている 》 弁護人「これは、どういう心境だったのですか」 被告「高窪教授が盗聴をしていると思ったので、高窪教授を殺せば、高窪教授の味方をする団体から攻撃されると思っていました」 弁護人「自分の攻撃は自分の死を招くかもしれないということですね?」 被告「そうです」 弁護人「お父さんには、『盗聴されているかも』『尾行されているかも』ということは伝えましたか」 被告「はい」 弁護人「それに対して、お父さんは何といっていましたか」 被告「『勘違いじゃない』『被害妄想、激しいんじゃない』といわれました」 弁護人「そういわれて納得できましたか」 被告「半々くらいでした」 弁護人「あなたは、『警察に相談しても、まともに取り上げてくれないと思った』と説明していますが、それはなぜですか」 被告「両親に『分からない』『被害妄想、激しいんじゃない』といわれたのと、小学校のときの担任の先生にも『勘違いじゃないか』といわれ、警察に相談してもそういわれると思いました」 弁護人「相談をする相手で、警察以外に考えたところはありますか」 被告「小学校のころの担任の先生や、近所の大学の准教授などです」 弁護人「弁護士会や人権団体への相談も考えたと、私にいっていましたね?」 被告「はい」 弁護人「でも、あきらめたのですか」 被告「はい」 弁護人「(山本被告が留置されていた警視庁)富坂警察署で高窪教授の遺族について、『なんとか謝罪の言葉を伝えられないだろうか』と私に遺族の住所や正確な名前を教えてほしい、と頼んだことを覚えていますか」 被告「はっきり覚えていません」 弁護人「仮に当時でも今でも、(遺族の)名前や住所を知ったとしたら、遺族に対してやりたいことはありますか」 被告「…できれば口頭で謝罪をしたいと思います」 === 裁判所にも「もしかしたら圧力団体が…」裁判長困惑 === 裁判長「今度は裁判所の方から質問します。4番の方」 裁判員「被告人は人間関係学を学びたいと話していましたが、その理由を教えてください」 被告「はい。社会に出てから人間関係を築いていく上で、人間関係が重要になっていくので学びたいと思いました。漠然とはしているのですが、心理学科に入学し、人とのコミュニケーションについて学びたいと思いました」 裁判員「それはいつごろからですか」 被告「高校の3年の時からです」 裁判員「はい分かりました」 裁判官「あなたの供述で『(1)自殺する(2)いじめ殺される(3)(高窪教授を)殺す-の3つの選択肢があった』とありますが、2つ目の選択肢、なぜ殺されることになるのかが分かりにくい。どうして殺されることにつながるのですか」 被告「『いじめじゃない』『ありえない』などと言われたり、レストランなどに行ったときに毒を盛られたり、電車に乗るときにホームから落とされると考えるようになっていったことが主な殺されると思う理由です。(高窪教授に)『怖い』と言われたり、自宅前のシャッターが何度も思い切り閉まったりして精神的にめいってしまい、殺されると思いました」 裁判官「実際にレストランで毒を盛られたことは?」 被告「ありました。平塚に引っ越したとき、レストランに母と月に1回くらい行っていましたが、食事に毒を盛られていると思うことがありました」 裁判官「それは、においや味がおかしかったの?」 被告「はい、食べてみたときに変な味がしました。もしかしたら毒が盛られているのかと思いました」 裁判官「残したの?」 被告「残しました」 裁判官「母親に『なぜ残すの』と聞かれなかった?」 被告「(母に)『もう食べないの?』と聞かれました。『毒が盛られていると思っているの』とは言われませんでした」 裁判官「ホームに落とされると思ったことはいつ?」 被告「大学に高窪教授を殺そうと思っていった、成績証明書を取りにいった一番初めのときです」 裁判官「具体的に突き落とすそぶりの人はいた?」 被告「いなかったですけれど、ホームに行ったときに『もしかしたらされるかも』と思ったことがありました」 裁判官「(高窪教授殺害の)決意が揺らぐことはなかったの?」 被告「ありました」 裁判官「具体的にはいつごろ?」 被告「高窪教授を殺そうと思った後も、平成20年…、年代は忘れましたが、平塚に移って(高窪教授を)殺そうと準備していたときに、『人を殺すために大学を卒業したわけではない』という気持ちが何度もわき起こっていました」 裁判官「先日の(被告人質問の)話では『決意は揺らぐことはない』とありましたが、揺らぐことはあったんですね?」 被告「はい」 裁判官「圧力団体のことを聞きます。(団体は)あなたの嫌がらせのために作られたと思っていますか」 被告「はい」 裁判官「高窪教授が要(かなめ)だと思っていますか」 被告「はい」 裁判官「他のメンバーは誰?」 被告「あとは平塚に一緒に住んでいた叔父も所属しているかもと思っていました。高窪教授と親しくしている企業の人や教授も所属していると思っていました」 裁判官「研究室の人は?」 被告「(所属していると)思っていました」 裁判官「弁護人の調書で、(盗聴器の心配をした被告に)『そんなことはないよ』と言う人がいましたが、この人も圧力団体の1人と思っていましたか」 被告「思っていました」 裁判官「今も(圧力団体があるという)気持ちは残っていますか」 被告「50%残っています」 裁判官「いま、裁判を裁判官や弁護士、検察官でやっていますが、この中に圧力団体の人はいますか」 被告「あー、うーん…半信半疑という(気持ち)」 裁判官「もしかしたらいるという思いはあるんですね?」 被告「はい」 《 今崎裁判長は困惑した表情で宙を見つめた 》 裁判官「両親は面会に来てくれますか」 被告「はい」 裁判官「どんな話をしますか」 被告「食事をちゃんととっているか、寒くないかと心配してくれます」 裁判官「あなたはどんな話をしますか」 被告「ちゃんと食事をとっていて、寒くないように布団をかぶって寝ていると。事件のことはあまり触れずに話しています」 裁判官「今後のこと、弁護人の被告人質問では刑務所に行きカウンセリングや治療を受けると話してますが、両親には話しましたか」 被告「まだ話していないです」 裁判官「これまで人生でうれしかったこと、心が温かくなった経験は?」 被告「大学受験でちゃんと受かったときが一番うれしかったです。母も父も、特に母が喜んで『大学受かってよかったね』と言われたときが、私にとって最高にうれしい瞬間でした。『勉強頑張るから学費お願いね』といったと思います。そのときが一番うれしく、記憶に残っています」 裁判官「他には?」 被告「うーん、ほかには、大学を卒業できると分かったとき、卒業したときに両親が喜んでくれたときがうれしかったときだったと思います」 裁判官「両親が喜んでくれたときがあなたがうれしかったときだったんですね?」 被告「はい」 《 さらに男性裁判官は、山本被告の主張する“圧力団体”から実際に何をされたかを質問。山本被告は『信号無視の車が近づいてきたことがあった』と答えた。また、圧力団体ができた経緯について、山本被告は『高窪教授が(自分を)恨んでいる気持ちがあると思っていた』と述べた 》 裁判官「あなたは(高窪教授に)卒業させてもらい感謝している?」 被告「はい」 裁判官「どうしてあなたを憎んでいる人がそういうことをするの?」 被告「100%の恨みではなく、50%の恨みと50%の恨みではない学生としてちゃんと見ていたと思います。必ずしも100%の恨みではないと思います」 裁判官「高窪教授は一方であなたにいいことをして、一方で悪いことをした。両方やっていて打ち消しあって『まあいいや』とはならなかったの?」 被告「ならなかったですね」 裁判官「どうして?」 被告「心のどこかに怒りを持っていました」 裁判官「いいことしてもらった気持ちは?」 被告「ならなかったです。どうしてか自分でもよく分からないです」 裁判官「怒りの気持ちから殺害を決意したとあるが、憎しみはないの?」 被告「憎しみだと恨みの気持ちが入ってくる。恨みはなく、『どうしてそういう嫌がらせをするの』という怒りの気持ちだった」 裁判官「悪いことをしかる気持ち?」 被告「はい、そういう感情です」 裁判官「教授の出方では許す気持ちだった?」 被告「はい。どうして(嫌がらせを)するのか理由を説明してくれれば許したと思う。質問したかったけれど、できなかったのでこういうことになってしまった」 裁判官「聞いてから殺害をしようとは思わなかったの?」 被告「そう考える前に行動してしまいました」 裁判員「当時はそう思っていた、嫌がらせをされたから殺しても仕方ないと話していましたが、今の現在は正直どう思っていますか」 被告「今現在は、殺すべきではなかった、もう少し先のことを考えて、質問してからでも遅くはなかったと思います」 裁判員「ありがとうございます」 《 男性裁判員は険しい表情で質問を終えた。続けて今崎裁判長が高窪教授を執拗(しつよう)に刺した犯行時の心境を質問。山本被告は「感情が高ぶっていたと思う」「(圧力団体が助けにくることを)恐れていたと思う」と述べた 》 裁判長「徹底的に攻撃して殺さないと、高窪教授に反撃したり、生き返ったりすると心配だったのですか」 被告「あ、はい。そういうことを恐れていました」 裁判長「質問に素直に答えてくれていますが、こっちに合わせる必要はありませんよ。そういう(高窪教授が反撃したり、生き返ったりすることを恐れていた)ことがあったのですか」 被告「ありました」 弁護人「高窪教授を殺す以外で、軽い暴力を講じることを考えたか裁判長から聞かれ、『考えられなかった』と答えていました。私が以前、同じ質問をしたとき、『軽い攻撃だとさらに強い反撃があるかもしれないから、殺すしかなかった』と答えていました。どちらのやり取りが正しいのですか」 被告「前のやり取りが正しいです」 弁護人「私とのやり取りが正しいのですか」 被告「はい」 === 「被告の妄想性障害は動機に大きな影響」と鑑定医証言 === 証人尋問に先立ち、男性検察官が鑑定内容の説明を始めた。 検察官「難しい用語が出てきますが、鑑定人が後で分かりやすく説明してくれます。鑑定事項は犯行当時の精神障害の有無、犯行にどう影響を与えたのか、などです。結論は被告が妄想性障害を罹患していて、犯行に影響を与えていたということです」 《 中学校時代のイジメをきっかけに疑り深い性格が形成され、大学入学後は授業についていけないなどの理由で孤立。高窪教授の研究室に入った後は周囲から不審な目で見られていると思いこみ、大学事務室に、不審な目で見ないように教授に伝えるよう依頼していた。その後、高窪教授がほかの学生に『ナーバスですね』というのを聞き、自分への当てこすりではないかと思いこんだという 》 検察官「忘年会で寂しさ、疎外感を強めました。食中毒になり、(翌日に行われた研究会の集合写真の)撮影に参加できなかったことが最大の決定打になりました」 「妄想性障害が善悪の判断に与えた影響は限られていました。犯行の準備をしているときに『殺すのは良くない。止めよう』と迷っており、妄想により意志は支配されていなかったとしています。何が良くて何が悪いか理解して、自分の行為が殺人に該当することも理解していました」「被告は自分の判断に沿って行動を制御できる状態でした。自ら生計を立て、社会生活を送っていたことも、このことを示唆しています」 証人「まず精神鑑定について説明します。精神鑑定にはいくつか種類があります」 《 鑑定医は起訴前の段階では簡易鑑定、本鑑定があり、これらの鑑定結果が起訴か不起訴かを決める上で参考になると説明した。さらに起訴後には裁判所の依頼で公判前鑑定と公判鑑定があり、これらが被告の責任能力の有無を判断する上で参考になると続けた 》 証人「私が行ったのは起訴前本鑑定です」 《 鑑定医は平成21年6月8日から同年9月25日まで鑑定を実施し、3時間程度の面接を18回行ったという。この間に医学検査、両親との面接も行ったといい、鑑定医は「通常の2~3倍の時間、回数で鑑定を実施しました」と説明した 》 証人「被告は事件当時、妄想性障害にかかっていました。妄想性障害とは、妄想が長く続く精神障害のことです。妄想が長く続くものには統合失調症がありますので、その特徴から区別していきます」「統合失調症は妄想の内容がとっぴであり、妄想性障害はとっぴでありません」 「統合失調症は幻聴などの幻覚症状がありますが、妄想性障害は幻覚症状はありません。あったとしても、妄想に関連したものに限られます」 「統合失調症には意欲の低下、引きこもり、感情の表出の喪失などがありますが、妄想性障害にはこれらの異常はありません。統合失調症は日常生活に支障をきたしますが、妄想性障害は妄想に関連したもの以外、生活に支障はありません」 「(統合失調症の特徴である)妄想のとっぴな内容とは何かを説明します。例えば、『外国の大統領に命を狙われている』『宇宙人に手術されている』などです。(妄想性障害の特徴である)とっぴではない妄想とは『自分が嫌がらせを受けている』『夫に浮気されている』『重い病気にかかっている』など、起こりうる出来事です。その背景に説明できる実際の出来事があります」 「被告の場合、実際の出来事から妄想に発展していきました。とっぴな妄想ではありませんでした。幻覚の症状もありません。就職活動を繰り返しており、意欲の低下もありませんでした。総合すると、被告の症状は妄想性障害の特徴と一致しています。知能は正常であり、脳に器質的な異常も認められませんでした」 「被告の妄想性障害は動機に大きな影響を与えていました。犯行の動機、行動に影響を与えていたと判断します。被告は妄想を持ちやすいパーソナリティー(人格)がありました。医学的には妄想性パーソナリティー障害と言います」 「被告は小学校のころ、学校を転校したり、7つの習い事をしたりしました。髪形をからかわれたりもしましたが、被告は『からかわれても気にならなかった』としました」 「中学校になると、自宅が窃盗被害にあったとき、イジメをしている生徒がやったと思うようになりました。2年生のとには護身用にナイフを持つようになりました。自分がピアノ、バイオリンを演奏でき、私立高校を受験することに同級生がねたんでいると考えるようになりました」 === 教授への被害妄想「好きな子のちょっとした仕草で不安になるのと同じ」 === 証人「大学に入ると、勉強が難しく友人もつくる余裕がありませんでした。バイオリンを壊したりしました」 《 9月以降、山本被告はさらに勉強についていけず、ますます不安を募らせていく。2年次に文系の大学を受験したが不合格となったことから、その後は中央大学で懸命に勉強に取り組もうとした 》 証人「いつも授業時は前の方に座り、帰宅してもベッドに入らず、起きたらすぐ勉強できるように机に伏せて寝ていました。大学の勉強についていけないという不安から、次第に周囲の出来事を被害的にとらえていったことが分かります」 《 本人の希望通りに高窪さんの研究室に入ったあと、山本被告はほかの学生に対する高窪さんの発言を「自分への当てこすりだ」と感じるようになったり、盗聴されたりしているかもしれないという思いを募らせていく 》 証人「平成15年8月にゼミ旅行に行かず、母親と旅行していたことも、母親が本人(山本被告)にないしょで研究室に伝えていましたが、それを『盗聴されている』と感じるようになりました」 《 そしてこの年の12月、忘年会で食中毒になったことで高窪さんや研究室への不信感が一気に高まった 》 証人「このように、さまざまな出来事を被害的にとらえ、食中毒になったことを契機に被害妄想の矛先が高窪教授と研究室に向いていったと考えられます」 「もともと教授というものはえたいが知れないと思っていました。権力や人脈があり、巨大な力を感じていました。就職先に対して、『あの学生は気にくわないから圧力をかけなさい』ということができると思っていました」 「教授というのは雲の上の存在で、尊敬できるし、怖いという思いもありました。高窪先生に対しても恐怖心を持っていたんじゃないかと思います」 「家にいても仕事をしていても、集中できず、一生懸命やっても意味がないと感じるようになっていきました」 《 鑑定医は就職後の妄想性障害が拡大していった過程について説明した。さまざまな些細なことで「ネットで悪口を広められている」「向かいの住民が自分を避けてシャッターを閉める」など妄想をふくらませていったという 》 証人「一連の出来事は、高窪教授を擁護する圧力団体が信用調査会社に依頼して監視しているものと感じ、最終的には命を狙おうとしていると考えるようになっていきました」 「さまざまな出来事をつなぎ合わせ、一つの大きな妄想に発展したと言えるでしょう」 《 鑑定医はここで山本被告の疑り深い性格を木の幹に例えた。木と、リンゴのような形をした木の実の絵をモニターに映し、説明を始める 》 証人「この木の実は疑いを意味しており、環境によって大きくなったり、小さくなったりします。山本被告の場合、この木の幹に、一つの大きな妄想の木の実を付けたといえるでしょう」 証人「事件は山本被告の妄想に基づいており、妄想性障害は、事件に非常に大きな影響を与えているでしょう」 「しかし、行動はとっぴではなく、現実の体験から生じた内容であること、犯行前に何度か躊躇していること、犯行後に自分の妄想の確信が下がっていることから、妄想性障害が犯行時の考えや行動すべてに渡って影響しているわけではないといえます」 《 鑑定医はさらに「すべてに影響していない」とする理由についてこう付け加えた 》 証人「山本被告は法的に悪いという認識があり、目的に即した精密な準備や行動をしています。妄想性障害は本人の疑り深い性格から生じており、訂正できないほど大きな精神障害ではないといえます」 「鑑定結果は以上です」 裁判長「それでは続いて検察側から質問をお願いします」 検察官「鑑定はお一人で実施されたのですか」 証人「いいえ、同じ病院の実績を積んでいる先生と一緒に行いました」 検察官「通常の2、3倍の時間の手間をかけたんですよね?」 証人「はい」 検察官「なぜ高窪教授だけに妄想が向いたのでしょうか」 証人「高窪教授に尊敬やあこがれがあったので、小さな言動で不安になったと考えられます」 検察官「分かりやすい例を挙げるとどういうことでしょうか」 証人「好きな子のちょっとしたしぐさで過剰に不安になったり、疑り深くなったりすることがあります。同じような状態だったと思います」 === 「殺害は自分の意思で決意」と鑑定医 妄想性障害の解消は「難しい面あるかも…」 === 検察官「一般的な精神障害は『あいつを殺せ』という声が聞こえたりするのですか」 証人「それは幻聴と言って、妄想とはまったく違います」 検察官「被告には幻聴はあったのでしょうか」 証人「ありませんでした」 検察官「被告は高窪教授の殺害を決意した後、何度か逡巡し、自分の意志で思いとどまったこともあるそうです。これは、被告が妄想に完全に支配されていたわけではないことを示しているのですか」 証人「そうです」 検察官「妄想の中では、(決意が)揺らがないものもあるのですか」 証人「あります」 検察官「被告の妄想はそこまで強いものではなかったのですか」 証人「そこまで強いものではなかったと思います」 検察官「先生でしたら、どのように治療されますか」 証人「鑑定の中では薬を使わなくても、話を聞く中で、妄想がかなり訂正されていましたので、カウンセリングなどが考えられます。妄想を抑えるために薬を服用する可能性もありますが、彼の場合は、環境を調整するだけで直るかもしれません」 検察官「高度な専門施設でないと治療はできないのでしょうか」 証人「そんなことはありません」 検察官「鑑定中に被告に薬を飲んでもらったことはありますか」 証人「ありません」 検察官「それにもかかわらず、被告の症状が改善したということですか」 証人「はい」 検察官「被告の妄想性障害というのはよくあるものなのですか」 証人「妄想性障害は一般生活に支障がないので、障害を持ちながらも病気と診断されず、一般生活を送っている人もいるかもしれません」 検察官「妄想性障害の人が犯罪を犯しやすいということはあるのでしょうか」 証人「ありません。周囲にいる人は迷惑をかけられているかもしれませんが、特に犯罪に結びつくということはありません」 検察官「被告は平成20年5月に高窪教授の殺害を決意し、8カ月間も入念に準備をしていますが、このときの精神状態はどういうものだったのでしょうか」 証人「鑑定で彼が言っていたのは、『今すぐ殺される』というよりも、『長い目で見たら殺される。精神的に追い込んで、自殺に追い込もうとしているかもしれない』ということでした」 検察官「『武士の精神』という言葉は鑑定で聞きましたか」 証人「はい」 検察官「武士の精神というのは、障害とは関係ありますか」 証人「病気とは関係なく、彼のパーソナリティーによるものだと思います」 検察官「彼が犯行前に思いとどまることを期待できたと思いますか」 証人「おそらく期待できたと思います。高窪教授に食中毒のことなどについて尋ねていれば、事件にならなかったかもしれないです」 証人「もっとさかのぼれば、彼が『精神科に行った方がいいか』と(母親に)尋ねた時点で、周りが受診させていれば違ったかもしれません」 検察官「『人を殺すのは悪いこと』という認識自体に、妄想性障害が影響を与えることはありますか」 証人「それはありません」 検察官「殺害は自分で意志決定をしたということですか」 証人「それは本人の意志で決定したと思います」 弁護人「最後の質問と関連しますが、動機と決意は異なるものととらえていらっしゃるのでしょうか」 証人「動機は感情的なもので、決意はもっと行動にかかわるものです」 弁護人「動機が決意に影響を与えることはありますか」 証人「人によって違います。彼もまったく関連がなかったとは言えません」 弁護人「これまでの被告人質問をご覧になって、鑑定の時と妄想の程度において何か違いはありますか」 証人「鑑定面接のときは、妄想をほぼ否定していました」 弁護人「それは鑑定初期からですか」 証人「初期ではかなり(妄想の)確信度が高いようでした」 弁護人「妄想に罹患した者が、一般の人から『その妄想は勘違いだ』といわれた場合、修正は可能なのですか」 証人「彼の場合はパーソナリティーの影響が大きく、なかなか訂正しづらかったところがあると思います」 《 弁護人は、山本被告の両親の印象についても質問した。女性鑑定医は、両親と3回面談を行い、面談時間は1回あたり4時間程度に及んだという 》 弁護人「両親の言動が妄想に影響した可能性はありますか」 証人「妄想を抱くこと自体に影響はなくても、妄想を抑えるのとは逆の方向に働くことはあったかもしれないと感じました」 弁護人「被告は妄想について修正できるパーソナリティーにあると判断されていますか」 証人「…。修正する行動を取れるだけの認識はあったと思います」 弁護人「これから先、適正な対処があれば妄想性障害を小さくしたり消したりすることはできるのでしょうか」 証人「彼は妄想性パーソナリティー障害を基盤にしているため、難しい面はあるかもしれません」 《「妄想性パーソナリティー障害」とは、妄想を抱きやすい性格傾向のこと。鑑定医は山本被告にはもともと、疑り深い性格があり、これが進行することで「高窪教授が自分の命を狙っている」と考えるようになったという 》 弁護人「さきほど言っていた、環境調整とはどういうことですか」 証人「日々の生活で小さな疑問を持ったときに、彼が相談できる人、それも彼が信頼できる人がいるといいと思います」 検察官「被告が社会に出た場合、症状にはどのような影響が考えられますか」 証人「社会に出た方が、現実的なストレスがあります。今出ると、過剰なストレスや母親の影響で、引きこもったり、妄想を持ったりするかもしれません」 検察官「それは被告の治療面では?」 証人「必ずしもいいとは言えません」 検察官「被告は圧力団体の妄想を捨て切れていませんが、治療でこういう妄想が消えることはありますか」 証人「一つはもともと疑い深い性格なので、100%払拭することは難しいかもしれません。彼は疑いがすべて払拭されていないという状態です。絶対にそれが違うということが証明されないと払拭はされませんが、その証明は難しい。落ち着いた生活を送るうちに、払拭というよりも記憶から薄れていくかもしれません」 === 「後悔する日は来るのか」「再発の可能性は」鑑定医に尋ねる裁判員 === 検察官「先生は薬による治療とおっしゃいましたが、薬を飲むことで妄想を抑えることができるのですか」 証人「妄想を抑える薬と、妄想を抱く(元となる)不安を抑える薬の2つがあります」 検察官「被告は高窪教授に嫌がらせをされたという妄想を抱いていますが、人を殺すという決意には飛躍している印象があります。精神医学的にはどうなのでしょうか」 証人「その点は病気とは関係ないです。武士の精神、やられる前にやるといった考えや、どれほどひどいことをされたので一矢報いるといった彼の性格傾向にあります」 検察官「何回も(高窪教授を)刺した興奮状態は、精神障害によるものですか」 証人「精神障害による興奮のケースは、私が聞いている限りではそうではありません。人を殺したことは皆ないですが、不安がある場合は何回も刺すことはあり得ると思います。ほかの事件でも精神障害ではなく、不安などで何回も刺すことはあります」 裁判長「裁判所からお尋ねしたいことがありますが、少し相談させて頂けないでしょうか」 《 専門的な内容のため、裁判員に考えるための時間を取るようだ。裁判員らは少しほっとした様子で退廷した。約10分間の休廷の後、午後4時35分から審理が再開。今崎裁判長の右側の男性裁判官が鑑定医に質問を始めた 》 裁判官「先ほど、妄想性障害と妄想性パーソナリティー障害の話がありましたが、なぜ、妄想性パーソナリティー障害の枠内に収まらない(妄想性障害)と判断されたのですか」 証人「厳密にここがこう違うというものはなく、連続体のイメージです。妄想性パーソナリティー障害がなくても、妄想性障害になることはあります。彼の場合は、どちらも発展していったものです。どう説明したらいいか難しいですが、性格傾向にとどまらないところがあります」 裁判官「妄想の強さや妄想している時間の長さなどから性格傾向によるものではないと理解してもいいですか」 証人「そうですね。妄想性パーソナリティー障害は疑問がいくつも出ては消えるけれど、(彼の場合は)疑問が結びついて妄想が修正できなくなり、精神障害の範疇になりました」 裁判官「事件の後の面接の中で、妄想が修正されたところがあるということですが、妄想の強さとしてどう理解すればいいですか」 証人「全く修正できない妄想もあります。彼の場合は、ストレスフルな環境だと(妄想に)確信を持ちます。環境が変わると消える揺らぎがあります。環境に影響されやすい彼の特徴があります」 裁判官「環境があって、妄想が強固になったということでよろしいですか」 証人「そういう理解で結構です」 裁判官「動機と殺害決意について確認したいのですが、団体から危害が加えられるというのは妄想の影響ですね?」 証人「はい」 裁判官「団体が自分(山本被告)を傷つけているというのも妄想の影響ですね?」 証人「はい」 裁判官「殺すしかないというのは妄想の影響ですか」 証人「パーソナリティーの方が大きいと考えています」 裁判官「パーソナリティーの性格形成にあたり、両親の影響はありますか」 証人「考えられます」 裁判官「(両親の影響は)大きい、小さいですか」 証人「比較的大きいと思います」 《 続けて男性裁判官は山本被告が聞いたとされる「ありえない」「いじめじゃない」などの言葉が幻聴なのかどうか質問。鑑定医は「言葉を自分に結びつけていて、不安が高まって幻聴のように聞こえることもある」などと説明した 》 裁判官「統合失調症による幻聴ではないのですか」 証人「統合失調症では現実とは関係ないことや、自分が考えている言葉が聞こえてくるなどの幻聴があります。彼の症状はあまり典型的なものではないのです」 裁判長「それでは1番の方」 裁判員「被告は自分が行った行動の重大性の認識に欠けているように見えます。『あの事件は仕方なかった行為』と話していましたが、カウンセリングで後悔する日は来るのか、お伺いしたいです。お願いします」 証人「性格的傾向というか、武士の精神、やられる前にやるなど(の性格)を変えるのは難しい。根気強くやれば、後悔する方向に向かう可能性はあります」 裁判員「可能性はあるということは、いつか…」 証人「そう信じています」 裁判員「完治した場合、どのくらいの期間がかかるのでしょうか。また、再発の可能性はあるのでしょうか」 証人「妄想性障害は治りにくいタイプです。統合失調症と比べ、期間を申し上げにくいです。あとは何ですか?」 裁判員「再発です」 証人「再発はあり得ると思います。(彼の場合は)環境が不安定でストレスがあると疑いを持って考える。違う妄想を抱く可能性はあると思います」 裁判員「ありがとうございました」 裁判官「被告のパーソナリティーの偏りが犯行に影響を与えたとしていますが、どの段階で決定的なパーソナリティーができましたか」 証人「(イジメの被害にあった)中学校時代に傾向が表れ、それが表面に出てきたのが大学のころです」 裁判官「妄想性障害となったのはいつの時期といえますか」 証人「忘年会の食中毒による身体的な異常で、(圧力団体から嫌がらせを受けているという)確信を強めました。あれが妄想性障害になった時期と考えられます」 裁判官「犯行時は最大級に妄想が膨らんだと思いますが、犯行後の面接では妄想の確信度は下がっていましたか」 証人「はい」 裁判官「症状が改善したのですか。病気自体が改善したのですか」 証人「病気自体が改善しました。鑑定の後半には鑑定人に冗談を言う場面も見られ、症状が軽減、妄想性障害自体も軽減していました」 裁判官「まだ妄想性障害の状態に変わりはないですか」 証人「(法廷での)発言を聞いていると、まだ妄想性障害は続いています」 裁判長「被告は犯行直前、かなり周到な準備とシミュレーションを繰り返していました。これほどの周到な計画、準備は珍しいと思うのですが、これは妄想性障害と関係あるのでしょうか」 証人「パーソナリティーの問題ではありますが、妄想性障害と直接関係しているとはいえません。性格の冷静な部分が残り、『失敗したくない』と考えました。障害自体に圧倒されず、冷静に用意を周到に考える平静さを保っていました」 裁判長「妄想性パーソナリティー障害ですが、これは性格の偏りという理解でよろしいですか」 証人「その通りです。アメリカで考えられた診断基準で訳したときに『障害』となりましたが、病気とは違います」 裁判長「妄想性パーソナリティー障害は妄想を持ちやすい性格傾向であり、それに外的ストレス、環境が加わり妄想性障害の病気を発症したということですか」 証人「そういう理解で結構です」 裁判長「リストカットについてはどう解釈したらいいのですか」 証人「これは、妄想性パーソナリティー障害、妄想性障害とは関係ありません。被告の実直な性格があり、『自分に厳しくしないとだらける』と考え、自分を律したり、気合を入れたりするためにやっていました」 次回公判は30日午前10時から始まり、遺族の意見陳述書面の代読後に、検察側の論告求刑と弁護側の最終弁論が行われて結審する予定だ。 (2010.11.29 産経ニュース) == 判決公判(2010年12月) == 裁判長「判決を言い渡します」 「主文。被告を懲役18年に処する。未決勾留日数中230日をその刑に算入いたします」 裁判長「理由の要旨を述べます」 「罪となるべき事実」 山本被告は昨年1月14日、東京都文京区の中央大後楽園キャンパスの1号館4階の男子トイレで、刈り込みばさみを分解して片刃にした自作の刃物で高窪さんの背中や胸などを多数回突き刺して殺害した。 「被告の責任能力について」 裁判長「被告が犯行当時、心神耗弱の状態だったことは当事者間に争いはない。しかし、被告の量刑を決める重要な事情であるので、立ち入って検討する」 今崎裁判長は、法廷での鑑定医の証言を「合理的なものと考える」とし、山本被告が周りの出来事を悪意のあるものと考える「妄想性パーソナリティー障害」があった点を指摘した。 裁判長「望み通り就職先が決まらないことなどから精神障害である妄想性障害を発症し、『被害者を中心とする圧力団体が自分に対し、精神的な苦痛を与え続け、命を狙っている』と強く信じるようになった」 「鑑定医は『精神障害は犯行に至る経緯に大きな影響を与えていたが、犯行当時の考えや行動すべてにわたって強く影響を与えたわけではない』と指摘している。裁判所はこの意見を合理的なものと考えた」 今崎裁判長は「嫌がらせの首謀者をはっきりさせたい」「殺すことで嫌がらせが終わるかどうか答えを見つけるしかない」と山本被告が考えていた点を挙げ、「中心的な動機は妄想に基づいていた」と指摘した。 裁判長「妄想がなければ、決して本件のような犯行を犯さなかったことは明らかである」 「ただし、殺害を決意したことに妄想が直接的な影響を及ぼしたと断定するのは早計である。殺害以外にも被害者に直接会って談判する、警察に相談するなどの手段が考えられた」 今崎裁判長は、山本被告が法廷で「幕末期の武士であれば、嫌がらせを受ければその相手を直ちに切るという発想になったはずだ」と独特の価値観で説明した点を挙げた。 裁判長「武士を引き合いに出した説明は理解でき、犯行を決意する過程における妄想性障害の影響は限られたものだったという鑑定医の意見は納得できる」 次に被害者の行動を確認したり、現場の下見を繰り返した点を挙げ、「極めて綿密、周到に準備し犯行に及んでいる」と指摘した上でこう続けた。 裁判長「被告の一度決めたらやり遂げる性格の表れ、被告が犯行の遂行に向け、計画的かつ冷静に取り組んでいたと理解できる」 「被害者を多数回突き刺すという残忍かつ執拗なものだが、心臓を刺すつもりではずれたことや被害者の反撃が予想外であわてたことを認めている。一見、異様な犯行でも妄想による直接の影響があったとみることは相当ではない」 「結論」 今崎裁判長は「以上の検討をへて被告の責任については以下のような結論に至った」とし、動機には妄想性障害の影響が強く認められ、「犯行までの行動を方向付けた」と指摘した。 裁判長「他方で、殺害を決意してからの行動は、山本被告のもともとの性格や考え方に起因する部分が大きく、妄想の影響は限られたものだった。被告の行動は妄想性障害に基づく妄想の影響以外の心理による判断で犯したといえる部分がある」 「量刑の理由」 判決の朗読は量刑の理由へと移り、裁判長は認定した事件の概要を改めて説明した上で、検察側、弁護側双方の主張を確認した。 裁判長「本件は心神耗弱が認められる事案ではあるが、妄想性障害は動機の形成過程に強く影響を与えた半面、その他の場面、特に殺意の形成から犯行に至るまでの過程への影響が限定的であるという点に特徴がある。従って、まず検察官の主張する犯行の客観的な側面から量刑の大枠を設定し、妄想性障害の影響を中心にした被告の主観的側面を考慮しながら、具体的な量刑を絞り込むという手順が合理的と判断した」 弁護側は、被告を刑務所に収容するのは精神疾患の治療に資するものではないと主張したが、今崎裁判長は妄想性障害の病状やもともとの性格、生活の状況などを考慮すると、刑務所の収容が必ずしも治療にマイナスに働くわけではないと指摘した。 裁判長「検察官が主張する事実のうち、量刑の大枠を決める事情として重視したのは以下の通りである」 今崎裁判長は、高窪教授に落ち度がないこと、鋭利な刃物で8回も体を貫通するほど執拗に刺していること、現場の下見を繰り返し周到に準備していたことを挙げた。 裁判長「以上に対し、被告が妄想性障害に罹患し、その妄想に大きな影響を受けて犯行に及んだという事実は刑を軽くする事情として考慮されるべきである」 裁判長は、圧力団体が命を狙っているという思い込みは妄想の影響を著しく受けているが、殺害を決意し凶行に及んだ行為は、もともとの性格から導き出されたものだと指摘。妄想性障害は刑の軽減において考慮する必要があるが、その程度は限定されたものにとどまると述べた。 裁判長「被告が妄想性パーソナリティー障害を持つに至ったのは、成育歴にも原因があり、妄想性障害を発症して犯行に至ったのは、すべてが被告の責任といえないと考える余地もある。だが、被告より悪い生育環境で育った人はいくらでもおり、量刑上、必ずしも重視すべきではないと判断した」 さらに裁判長は、量刑を考える上で考慮したこととして、遺族の処罰感情が非常に厳しく、昼の大学構内の犯行で社会への影響が無視できない、被告に前科がなく真面目に生活していた、弁護人は障害の治療のために、努力する意向を示していることを挙げた。 続いて裁判長は、量刑を決める上で、これまでの事件の内容と量刑を調べる「量刑検索システム」を活用したことについて述べた。 裁判長「本件と同種の態様、結果、つまり殺人1件、刃物使用、被害者に落ち度がないことなどのデータを入力した殺人事件の量刑分布をみたところ、懲役15年または16年を中心として、懲役3年から無期懲役までに及ぶ量刑グラフが得られた。本件は、心神耗弱を考慮しない場合、その量刑分布では重い方に位置づけられる事案であると考えた」 「そして、そこから心神耗弱による減軽の程度を検討し、合わせて検察官が懲役20年、弁護側が懲役6年を求めていることも参考にして、主文の結論に至った。被告人はもう一度前へ来てください」 《 山本被告は立ち上がり、証言台の前に立った 》 裁判長「判決の言い渡しは以上です。懲役18年。ただし、その中に、勾留されていた未決の230日を算入するということです」 被告「分かりました」 裁判長「あなたはいまだに圧力団体が存在していると思っているようだが、私たちは全くの誤解だと伝えたい。刑務所でも出所後も、自分の障害に向き合い治療に努めてください」 裁判長「そして、もう一つ、あなたの犯行は多くの人に悲しみを与えました。高窪教授のためにも、遺族のためにも冥福を祈ってください」 山本被告「分かりました」 == 関連項目 == * [[証拠開示]] * [[訴訟指揮権]] * [[公判前整理手続]] * [[期日間整理手続]] * [[簡易公判手続]] * [[即決裁判手続]] * [[証拠調べ]] * [[出頭在廷命令]] {{デフォルトソート:やまもと りゆうた}} [[Category:刑事訴訟法]]