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1988年10月11日、[[ライトヘビー級]]でプロデビューするが判定負けを喫し、1年以上リングを離れた。2戦目以降はミドル級前後で経験を重ね、1992年12月4日にUSBA全米ミドル級タイトルを獲得。1993年5月22日、[[ロイ・ジョーンズ・ジュニア]]と空位のIBF世界ミドル級王座を争ったが判定で敗れた。
 
1988年10月11日、[[ライトヘビー級]]でプロデビューするが判定負けを喫し、1年以上リングを離れた。2戦目以降はミドル級前後で経験を重ね、1992年12月4日にUSBA全米ミドル級タイトルを獲得。1993年5月22日、[[ロイ・ジョーンズ・ジュニア]]と空位のIBF世界ミドル級王座を争ったが判定で敗れた。
  
1994年12月17日、セグンド・メルガドとのIBF世界ミドル級王座決定戦で引き分けたが、1995年4月29日の再戦で7回TKOでメルカドを破り、IBF世界ミドル級タイトルを獲得した。1998年8月28日に防衛戦として行われたロバート・アレンとの試合では、4回にレフェリーがクリンチを振りほどく際、ホプキンスがリングから転落して試合続行不可能となり、無効試合に終わった。2001年には主要3団体の王者と1つ下の階級から上がってきた[[フェリックス・トリニダード]]の4人で統一トーナメントが行われ、2001年4月14日には[[キース・ホームズ]]からWBCタイトル、2001年9月29日にはフェリックス・トリニダードから12回TKO勝ちでWBAタイトルを獲得し、[[マービン・ハグラー]]以来の3団体統一王者となった。この2001年には、The Ring 年間最優秀選手賞を受けた。
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1994年12月17日、セグンド・メルガドとのIBF世界ミドル級王座決定戦で引き分けたが、1995年4月29日の再戦で7回TKOでメルカドを破り、IBF世界ミドル級タイトルを獲得した。1998年8月28日に防衛戦として行われたロバート・アレンとの試合では、4回にレフェリーがクリンチを振りほどく際、ホプキンスがリングから転落して試合続行不可能となり、無効試合に終わった。2001年には主要3団体の王者と1つ下の階級から上がってきたフェリックス・トリニダードの4人で統一トーナメントが行われ、2001年4月14日には[[キース・ホームズ]]からWBCタイトル、2001年9月29日にはフェリックス・トリニダードから12回TKO勝ちでWBAタイトルを獲得し、[[マービン・ハグラー]]以来の3団体統一王者となった。この2001年には、The Ring 年間最優秀選手賞を受けた。
  
3団体統一王座を4度防衛後、2004年9月18日にはそれまでKO負けがなった[[オスカー・デ・ラ・ホーヤ]]を左ボディ1発で9回KOに下し、WBO世界ミドル級タイトルも獲得。初の主要4団体の王座統一に成功した。しかし、2005年7月16日に21度目の防衛戦で無敗の若き挑戦者、[[ジャーメイン・テイラー]]に僅差の判定で敗れ、4つのタイトルを失った。ロイ・ジョーンズに敗れて以来12年ぶりの敗戦となり、10年間に渡り守り続けた世界王座を明け渡した。2005年12月3日にはジャーメイン・テイラーとの再戦が行われたが、初戦以上の差で判定負けを喫した。
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3団体統一王座を4度防衛後、2004年9月18日にはそれまでKO負けがなったオスカー・デ・ラ・ホーヤを左ボディの一撃で9回KOに下し、WBO世界ミドル級タイトルも獲得。初の主要4団体の王座統一に成功した。しかし、2005年7月16日に21度目の防衛戦で無敗の若き挑戦者、[[ジャーメイン・テイラー]]に僅差の判定で敗れ、4つのタイトルを失った。ロイ・ジョーンズに敗れて以来12年ぶりの敗戦となり、10年間に渡り守り続けた世界王座を明け渡した。2005年12月3日にはジャーメイン・テイラーとの再戦が行われたが、初戦以上の差で判定負けを喫した。
  
 
翌2006年6月10日、一気に2つ階級を上げ、The Ring ライトヘビー級およびIBO・NBA世界同級チャンピオンの[[アントニオ・ターバー]]に挑戦し、判定勝ちで3つのタイトルを獲得した。この試合がラストファイトと宣言していたが、2007年7月28日にはマンダレイ・ベイ・ホテル&カジノで The Ring タイトルの防衛戦として<ref>[http://boxon.jp/news/002047.php ホプキンス、ライトに3-0判定勝ち] 月刊ワールドボクシング 2007年7月22日</ref><ref>[http://boxrec.com/media/index.php?title=Fight:1163108 Bernard Hopkins vs. Ronald Wright] boxrec.com</ref>元スーパーウェルター級3団体統一王者[[ロナルド・ライト]]と対戦。3回に頭をぶつけてライトの左目からの出血を招き、3-0判定で勝利を収めた。試合前から舌戦が展開されたが、前日計量ではホプキンスがライトの顔を押したことに端を発して両陣営が乱闘になり、これを煽動したとして20万ドルの罰金を科された<ref>AP通信 [http://sports.espn.go.com/sports/boxing/news/story?id=2979488 Hopkins fined $200,000 for weigh-in scuffle with Wright] ESPN 2007年8月17日 {{en icon}}</ref>。
 
翌2006年6月10日、一気に2つ階級を上げ、The Ring ライトヘビー級およびIBO・NBA世界同級チャンピオンの[[アントニオ・ターバー]]に挑戦し、判定勝ちで3つのタイトルを獲得した。この試合がラストファイトと宣言していたが、2007年7月28日にはマンダレイ・ベイ・ホテル&カジノで The Ring タイトルの防衛戦として<ref>[http://boxon.jp/news/002047.php ホプキンス、ライトに3-0判定勝ち] 月刊ワールドボクシング 2007年7月22日</ref><ref>[http://boxrec.com/media/index.php?title=Fight:1163108 Bernard Hopkins vs. Ronald Wright] boxrec.com</ref>元スーパーウェルター級3団体統一王者[[ロナルド・ライト]]と対戦。3回に頭をぶつけてライトの左目からの出血を招き、3-0判定で勝利を収めた。試合前から舌戦が展開されたが、前日計量ではホプキンスがライトの顔を押したことに端を発して両陣営が乱闘になり、これを煽動したとして20万ドルの罰金を科された<ref>AP通信 [http://sports.espn.go.com/sports/boxing/news/story?id=2979488 Hopkins fined $200,000 for weigh-in scuffle with Wright] ESPN 2007年8月17日 {{en icon}}</ref>。

2010年9月3日 (金) 11:15時点における版

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バーナード・ホプキンス
ホプキンス.jpg
2004年1月、シクサーズの試合会場にて
基礎データ
本名 Bernard Hopkins
通称 The Executioner
階級 ミドル級
身長
リーチ
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 1965年1月15日(2024-1965)+((11-1)*100+(10-15)>=0)-1歳)
出生地 ペンシルベニア州フィラデルフィア
没年月日
死没地
所属
構え オーソドックス
入場曲
アマチュアボクシング戦績
総試合数
KO・RSC勝
無効試合
獲得メダル
オリンピック 0 0 0
世界選手権 0 0 0
ヨーロッパ選手権 0 0 0
アジア選手権 0 0 0
世界ユース選手権 0 0 0
世界ジュニア選手権 0 0 0
世界女子選手権 0 0 0
0 0 0
獲得タイトル
全日本選手権優勝 0
全日本社会人選手権優勝 0
全日本女子選手権優勝 0
全国高校総体優勝 0
全国高校選抜優勝 0
国民体育大会優勝 0
0
0
0
プロボクシング戦績
総試合数 58
51
KO勝 32
5
1
無効試合 1
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バーナード・ホプキンス(Bernard Hopkins、1965年1月15日生まれ)は、アメリカ合衆国のプロボクサー。ペンシルベニア州フィラデルフィア出身。元WBC・WBA・IBF・WBO4団体統一世界ミドル級チャンピオン。史上初めて主要4団体の王座を統一した。ニックネームは「死刑執行人」。ボディーワークに長け、切れのあるダイレクトライトとカウンターを得意とする。練習にはレスリングも取り入れている。クリンチ、パンチに続けての頭、ホールドしながらのパンチ、相手のローブローをアピールしての時間稼ぎ、レフェリーが見ていない隙の加撃などでフェリックス・トリニダードオスカー・デ・ラ・ホーヤらを打ち倒してきたヒールであり、死刑執行人の衣装で入場したり、棺桶に入っての登場もあった。

1988年10月11日、ライトヘビー級でプロデビューするが判定負けを喫し、1年以上リングを離れた。2戦目以降はミドル級前後で経験を重ね、1992年12月4日にUSBA全米ミドル級タイトルを獲得。1993年5月22日、ロイ・ジョーンズ・ジュニアと空位のIBF世界ミドル級王座を争ったが判定で敗れた。

1994年12月17日、セグンド・メルガドとのIBF世界ミドル級王座決定戦で引き分けたが、1995年4月29日の再戦で7回TKOでメルカドを破り、IBF世界ミドル級タイトルを獲得した。1998年8月28日に防衛戦として行われたロバート・アレンとの試合では、4回にレフェリーがクリンチを振りほどく際、ホプキンスがリングから転落して試合続行不可能となり、無効試合に終わった。2001年には主要3団体の王者と1つ下の階級から上がってきたフェリックス・トリニダードの4人で統一トーナメントが行われ、2001年4月14日にはキース・ホームズからWBCタイトル、2001年9月29日にはフェリックス・トリニダードから12回TKO勝ちでWBAタイトルを獲得し、マービン・ハグラー以来の3団体統一王者となった。この2001年には、The Ring 年間最優秀選手賞を受けた。

3団体統一王座を4度防衛後、2004年9月18日にはそれまでKO負けがなったオスカー・デ・ラ・ホーヤを左ボディの一撃で9回KOに下し、WBO世界ミドル級タイトルも獲得。初の主要4団体の王座統一に成功した。しかし、2005年7月16日に21度目の防衛戦で無敗の若き挑戦者、ジャーメイン・テイラーに僅差の判定で敗れ、4つのタイトルを失った。ロイ・ジョーンズに敗れて以来12年ぶりの敗戦となり、10年間に渡り守り続けた世界王座を明け渡した。2005年12月3日にはジャーメイン・テイラーとの再戦が行われたが、初戦以上の差で判定負けを喫した。

翌2006年6月10日、一気に2つ階級を上げ、The Ring ライトヘビー級およびIBO・NBA世界同級チャンピオンのアントニオ・ターバーに挑戦し、判定勝ちで3つのタイトルを獲得した。この試合がラストファイトと宣言していたが、2007年7月28日にはマンダレイ・ベイ・ホテル&カジノで The Ring タイトルの防衛戦として[1][2]元スーパーウェルター級3団体統一王者ロナルド・ライトと対戦。3回に頭をぶつけてライトの左目からの出血を招き、3-0判定で勝利を収めた。試合前から舌戦が展開されたが、前日計量ではホプキンスがライトの顔を押したことに端を発して両陣営が乱闘になり、これを煽動したとして20万ドルの罰金を科された[3]

2008年10月18日、34戦全勝 (30KO) 無敗のホープでWBC・WBO統一世界ミドル級チャンピオンのケリー・パブリクとノンタイトル12回戦で対戦。若いパブリクを翻弄して3-0の大差判定勝ちを収めた。2009年12月2日、エンリケ・オルネラスとノンタイトル12回戦で対戦し、3-0判定で勝利。2010年4月3日にはロイ・ジョーンズ・ジュニアとおよそ17年ぶりに再戦し、3-0の判定勝ちを収めた[4]

脚注

関連項目

外部リンク

空位
前タイトルホルダー
ロイ・ジョーンズ・ジュニア
第6代IBF世界ミドル級チャンピオン

1995年4月29日 – 2005年7月16日

次チャンピオン
ジャーメイン・テイラー
前王者
キース・ホームズ
第27代WBC世界ミドル級王者

2001年4月14日 – 2005年7月16日

次王者
ジャーメイン・テイラー
前王者
フェリックス・トリニダード
WBA世界ミドル級スーパー王者

2001年9月29日 – 2005年7月16日

次王者
ジャーメイン・テイラー
前王者
オスカー・デ・ラ・ホーヤ
第16代WBO世界ミドル級王者

2004年9月18日 – 2005年7月16日

次王者
ジャーメイン・テイラー
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