「生まれついての殺し屋」の版間の差分
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*[[クリス・ヘッジズ]] 『本当の戦争―すべての人が戦争について知っておくべき437の事柄』 [[伏見威蕃]]訳、[[集英社]]、[[2004年]]、221頁。 | *[[クリス・ヘッジズ]] 『本当の戦争―すべての人が戦争について知っておくべき437の事柄』 [[伏見威蕃]]訳、[[集英社]]、[[2004年]]、221頁。 | ||
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2016年1月5日 (火) 20:23時点における最新版
以下の内容は著者独自の見解で根拠がないのではないかと言っていた人がいたようです。 |
生まれついての殺し屋(うまれついてのころしや)とは、戦争中、殺人という一般的に嫌悪する行為をストレスなく平然と行うことのできる類型の人間のことである要出典。
人間は、その属する文化の枠組みの中で、モラルという概念が発達しているため、同じホモ・サピエンスである人間をいきなり殺すことにまず躊躇する。特に現代文化では全てのヒトが自分と同様の人間であるという概念が発達しているため、その傾向は著しい。また、初めて殺人を行うと極度の嫌悪感から吐いたり、夜が眠れなくなったりといった様々なストレスを経験する。
その証拠に、第二次世界大戦でのアメリカ軍の発砲率は半分以下だったと言われている。 そのため現代の軍隊では、ゲームなどを用いた訓練によって、条件反射的に発砲が行えるように訓練し、発砲率90%近くを達成しているし、歴史的に見ても様々な文化圏に見られた戦士文化では、敵の殺害を平然と行うことができるような心理に誘導する文化装置や訓練法が発達してきた。例えば日本の武士は江戸時代中期になって太平の世に慣れ、殺伐の気風が薄れるまでは粗相をした奉公人の斬殺を日常的に行ったり、中世には絵巻物語男衾三郎絵詞に 「馬庭のすゑに生首たやすな切り懸よ」と 描写されているように、領内を通過する乞食修業者などと呼ばれる民間宗教家などを捕縛して射殺、斬首することを日ごろのたしなみとするなど殺害に慣れる訓練が常態であった。また東アフリカのボディなどの牛遊牧民には、男性が青少年期に特定の牛に自己同一化した後にその牛を生贄にし、その耐え難い心の喪失感を他部族の殺害で埋めさせて殺戮に駆り立てるなどの文化装置が知られている。
従って、普通の人間は軍隊に入隊して長らく、厳密に言えば60日以上、前線で過ごすと、ほぼ全員が戦場神経症にかかるなど、極限にまで精神が疲労してしまう。
しかし、こういった者とは別に、戦場で何の嫌悪感も躊躇も無く、人を撃ち殺すことができる人間もいる。その数は男性で3% - 4%、女性では1%、男女平均して全体の2%ほどである要出典。このような人物が生まれついての殺し屋と呼ばれている。生まれついての殺し屋には前述したストレスも無縁であり、60日以上いても戦場神経症にもかかることはない。そして相手国に対する全体の殺傷率が50%を越える。
注意したいのは、普通の社会ではごく普通の人間であり、戦場に出てはじめて自分がそういう人間だったと気づいた人間がほとんど、ということである。普通の人間ができないことを何の躊躇も無くやってのける為、ほとんどの同僚がその人物を英雄として扱い、また尊敬する。
なお、快楽殺人者は性欲を満たす為に主に殺人を実行する者なので、生まれついての殺し屋とは呼ばない。