「山形一家3人殺傷事件」の版間の差分
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2010年2月10日 (水) 11:03時点における最新版
山形一家3人殺傷事件とは2006年5月7日に山形県西置賜郡飯豊町のカメラ店で起こった一家3人殺傷事件である。被害者の一人の行動に怨みを抱いた末の犯行であったが、その内容が加害者が被害者の一人に性被害を受けていたというものであったため、様々な疑問が提示された。
事件の経緯[編集]
この事件は5月7日午前3時55分頃、山形県飯豊町の田園地帯の民家に男性が突入し、カメラ店経営の一家3人を襲った事件である[1]。父親・伊藤信吉(当時60歳)と長男覚(当時27歳)が死亡し、母親・秀子(当時54歳)も脳挫傷の重傷を負った[2]。秀子は「お父さんが殺される。助けて」と119番通報をする。秀子には襲撃される心当たりがなく、当初「理由はまったく分からない」と話していた。犯行後の午前10時、現場から数百メートル離れた山林の神社の軒下で右手に血がついたまま座っている男性を発見し、一家殺傷の犯行を認めたため殺人容疑で一家の遠縁の親戚の男性(当時24歳)が逮捕された。
殺人の容疑で逮捕された男性は5月7日は憔悴が激しかったが、5月8日は午前6時半に起床し朝食を取った。男性は覚に恨みがあったと話したが、夫婦の寝室に入ったのは夫婦の寝室だとは知らなかったためと供述した[3]。男性は5月7日夜の取り調べで「長年の恨みがあり、犯行は7日に行うと決めていた」と供述していた。だが、この恨みを抱いた内容が公に発表されると様々な意味で激しい波紋が広まった。犯人の男性は「(少年の頃に覚から)性的なことを強要されたことで、身体的な変調を来し、(犯行を)抑えられなかった」と供述したのであった。男性が覚に性被害を受けたのは小学4年の話だった[4]。実際、覚の顔だけに執拗に殴った大きな傷があることも判明した。弁護側など一部ではPTSD説もあったのだが、精神鑑定は地裁が却下した。
被告の男性の一家と覚の一家は遠縁の親戚同士であり男性と覚は幼馴染であった。犯人の男性は、年明けに覚が結婚する事を知り、小学校時代の性的いじめ(虐待)に対する報復として犯行を決意した。覚には婚約者がおり、10月にはハワイで挙式する予定であった。信吉と秀子に関しては殺意を否定し、悪い事をしたという証言も出た。凶器は「ブラックニンジャソード」と呼ばれる特殊な刃物であった[5]。形状は刃渡り約45センチで全長約70センチ、柄が約25センチの両刃の刃物であった。調べに対し被告の男性は「数年前に東京の専門学校に通っていた時に買った」とこの刃物の入手経路を供述した。
裁判[編集]
公判ではいじめ・性的暴行に関しての問題が争われた。2007年3月30日、検察は被告が幼い頃、覚から受けた性的ないじめによる恨みについては異論は無かったが、反社会的な性格は改善不可能として被告に死刑を求刑した[6]。4月12日の最終弁論で、弁護側は信吉・秀子に対する殺意は無かった事やPTSDに罹患している可能性を訴え、被告は「裁判を通して、遺族や被害者の怒りや悲しみを知った。一生を掛けて償っていきいたい」と述べ深々と頭を下げた[7]。検察側が挙げた永山基準に関しては、弁護側はこの基準は「定立」したものではないと主張した[8]。
5月23日、山形地方裁判所(金子武志裁判長)はかつて性的暴行を受けた事などを考慮すると更生の余地が全く無いとは言えないとして、死刑の求刑に対し減軽された無期懲役の一審判決を下した[9]。判決では攻撃の執拗性から3人全員に殺意があったとされた[10]。PTSDについては、「少なくとも疑われる症状はあった」とし可能性は否定しなかった上で、責任能力については「冷静な思考を保っており、計画性があった」として責任能力は認めた[11]。その一方で過去の経験が人格形成や殺意に大きく影響していた事は否定しがたいとした[12]。犯行の計画性が十分なものであったかに関しては「犯行前に体調が変化し、犯行の計画性は決して綿密なものではなかった」として、衝動的な部分もあるとした[13]。裁判長は最後に被告に「死刑選択も十分に考えた。その意味を考え、今後の反省につなげてほしい」と語りかけ、被告は「はい」と小声で答えた[4]。山形地検は6月4日、仙台高裁に控訴。
脚注[編集]
- ↑ (2007-5-23) 飯豊の殺傷、被告に無期判決 山形地裁「結果は重大」 山形新聞 2007-5-23 [ arch. ] 5月23日
- ↑ (2006-5-7) 民家に侵入、父と長男殺害/隣家の男を逮捕 四国新聞 2006-5-7 [ arch. ] 5月22日
- ↑ (2006-5-8) 一家への恨みに発展か/山形の親子殺害事件 四国新聞 2006-5-8 [ arch. ] 5月22日
- ↑ 4.0 4.1 (2007-5-23) 山形家族3人殺傷:性的暴行被害の25歳被告に無期懲役 MSN毎日インタラクティブ 2007-5-23 [ arch. ] 5月23日
- ↑ (2007-8-10) マニア向け「忍者刀」所持 陸自隊員ら16人書類送検 SankeiWeb 2007-8-10 [ arch. ] 8月25日
- ↑ (2007-3-30) カメラ店一家3人殺傷で死刑求刑 日刊スポーツ 2007-3-30 [ arch. ] 5月22日
- ↑ (2007-4-13) 山形・飯豊町3人殺傷事件 最終弁論 産経新聞 2007-4-13 [ arch. ] 5月22日
- ↑ (2007-4-12) 「一生償う機会を」と弁護側-飯豊殺傷事件の裁判が結審 山形新聞 2007-4-12 [ arch. ] 5月23日
- ↑ (2007-5-23) 山形・飯豊町3人殺傷に無期懲役、被告の殺意認める 読売新聞 2007-5-23 [ arch. ] 5月23日
- ↑ (2007-5-23) 一家3人殺傷で無期懲役 死刑を回避、山形地裁 東京新聞 2007-5-23 [ arch. ] 5月23日
- ↑ (2007-5-23) 山形・カメラ店一家3人殺傷事件で、無期懲役の判決 アサヒ・コム 2007-5-23 [ arch. ] 5月23日
- ↑ (2007-5-23) 山形・飯豊の父子殺害 被告に無期懲役 地裁判決 河北新報 2007-5-23 [ arch. ] 5月23日
- ↑ (2007-5-23) 山形一家3人殺傷、被告に無期判決 TUFニュース速報 2007-5-23 [ arch. ] 5月23日