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2022年11月26日 (土) 21:47時点における最新版
知里 幸恵(ちり ゆきえ、1903年6月8日 - 1922年9月18日)は北海道登別市出身のアイヌで『アイヌ神謡集』の著者である。弟に言語学者の知里真志保がいる。
人物[編集]
祖母がユーカラクル(ユーカラを謡う人の意)であった幸恵は失われつつあるアイヌの文化を後世に伝えるべく北海道を訪れた金田一京助のユーカラ研究に助力し、自ら『アイヌ神謡集』を著す(1923年8月10日出版)。その出版の前年1922年9月18日、幸恵は『アイヌ神謡集』の原稿チェックを全て終えた後、持病の心臓病のため19歳で死去したがアイヌの人々のみならず多くの人々にアイヌの民族・伝統・文化・言語を広く知らしめた。この幸恵の使命感あふれる熱意は21世紀に入りさらに広がりを見せ、2003年の生誕100年をきっかけに幸恵の生地・ヌプルペッ(登別)に幸恵の記念館(仮称・銀のしずく記念館)を建設しようという強い動きとなり建設募金運動が続いている(下記、募金委員会HPを参照)。
1990年、幸恵の文学碑は幸恵が伯母の金成マツ、祖母のモナシノウクとともに過ごした旭川・チカプニ(近文)の北門中学校の構内に荒井和子を中心とした市民の募金により建てられ、毎年幸恵の戸籍上の誕生日である6月8日にチカプニのアイヌの人々の主催で生誕祭がおこなわれている。
生誕地の登別では2000年より毎年、幸恵の命日である9月18日の前の連休ごろに知里むつみ(幸恵の姪)を中心とするNPO法人「知里森舎」によって、幸恵や幸恵が命をかけて残した「カムイユカラ」を中心とするアイヌ文化などについて考えるイベントが開かれている。
2008年10月15日にはNHKの『その時歴史が動いた』で幸恵が取り上げられたほか、2006年1月には2008年度のノーベル文学賞を受賞したフランスの作家ジャン=マリ・ギュスターヴ・ル・クレジオがル・クレジオとともに『アイヌ神謡集』のフランス語訳の出版(ガリマール社)を実現した作家の津島佑子と幸恵の墓参に訪れている(募金委員会HPを参照)。
関連項目[編集]
関連文献[編集]
- 大友幸男『金田一京助とアイヌ語』三一書房、2001年
- 丸山隆司『〈アイヌ〉学の誕生-金田一と知里と』彩流社、2002年
- 北海道文学館(編)『知里幸恵「アイヌ神謡集」への道』東京書籍、2003年
- 知里森舎(編)『知里幸恵ノート(復刻版)』知里森舎、2003年
- 村井紀『南島イデオロギーの発生―柳田国男と植民地主義』 岩波書店、2004年(岩波現代文庫=初出1992年、福武書店)
- 西成彦・崎山政毅編『異郷の死-知里幸恵、そのまわり』人文書院、2007年
- 安田敏朗『金田一京助と日本語の近代』平凡社新書、2008年
外部リンク[編集]
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