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== 調印式 ==
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[[ポツダム宣言]]受諾が公表された[[玉音放送]]からおよそ半月後の1945年9月2日、[[東京湾]]上の[[アメリカ]]戦艦[[ミズーリ (戦艦)|ミズーリ]]の[[甲板 (船)|甲板]]上において調印された<ref name="sengo">[https://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/qa/sengo_02.html 外交史料 Q&A 昭和戦後期] 外務省、2018年6月1日閲覧。</ref>。
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内容は以下の通り。
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* 天皇、日本国政府及び大本営の名においてポツダム宣言を受諾する
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* 所在地に関わらず全[[日本軍]]及び日本の支配下にある全軍隊に対し[[無条件降伏]]を布告する
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* 日本軍と国民に対し、敵対行為を中止すること、[[船舶]]・[[航空機]]、軍用非軍用を問わず財産の毀損を防ぐこと及び[[連合国軍最高司令官]]又はその指示に基づき日本国政府の諸機関が下す要求・命令に従うことを命じる{{efn2|[[横浜事件]]の判決言い渡しは調印前だったため、[[戦争犯罪|戦犯]]([[政治犯]]を作り出した罪で)訴追を恐れた当局側によって公判記録が全部焼却処分され、現存しない。関係者は判決文謄本を証拠として再審請求せざるを得なかった。ポツダム宣言受諾と降伏決定が国民に告示された8月15日が降伏した日ではない。}}
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* その所在地に関わらず、全日本軍及び日本の支配下にある全軍隊の指揮官に対し、自身及び指揮下の全軍隊が無条件降伏する旨の命令を直ちに発することを命じる
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* 公務員と陸海軍の職員に対し、本降伏実施のために連合国軍最高司令官が発する布告・命令・指示に従うこと及び引続き各自の地位に留まり非戦闘的任務を行うことを命じる
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* ポツダム宣言を誠実に履行すること及びそのために必要な命令を発しかつかかる一切の措置を取ることを約する
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* 日本国政府と大本営に対し、現に支配下にある連合軍俘虜及び被抑留者を即時解放し保護・手当・給養及び移送のための措置を命じる
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* 天皇及び日本国政府の国家統治の権限は本降伏条項を実施する為適当と認める措置を執る連合国軍最高司令官の制限の下に置かれる{{efn2|"… the authority of the Emperor and the Japanese Government to rule the state shall be '''subject to''' the Supreme Commander of the Allied powers … "の部分は、ポツダム宣言に係わる[[ジェームズ・F・バーンズ|バーンズ]]回答と同一である([https://en.wikisource.org/wiki/Japan%27s_Surrender_Communiqu%C3%A9s#Reply_to_Japan.27s_First_Surrender_Offer Reply to Japan's First Surrender Offer])。 この subject to は「従属する」の意であるが、[[外務省]]は双方とも「制限ノ下ニ置カルルモノトス」と訳している。[[ポツダム宣言#発表後の反応]]も参照。}}
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=== 式の当日 ===
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[[連合国軍最高司令官]][[ダグラス・マッカーサー]]が調印の式場に[[ミズーリ (戦艦)#降伏文書調印式|ミズーリの艦上]]を選んだのは、洋上であれば式典を妨害されないこと、ミズーリが時の大統領であった[[ハリー・S・トルーマン]]の出身州であり大統領の娘が艦名の命名者であったこと、米国海軍にも花を持たせたいと考えたことがその理由とされている<ref name="masuda(2009)p.319">[[増田弘]]『マッカーサー』、P.319、中公新書、2009年</ref>。
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ミズーリはかつて東京湾で[[マシュー・ペリー|ペリー]]が、[[日米和親条約]]調印の際に旗艦[[ポーハタン (蒸気フリゲート)|ポーハタン号]]を停泊させていたのと同じ位置に停泊したとされ、これはマッカーサーの演出とされている<ref name="chrono">[http://www3.nhk.or.jp/nhkworld/ja/chronology/chrono/1946-1951.html 国際放送の80年 1946-1951] NHKワールド、2018年6月1日閲覧。</ref>。
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式典は1945年9月2日午前9時に始まり、まずマッカーサーが砲塔前で演説を行った<ref name="masuda(2009)p.319" />。
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日本側から[[天皇]]および[[大日本帝国]]政府を代表し[[重光葵]][[外務大臣 (日本)|外務大臣]]が、[[大本営]]を代表し[[梅津美治郎]][[参謀本部 (日本)|参謀総長]]が署名した<ref name="sengo" />。
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連合国側からは、まず連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーが4連合国(米、英、ソ、中)を代表するとともに、日本と戦争状態にあった他の連合国を代表して署名を行った<ref name="sengo" />。続いて各国代表が署名した。
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* [[アメリカ合衆国|アメリカ]]代表:[[チェスター・ニミッツ]][[元帥 (アメリカ合衆国)|海軍元帥]]
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* [[中華民国の歴史|中華民国]]代表:[[徐永昌]][[中華民国陸軍|国民政府軍令部部長]]のち[[一級上将|上将]]
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* [[イギリス帝国|イギリス]]代表:[[ブルース・フレーザー]][[イギリス海軍|海軍大将]]のち[[元帥 (イギリス)|元帥]]
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* [[ソビエト連邦|ソ連]]代表:[[クズマ・デレビヤンコ]]{{enlink|Kuzma Derevyanko|a=on}}[[ソビエト連邦軍|ソ連軍]]中将
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* [[オーストラリア]]代表:[[トーマス・ブレイミー]]{{enlink|Thomas Blamey|a=on}}[[オーストラリア陸軍|陸軍大将]]のち元帥
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* [[カナダ]]代表:[[ローレンス・ムーア・コスグレーヴ]]{{enlink|Lawrence Moore Cosgrave|a=on}}[[カナダ陸軍|陸軍大佐]]
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* [[フランス共和国臨時政府|フランス]]代表:[[フィリップ・ルクレール]][[自由フランス軍|陸軍大将]]
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* [[オランダ王国|オランダ]]代表:[[コンラッド・ヘルフリッヒ]][[オランダ海軍|海軍中将]]
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* [[ニュージーランド自治領|ニュージーランド]]代表:[[レナード・モンク・イシット]]{{enlink|Leonard Monk Isitt (RNZAF officer)|a=on}}[[ニュージーランド軍|空軍中将]]
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降伏文書は2通作成され、そのうちの1通([[外交史料館]]所蔵)はカナダ代表が署名の箇所を誤ったため、以後の代表は署名欄を一段ずつずらして署名し、調印式終了後に国名が訂正されている<ref name="sengo" />。
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;以下はその他の主な参列者
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* 日本全権随員
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** [[大日本帝国陸軍|帝国陸軍]]:[[宮崎周一]]中将、[[永井八津次]]少将、[[杉田一次]]大佐
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** [[大日本帝国海軍|帝国海軍]]:[[富岡定俊]]少将、[[横山一郎]]少将、[[柴勝男]]大佐
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** 外務省:[[岡崎勝男]][[終戦連絡中央事務局]]長官、[[加瀬俊一 (1925年入省)|加瀬俊一]]秘書官<ref>当時者として多くの回想記を著した。</ref>、[[太田三郎 (外交官)|太田三郎]]終戦連絡部長
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* 英:[[アーサー・パーシバル]]中将
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* 米:[[ウィリアム・ハルゼー・ジュニア]]大将(会場責任者)、[[ジョセフ・スティルウェル]]大将、[[ジョン・S・マケイン・シニア]]中将、[[ジョナサン・ウェインライト]]中将
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* 中:楊宣誠[[中華民国海軍|海軍中将]]、朱世明中将、王之少将、李樹正[[中華民国国軍の階級|上校(大佐)]]、王丕承上校
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23分間にわたる式典の模様は通信艦船[[アンコン (揚陸指揮艦)|アンコン号]]を通じて全世界に中継された<ref name="chrono" />。
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=== 文書の保管 ===
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2通作成された降伏文書のうち、連合国側の1通は米国の[[アメリカ国立公文書記録管理局|国立公文書館]](National Archives)に保管され<ref name="sengo" />、もう1通は日本側のもので[[外務省外交史料館|外交史料館]]で所蔵している<ref name="sengo" />。原本は節目に一般公開されており日本側所蔵の原本が近年公開されたのは、戦後70年となる2015年8月31日から9月12日。場所は外交史料館の展示室にて「[[一般命令第一号]]」と共に特別展示された<ref name="genpon">[https://www.mofa.go.jp/mofaj/ms/da/page22_002192.html 戦後70年企画「降伏文書」「指令第一号」原本特別展示降伏と占領開始を告げる二つの文書] 外務省外交史料館 2015年8月31日</ref>。普段は、日本側所蔵の文書のレプリカ(完全謄本)が展示されている<ref name="sengo" />。
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== 降伏文書調印に関する詔書 ==
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以上を受けて[[昭和天皇]]は「[[s:大東亞戰爭終結ニ關スル關係文書調印ニ關スル件|降伏文書調印に関する詔書]]」を発した<ref>[{{NDLDC|2962095/1}} 『官報』号外、昭和20年9月2日、p.1]</ref>。
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== 紙 ==
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降伏文書に使用された紙は耐久性の高い[[白石和紙]]が使用されたが、これは[[1943年]]に[[宮内省]]に重要記録用紙用で納入された物である<ref>紙の手技 笹気出版編 2003年 13-14頁。</ref>。
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== ペリー提督との関係 ==
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日本の降伏文書の際、アメリカ合衆国側は2つの星条旗を掲げた。48州の星条旗と31州の星条旗であった。
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重光葵は、'''二つの異なる星条旗'''が飾られていることに気づいたとされる。
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== 脚注 ==
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=== 注釈・出典 ===
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== 関連項目 ==
 
== 関連項目 ==
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* [[カサブランカ会談]]
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* [[欧州戦線における終戦 (第二次世界大戦)]]
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* [[無条件降伏]]
 
* [[ポツダム宣言]]
 
* [[ポツダム宣言]]
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* [[日本の降伏]]
 
* [[終戦の日]]
 
* [[終戦の日]]
* [[大東亜戦争]]
+
* [[対日戦勝記念日]]
* [[連合国軍最高司令官総司令部]]
+
* [[連合国軍占領下の日本]]
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* [[連合国軍最高司令官総司令部]] (GHQ)
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* [[ポツダム命令]]
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* [[極東国際軍事裁判]](東京裁判)
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* [[太平洋戦争]]([[大東亜戦争]])
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* [[パーカー (筆記具ブランド)#デュオフォールド|デュオフォールド]] - マッカーサーが署名に使用したパーカー製万年筆。現在では「平和のペン」として宣伝されている。
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* [[日本国との平和条約]](サンフランシスコ講和条約)
  
 
== 外部リンク ==
 
== 外部リンク ==
 
* [http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/docs/19450902.O1J.html 降伏文書(日本語訳文)]、[http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/docs/19450902.O1E.html (英語)] - 東京大学東洋文化研究所 田中明彦研究室
 
* [http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/docs/19450902.O1J.html 降伏文書(日本語訳文)]、[http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/docs/19450902.O1E.html (英語)] - 東京大学東洋文化研究所 田中明彦研究室
 
* [http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/01/021shoshi.html 降伏文書調印に関する詔書] - 国立国会図書館
 
* [http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/01/021shoshi.html 降伏文書調印に関する詔書] - 国立国会図書館
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* {{Youtube|Yh57jkS0Vaw|JAPANESE SIGN FINAL SURRENDER on USS Missouri {{Nowiki|[subtitled/HQ]}}}}(英語字幕)- アメリカ国立公文書記録管理局
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* [https://www.youtube.com/watch?v=pX8hyM1a-sg The Day Japan Surrendered, Ending WWII] NBC News
  
 
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2024年9月23日 (月) 17:03時点における最新版

降伏文書(こうふくぶんしょ)とは昭和20年(1945年9月2日日本連合国との間で交わされた休戦協定の名称である。ポツダム宣言の履行、日本軍の無条件降伏、天皇及び日本国政府の国家統治の権限が本降伏条項を実施する為適当と認むる処置を執る連合国最高司令官の制限の下に置かれる事が正式に合意された。

東京湾上の米・戦艦ミズーリに於いて調印された。日本側は天皇・日本政府の命に依り且その名に於いて重光葵外相が、また大本営の命に依り、かつその名に於いて梅津美治郎参謀総長が署名した。連合国側は連合軍最高司令官ダグラス・マッカーサーのほか、合衆国代表、中華民国代表、イギリス代表、ソ連代表、オーストラリア代表、カナダ代表、フランス代表、オランダ代表、ニュージーランド代表が署名した。

調印式[編集]

ポツダム宣言受諾が公表された玉音放送からおよそ半月後の1945年9月2日、東京湾上のアメリカ戦艦ミズーリ甲板上において調印された[1]

内容は以下の通り。

  • 天皇、日本国政府及び大本営の名においてポツダム宣言を受諾する
  • 所在地に関わらず全日本軍及び日本の支配下にある全軍隊に対し無条件降伏を布告する
  • 日本軍と国民に対し、敵対行為を中止すること、船舶航空機、軍用非軍用を問わず財産の毀損を防ぐこと及び連合国軍最高司令官又はその指示に基づき日本国政府の諸機関が下す要求・命令に従うことを命じる

[2]

  • その所在地に関わらず、全日本軍及び日本の支配下にある全軍隊の指揮官に対し、自身及び指揮下の全軍隊が無条件降伏する旨の命令を直ちに発することを命じる
  • 公務員と陸海軍の職員に対し、本降伏実施のために連合国軍最高司令官が発する布告・命令・指示に従うこと及び引続き各自の地位に留まり非戦闘的任務を行うことを命じる
  • ポツダム宣言を誠実に履行すること及びそのために必要な命令を発しかつかかる一切の措置を取ることを約する
  • 日本国政府と大本営に対し、現に支配下にある連合軍俘虜及び被抑留者を即時解放し保護・手当・給養及び移送のための措置を命じる
  • 天皇及び日本国政府の国家統治の権限は本降伏条項を実施する為適当と認める措置を執る連合国軍最高司令官の制限の下に置かれる

[3]


式の当日[編集]

連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーが調印の式場にミズーリの艦上を選んだのは、洋上であれば式典を妨害されないこと、ミズーリが時の大統領であったハリー・S・トルーマンの出身州であり大統領の娘が艦名の命名者であったこと、米国海軍にも花を持たせたいと考えたことがその理由とされている[4]

ミズーリはかつて東京湾でペリーが、日米和親条約調印の際に旗艦ポーハタン号を停泊させていたのと同じ位置に停泊したとされ、これはマッカーサーの演出とされている[5]

式典は1945年9月2日午前9時に始まり、まずマッカーサーが砲塔前で演説を行った[4]

日本側から天皇および大日本帝国政府を代表し重光葵外務大臣が、大本営を代表し梅津美治郎参謀総長が署名した[1]

連合国側からは、まず連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーが4連合国(米、英、ソ、中)を代表するとともに、日本と戦争状態にあった他の連合国を代表して署名を行った[1]。続いて各国代表が署名した。

降伏文書は2通作成され、そのうちの1通(外交史料館所蔵)はカナダ代表が署名の箇所を誤ったため、以後の代表は署名欄を一段ずつずらして署名し、調印式終了後に国名が訂正されている[1]

以下はその他の主な参列者

23分間にわたる式典の模様は通信艦船アンコン号を通じて全世界に中継された[5]

文書の保管[編集]

2通作成された降伏文書のうち、連合国側の1通は米国の国立公文書館(National Archives)に保管され[1]、もう1通は日本側のもので外交史料館で所蔵している[1]。原本は節目に一般公開されており日本側所蔵の原本が近年公開されたのは、戦後70年となる2015年8月31日から9月12日。場所は外交史料館の展示室にて「一般命令第一号」と共に特別展示された[7]。普段は、日本側所蔵の文書のレプリカ(完全謄本)が展示されている[1]

降伏文書調印に関する詔書[編集]

以上を受けて昭和天皇は「降伏文書調印に関する詔書」を発した[8]

[編集]

降伏文書に使用された紙は耐久性の高い白石和紙が使用されたが、これは1943年宮内省に重要記録用紙用で納入された物である[9]

ペリー提督との関係[編集]

日本の降伏文書の際、アメリカ合衆国側は2つの星条旗を掲げた。48州の星条旗と31州の星条旗であった。

重光葵は、二つの異なる星条旗が飾られていることに気づいたとされる。

脚注[編集]

注釈・出典[編集]

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 1.6 外交史料 Q&A 昭和戦後期 外務省、2018年6月1日閲覧。
  2. 横浜事件の判決言い渡しは調印前だったため、戦犯政治犯を作り出した罪で)訴追を恐れた当局側によって公判記録が全部焼却処分され、現存しない。関係者は判決文謄本を証拠として再審請求せざるを得なかった。ポツダム宣言受諾と降伏決定が国民に告示された8月15日が降伏した日ではない。
  3. "… the authority of the Emperor and the Japanese Government to rule the state shall be subject to the Supreme Commander of the Allied powers … "の部分は、ポツダム宣言に係わるバーンズ回答と同一である(Reply to Japan's First Surrender Offer)。 この subject to は「従属する」の意であるが、外務省は双方とも「制限ノ下ニ置カルルモノトス」と訳している。ポツダム宣言#発表後の反応も参照。
  4. 4.0 4.1 増田弘『マッカーサー』、P.319、中公新書、2009年
  5. 5.0 5.1 国際放送の80年 1946-1951 NHKワールド、2018年6月1日閲覧。
  6. 当時者として多くの回想記を著した。
  7. 戦後70年企画「降伏文書」「指令第一号」原本特別展示降伏と占領開始を告げる二つの文書 外務省外交史料館 2015年8月31日
  8. 『官報』号外、昭和20年9月2日、p.1
  9. 紙の手技 笹気出版編 2003年 13-14頁。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]


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