「木村次郎右衛門」の版間の差分
(同じ利用者による、間の3版が非表示) | |||
5行目: | 5行目: | ||
== 人物・来歴 == | == 人物・来歴 == | ||
− | + | 1897年4月19日(実際には3月19日)、三宅家の6人兄弟姉妹の3番目に生まれ、金治郎と命名される。木村家に跡取りとして[[婿入り]]し、9代目・次郎右衛門を名乗るようになった。[[中京郵便局|京都郵便局]]通信生養成所を卒業後、20歳から65歳までの45年間、[[郵便局]]にて勤め、1920年代には[[日本統治時代の朝鮮]]において[[朝鮮総督府逓信局|政府の通信部門]]に勤めた経験も持つ<ref name="K20130612005995560" />。歌手[[三島一聲|三嶋一聲]]の妹、木村八重と結婚。8人の子を育てた。長男は[[近衛兵]]であったことが誇りだった。[[1962年]]に退職したが、それ以降も90歳になるまで畑仕事を続けていた<ref name="MSN13062918000021">{{Cite news|title=長寿世界一の秘密は「腹六分目」と「自己流体操」…116歳・木村次郎右衛門さんが語り残した「食細くして命永かれ」(1/3ページ)|newspaper=MSN産経ニュース|date=2013-06-29|url=http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130629/wlf13062918000021-n1.htm|access-date=2022-08-02|archive-url=https://web.archive.org/web/20130703161357/http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130629/wlf13062918000021-n1.htm|archive-date=2013-07-03}}</ref>。生前、何歳まで生きたいかという質問に対し、「目標は120歳」と答えたという<ref name="MSN13062918000021" />。 | |
晩年は孫の妻との2人暮らしで<ref name="K20130612005995560">{{Cite news |title=長寿世界一 116歳の木村次郎右衛門氏死去|url=http://www.sponichi.co.jp/society/news/2013/06/12/kiji/K20130612005995560.html|date=2013-06-12|newspaper=スポニチ Sponichi Annex|publisher=スポーツニッポン新聞社|archiveurl=https://web.archive.org/web/20130616061643/http://www.sponichi.co.jp/society/news/2013/06/12/kiji/K20130612005995560.html|archivedate=2016-06-16}}</ref>、毎日午前5時半に起床し、午後8時に就寝する生活を送っており、食生活も朝は[[ヨーグルト]]や[[サツマイモ]]、[[梅干し]]を食し、夜は[[牛乳]]を飲むことを習慣としていたという。好き嫌いはなく、食べる量も自分で決めていた。特に[[ジャガイモ]]が好物であったという<ref name="MSN1009141049000" />。足腰が弱っているため外出は通院に限られた。[[新聞]]は[[天眼鏡]]を使いながら1時間から2時間、長いときには3時間かけて読む<ref name="MSN1009141049000" /><ref name="yomiuri20090911"></ref>。[[テレビ番組]]は[[国会中継]]や[[大相撲]]を欠かさず視聴するという<ref name="MSN1009141049000" /><ref>{{cite news | 晩年は孫の妻との2人暮らしで<ref name="K20130612005995560">{{Cite news |title=長寿世界一 116歳の木村次郎右衛門氏死去|url=http://www.sponichi.co.jp/society/news/2013/06/12/kiji/K20130612005995560.html|date=2013-06-12|newspaper=スポニチ Sponichi Annex|publisher=スポーツニッポン新聞社|archiveurl=https://web.archive.org/web/20130616061643/http://www.sponichi.co.jp/society/news/2013/06/12/kiji/K20130612005995560.html|archivedate=2016-06-16}}</ref>、毎日午前5時半に起床し、午後8時に就寝する生活を送っており、食生活も朝は[[ヨーグルト]]や[[サツマイモ]]、[[梅干し]]を食し、夜は[[牛乳]]を飲むことを習慣としていたという。好き嫌いはなく、食べる量も自分で決めていた。特に[[ジャガイモ]]が好物であったという<ref name="MSN1009141049000" />。足腰が弱っているため外出は通院に限られた。[[新聞]]は[[天眼鏡]]を使いながら1時間から2時間、長いときには3時間かけて読む<ref name="MSN1009141049000" /><ref name="yomiuri20090911"></ref>。[[テレビ番組]]は[[国会中継]]や[[大相撲]]を欠かさず視聴するという<ref name="MSN1009141049000" /><ref>{{cite news | ||
85行目: | 85行目: | ||
== 死と葬儀 == | == 死と葬儀 == | ||
2013年6月12日午前2時8分、[[京丹後市]]内の病院で[[老衰]]のため死去。葬儀・告別式は[[6月14日]]に行われ<ref>{{Cite news|title=いつまでも「輝く宝」で 木村次郎右衛門さん告別式 : 京都新聞|date=2013-06-14|url=http://www.kyoto-np.co.jp/politics/article/20130614000084|archiveurl=https://web.archive.org/web/20130626194835/http://kyoto-np.co.jp/politics/article/20130614000084|archivedate=2013-06-26}}</ref>、親族ら130人が出席した。京丹後市長の中山泰が「日本と世界に元気を与えてくれました。市の輝く宝であり続けます」と弔辞を述べた後、[[安倍晋三]]首相(当時)の弔電も読み上げられた。 | 2013年6月12日午前2時8分、[[京丹後市]]内の病院で[[老衰]]のため死去。葬儀・告別式は[[6月14日]]に行われ<ref>{{Cite news|title=いつまでも「輝く宝」で 木村次郎右衛門さん告別式 : 京都新聞|date=2013-06-14|url=http://www.kyoto-np.co.jp/politics/article/20130614000084|archiveurl=https://web.archive.org/web/20130626194835/http://kyoto-np.co.jp/politics/article/20130614000084|archivedate=2013-06-26}}</ref>、親族ら130人が出席した。京丹後市長の中山泰が「日本と世界に元気を与えてくれました。市の輝く宝であり続けます」と弔辞を述べた後、[[安倍晋三]]首相(当時)の弔電も読み上げられた。 | ||
+ | |||
+ | ==その他== | ||
+ | 石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら、石崎伝蔵さんや中願寺雄吉さんと並ぶ男性長寿三英傑の1人であり、三英傑に例えると[[徳川家康]]にあたる。日本人男性として初めて115・116歳に達して、中願寺雄吉さんが達成した男女を含めた長寿世界一になって、その中願寺さんが達成できなかった日本人男性歴代最高齢者どころか世界全体での男性歴代最高齢者になって、特定の年(1897年)生まれの日本どころか世界全体で男性どころか男女を含めた最後の生き残りになったのが、秀吉が成し遂げた天下統一を行い、その秀吉がなれなかった征夷大将軍になって江戸幕府を開いた徳川家康と似ているから。 | ||
== 脚注 == | == 脚注 == | ||
99行目: | 102行目: | ||
* [[田中カ子]] - 女性の日本及びアジア史上最高齢。 | * [[田中カ子]] - 女性の日本及びアジア史上最高齢。 | ||
* [[センテナリアン]] | * [[センテナリアン]] | ||
+ | * [[日本の長寿者]] | ||
{{S-start}} | {{S-start}} | ||
{{s-ach|rec}} | {{s-ach|rec}} | ||
{{Succession box | {{Succession box | ||
− | | title = [[長寿| | + | | title = [[長寿|戸籍上での存命人物のうち世界最高齢]] |
| years = 2012年12月17日 - 2013年6月12日 | | years = 2012年12月17日 - 2013年6月12日 | ||
| before = {{Nowrap|[[ディーナ・マンフレディーニ]]}} | | before = {{Nowrap|[[ディーナ・マンフレディーニ]]}} |
2024年2月10日 (土) 23:31時点における最新版
木村 次郎右衛門(きむら じろうえもん、1897年〈明治30年〉4月19日[1]/3月19日[注釈 1] - 2013年〈平成25年〉6月12日[1])は、日本のスーパーセンテナリアン。生年月日と死亡年月日が確かな男性のうち、史上最も長生きしたとされる日本人男性。また、1800年代及び19世紀生まれの男性としては世界最後であった。
2012年12月17日より死去するまで存命人物のうち男女を含めた世界最高齢者であった。また、同年12月28日にはクリスチャン・モーテンセンの115歳252日の記録を抜いて、死去した人物も含めて歴代最高齢記録の男性となった。死去した時点での年齢は116歳54日(42422日)で、男性では歴代最高齢記録となっている。
人物・来歴[編集]
1897年4月19日(実際には3月19日)、三宅家の6人兄弟姉妹の3番目に生まれ、金治郎と命名される。木村家に跡取りとして婿入りし、9代目・次郎右衛門を名乗るようになった。京都郵便局通信生養成所を卒業後、20歳から65歳までの45年間、郵便局にて勤め、1920年代には日本統治時代の朝鮮において政府の通信部門に勤めた経験も持つ[3]。歌手三嶋一聲の妹、木村八重と結婚。8人の子を育てた。長男は近衛兵であったことが誇りだった。1962年に退職したが、それ以降も90歳になるまで畑仕事を続けていた[4]。生前、何歳まで生きたいかという質問に対し、「目標は120歳」と答えたという[4]。
晩年は孫の妻との2人暮らしで[3]、毎日午前5時半に起床し、午後8時に就寝する生活を送っており、食生活も朝はヨーグルトやサツマイモ、梅干しを食し、夜は牛乳を飲むことを習慣としていたという。好き嫌いはなく、食べる量も自分で決めていた。特にジャガイモが好物であったという[5]。足腰が弱っているため外出は通院に限られた。新聞は天眼鏡を使いながら1時間から2時間、長いときには3時間かけて読む[5][6]。テレビ番組は国会中継や大相撲を欠かさず視聴するという[5][7]。また、長寿の秘訣として「食べ物に好き嫌いはない。食細くして命永かれ」「苦にするな嵐のあとに日和あり」などの言葉をモットーにしている[4][8]。
2009年9月には読売新聞のインタビューに応じ、その中で存命人物のうち日本最高齢の男性になったことについて「責任の重さみたいなのを痛感している。1日でも長く元気でありたい。」と語った[5]。また、テレビの国会中継を見る理由については「時代についていけないようではいけない。」と語った[6]。
2012年9月17日の敬老の日、京丹後市長の中山泰が自宅を訪れ、地元の小学生が作成した贈り物を届けた。これに「サンキュー」と答えた[9]。
2013年4月19日、京丹後市長の中山が自宅を訪れ、安倍晋三首相(当時)のお祝いのメッセージを吹き込んだDVDなどを手渡した[3]。そのほか国内外から156通もの手紙やメールが手渡され、祝福の言葉に「はい」と応じた[10]。その後肺炎にかかり、5月11日より入院。入院から1か月後の6月12日に老衰のため死去した[11](詳細は死と葬儀の節を参照)。死去時点で7人の子(5人が存命)、さらに孫が14人、ひ孫25人、玄孫が15人いた[3]。
長寿記録[編集]
- 2007年10月16日に老人学研究団体ジェロントロジー・リサーチ・グループの検証済み110歳超えリストに登録される[12]。
- 2011年10月25日、戸籍上で114歳と190日で、中願寺雄吉の記録を抜き、石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれの114歳没説を考慮しない場合の日本の男性歴代最高齢となった。(石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれの114歳没説を考慮した場合には2011年11月14日に、木村本人の1ヶ月年上説も考慮した場合は2011年10月14日に石崎伝蔵さんの記録を抜き、日本の男性歴代最高齢となった。)
[15]。
- 2012年12月17日、ディーナ・マンフレディーニが死去したことに伴い[16]、戸籍上で115歳242日で存命人物のうち世界最高齢となった。
- 2012年12月28日、クリスチャン・モーテンセン(115歳252日没)の記録を上回り、115歳253日で戸籍上で男性で史上最も長生きした人物となった。同時に史上10番目に長生きした人物となった。
- 2013年6月12日午前2時8分、老衰のため戸籍上で116歳54日で死去した[17]。存命中(当時)の世界及び日本の最高齢は11カ月年下の大川ミサヲ、男性世界最高齢は4歳2カ月年下のサルスティアーノ・サンチェス、日本の男性最高齢は4歳9カ月年下の五十嵐丈吉となった[3][18]。しかし当時はサルスティアーノ・サンチェスの年齢が公式に認定されていなかったため、ジェームズ・マッコーブレーが男性世界最高齢とされていた。
死と葬儀[編集]
2013年6月12日午前2時8分、京丹後市内の病院で老衰のため死去。葬儀・告別式は6月14日に行われ[19]、親族ら130人が出席した。京丹後市長の中山泰が「日本と世界に元気を与えてくれました。市の輝く宝であり続けます」と弔辞を述べた後、安倍晋三首相(当時)の弔電も読み上げられた。
その他[編集]
石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら、石崎伝蔵さんや中願寺雄吉さんと並ぶ男性長寿三英傑の1人であり、三英傑に例えると徳川家康にあたる。日本人男性として初めて115・116歳に達して、中願寺雄吉さんが達成した男女を含めた長寿世界一になって、その中願寺さんが達成できなかった日本人男性歴代最高齢者どころか世界全体での男性歴代最高齢者になって、特定の年(1897年)生まれの日本どころか世界全体で男性どころか男女を含めた最後の生き残りになったのが、秀吉が成し遂げた天下統一を行い、その秀吉がなれなかった征夷大将軍になって江戸幕府を開いた徳川家康と似ているから。
脚注[編集]
注釈[編集]
- ↑ 実際には3月19日生まれだが、戦後、1955年に自治体合併に伴う個人データ統合の際に担当者が誤って誕生月を1か月遅く記入してしまい、以後公式な誕生日は4月19日になったとされている。誕生日が3月19日として認定されていた場合、生存日数は116歳85日となり、ディーナ・マンフレディーニは世界最高齢にはなれなかったことになる。クリスチャン・モーテンセンの記録も2012年11月27日に抜いていたことになる。[2]
出典[編集]
- ↑ 1.0 1.1 (2013-06-12) 世界最高齢116歳 木村次郎右衛門さん死去 日本経済新聞 日本経済新聞社 [ arch. ] 2013-06-12
- ↑ (2012-12-28) 京都の木村さん男性長寿世界一に-長生きの秘訣は「前向き」 bloomberg.co.jp ブルームバーグ arch. 2013-04-22 2012-12-28
- ↑ 3.0 3.1 3.2 3.3 3.4 (2013-06-12) 長寿世界一 116歳の木村次郎右衛門氏死去 スポニチ Sponichi Annex スポーツニッポン新聞社 arch. 2016-06-16
- ↑ 4.0 4.1 4.2 (2013-06-29) 長寿世界一の秘密は「腹六分目」と「自己流体操」…116歳・木村次郎右衛門さんが語り残した「食細くして命永かれ」(1/3ページ) MSN産経ニュース [ arch. ]
- ↑ 5.0 5.1 5.2 5.3 (2010-09-14) 男性長寿日本一は113歳の木村次郎右衛門さん 秘訣は「何でも食べる」 MSN産経ニュース [ arch. ]
- ↑ 6.0 6.1 (2009-09-11) 112歳「時代についていかないと」…京丹後・木村さん YOMIURI ONLINE 読売新聞社 arch. 2009年9月18日 2009-09-11
- ↑ (2009-06-19) 京都の112歳男性が国内最高齢 宮崎の田鍋さん死去で 京都新聞 京都新聞社 arch. 2009年6月26日 2009-06-19
- ↑ (2009-06-20) 新・男性最高齢112歳木村さん 新聞を朝1〜2時間 asahi.com 朝日新聞社 arch. 2009年6月23日 2009-06-20
- ↑ (2012年9月18日) 男性長寿世界一、115歳木村さん祝福 デイリースポーツ [ arch. ] 2012-09-23
- ↑ () 木村次郎右衛門さん116歳に 最高齢、言葉もはっきり asahi.com arch. 2013-04-22 2014-08-06
- ↑ (2013-06-12) 世界最高齢116歳、木村次郎右衛門さん死去 YOMIURI ONLINE arch. 2013年6月17日 2013-06-12
- ↑ () Oldest Validated Living Supercentenarians ジェロントロジー・リサーチ・グループ [ arch. ] 2016-11-17
- ↑ (2011-04-17) 世界最高齢男性が死去、113歳日本人が男性最長寿に ロイター ロイター [ arch. ] 2013-01-01
- ↑ (2011-12-02) 長寿日本一 基山町の長谷川チヨノさん死去 佐賀新聞 arch. 2011-12-04 2013-01-01
- ↑ 男性が存命人物中で日本の最高齢者となったのは、2003年(平成15年)に死去した中願寺雄吉以来のことである。
- ↑ (2012-12-18) World's oldest person Dina Manfredini dies in Iowa at 115 en 2012-12-18 arch. 2012-12-18 2022-03-12
- ↑ (2013-06-12) 長寿世界一の木村次郎右衛門さん死去 116歳「サンキュー・ベリー・マッチ」 MSN産経ニュース [ arch. ]
- ↑ (2013-06-13) Oldest-ever person dies aged 116 The Times of India arch. 2013年6月17日 2013-06-13
- ↑ (2013-06-14) いつまでも「輝く宝」で 木村次郎右衛門さん告別式 : 京都新聞 arch. 2013-06-26
関連項目[編集]
- 泉重千代 - かつて男性で史上最も長生きした人物(120歳没)とされていたが、現在では年齢に疑念が生じている。
- ジャンヌ・カルマン - 女性の世界史上最高齢とされる人物(122歳没)。
- 田中カ子 - 女性の日本及びアジア史上最高齢。
- センテナリアン
- 日本の長寿者
先代: | 戸籍上での存命人物のうち世界最高齢 2012年12月17日 - 2013年6月12日
|
次代: |
先代: | 戸籍上での存命男性のうち世界最高齢 2011年4月14日 - 2013年6月12日
|
次代: |
先代: | 戸籍上での存命人物のうち日本最高齢 2011年12月2日 - 2013年6月12日
|
次代: |
先代: | 戸籍上での存命男性のうち日本最高齢 2009年6月19日 - 2013年6月12日
|
次代: |
先代: | 戸籍上での歴代の男性日本最高齢 2011年10月25日 -
|
次代: (記録保持者)
|
先代: | 戸籍上での歴代の男性世界最高齢 2012年12月28日 -
|
次代: (記録保持者)
|