「ランス・アームストロング」の版間の差分
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2020年8月23日 (日) 21:20時点における最新版
ランス・アームストロングはアメリカ合衆国出身の、プロドーピンギスト元自転車ロードレース選手である。
成績[編集]
- 世界選手権男子ロードレース 1993 優勝
- ツールドフランス 1999〜2005 総合優勝
生い立ち[編集]
1971年9月18日に生まれたランス。ランスは、当時流行っていたアメフトォ…の適性が自分にはないと分かると、水泳やっぱりホモじゃないかーっ!と、ジム通いに使っていた自転車を組み合わせてトライアスロンを始めた。すると、自転車で走るのが楽しくなってしまい、アメリカ選手権に出たり、オリンピックに出たりした。すると、幸運なことにアメリカチャンピオンになってしまった。オリンピックでも14位と、アマチュアのくせに好成績を出すことができた。
そんな成績をひっさげ、1992年にはプロデビューを果たした。その翌年には、世界チャンピオンの称号も手に入れ、まさに若手の星であった。はずだった。
精巣がん [編集]
世界選手権で勝つ=世界一の自転車ロードレーサーと呼ばれる資格を持っていたランスはある日、キンタマに強烈な痛みを感じ、病院で検査を受けた。
結果はキンタマのがんだった。
彼の壮絶ながんとのバトルが始まった。壮絶な化学療法の副作用で髪はtake off!してしまい、自慢の筋肉も全て落ちてしまった。
しかしランスは負けなかった。彼は自分のキンタマに勝った。
そして、リハビリの末、元通りに筋肉も取り戻し、また自転車にまたがり始めた。彼の復活劇が、始まろうとしていた。
ツール・ド・フランス7連覇 [編集]
2年ぶりに彼はレースに復帰し、世界で1番有名(日本での知名度はお察しください)なロードレースであるツール・ド・フランスに出場した(ツールしか出なかったので批判もあったのだが)。すると、フシギなチカラが彼の体に働き、なんと1999年から7年連続で総合優勝してしまった。なんてこった!そして、2005年にレース界から勝ち逃げ引退した。まさにアメリカを代表する英雄である。
そして2009年、再びロードレースに復帰した。しかしツール・ド・フランスでは調子が上がらず、2010年に引退した。現在ではトライアスロンに活躍の場を移し、活動している。
フシギなチカラの秘密 [編集]
というのは2013年までのお話しである。
2013年1月17日、ランスはテレビ番組で、1998年8月以降のレースで3種のおクスリ盛り合わせを摂取していたことを発表した。
結果、ツール7連覇の記録を含む、1998年8月以降の成績は剥奪されてしまった。また、全世界のロードレース、トライアスロンから永久追放を喰らってしまった。仕方ないね。
全米が驚き、全米がランスへの怒りを隠しきれなかった。また、各種企業はランスを広告等に起用していたため、ランス相手に訴訟を起こし、ランスは大量の賠償金を払わされてしまった。なんてこった。
しかし、人気は今でも抜群で、Twitterでは辛口コメントを吐くことで有名で、2020年8月時点で、フォロワーは320万人と、かなりの人気である。また、人気ポッドキャスト番組のホストも務めている。