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'''かわかみ ひろひこ'''(1969年 - )は、[[日本]]出身の[[アレクサンダー・テクニーク]]の講師。Somatic Baseのディレクター。ATI-国際アレクサンダーテクニーク協会 講師メンバー
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'''かわかみ ひろひこ'''(1969年 - )は、[[日本]]出身の[[アレクサンダー・テクニーク]]の講師。Somatic Baseのディレクター。ATI-国際アレクサンダーテクニーク協会 講師メンバー。
  
 
== 経歴 ==
 
== 経歴 ==

2018年6月29日 (金) 15:53時点における最新版

かわかみひろひこ
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本名 河上裕彦
別名
生年月日 1969年月日
没年月日 月日
出生地 日本の旗 日本
死没地
国籍 日本の旗 日本
民族
身長
血液型
職業
ジャンル
活動期間
活動内容
配偶者
家族
公式サイト 公式サイト
主な作品
受賞
備考
テンプレート

かわかみ ひろひこ(1969年 - )は、日本出身のアレクサンダー・テクニークの講師。Somatic Baseのディレクター。ATI-国際アレクサンダーテクニーク協会 講師メンバー。

経歴[編集]

  • 1989年アレクサンダー・テクニーク講師のサラ・バーカー氏の著書を読んで衝撃を受けるも、日本では受講できないとあきらめる。
  • 1997年4月から当時東京に在住する唯一の講師であったイムレ・トールマン氏からアレクサンダー・テクニークのレッスンの受講を開始する。レッスン受講は、芸事の上達のためだったが、日常的な心身の負担が著しく減り、アレクサンダー・テクニークそのものに強く関心を持ち始め、プライベートレッスンに週3回から4回のペースで、通い始める。またブルース・ファートマン氏、ジェレミー・チャンス氏のグループレッスンの受講も開始する。
  • 1998年9月から1999年5月までは芳野香氏のレッスンを受けるため、月1回のペースで京都に通う。
  • 1998年頃から東京での教師養成コース設立のため動き、1998年12月開催のジェレミー・チャンス氏の東京でのワークショプをオーガナイズする。このことが東京での最初のアレクサンダー・テクニーク講師トレーニング・コースATA(アレクサンダー・アソシエーツ)の1999年4月開校に繋がる。
  • 1999年4月ATAの第1期トレーニー(訓練生)となる。
  • 2001年4月末から2001年10月末まで、倒産した当時の勤務先の再建に専念するため、トレーニングを一時中断。この時の経験から、ストレッサーの多い厳しい労働条件のもとで、アレクサンダー・テクニークの実践がストレスを減らす役に立つことを身を持って体験する。
  • 2002年11月、ディレクターのジェレミー・チャンス氏の指示・監督の下、実習レッスンを開始する。
  • 2003年12月、ATAのすべての過程を終え、スクーリングだけで1800時間超に及ぶトレーニングを修了する。独立した教師として教え始める。

指導歴[編集]

  • 2004年12月、朝日カルチャー横浜教室で教え始め(2008年9月まで)、関東方面でのカルチャーセンターを通じたアレクサンダー・テクニークの普及に先鞭をつける。
  • 2005年3月末、サラリーマンを辞め、フルタイムで教え始める。
  • 2007年1月から6月まで、楽器店の依頼で公開講座「アレクサンダー・テクニークで音を変える」の講師を務める。ヤマハミュージック東京 横浜店、スガナミ楽器町田店、スター楽器池上店、ヤマハ新潟店等で開催。

演奏者・ダンサーを中心とする表現者、アロマテラピスト・タイマッサージセラピストなどのボディワーカー、スポーツ愛好家へのレッスンを中心に活動中。札幌・旭川・仙台・浜松・福岡へも継続的に出張する。

関連項目[編集]