「武蔵野美術大学芸術祭男神輿」の版間の差分
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男神輿(おとこみこし)は、武蔵野美術大学の彫刻学科学生によって制作され、芸術祭の期間中に使用される、男根を模した神輿状の造形物。
概要[編集]
男神輿は毎年、武蔵野美術大学の彫刻学科男子学生によって制作される。
芸術祭期間中、男子学生はその神輿を担ぎ、構内および学校近辺を練り歩く。そして、普段世話になっている構内の売店や守衛所、近所のコンビニエンスストア等の前に整列し、激励と感謝の意を捧げるとともに「武蔵野音頭」や「エンヤコラセ」と呼ばれる歌を合唱する。芸術祭最終日は、構内の広場において演舞(毎年異なる)を行った上で撤収し、男神輿はその後破壊される。
造形[編集]
その基本造形は、巨大な男根を模したものであり、色や大きさは毎年異なる。素材には「木」や「FRP」が使用される。また、前記した演舞を行うために、回転する機構を備えたり、尿道口にあたる部位に穴をあけて棒を通せるようにするなどの細工がなされたこともある。
服装、髪型[編集]
彫刻学科にとって男神輿は神聖なものであるとされ、通常の格好で担ぐ事は許されていない。そのため、学生はふんどしを着用し、頭髪を坊主やモヒカン、ちょんまげ様に整えなくてはいけない。これを拒否した者にはビンタなどの粛清が行われる。ふんどしは三年生までは白色で、四年生から赤色となる。
歴史[編集]
男神輿は、1980年代初頭、当時彫刻学科3年生だったH(現油絵学科教授)とSを中心に、石彫場の学生を中心とした彫刻学科学生が、募集停止となった実技専修科の御輿を引き継ぐ形で誕生した。
「エンヤコラセ」と「武蔵野音頭」を御輿の上で歌うのはそれぞれ1人。他の学生が御輿に上がることはゆるされなかった。2代目「エンヤコラセ」はT(現共彫研教授)、2代目「武蔵野音頭」はF(現公立中学校教諭)、一度唄を引き継ぐと、その学生が卒業するまで歌い続けたため歴代の歌い手の数は非常に少ない。
学生のモヒカン姿は当初からで、当時は鷹の台の駅まで御輿をかついで練り歩いていた。当時の学生は、大酒を飲み酔いにまかせて練り歩いていたが、御輿の上で歌う者は飲酒禁止というルールがあった。 当初、芸術祭終了後はご神体のみ取り外し御輿に火を放ち、文字通りの完全燃焼で終了していた。次年度の学生はご神体のみを引き継ぎ、あとは全て最初から作り直すという形式をとっていた。初期数年間のご神体は木彫で、御輿の上に空を向いてそそり立っていた。
その後、最初のご神体は石膏取りされFRPとなり、オリジナルのご神体は土に埋められた。しかし、朽ちたオリジナルを掘り出し廃棄したのと同じ年、誤ってFRPご神体を取り外さず御輿に火をつけたことから、オリジナルの形を焼失し、以後、毎年再制作と破壊を繰り返す形式に変わった。その後、ご神体は徐々に巨大化可動化され、今も変化し続けている。
現在、武蔵野美術大学の学生は、毎年制作される男神輿を見ることで秋の訪れを知る事が出来る。同大学の学生が「秋」と聞いて連想するものとして、「もみじ、まつたけ、男神輿」というキャッチコピーが知られている。
女神輿[編集]
この男神輿に対する存在として、彫刻学科女子学生によって制作される女陰を模した女神輿も存在する。近年は演舞の際に男神輿と「御結合」をする機構を備えている。