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周防 郁雄(すほう いくお、1941年(昭和16年)1月11日 - )は、日本を代表する芸能事務所経営者の1人で、業界大手であるバーニングプロダクションの社長・芸能プロモーター。
目次
人物[編集]
著作権ビジネスを真っ先に取り入れサザンオールスターズや浜崎あゆみなど数々の権利を所有。バーニング帝国のドンとして君臨している。また政財界、裏社会へのパイプが太いとも言われ、黒い噂も絶えない。浜田幸一(1928年 - )の運転手をしていたという過去もある。
また己の系列下のタレント(バータレと俗称される)とキャラクターが重複しているので目障りである他社のタレントや、自系列に従属させた際には膨大な利益が見込まれるような能力に秀でたタレントにたいしては、影響力のあるメディアを使ってバッシングを仕掛けてタレント価値を下落させ、その後相手事務所の”降伏”によって己の従属下におき、その後にメディアで逆に賞賛の記事を書かせタレント価値を元に戻させ、膨大なマージンを得るという、マッチポンプ的な戦略を頻繁に行っているといわれている。(これが、彼がジャニーズ事務所より世間に批判にさらされやすい理由といえる。ジャニーズは他の事務所の男性タレントを叩く時があるが、タレントを他から獲得したりはしないし、新人も自社のタレントが稼ぎ出した資金を使って育てている。)
略歴[編集]
- 1941年(昭和16年)1月11日、千葉県市原郡姉崎町(現・市原市)生まれ。
- 1960年(昭和35年)、私立市川高等学校を卒業。
- 千葉県議会議員の浜田幸一の運転手を経て新栄プロダクションに入社。新栄プロ時代は住み込みで北島三郎の運転手などもしていた。
- 1968年(昭和43年)、堀プロダクション(現・ホリプロ)に転じた。
- 1971年(昭和46年)、国際プロダクションを設立、代表取締役社長に就任。同社はその後所属していた歌手・本郷直樹のヒット曲「燃える恋人」にちなんでバーニングプロダクションと改称した。
- 1973年(昭和48年)、バーニングパブリッシャーを設立。音楽著作権ビジネスに乗り出す。
- 現在はバーニングプロダクション、福家書店等の代表取締役社長である。
- 妻の進美恵子とは戸籍上は離婚しているが現在も内縁関係にある。
- 長男の周防彰悟は音楽プロデューサーで、バーニングパブリッシャーズ代表取締役。
- 進亮は美恵子夫人の連れ子なので母方の進姓を名乗っている(従って亮は彰悟の異父兄にあたる)。
総帥・周防 郁雄(すほう いくお)[編集]
株式会社バーニングプロダクション代表取締役・株式会社オフィスプロペラ取締役・株式会社ファーンウッド取締役
千葉県市原市出身 東京都港区赤坂在住
- 昭和16年1月11日生れ
- 昭和35年市川高校卒業、新栄プロダクションに入社
- 昭和43年ホリプロダクションに転じ
- 昭和46年バーニングプロダクションを設立代表取締役に就任す
浜田幸一代議士の運転手をしていた周防郁雄は、千葉県館山の石井博が経営する大千葉建設で働いていた西川良次と知遇を得る。西川良次の実弟が西川興行社(現在の新栄プロダクション)を経営している西川幸男だと知り、芸能界への憧れが人一倍強かった周防は、良次に頼みこんで西川興行社に住み込み修業でもぐり込む。
周防がバーニングプロダクションを設立したとき、新栄プロ時代の同僚であった鈴木照義が周防の手助けをするため入社した。新栄プロとバーニングで芸能界の人脈を得た鈴木は、現在、業界の祝儀・不祝儀の花を扱う会社「マル源」代表。西川幸男の運転手を周防氏から継いだ木村正明氏は、その後独立して、プロモーション会社「オフィスプロペラ」を設立した。
周防郁雄が1970年11月に国際興行プロダクションを設立。スタッフは作曲家の聖川湧、日本コロムビアの文芸部長だった新鞍武千代、新栄プロダクションにいた鈴木照義。「国際興行プロダクション」という社名がすでに赤坂地区に存在していたのがわかり、所属歌手本郷直樹の曲「燃える恋人」から「バーニングプロダクション」と改称。
バーニング帝国[編集]
周防は浜田幸一、北島三郎の運転手を務め、新栄プロ、ホリプロを渡り歩きながら力を付け、ハマコーとの関連から政界にも顔が利き、事件・事故のもみ消し、隠蔽を図ることができる。
版権ビジネスに目を付け、所属アーティストのみならず「勝手にシンドバッド」「いとしのエリー」など初期のサザンオールスターズや小室哲哉作品、浜崎あゆみ、Every Little Thing、広瀬香美、melody.など楽曲の頒布権を所有。
資金薄となったプロダクションに資金を提供し、その見返りに軍門に下らせる。系列となったプロダクションを番組、イベントなどにブッキングする代わりにギャラのマージンを大量に搾取するなどやりたい放題。
また、マスコミ、政界にも顔が利くため、事件を起こしたタレントにその隠蔽を図る代償として、ギャラ、頒布権などを強奪する。
批判記事を書いた媒体には、系列のタレントが出演してる企業のCMや広告を取り下げる(広告で成り立っている雑誌の収益をなくす)とオドし、徹底的に叩く。一方、自分たちを持ち上げる記事書く雑誌は優遇し、豪快な接待でもてなすというアメとムチを用いて、マスコミを懐柔する。
バーニングプロダクション本体のタレント数は少ないが、系列に数多くのプロダクションがあり、日本の芸能プロダクションの実に7割が単純に数の上ではバーニング系ともいわれ、タレントはバータレと揶揄される。バーニング及びケイダッシュ系のタレントが主演するとそのドラマのキャスティングをバーニング系に埋め尽くされてしまう場合が多い。放送するテレビ局側のプロデューサーが出演者のキャスティングを決めるのではなく、高圧的にプロダクション側からタレントを押し付けられる。音事協所属。音事協の代理人を名乗る。所属事務所同士のつながりがある。
業界で周防郁雄の名が知られるようになったのは、南沙織を引き抜いてからだ。
タレントばかりじゃない。キャンディーズの担当をしていた渡辺プロの大里洋吉やホリプロの市村義文など、若くて優秀で、独立願望が強いマネージャーたちに金銭面で援助をして独立を促した。
当時強大だった大手芸能プロダクションを人材面から切り崩すことに成功した。大手プロダクションの加盟する社団法人日本音楽事業者協会(音事協)では、いわゆる加盟社間での「引き抜き」を禁じている。バーニングは音事協加盟社だが、周防は、いまだに音事協に所属していない小さなプロダクションやモデル事務所に目をつけて、引き抜きをやっている。
中山美穂を見つけて育ててきた社長は、「周防に中山美穂も会社も取られた」とぼやいている。バーニング商法の問題はここにある。バーニングは、小さなプロダクションを結果的に泣かせるようなことを繰り返し行っている。鈴木蘭々は本格的な歌手活動をするために心機一転を図りたかった。そんな折、周防社長と所属事務所ミナクルカンパニーの並木社長が話し合い、移籍が決まった。バーニングとは並木社長がジャニーズ事務所でマネージャーをしていたころからの付き合いで関係も深く、彼女の曲の権利もバーニングパブリッシャーズが所有していた。 とはいえ、育ててきた稼ぎ頭の鈴木蘭々の移籍だけに、社長はひどくショックを受けていた。
暴力団共生者[編集]
暴力団を本格的に芸能界に引き入れたのが周防だったと言われる。強いヤクザが大好きで、ケツモチを変遷させてきた。エコテック(旧・伸葉都市開発)を通じて億単位の投資した千葉県銚子市の産業廃棄物最終処分場設置計画事業が頓挫。
周防郁雄の原風景は、千葉県木更津市の稲川会三日月一家にある。バーニングプロのケツモチは、住吉会住吉一家大日本興行に始まり、五代目山口組健竜会、山口組宅見組、住吉会、稲川会三本杉一家、山口組後藤組と変遷してきた。今は神戸山口組古川組琉真会と言われている。周防のヤクザ好きは、救いようのない病気である。
バーニングプロ銃撃事件(2001年5月9日)[編集]
歌手の郷ひろみやタレントの小泉今日子らが所属する東京・赤坂の大手芸能プロ「バーニングプロダクション」(周防郁雄社長)の1階窓に9日未明、銃弾2発が撃ち込まれ、窓ガラスが割られていたことが10日、分かった。事件当時、事務所内にはタレントや社員はいなかったといい、けが人はなかった。警視庁赤坂署は発砲事件として捜査している。
調べによると、銃弾は事務所が使用している8階建てマンション1階の2部屋の窓ガラスに当たり、ガラス2枚が割れた。社長室として使われている部屋から弾頭が発見されている。
赤坂署によると、9日午後3時20分ごろ、匿名の男の声で「午前4時半ごろ、バーニングプロダクションの前で拳銃の発砲音を聞いた。怖くなって電話した」と110番通報があった。同署が事務所に駆けつけたが、事務所側は「マスコミの取材などで打ち合わせ中」と言い、1時間半にわたり入室を拒んだ。
署員が入室したのは午後5時。割れたガラスは窓枠ごと外され、すでに片づけられており、発砲の痕跡が見つからなかったが、午後9時ごろに社長室の窓ガラスから痕跡を発見したという。
発砲当時、事務所は不在だったとみられ、けが人はなかった。9日は午前9時ごろから職員がいたが、事務所からは届けはなかった。室内から見つかった弾頭は22口径のものとみられ、専門家の話では、殺傷能力は低く、銃声も小さく、「発砲音とは分かりにくいはず」という。
赤坂署は事務所にからむトラブルがなかったかどうか調べているが、「社長や責任ある立場の人物からは事情を聴けていない。近く事情を聴く」としている。
同プロは、マネジャー歴も豊富な周防社長が昭和46年に設立。タレント育成とマネジメント業務を行い、小柳ゆきや内田有紀ら数々のスターを送り出してきた。社員数は30人程度だが、傘下に多くのプロダクションを持ち、音楽業界の中心的存在。
事務所は「銃撃は社員が不在の時だと思う。詳しい内容を分かる者がおらず、コメントできない」としている。
襲撃された日[編集]
バーニング事務所が襲撃されたニュースは、芸能界に瞬く間に伝わりました。
北島三郎主催のコンペが行われていたゴルフ場での関係者の行動。「ちょうと3ラウンド、4ラウンドあたりかな、携帯電話で知らせが来たのは。何だか大事件のような感じで、プロダクション関係者やマスコミ関係者などがゴルフを取りやめて帰りましたよ」(関係者)
至急帰社したところで、取材活動が助かるわけはないのです。どうせ、書けないのはみなわかっていますから。それでも帰るのは、そのように行動したという話題が欲しかっただけなのです。
周防社長は最初あせりまくりました。まさか、自分のところがカチコまれるとは思わなかったからです。カチコミとは、やくざの世界では、脅し以外の何ものでもないからです。撃たれた銃弾は2発。しかも中国製。事務所は防弾ガラスで出来ています。
周防社長があせった理由は、自分のところが打ち込まれる数時間前の出来事にあります。
朝日新聞なら5月9日の夕刊、毎日新聞なら5月10日の朝刊の社会面に、小さな記事がありました。それは、東京・町田で稲川会系新井総業の新井智幸組長が、頭を一発打たれて殺されるという事件でした。33歳の組長の葬儀は、川崎でありました。マスコミ取材陣もほんの数名、確認に行っていました。新井(兄)組長は、山口組系後藤組の関連で、芸能界の仕事に食いついていました。周防社長もよく知っている方だったのです。
社長の中では、自分の家の襲撃と射殺事件が1本の線で結びついてしまったのです。点と点を結び付けているマスコミ関係者も、少数ですがいます。雑誌記者や夕刊紙の記者が、日本青年社の安藤英雄顧問らと頻繁に接触したりしています。
「違うと思うよ。いろいろ(取材に)来るけどさ。周防さんは親分たちに顔が聞くから、本人がやばくなることはないよ」(右翼関係者)
なぜ周防社長は狙われたのでしょうか。いくつかの理由が、マスコミに流れました。GLAY絡み、細川たかし絡み、許永中絡み・・あまりにも思い当たるふしが多く、社長は困ってしまいました。
そして社長はハワイやトルコに避難していました。襲撃されて半月が経とうとしていますが、警察の事情聴取はまだです。社長が日本にいなければ、できるわけありません。
周防がカチコまれた背景は、やはり金でした。銃撃される数時間前、稲川会系新井総業の親分が脳天をずどんと打ち抜かれ、亡くなりました。その親分は周防が裏社会へお金を流す際の窓口役だったのです。
周防は、困っている人がいれば、あちらもこちらも手助けいたします。それは、どこにもいい顔している八方美人的に見られてしまい危険だということで、周防は窓口を一本化しました。この町田の新井親分に流すから、後はどうにでも分けて欲しい。そういう密約がありました。ところが新井親分は自分ひとりでおいしい思いを独占してしまったため、怒り心頭の三本杉一家のみなさまに命を頂戴されてしまったわけです。
NHKとの癒着[編集]
NHK「紅白歌合戦」出場歌手の世論調査が発表されたが、「週刊文春」にNHK最大のタブーとして"紅白キャスティングを握る芸能ブローカー"と報じられ、「世論が何だ?」と言えるような非常識なシステムが存在した。
そのブローカーこそ、バーニングプロダクションの周防郁雄社長の命を受けた椿勝氏である。
NHK関係者によると、椿氏は「NHKのキャスティングを握る男」として知られ、「浜崎を出したかったら、俺に言えばやってやってもいいぞ」「モー娘。に出て欲しいなら、ひと声かけろよ」といった具合。
バーニング系のタレントを使う場合、必ず椿氏に依頼するよう暗黙の了解で決まっており、1回につき最低50万円から100万円のコーディネート料を支払わなければならない。それは言うまでもなく、"皆様の受信料"で支払われている。椿氏を通して初めてバーニンググループとの交渉が得られるというが、通さなければ 「バーニンググループのタレントを全部、NHKから引き上げさせるからな」である。
企画に難色を示すと、親指を立てて「オヤジが怒るぞ!」と圧力をかけてくる。その「オヤジ」とは周防社長のことである。
怪文書の存在[編集]
阿子島たけし氏が辞任しなければレコード大賞に大きな傷がつくとして、プロダクション担当者で構成される「音楽業界有志一同」名で、辞任勧告文書が本人並びに関係者に送りつけられた。これに関して阿子島氏は、このような嫌がらせはよくあることと動じる様子も無く、「誰の仕業かわかっている」と周囲に漏らしていたと報じられた。
プロによる放火殺人[編集]
阿小島夫婦は頻繁に連絡を取り合っていた。ディナーショーに出席した日、ホテル泊の可能性もあったが、外泊はせずに帰宅の途につく。そしてもし無事帰宅していたならば、実家に滞在中の妻を安心させる為に、間違いなく電話をしていた状況と思われが、実際には何の連絡もなかった。なぜか?
また、阿子島たけし氏は日頃かなり深夜(午前2時頃)まで起きていたという。しかしその日午前零時には既に消灯していたらしい。戸塚駅のモニターに撮られた時刻が午後11時。日常習慣を考えると、それから1時間以内に就寝した可能性は低く、これらの疑問は途中で拉致等トラブルに巻き込まれた可能性を強く示唆する。
そして拉致されたとすれば、合鍵の複製は容易であり、もはや火災現場は密室ではなくなる。そうなると警察が失火と断定した根拠は崩れ、放火の可能性が濃厚になる。因みに近隣の住人が、早朝出火時に爆発音を聞いている。
理解不可能な死体発見の遅れ[編集]
早朝に火事のあった13日は、庭を覆い尽くすほど多数の消防士が現場を捜索。14、15日は多数の警官が現場を捜査。 そして16日、突如として庭先で焼死体が発見される。
自宅はそれほど広くはない。その限られた範囲を多数のプロが丸3日も費やして死体を発見できないことなどありえるはずがない。16日に初めて屋外を捜索し始めたという警察の弁解は到底信じ難い。
以上の疑問や謎と怪文書の存在を考え合わせると、もはやプロによる放火殺人を疑う余地は皆無なのである。もし本件を事故と結論付けるのであれば、警察買収という法治国家としてあるまじき事態を疑わざるを得なくなるであろう。
異様に消極的なマスコミの報道姿勢[編集]
加えて不可解なのが、異様に消極的なマスコミの報道姿勢である。
音楽評論家である阿子島氏は紛れも無く業界人。言わばマスコミの同業者・仲間なのだ。仲間が怪死したのであれば、マスコミとして最大限の協力を惜しまないのが当然であろう。にもかかわらず、目撃情報など情報提供を呼びかけることもせず、警察の手抜かりを追及する姿勢もない。
それどころか、人々の脳裏から忘れ去らせようとする意図さえ感じられるのだ。腫れ物に触るような各マスコミの扱い方は、すでに本件が単なる事故ではないことを如実に物語っているではないか。
必ず黒幕がいる。しかもその黒幕は、すべてのマスコミを一様に逡巡させるほど強大であり、すべてのマスコミは皆一様にその組織を想起したのである。これほどまでにマスコミ影響力を持った組織はそうあるものではない。そしてその組織は、もちろん芸能事務所である可能性が高いのである。
阿子島氏の怪死がワイドショー等で取り扱われなかったもう一つの理由[編集]
マスコミに甚大な影響力を持った芸能事務所として真っ先に思い浮かぶのが、バー系と呼ばれるバーニングを中心とした事務所群だ。
そのバー系のタレント(略してバータレ)が次々と離婚を発表、一方で派手な熱愛パフォーマンスを披露と、翌週のワイドショーをほぼ独占したのである。結果的に本件が締め出されてしまったと考えられなくもない。これが偶然であろうか?すべて計画的と考えれば自然で、そうでないとすればあまりに不自然ではないか?
- 12日(月)阿子島氏深夜帰宅、実家滞在の妻に連絡なし、午前零時には消灯
- 13日(火)早朝5時爆発音とともに出火、消防が現場を捜索
- 14日(水)警察が現場を捜査
- 15日(木)警察が現場を捜査
- 16日(金)午前中焼死体発見、当日夜本人と断定
- 17日(土)ワイドショー休み
- 18日(日)ワイドショー休み
- 19日(月)渡部(バー系)村上(バー系)離婚、矢田(バー系)押尾成田ド派手パフォーマンス
- 20日(火)渡部(午前)・村上(午後)離婚会見、矢田押尾ハワイ到着
- 21日(水)内田(バー系)吉岡離婚第一報、阿子島たけし氏通夜
- 22日(木)内田吉岡離婚ワイドショー席捲、阿子島たけし氏告別式
2001年 事務所銃撃事件以降[編集]
2001年、赤坂のバーニングプロの事務所に銃弾が二度ぶち込まれるという事件が起こった。以降、周防は表舞台から消え、業界では彼のパワーは落ちたといわれるようになった。
ところが、06年から07年にかけての、藤原紀香と陣内智則の"結婚騒動"で、周防はイニシアティブを取り、その健在振りが明らかになった。
「紙の爆弾」(鹿砦社)07年3月号で、「バーニングに結婚"させられた"藤原紀香と吉本興業の怒りは爆発寸前!!」というタイトルの記事が掲載されたところ、バーニング側は、記事内容が名誉毀損に当たると、筆者と出版元の鹿砦社に対して損害賠償請求を起こした。
公判では、被告側が、原告である周防の証人出廷を求めたにもかかわらず、裁判所はそれを認めず、第一審判決は「被告は連帯して、周防とバーニングにそれぞれ110万円ずつ払え」という判決だった。当然、被告側はこれを不服として高裁に控訴。だが、裁判官斡旋の和解協議の場で、裁判長の口から「芸能界って、よく分からない んですよ」という言葉を聞いて愕然とした。
高裁判決を待つ間に、紀香と陣内は離婚。この離婚報道も、偏向された。また、関西の"毒舌タレント"の北野誠が、周防らへの発言が原因で、芸能界から追放されるという象徴的な事件が起こった。これは、簡単にいえば、"強いものには巻かれろ"という芸能界特有の「力学」が働いたゆえの帰結でもある。
にもかかわらず、芸能界を理解できない裁判官によって、昨年の7月に控訴は棄却。最高裁に上告したが、再び棄却で、完全敗訴した。
さらに、ここ数年、周防の高校の同級生である芸能プロ・ケイダッシュの川村龍夫会長が、周防と同様に"芸能界のドン"を気取っている。毎年1月に開かれ、いまや芸能界の恒例行事となった川村の誕生日祝いを兼ねた事務所の新年会には、今年もあふれんばかりどころか、あふれることがわかっていながら、業界関係者が大挙してお祝いに駆けつけたという。
そもそも、お客が1000人以上集まることをわかっていながら、半分のキャパシティしかない会場で開催。入場者は会場の前に列をつくり、ごった返す場内では、事務所スタッフが川村の居場所を知らせるためのプラカードを持って歩いていたという。
川村が率いるケイダッシュでは、昨年、所属していたフリーアナの川田亜子さんが自殺。しかも、川村の腹心と言われた谷口元一という役員が川田さんと関係があったといわれているにもかかわらず、会社の最高責任者であるはずの川村自身は説明をせず、社会的責任も明らかにしない。
また棄却と同時に、この裁判の被告:鹿砦社の松岡利康氏が、再び、パチスロメーカー「アルゼ」(現・ユニバーサルエンタテイメント)の取締役会長の岡田和生から、名誉毀損ならびに偽計業務妨害で刑事告訴された。
松岡氏は05年に、アルゼの岡田や阪神タイガース元球団職員に対する名誉毀損罪で逮捕・長期勾留され、有罪判決を受けた。その後も、アルゼ批判を掲載したことで、岡田は昨年、再び松岡氏を刑事告訴。松岡氏は、現在、当局の事情聴取などを受けているという。
アルゼの岡田と新政権の一翼を担っている亀井静香金融相が旧知の仲であることは周知の事実。昨年のアルゼ40周年記念式典にも出席するほどの蜜月関係だ。
押尾学事件でも、パチンコ業界の黒幕を自称する安藤英雄や押尾のスポンサーといわれるパチンコ・メーカー「フィールズ」の山本英俊会長、さらに、その昔"政界のフィクサー"と呼ばれ、パチンコのプリペイドカード導入に一役買ったとされる熊取谷稔らが、押尾事件の真相をもみ消そうと警察に圧力をかけた。
故・中村勘三郎さんをバックアップし続けた“芸能界のドン”との意外な関係[編集]
「人間として表現者として、本当に、最高にチャーミングな生きざまを見せ続けてくださった勘三郎さんの存在は、いつまでも私たちに光やエネルギーを与え続けてくださると信じています」
亡くなった歌舞伎俳優・中村勘三郎さんを悼んで、女優の宮沢りえは悲しみをそう表現した。各スポーツ紙で、勘三郎さんとりえとの関係は「1999年のNHK大河ドラマ『元禄繚乱』で共演した」とされていたが、2人はかつて不倫騒動でマスコミをにぎわせていた。
「りえが当時の人気力士・貴花田(現・貴乃花親方)と婚約破棄後、彼女を支えたのが勘三郎さんで、いつしか2人は親密な関係に発展。そして、りえが勘三郎の定宿だった京都のホテルで手首を切る自殺未遂騒動を起こした。勘三郎は会見で事故であることを強調したが、勘三郎との関係に悩んで手首を切ったことは明らか。そんな騒動があっただけに、りえがコメントしたのは驚きだった」(スポーツ紙デスク)
当時、勘三郎さんはすでに映画やバラエティ番組などに出演し、歌舞伎役者という枠を超えた人気・知名度だったが、「りえとの騒動後、歌舞伎界を背負って立つ大スターに成長していった。女遊びもあったが、マスコミが騒ぐことは少なかった」(同)という。実は、その陰には芸能界の大物の多大なる尽力があった。
「りえとのスキャンダルは、勘三郎さんにとって、それまでの人生で最大のピンチといってもよかった。その際、相談に乗り、スキャンダルをなんとか収めたのが“芸能界のドン”ことバーニングプロダクションの周防郁雄社長。りえとの一件ですっかり勘三郎さんの心をつかんでしまったため、以後、勘三郎さんを所属タレント以上に何かと気にかけていた。マスコミを集めるような芸能イベントに顔を出すことがほとんどない周防氏だが、都内の書店で勘三郎さんが写真集発売記念イベントを行った際には、早朝にもかかわらず、わざわざ足を運んでいたという。勘三郎さんは、りえとの騒動の後も牧瀬里穂、米倉涼子らと浮名を流したが、バックに周防氏が控えていなかったら、スキャンダルがバンバン出てバッシングを浴びていたに違いない。以前、息子の七之助が泥酔してタクシーに無賃乗車し、駆けつけた警察官を殴る騒動を起こした際にも周防氏がしっかり腕利きの弁護士を用意して謝罪会見に同席させ、うまく場を収めた。今後、息子の勘九郎と七之助も周防氏が父親と変わらずバックアップしていくと思われる」(歌舞伎関係者)
強力な後ろ盾があるだけに、天国の勘三郎さんも安心して2人の息子の成長ぶりを見守ることになりそうだ。
「バーニングを絶対潰す!」“芸能界のドン”を追及し、“無実の罪”で逮捕された暴力団組長が命を懸けた反撃宣言(2014年5月)[編集]
「月刊サイゾー」2013年11月号のスクープインタビュー(「モー娘。の肉弾接待は本当にあったのか? 芸能界のドンを撃つ大物組長の独占告白!」)は、芸能界に大きな波紋を呼んだ。“芸能界のドン”の元用心棒である暴力団組長が、衝撃告発をしたのだ。だが、4月に同氏は突如逮捕されることに――。この間、何が起こったのか?
政治結社「大日本新政會」の総裁である笠岡和雄氏(70歳)は、神戸を拠点とする非指定暴力団「2代目松浦組」の組長でもある。
そんな笠岡氏だが、かつては“芸能界のドン”として業界内に隠然たる影響力を持っている、バーニングプロダクションの周防郁雄社長(73歳)の用心棒を2001年から10年近く務めていた。周防氏に関係する「表には出せない裏の仕事」に深く関わっていたのだ。だが、2人の関係は、両者で手がけた新規事業をめぐる金銭トラブルが発端で破綻する。笠岡氏いわく「周防が一方的に、億単位の金銭返済の約束を反故にした」というのだ。
それ以降、笠岡氏は新政會のホームページで周防氏の糾弾を開始。自身が見聞した周防氏の行状を告発してきたのだが、その内容は衝撃的なものばかりだった。
周防氏が、NHK幹部を肉欲接待するために、モーニング娘。のメンバーを利用したり、バーニングプロから独立した女優・水野美紀を潰しにかかったりした話や、自身の下半身スキャンダルをネタに暴力団に恐喝された時や、知人であるみのもんたが右翼から攻撃された時に、笠岡氏が裏側でそれらのトラブルを処理してきた話などなど……。それらが事実であれば、“芸能界のドン”が失脚することを必至の問題含みのエピソードである。
さらに新政會は、昨年夏から街宣車を繰り出し、バーニングプロ事務所やその関連会社、周防氏と行動を共にしていた芸能プロ・テンカラットの小林栄太郎社長や新規事業の担当者だった某株式会社のA氏、さらに同プロとの関係が密接なテレビ局などに抗議活動を始めた。
対する周防サイドは、新政會のホームページの閉鎖や街宣停止の仮処分を申請。裁判所がこれを認めると、新政會はサーバを転々とさせながらホームページを再公開したり、友好団体に街宣活動をさせたりと、一歩も引かず、徹底抗戦をしてきた。また、笠岡氏は「周防の依頼を受けた、復数の東西暴力団関係者が仲介に入ろうとしてきたが、すべて引き下がってもらった」ともいう。
だが、今年の4月1日、事態が大きく動く。笠岡氏が突如、警視庁町田署に逮捕されたのだ。逮捕容疑は詐欺罪。2011年2月、東京都港区内のマンションを賃貸契約する際、笠岡氏は自身が暴力団員であることを隠していたというもの。
このニュースは新聞やテレビでも報じられたが、笠岡氏は4月21日、処分保留で釈放される。詐欺容疑は無実と判断されたのだ。だが、高齢で心臓に持病を抱える笠岡氏は、20日にもおよぶ勾留生活で体調を崩し、すぐに入院することになった。その病床から、本誌に連絡が入る。笠岡氏は言う。「今回の逮捕は、周防が仕掛けたものだ」――。
果たして、その根拠とは? 今の思いとは?
――今回の逮捕に、周防氏が関与しているのではないかという根拠は?
笠岡
- 警察と周防のつながりを匂わせる、伏線があった。オレと周防が揉めだすと、警察の連中がおかしな動きを始めたんだ。オレの知り合いのメディア関係者が、周防とNHKの癒着ぶりを取材し始めると、高輪警察の四課が記事の差止めに動いてきたことがあった。また、周防の用心棒を務める際、ヤツの頼みもあってバーニングが関係する麻布十番のビルの一室に入居したんだけど、オレと周防が揉め出すと、その翌年の11年6月に警視庁麻布署の組織犯罪対策課の警部補が2名やって来た。何かと思えば、「周防さんと揉めないでほしい」「このビルから退去してほしい」と。さもないと、オレが借りている浜松町の住居用マンションにガサ入れすると脅すわけだ。「周防は警察も使うのか」と驚いたし、こちらにやましいことはないけど、その気になれば、警察はどんな容疑でもでっち上げて、ガサに入る。マンションには子どもも住んでたし、面倒を避けたかったから、麻布十番のビルは出た。だから、この件は収まったもんだと思っていた。この浜松町のマンションというのが、今回、オレが詐欺を働いていたとされる物件だ。
――実際には、詐欺行為はなかったと?
笠岡
- まったくない。この物件はUR都市機構のマンションで、そもそもは新宿の河田町にあるURの物件を借りていたんだけど、11年2月に浜松町に移った。その際の手続きは、不動産会社が代行して、オレは主だった契約書にはサインもしていない。貸主側から契約に暴力団排除条項があることの説明も受けていないし、2代目松浦組は指定暴力団でもないし、法律が定義している「集団的に又は常習的に暴力的不法行為等を行うことを助長するおそれがある団体」でもない。検察も詐欺罪を立証できないと判断して、不起訴にした。つまり、警察のでっち上げだったわけだ。そもそも、8人もの捜査員が自宅にガサに入っても、押収したのはオレの名刺4枚だけ。オレの関係者に「20日で出すから」と言って、事務所奥のキッチンでタバコを吸いながら笑っていたという。警察は逮捕ありきで、オレを勾留期限いっぱいの20日間で釈放するつもりだった。つまり、最初から本気で捜査して、有罪に持ち込もうなんて気はなかったわけだ。
――とすると、警察の目的は?
笠岡
- オレの身柄を拘束したかったんだろう。一時休止していたホームページの公開や街宣活動を今年の2月半ばから再開したところ、復数の暴力団関係者から「やめてくれ」との依頼が入った。周防に頼まれたんだと思う。でも、こっちはやめるわけにはいかない。そうしたら、今度は警察を使ってきた。しかも、マンションは港区にあるのに、町田署が動いた。以前動かした高輪署や麻布署だと露骨だと考えたのか、都心から離れた町田署にオレを閉じ込めたほうがいろいろと好都合と考えたのか。周防の顧問についている、元特捜検事だった、やり手弁護士が動いたのかもしれない。周防に甘い汁を吸わせてもらっている警察OBも復数いる。結果的に、オレは殺されそうになったわけだ。
――殺されそうに?
笠岡
- オレは心臓に重度の疾患を抱えている身体障害者1級だ。これまでに7回も電気ショックで蘇生されているくらいで、主治医に処方してもらった強いクスリを常用していないと生きていけない。主治医からの「拘禁は致死的不整脈を引き起こす危険性が高い」という診断書も警察に出したが、それも無視された。勾留時にはクスリは取り上げられ、代わりに町田署からの依頼で町田市民病院が処方したクスリを飲まされたが、体に合うわけがない。
- 結果、逮捕から5日目に高血圧と不整脈で気を失って、ぶっ倒れた。しかも、町田には専門医がいないからと、小一時間かかって横浜の病院まで運ばれて、ろくな治療もせずに、また留置場に戻された。血圧は200以上、脈拍も120くらいから下がらない。そんな状態なのに、取り調べは終わっても、10日間の延長勾留を打たれた。容疑者なのに、人権や人命軽視の扱いで、いつ死んでもおかくない状態だった。今も体はガタガタだ。
――周防氏は、体の問題も知っていた上で逮捕させたと?
笠岡
- そこまでの人でなしとは思いたくないが、少なくとも4月には街宣活動をされたら困る理由があったんじゃないか。オレを20日間は閉じ込めておきたかった理由が。シャバに出てきてから調べたところ、周防はオレが逮捕されることを、その前日に知っていたという。周防とつながりがある暴力団の人間も知っていた。ここまでの状況証拠が揃っていて、周防が今回の逮捕とは無関係とは言わせない。
まだ揉める前、オレが糖尿病で足を切断しないといけないような状況で入院していたところ、周防とテンカラットの小林が「会長、死なないでください。私たちはどうなるんですか?」と心配してくれたが、今は逆。今年3月に都内でオレの心臓病が悪化し、救急車で運ばれたという情報も、周防やヤツとつながりがある暴力団が把握していたと聞く。その直後に、オレは逮捕された。
――周防氏に対して、言いたいことは?
笠岡
- 周防はこれまで、オレとの問題を収束させるために、7人もの暴力団員を仕向けてきた。中にはチャカ(拳銃)を忍ばせて来た者もいるし、指定暴力団のトップにまで相談しにいっていることが耳に入ってきている。周防が裏で動いていたという証拠の音声も揃っている。
- 暴力団排除条例に抵触する違法行為をしているわけだ。脱税行為を裏付ける証拠もある。今回、ガサに入った捜査官にも言ったよ。「周防を挙げるための証拠も揃っているから、持ってけ。手柄になるだろう」と。そうしたら、「自分たちの仕事ではない」と見て見ぬふりだ。警視庁の中には、周防を逮捕したがっている連中もいるようだが、当てにならない。今後、オレが病気や事故で死んだり、新政會の運動員にケガ人が出るようなことがあれば、すべての証拠を公にする。もう金を返す返さないの問題じゃない。周防やヤツに手を貸した小林やA氏といった人間、バーニングプロやその関連会社を潰すまで、オレは徹底的に追及し続ける。
中枢事務所[編集]
株式会社バーニングプロダクション
- 代表取締役 周防郁雄
- 取締役 川村龍夫、周防美惠子、周防彰悟
- 監査役 進春子、宮地幸憲
- 株主構成 周防郁雄(80%)
株式会社バーニングパブリッシャーズ
- 代表取締役 周防彰悟
- 専務取締役 進亮
- 常務取締役 樋口紀男
- 取締役 頓所博克、川村龍夫、日高(旧姓:高田)みづえ
- 監査役 藤谷亀子
- 株主構成 周防郁雄(67.5%)、バーニングプロダクション、周防彰悟、樋口紀男、川村龍夫
株式会社ビッグアップル
- 代表取締役 木村正明
- 取締役 内田みさき、鈴木伸佳
- 監査役 樋口紀男
株式会社サムデイ
- 代表取締役 高橋裕
- 取締役 大迫悦子、木村正明
株式会社オフィスプロペラ
- 代表取締役社長 木村正明
- 代表取締役 小林甫
- 取締役 周防郁雄、本田一行、樋口知子
- 監査役 鈴木政信
- 株主構成 木村正明(6000株)、周防郁雄(4800株)、川村龍夫(4800株)、小林甫(4000株)
株式会社プロシード
- 代表取締役 石川宏明
- 取締役 木村正明、樋口紀男、登内二郎、丸山隆、森茂樹
- 監査役 大畑美津子
- 株主構成 オフィスプロペラ(35%)
株式会社オオハタ
- 代表取締役 大畑美津子
- 取締役 磯貝朝弘、野村義生
- 監査役 宮崎伊久雄
- 株主構成 大畑美津子、磯貝朝弘、野村義生
進商事株式会社
- 代表取締役 周防美惠子
- 取締役 進亮、北川正雄
- 監査役 磯貝朝弘
- 株主構成 周防美惠子(80%)、磯貝朝弘(20%)
株式会社プロダクションオーロラ
- 代表取締役 小菅光雄
- 取締役 小菅加代子、木村正明
- 監査役 小林甫
有限会社ウィーズ・ミュージック
- 代表取締役 関野治也
- 取締役 関野万紀子(小学館「女性セブン」編集長)
- 株主構成 関野治也
Grick株式会社
- 代表取締役 進亮
- 取締役 後藤正好