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原理主義者になると、万一他国が日本に攻めてきた場合でも、非戦を貫き、甘んじて殺されるべきだと主張する。当然、その主張は信者でない人々には受け入れられず、意見が対立し、国内に平和的でない空気を生んでいる。 | 原理主義者になると、万一他国が日本に攻めてきた場合でも、非戦を貫き、甘んじて殺されるべきだと主張する。当然、その主張は信者でない人々には受け入れられず、意見が対立し、国内に平和的でない空気を生んでいる。 | ||
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+ | 「今日はどうしても言いたいことがあって、この場でスピーチさせていただきます。「戦争法案」は絶対に廃案にしなければなりません。こんな政権に日本を任せるわけには行きません。(中略)僕は周りに政治のおかしさを訴えていきます。戦争を起こして何になりますか。誰が得をしますか。僕ら国民には犠牲しかもたらしません。そんなに中国が戦争を仕掛けてくるというのであれば、そんなに韓国と外交がうまくいかないのであれば、アジアの玄関口に住む僕が、[[韓国人]]や[[中国人]]と話して、遊んで、酒を飲み交わし、もっともっと仲良くなってやります。僕自身が抑止力になってやります。抑止力に武力なんて必要ない。絆が抑止力なんだって証明してやります」 | ||
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+ | 何とも威勢の良いスピーチの主は、[[福岡県]]の大学に通う22歳の男子学生、[[後藤宏基]]さんである。[[2015年]][[8月28日]]、[[プロ市民]]団体「SEALDs」が主催する毎週金曜日恒例の安保法案反対デモに参加し、聴衆を前にマイクで高らかに訴えた。 | ||
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+ | 安保法案は、他国との戦争を目的にしているわけではない。首相も断言した通り、わが国が他国と「二度と戦争をしない」ための法案である。「徴兵制の復活」などというデマや誤解まで広がっているが、彼らの主張の多くは偏見に満ちている。 | ||
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+ | それともう一つ、「絆が抑止力」という言葉。中国や韓国といった隣国と交流を深めて、対話による緊張関係の平和的解消を目指すという志は立派だが、自国の利益を最優先に考える外交の世界で、そういう綺麗事だけが罷り通ると本気で思っているのか? | ||
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+ | これまた失礼な言い方かもしれないが、後藤さんに限らず、SEALDsという学生団体の活動を見て思うのは、彼らは権力と対峙し、反体制を謳う「反骨」な自分に酔いしれているだけではないのか? 彼らが言うように日本と平和を本気で愛しているのであらば、いま現実に起こっている脅威に目を背けず、きちんと向き合って冷静に解決する術を考えるべきではないのか。 | ||
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+ | 感情論や精神論ばかりが先立つ主張は、はっきり言って無意味である。デモの参加者が、口汚く現政権を罵っているさまを見ていると、ただただ興ざめするばかりで、彼らの訴えは何一つ心に響いてこない。それでも、SEALDsの運動をかつての「[[60年安保闘争]]」と重ねる向きもある。だが、国会突入を図って警官隊と激しく衝突した当時の勢いとは比べものにならない。主催者がデモの参加者を水増ししたり、仰々しく報道するメディアもあるが、多くの国民は今回の安保法案の成り行きを冷静に見守っている。[[60年安保]]の真っただ中、当時の[[岸信介]]首相と対峙し、デモを主導した元[[全学連]]のリーダーは、[[昭和62年]]に岸元首相が亡くなった際、次のような弔文を書いて、その死を悼んだという。 | ||
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== ブサヨが敬愛する中国、「岩礁埋め立ては外交戦略の傑作だ」中国紙が自賛「米比は反対しても何もできない」 == | == ブサヨが敬愛する中国、「岩礁埋め立ては外交戦略の傑作だ」中国紙が自賛「米比は反対しても何もできない」 == |
2015年9月19日 (土) 15:43時点における最新版
9条教とは、日本国憲法第9条を経典および題目とし、改憲をタブー(禁忌)とする、日本の新興カルト宗教。護憲教の一派である。
目次
概要
由来
戦後、共産主義者や社会主義者を中心に、護憲派の勢力が伸びた。日本を共産化するためには、日本の「弱体化」が必要不可欠だったからで、そのためには憲法第9条は好都合だったからである。
しかし近年になり自主憲法制定が現実味を帯び始めると、護憲派はカルト宗教色を帯び始めた。黒幕は変わらないが、活動内容はオブラートに包み隠蔽し、護憲が平和のためになるかのように装い始めた。その結果が、俗に九条教と呼ばれるものである。
活動方針等
理由は不問、とにかく「憲法九条だけ」を大事にし、もって日本の戦争反対の立場を取る。九条を死守するためなら現実は顧みず、また誰を犠牲にしても構わない。
宗教的に表現するなら、日本国憲法に帰依し、日々憲法第9条を読経しながら、布教活動(折伏)を行なう、と言える。カルトとしての性質は充分に備えている。
教義
この宗教を信仰している人々は九条と前文を唱えれば敵が撤退し、平和になると信じている。更に嘗て左翼の急先鋒だった日本共産党ですら容認している個別的自衛権をも完全に否定し、自衛隊を解散させる事によって日本国民を侵略の脅威に曝し、日本国を解体・消滅に導く事を最終目標としている。これが独裁者やテロリスト・侵略国家にとって渡りに船or鴨葱であり、特に国内のシナへの積極的協力者―即ち日本の支配層に拠って本宗教が展開されているのは言うまでもないが、その様な事実に九条教の盲信者達は一切耳を貸さない。ただ、「9条に忠実に従う事が平和への道」と信じるのみである。中国共産党日本支部や朝鮮労働党日本支部そして日本労働党は彼等が主体となっている。
教義を卑近な例で喩えるなら、「鍵をかけなければ盗人は入ってこない。でもドアに鍵がついていたら鍵をかけたくなるだろう? だから鍵は外してしまえ」ということである。
聖地
広島の原爆ドームや平和記念公園、長崎の平和記念像、沖縄のひめゆりの塔などが、九条教の聖地として崇められている。九条教徒は年に最低1回は聖地に赴き、九条存続のために祈りを奉げる。他にも、過激な九条教徒は「中国大使館や韓国大使館こそ、真の聖地」と主張している。
信者の特徴
信者は以下のような発言を繰り返し、日々布教活動を繰り返している。
- 「日本が戦後平和だったのは九条があったおかげ。九条が無くなればいつか来た道に戻ることになる」
- 「過去の過ちを繰り返さないために、私達は九条を未来永劫守らなくてはならない」
- 「九条は世界最強。これさえ持っていれば外国は決して攻めてこない」
- 「ゆくゆくは九条の理念が世界中に広まって、世界は平和になる」
- 「自衛隊は九条に違反している。非武装中立を守り自衛隊のような軍隊を解散すれば、永久に攻められることはない」
このような発言を見ていると「あんたらの言っている事は全然根拠が無いじゃないか」と言いたくなるかもしれないが、そのような反論をしても無駄である。例えば、キリスト教徒に「イエス・キリストの逸話は科学的な根拠が無い」などと言っても、キリスト教徒は「聖書に書かれている事は絶対に正しい」と言うだろう。同じように、九条教徒は九条の理念が理屈抜きに正しく、素晴らしく、崇高なものだと信じているので、九条の理念を否定するような意見には一切耳を貸さない。
九条を唱えれば更年期障害が緩和されるという教えから、信者の中で高齢者の占める割合が極めて高い。 新聞の投書欄やテレビに無償で広告を出すことができるなど、メディアでの影響力が強いことから相当数の信者がいるといわれている。 毎年8月は新規信者獲得の強化月間となっており、多くのキャンペーン広告のほかに、有力な信徒団体の日教組を使った若年層への集団勧誘「平和学習」が大々的に行われている。
教義特徴
善悪基準九条教での善悪の判断
基準は、次のようになる。
つまり、二重の基準(ダブル・スタンダード)である。
日本だけが悪い
九条教では、日本だけが悪いと考える。
- 戦争は悪いこと。対話、話し合いで解決するべき。
- 日本の自衛隊は、平和憲法に反する戦争の道具で、平和を脅かす存在である。
- 支那や北鮮が軍拡するのは、日本と米国がアジアの平和を脅かしているから。生存のため、仕方がなく軍拡をしている。
- 違憲な自衛隊があるから、アジアの平和は乱れる。
- 自衛隊がなければ、今のような軍拡は必要がなくなる。
- 結果、アジアは平和になる。
- 従って、自衛隊は速やかに解散するべきである。
つまり、アジアの、そして世界の恒久平和を乱す元凶は、実は日本の自衛隊である。日本は速やかに武装解除をするのが、世界の平和の第一歩。これが、九条教の最終的な結論である。
ジュネーブ条約を根拠とするとされる「無防備地域宣言」(または無防備都市宣言)を自治体で制定させようと国内で活動家が動いているが、これも九条教の結論を実現させるための活動である。
助けて無防備マン!
「軍隊が無ければ襲われない」ことが証明できないと、この理論(九条教の教義)は実証不可能である。しかし、この理論を実証できる土地は地球上には無く、従って永遠に実証はできない。しかし九条教の思想では、「自明の理、証明不要」として扱われている。
その一方で歴史を省みれば、反証は無数に存在する。力が及ばず、他国や他文明に滅ぼされた国や文明は、枚挙に暇がない。また、「戦争、国同士の喧嘩」という、今の日本には非現実的な話ではなく、より身近な例でも、無防備が本当に安全かどうかは検証できる。
例えば、街中を歩くときは無防備、丸腰が常識である。何の武器も持ってない状況であるのに、通り魔、ひったくり、強姦などの被害に遭うのは、何故なのか。
- 答え: 何も武器を持っていなかったから
- 良くある誤答: 対話が足りなかったから
留守の家に空き巣が入るのは、何故なのか。
- 答え: 警備がいなかったから
- 良くある誤答: 対話が足りなかったから
悪い人、つまり敵の良心に期待するのは、無理なことなのである。
対話
戦争が国内公共事業である米国も、実は対話をしている。しかし「対話、話し合いで解決するべき」というのは、夢想である。なぜなら多くの場合、戦争とは外交という対話が決裂した結果だからである。
「諸君 私は戦争が好きだ」などというのは、平野耕太著「ヘルシング」の少佐くらいしかいない。国は、理由もなく戦争などしない。国民が死ぬからである。
なお、この「対話」も、最終的には暴力と言う切り札があるからこそ、実現できるとも言える。労働組合が賃上げを要求できるのは、組織という力、組合員という数の暴力があるからであり、個人でベアベア叫んでも誰も聞く耳など持たない。
つまり、最後にものを言うのは、暴力以外には無い。これは、「秋葉原通り魔事件」の加藤智大も実践した。彼の結論は、百の議論より一の暴力だったわけである。
まずは身近から無防備に
無防備を信仰すること自体は、日本では合法であり、人に迷惑を掛けなければ、実践することも自由である。
しかし、無防備を論ずる者が、夜や、外出時に家に鍵を掛けているのかどうかが、彼らの本気さの指標となる。殆どの場合、鍵で「防備」し、のみならず民間のセキュリティで「厳重な防備」をしている。
発言と行動が矛盾することは、美しいことではない。
鍵は掛けず、また「無防備宣言」として無施錠、無警備を宣言する看板でも立てることが、本気の無防備住宅であろう。
結論
日本国憲法第9条は、実は「国際紛争を解決する手段」以外なら、軍事力を使っても良いことになっている。軍事力の一切を使ってはいけないわけではなく、つまり自衛隊は合憲である。もっとも、ではどういう場面で使えるのか?という点は、様々な議論がある。
さて、日本の周辺地域は不幸にも紛争地帯(朝鮮半島、中共vs台湾、ロシア他)であるが、世界第二位の経済力を持ち、温厚で礼儀正しい国民が無防備でいたらどうなるか、おのずと結論は出てくるところである。
歴史
2014年、九条教の一派である <「憲法9条にノーベル平和賞を」実行委員会> によって、「世界各国に平和憲法を広めるために、日本国憲法、特に第9条、を保持している日本国民」 がノーベル平和賞に推薦され、受賞候補となった。危うく日本国民全員が九条教信者と認定されるところであったが、この危機を救ってくれたのが史上最年少でノーベル賞を受賞したマララ・ユサフザイさんであった。彼女は日本の平和も守ったのである。
カルト性
九条教の信者で、経済アナリストとして知られる森永卓郎が、2004(平成16)年3月29日のテレビ番組「TVタックル」で、次のように語った。当該映像はYoutubeにもアップロードされていることが確認されている。
- 日本人は押し付けられたかも知れないけど憲法9条って非常に美しい条文を、受け入れて今まで守ってきたわけですよ。
- で、私はね、仮に、とんでもない奴が攻めてきたら、もう、黙って、殺されちゃえばいいんだと思うんですよ!
- (エーッ!/スタジオの観衆ら)
- この後は大混乱となる。
- それで戦争しなくって、平和を守るんだって言い続けて、ああ、そんないい民族がいたんだなって思えばいいじゃないですか!
九条教も狂信が進むと、信者である無しを問わず、「皆で殉教しよう」、という境地に至るようだ。これは、終末論を唱え、テロルや集団自殺をしようとするカルト教団と、何ら変わる所はない。
九条教による諸問題
九条教は、朝日新聞のようなイデオロギー商売が大きくなる土壌を作り、それによって歴史が捏造され、国益を大きく損ねる結果を招いた。
原理主義者になると、万一他国が日本に攻めてきた場合でも、非戦を貫き、甘んじて殺されるべきだと主張する。当然、その主張は信者でない人々には受け入れられず、意見が対立し、国内に平和的でない空気を生んでいる。
Sealdsは権力と対峙し、反体制を謳う「反骨」な自分に酔いしれているだけ
まずは下記のスピーチ文をご覧いただきたい。
「今日はどうしても言いたいことがあって、この場でスピーチさせていただきます。「戦争法案」は絶対に廃案にしなければなりません。こんな政権に日本を任せるわけには行きません。(中略)僕は周りに政治のおかしさを訴えていきます。戦争を起こして何になりますか。誰が得をしますか。僕ら国民には犠牲しかもたらしません。そんなに中国が戦争を仕掛けてくるというのであれば、そんなに韓国と外交がうまくいかないのであれば、アジアの玄関口に住む僕が、韓国人や中国人と話して、遊んで、酒を飲み交わし、もっともっと仲良くなってやります。僕自身が抑止力になってやります。抑止力に武力なんて必要ない。絆が抑止力なんだって証明してやります」
何とも威勢の良いスピーチの主は、福岡県の大学に通う22歳の男子学生、後藤宏基さんである。2015年8月28日、プロ市民団体「SEALDs」が主催する毎週金曜日恒例の安保法案反対デモに参加し、聴衆を前にマイクで高らかに訴えた。
どこかの左派メディアのように彼らの活動を諸手を挙げて持ち上げるつもりはないが、自分たちの信念を持って活動を続ける彼らの行動力には脱帽する。とはいえ、彼のスピーチの中身にはいささか首をかしげたくなる部分もあるので、僭越ながら少しだけ苦言を呈したい。
そもそも「戦争法案」などというレッテルを貼り、一方的に批判するのはいかがなものか?
安保法案は、他国との戦争を目的にしているわけではない。首相も断言した通り、わが国が他国と「二度と戦争をしない」ための法案である。「徴兵制の復活」などというデマや誤解まで広がっているが、彼らの主張の多くは偏見に満ちている。
それともう一つ、「絆が抑止力」という言葉。中国や韓国といった隣国と交流を深めて、対話による緊張関係の平和的解消を目指すという志は立派だが、自国の利益を最優先に考える外交の世界で、そういう綺麗事だけが罷り通ると本気で思っているのか?
ましてや、言葉も文化も価値観もすべて異なり、公然と敵意をむき出しにする相手であっても、気安く対話できる関係を築ける自信がそんなにおありなら、ぜひ今すぐにでもわが国の外交官としてその手腕を発揮してほしい。
これは乱暴な比喩かもしれないが、もし強盗犯が自宅に押し入り、自分の財産を奪い、家人を傷つけるような場面に出くわしても、犯人に自首を促すような冷静な対応が取れる人なんているのだろうか?独り善がりな理想と信念が通用しないのも外交の本質であり、交渉とは相手と同等以上の立場になって、初めて双方が聞く耳を持つ関係が成り立つ。彼の主張は「理想」ではあっても、現実はそんなに甘くはない。
これまた失礼な言い方かもしれないが、後藤さんに限らず、SEALDsという学生団体の活動を見て思うのは、彼らは権力と対峙し、反体制を謳う「反骨」な自分に酔いしれているだけではないのか? 彼らが言うように日本と平和を本気で愛しているのであらば、いま現実に起こっている脅威に目を背けず、きちんと向き合って冷静に解決する術を考えるべきではないのか。
感情論や精神論ばかりが先立つ主張は、はっきり言って無意味である。デモの参加者が、口汚く現政権を罵っているさまを見ていると、ただただ興ざめするばかりで、彼らの訴えは何一つ心に響いてこない。それでも、SEALDsの運動をかつての「60年安保闘争」と重ねる向きもある。だが、国会突入を図って警官隊と激しく衝突した当時の勢いとは比べものにならない。主催者がデモの参加者を水増ししたり、仰々しく報道するメディアもあるが、多くの国民は今回の安保法案の成り行きを冷静に見守っている。60年安保の真っただ中、当時の岸信介首相と対峙し、デモを主導した元全学連のリーダーは、昭和62年に岸元首相が亡くなった際、次のような弔文を書いて、その死を悼んだという。
「あなたは正しかった」
ブサヨが敬愛する中国、「岩礁埋め立ては外交戦略の傑作だ」中国紙が自賛「米比は反対しても何もできない」
2015年8月22日付の中国共産党機関紙、人民日報系の環球時報は、中国が南シナ海で進めてきた岩礁埋め立てについて「非常な成功だった。中国外交戦略の傑作だ」と自賛した。
同紙社説は、埋め立ては合法で「米国やフィリピンは強烈に反対しても何もできない」と指摘。南シナ海は「中国が長い屈辱と挫折を経て取り戻した“大国心理”のよりどころだ」と主張した。
また、フィリピンの国防費は中国の国防費に遠く及ばず、「ベトナムの国内総生産(GDP)は中国広西チワン族自治区のGDPにも達しない」と強調。両国は中国の軍事的脅威にはなり得ないと述べた。
百田尚樹@hyakutanaoki
すごくいいことを思いついた!もし他国が日本に攻めてきたら、9条教の信者を前線に送り出す。
そして他国の軍隊の前に立ち、「こっちには9条があるぞ!立ち去れ!」と叫んでもらう。
もし、9条の威力が本物なら、そこで戦争は終わる。世界は奇跡を目の当たりにして、人類の歴史は変わる。
2013年10月7日 - 0:17
http://twitter.com/hyakutanaoki/status/386872777426210816