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2018年12月17日 (月) 09:55時点における最新版
平塚為広の碑
関ケ原一番乗りの垂井城主[編集]
平塚為広の碑は「大谷吉継陣跡」の山を下りて道の東側にあります。関ケ原に隣接した美濃垂井(1万2千石)を治めていたこともあってか、合戦では、為広がいち早く西軍として参戦しました。その背景には大谷吉継と為広が盟友であったという話もあるようです。なお、平塚隊は、大谷隊前方に布陣し、病身の吉継に代わって為広が両軍を指揮していたとされています。ちなみに、この碑は平塚家8代為忠の次男で、評論家・女性解放運動家として有名な、平塚らいてうの父である平塚定二郎により建立されました。
“義”を貫き、“勇”を持ちて…[編集]
平塚隊は、関ケ原合戦時、大谷隊支援の為に自隊の進行方向を変え、裏切った小早川隊と激突しました。その時に詠まれた辞世の句には
「名のために 捨つる命は惜しからじ 終に留まらぬ 浮世と思へば」
(名誉の為に殉じられるなら、自分の命など惜しまない。限られた人生なのだから)
とあります。これに対し大谷吉継は
「契りあらば 六つの巷に待て暫し おくれ先立つ事はありとも」
(共に死ぬ約束があるのだから六道の分かれ道でしばらく待っていて欲しい。遅れて、あるいは先に死ぬことはあっても)
と返歌しました。その後の奮戦で為広は力尽きてしまいましたが、“義”を貫き、“勇”を持って戦った武将として、後世に語り継がれています。