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(後藤健二との関係)
 
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'''湯川遙菜'''(ゆかわ はるな)は、[[日本]]の[[民間軍事会社]]PMC JAPAN経営者。元[[模型]]店経営者。
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'''湯川遙菜'''(ゆかわ はるな、 - 2015年1月)は、[[日本]]の[[民間軍事会社]]'''PMC JAPAN'''経営者。元の名は'''湯川正行'''。元[[模型]]店(ミリタリーショップ)日高屋経営者<ref name="(有)日高屋">[http://web.archive.org/web/20041109054940/http://www.hidakaya-int.jp/co/index.html (有)日高屋]</ref>。
  
 
== 来歴 ==
 
== 来歴 ==
* [[2014年]][[8月16日]] - [[シリア]]北部のアレッポでイスラム過激派組織「[[イスラム国]]」に拘束される。同日には武装勢力に尋問されている映像が[[YouTube]]上に公開された。  「日本人への尋問」と題された2分弱の動画で、映像では額から[[血]]を流し、地面に倒れた状態で尋問を受けている。男性は「どこから来たのか」と聞かれると「日本から来た」と答え、「ハルナ・ユカワ」と名乗っていた<ref name="j-cast">[http://www.j-cast.com/2014/08/18213376.html?igred=on シリア拘束は民間軍事会社CEOの湯川遥菜さん? ブログで今回の渡航を「今までの中で一番危険かもしれない」J-CASTニュース]</ref>。
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*[[千葉県]]内の[[高校]]を卒業後、20歳過ぎで[[習志野市]]内にミリタリーショップを開業<ref name="zakzak">[http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20140822/dms1408221518020-n1.htm 夕刊フジ「シリア拘束の湯川遥菜氏 事業失敗、妻の死、自殺未遂… 渡航の背景を父が激白 」]</ref>。
*2015年1月にイスラム国により処刑される。
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*[[2000年]]に常連客だった女性と結婚。千葉市内に2号店をオープンさせるなど事業は順調だったが、[[2005年]]に暗転する。店が潰れて莫大な借財ができ、父正一がかけずり回って返済する。湯川は夜逃げ同然に姿を消し、以降父とは疎遠になる<ref name="zakzak"></ref>。
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*[[2010年]]、妻が[[肺癌]]を患う。その後死去<ref name="zakzak"></ref>。
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*[[2013年]]12月、疎遠になっていた父に再開。突然、実家に帰り、そこで父に名前を『正行』から『遥菜』に改名したことを話す。『「知り合いに短命な字画だと聞いたから」と話していたと父が証言。自殺を図り局部を切り取ったこともその際父は知る<ref name="zakzak"></ref>。
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*[[2014年]]1月、実家近くの[[アパート]]で独り暮らしを始め新事業を開始。父には「[[海賊]]から[[タンカー]]を護衛したり、海外法人のサポートをする仕事だ」と話す。会社の実績作りのために「シリア行き」を計画していることも明かす<ref name="zakzak"></ref>。
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*2014年4月、最初の渡航を果たす。父正一は、「最初の渡航時には成田空港までタクシーで送って『腹をくくって行け』と言って送り出しました。帰ってきたときには、『現地の人と親しくなった。歌も一緒に歌った』と目を輝かせていた。友人が少ない子でしたが、あちらでは必要とされているという実感を持てたのでしょう」と振り返った<ref name="zakzak"></ref>。
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* [[2014年]][[8月16日]] - [[シリア]]北部のアレッポでイスラム過激派組織「[[イスラム国]]」に拘束される。[[ツイッター]]では、イスラム国メンバーとみられる人物が「[[米中央情報局]]([[CIA]])のために働く[[日本人]][[スパイ]]が拘束された。冒険好きな[[写真家]]のように振る舞っていたが、悲劇的な結末を迎えた」と書き込んだ<ref name="news-us">[http://www.news-us.jp/article/403927050.html News U.S.【これは酷い】湯川遥菜さんがISISに殺されたのは【 朝日新聞 】のせいだった!!! テロリストにわざわざ情報を渡した「安江塁」とかいうゴミ記者に非難殺到!!! 2ch「わざわざ処刑への後押ししてる」「こいつの通報のせいで殺されたのか」]</ref>。別の投稿には「スパイの名前はユカワ・ハルナ。警備会社の責任者で、写真家ではない」と記載された。同日には武装勢力に尋問されている映像が[[YouTube]]上に公開された。「日本人への尋問」と題された2分弱の動画で、映像では額から[[血]]を流し、地面に倒れた状態で尋問を受けている。男性は「どこから来たのか」と聞かれると「日本から来た」と答え、「ハルナ・ユカワ」と名乗っていた。撮影した集団に対し、湯川は「日本人だ。仕事で来た。写真家だ」などと主張。集団が「なぜ武器を持っているのか」と聞くと「死亡していた兵士から取った」と釈明した<ref name="j-cast">[http://www.j-cast.com/2014/08/18213376.html?igred=on シリア拘束は民間軍事会社CEOの湯川遥菜さん? ブログで今回の渡航を「今までの中で一番危険かもしれない」J-CASTニュース]</ref>。
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*2015年1月にイスラム国により処刑される。ISはこれまで処刑シーンをYouTubeなどで公開してきたが、湯川については映像が公開されず、胴体の上に切り落とした首を載せた写真だけが公開された。ある中東の情報筋の話によれば、「これにはIS側の都合で、湯川が処刑される際に命乞いをしたため、見るに耐えない処刑シーンになった可能性がある。これまでISが公開した処刑シーンは、処刑されるほうにも“武士の切腹”のような潔さがあった。これはISが意図的に狙ったものでした」(A氏)。 処刑もイスラムを連想させる砂漠の真ん中で、遊牧民の古の流儀に従い首を切り落というやり方をとる。すべては、その姿に憧れを抱き兵士を志願する人々や、彼らに“希望”を感じた人々からの金銭的援助を集めるための“イメージ戦略”だった。ISは捕虜には『死んだほうがマシだ』と思わせるまで徹底した拷問を加える。それによって、処刑される時には、捕虜は死地にありながらも『死によって苦痛から解放される』と冷静に死を受け入れるはずだった<ref name="rabit">[http://rabitsokuhou.2chblog.jp/archives/68305689.html ラビット速報「湯川遥菜さん、処刑される際に泣き喚いて命乞いをしていた・・・」]</ref>。
  
 
== 人物 ==
 
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== 後藤健二との関係 ==  
 
== 後藤健二との関係 ==  
後藤健二と湯川遙菜の接点について、2014年[[7月]]末、湯川がトルコ経由でシリアに二度目の潜入をし、反[[アサド]]の自由シリア軍に拘束され、アジトで尋問を受けていた際、英語が堪能な後藤健二が湯川遙菜を救ったのが最初の接触だというのが定説だ。後藤自らが2014年8月に[[テレビ]]で湯川遙菜との関係を詳しくは説明しなかったものの、そのときが初対面であるかのような印象で語った。しかし、実際にはそうではなく、本人の[[ブログ]]から、2014年の湯川の中東渡航にはすべて後藤が同行していることが推測されている。[[外務省]]から渡航禁止令が出ている状況で湯川はシリアに一回目の潜入を果たした。湯川にとって紛争地入りの初体験であったが帰国後の報告に、「僕が入国して数日後、ジャーナリストの後藤健二さんが入国し、お会した」との発言がある。2014年8月の湯川遙菜事件の際にはこの事実は[[マスメディア]]でも見落とされていた。4-5月のシリアに続き、6月下旬に湯川はイラクに渡航した。イスラム国がイラク北部に侵攻して勢力を拡大させ、米国が空爆で阻止をしようとしていた時期に当たる。湯川は日本に帰国後、現地のレポートを書いているが、6月29日の記事では、イスラム国と戦うクルド人部隊と撮影した写真に、後藤が収まっていた。このとき、後藤は同時に現地レポートを報道ステーションで行っている。この事実について、メディアは一切注目しなかったが、2014年4月のシリア、6月のイラク、7月のシリアでも、湯川と後藤は常に一緒だった。英語が堪能ではない湯川は、現地で活動するためには事情をよく知る通訳が必要性があったため、シリア、イラクともに、後藤が湯川遙菜のガイドとなって世話をしていたと推測される<ref name="critic20"></ref>。
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[[ファイル:images後藤健二.jpg|thumb|180px|left|[[イスラーム国]]に拘束中の後藤健二]]
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後藤健二と湯川遙菜の接点について、2014年[[7月]]末、湯川がトルコ経由でシリアに二度目の潜入をし、反[[アサド]]の自由シリア軍に拘束され、アジトで尋問を受けていた際、英語が堪能な後藤健二が湯川遙菜を救ったのが最初の接触だというのが定説だ。後藤自らが2014年8月に[[テレビ]]で湯川遙菜との関係を詳しくは説明しなかったものの、そのときが初対面であるかのような印象で語った。しかし、実際にはそうではなく、本人の[[ブログ]]から、2014年の湯川の中東渡航にはすべて後藤が同行していることが推測されている。[[外務省]]から渡航禁止令が出ている状況で湯川はシリアに一回目の潜入を果たした。湯川にとって紛争地入りの初体験であったが帰国後の報告に、「僕が入国して数日後、ジャーナリストの後藤健二さんが入国し、お会した」との発言がある。2014年8月の湯川遙菜事件の際にはこの事実は[[マスメディア]]でも見落とされていた。4-5月のシリアに続き、6月下旬に湯川はイラクに渡航した。イスラム国がイラク北部に侵攻して勢力を拡大させ、米国が空爆で阻止をしようとしていた時期に当たる。湯川は日本に帰国後、現地のレポートを書いているが、6月29日の記事では、イスラム国と戦うクルド人部隊と撮影した写真に、後藤が収まっていた。このとき、後藤は同時に現地レポートを報道ステーションで行っている。この事実について、メディアは一切注目しなかったが、2014年4月のシリア、6月のイラク、7月のシリアでも、湯川と後藤は常に一緒だった。英語が堪能ではない湯川は、現地で活動するためには事情をよく知る通訳が必要性があったため、シリア、イラクともに、後藤が湯川遙菜のガイドとなって世話をしていたと推測される<ref name="critic20">[http://critic20.exblog.jp/23360557/ 後藤健二の疑惑 - マスコミが正確に報道しない湯川遥菜との関係(世に倦む日日)]</ref>。
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後藤が湯川を救出しようと考えた背景には、過去にも一度、[[自由シリア軍]]に捕まった湯川さんを交渉の末、釈放させたことがあったためもある。それが縁で、後藤は、戦場では素人同然の湯川に危険地域での動き方をレクチャーするなど、2人は交流を深めた<ref name="dot.asahi">[http://dot.asahi.com/aera/2015020200045.html dot.asahi.com 人質となった後藤健二さん メールの「気になる一言」]</ref>。
  
 
== ブログ ==
 
== ブログ ==
湯川は戦地にあっても、ブログを更新していた。
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湯川は戦地に赴く前に、ブログを更新していた。
 
:'''最後のブログ'''
 
:'''最後のブログ'''
  
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::ので良かった。(戦地でどうせ壊れると思い安いのをいつも
 
::ので良かった。(戦地でどうせ壊れると思い安いのをいつも
 
::使用している)海外に居る時に時計が無いのはかなり困る。
 
::使用している)海外に居る時に時計が無いのはかなり困る。
 
 
  
 
==脚注==
 
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* [http://ameblo.jp/yoshiko-kawashima/ ♪ HARUNAのブログ ♪](男装の麗人川島芳子とHARUNA(遥菜)のブログ - 前世で行った場所を初め、色々な場所に訪問した時の紹介ができたら良いと思ってます♪)
 
* [http://ameblo.jp/yoshiko-kawashima/ ♪ HARUNAのブログ ♪](男装の麗人川島芳子とHARUNA(遥菜)のブログ - 前世で行った場所を初め、色々な場所に訪問した時の紹介ができたら良いと思ってます♪)
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* [https://www.facebook.com/haruna.pmc 湯川遙菜 公式Facebook]

2015年2月9日 (月) 22:05時点における最新版

湯川遙菜と田母神俊雄


湯川遙菜(ゆかわ はるな、 - 2015年1月)は、日本民間軍事会社PMC JAPAN経営者。元の名は湯川正行。元模型店(ミリタリーショップ)日高屋経営者[1]

来歴[編集]

  • 千葉県内の高校を卒業後、20歳過ぎで習志野市内にミリタリーショップを開業[2]
  • 2000年に常連客だった女性と結婚。千葉市内に2号店をオープンさせるなど事業は順調だったが、2005年に暗転する。店が潰れて莫大な借財ができ、父正一がかけずり回って返済する。湯川は夜逃げ同然に姿を消し、以降父とは疎遠になる[2]
  • 2010年、妻が肺癌を患う。その後死去[2]
  • 2013年12月、疎遠になっていた父に再開。突然、実家に帰り、そこで父に名前を『正行』から『遥菜』に改名したことを話す。『「知り合いに短命な字画だと聞いたから」と話していたと父が証言。自殺を図り局部を切り取ったこともその際父は知る[2]
  • 2014年1月、実家近くのアパートで独り暮らしを始め新事業を開始。父には「海賊からタンカーを護衛したり、海外法人のサポートをする仕事だ」と話す。会社の実績作りのために「シリア行き」を計画していることも明かす[2]
  • 2014年4月、最初の渡航を果たす。父正一は、「最初の渡航時には成田空港までタクシーで送って『腹をくくって行け』と言って送り出しました。帰ってきたときには、『現地の人と親しくなった。歌も一緒に歌った』と目を輝かせていた。友人が少ない子でしたが、あちらでは必要とされているという実感を持てたのでしょう」と振り返った[2]
  • 2014年8月16日 - シリア北部のアレッポでイスラム過激派組織「イスラム国」に拘束される。ツイッターでは、イスラム国メンバーとみられる人物が「米中央情報局CIA)のために働く日本人スパイが拘束された。冒険好きな写真家のように振る舞っていたが、悲劇的な結末を迎えた」と書き込んだ[3]。別の投稿には「スパイの名前はユカワ・ハルナ。警備会社の責任者で、写真家ではない」と記載された。同日には武装勢力に尋問されている映像がYouTube上に公開された。「日本人への尋問」と題された2分弱の動画で、映像では額からを流し、地面に倒れた状態で尋問を受けている。男性は「どこから来たのか」と聞かれると「日本から来た」と答え、「ハルナ・ユカワ」と名乗っていた。撮影した集団に対し、湯川は「日本人だ。仕事で来た。写真家だ」などと主張。集団が「なぜ武器を持っているのか」と聞くと「死亡していた兵士から取った」と釈明した[4]
  • 2015年1月にイスラム国により処刑される。ISはこれまで処刑シーンをYouTubeなどで公開してきたが、湯川については映像が公開されず、胴体の上に切り落とした首を載せた写真だけが公開された。ある中東の情報筋の話によれば、「これにはIS側の都合で、湯川が処刑される際に命乞いをしたため、見るに耐えない処刑シーンになった可能性がある。これまでISが公開した処刑シーンは、処刑されるほうにも“武士の切腹”のような潔さがあった。これはISが意図的に狙ったものでした」(A氏)。 処刑もイスラムを連想させる砂漠の真ん中で、遊牧民の古の流儀に従い首を切り落というやり方をとる。すべては、その姿に憧れを抱き兵士を志願する人々や、彼らに“希望”を感じた人々からの金銭的援助を集めるための“イメージ戦略”だった。ISは捕虜には『死んだほうがマシだ』と思わせるまで徹底した拷問を加える。それによって、処刑される時には、捕虜は死地にありながらも『死によって苦痛から解放される』と冷静に死を受け入れるはずだった[5]

人物[編集]

イスラム国で拘束された湯川遙菜

過激派組織ISISがシリアで湯川遥菜という人物をCIAのスパイとして拘束した事件で、イスラム国(ISIS)側が素性を調べれば、湯川遙菜には以下の特徴があった[6]

1. 英語がほとんど話せない。
2. 体がぷよぷよで軍人ぽくない。
3. 仕事で来てるはずなのに仕事の形跡が全くない。
4. スパイなのに普通のスマートフォンしか持ってない。
5. を持っていたが、何故か銃弾が入ってなかった。
6. 「民間軍事会社 PMC CEO」とかいう名刺を平気で配る。
7. 解放を願うはずの日本から、何故か不利になる情報が大量に送信されてくる。
8. 身体検査したら男性にあるはずのものがない。
9. 戦闘中に迷子になって、間違えて自分からISの部隊に合流してしまった。

以上の特徴から、イスラーム国側も大いに困惑をしていたと伝えられる。

PMC JAPAN[編集]

「国際民間軍事業、国外警護、海上護衛(武装ガード)、後方支援業務、紛争地域等での護衛」の湯川遥菜です。

湯川の経営するPrivate Military Companyは、東京都江東区に本拠を置き「国際民間軍事業、国外警護、海上護衛(武装ガード)、後方支援業務、紛争地域等での護衛」を事業内容とする会社である[4]

後藤健二との関係[編集]

イスラーム国に拘束中の後藤健二

後藤健二と湯川遙菜の接点について、2014年7月末、湯川がトルコ経由でシリアに二度目の潜入をし、反アサドの自由シリア軍に拘束され、アジトで尋問を受けていた際、英語が堪能な後藤健二が湯川遙菜を救ったのが最初の接触だというのが定説だ。後藤自らが2014年8月にテレビで湯川遙菜との関係を詳しくは説明しなかったものの、そのときが初対面であるかのような印象で語った。しかし、実際にはそうではなく、本人のブログから、2014年の湯川の中東渡航にはすべて後藤が同行していることが推測されている。外務省から渡航禁止令が出ている状況で湯川はシリアに一回目の潜入を果たした。湯川にとって紛争地入りの初体験であったが帰国後の報告に、「僕が入国して数日後、ジャーナリストの後藤健二さんが入国し、お会した」との発言がある。2014年8月の湯川遙菜事件の際にはこの事実はマスメディアでも見落とされていた。4-5月のシリアに続き、6月下旬に湯川はイラクに渡航した。イスラム国がイラク北部に侵攻して勢力を拡大させ、米国が空爆で阻止をしようとしていた時期に当たる。湯川は日本に帰国後、現地のレポートを書いているが、6月29日の記事では、イスラム国と戦うクルド人部隊と撮影した写真に、後藤が収まっていた。このとき、後藤は同時に現地レポートを報道ステーションで行っている。この事実について、メディアは一切注目しなかったが、2014年4月のシリア、6月のイラク、7月のシリアでも、湯川と後藤は常に一緒だった。英語が堪能ではない湯川は、現地で活動するためには事情をよく知る通訳が必要性があったため、シリア、イラクともに、後藤が湯川遙菜のガイドとなって世話をしていたと推測される[7]

後藤が湯川を救出しようと考えた背景には、過去にも一度、自由シリア軍に捕まった湯川さんを交渉の末、釈放させたことがあったためもある。それが縁で、後藤は、戦場では素人同然の湯川に危険地域での動き方をレクチャーするなど、2人は交流を深めた[8]

ブログ[編集]

湯川は戦地に赴く前に、ブログを更新していた。

最後のブログ
2014-07-21 20:47:58
テーマ:♪はるなのブログ
まだ渡航まで数日時間があるので、目的地は書けない。
何か毎月行っている気がする。
今回は1ヶ月弱滞在するのでブログの更新はその帰国後になる。
多分、今までの中で一番危険かもしれない。
何か人生の疲れと言うか、この連休はテンションが低い。
連休とあって、若いカップルや家族が楽しそうにしている様子
が微笑ましい。
若いカップルを見て、久しぶりに恋人が居たら良いと思った。
今までいつも誰かしら恋人が居たが、ある時期から恋人は
作らなくなった。
当然、この様なリスク(命懸け)がある仕事だし、恋人を
作るのをどこかいつも避けている。
今日はそんな事を久しぶりに感じたと言うことは、メンタル的に
疲れているのだろう。
僕はいつも孤独だよぉ。
そして…。こんな日は何をしているかと言うと…。
2日間、心霊のDVDを見て現実から逃避した。夏だし!
前回のイラクでクルド人兵士と最前線で時計を交換したのだが、
翌日、直ぐに壊れて動かなくなった。時計を止まっているのを見た時、
『あいつ~!』と呟き少しムカついたが、僕の時計は安物だった
ので良かった。(戦地でどうせ壊れると思い安いのをいつも
使用している)海外に居る時に時計が無いのはかなり困る。

脚注[編集]

  1. (有)日高屋
  2. 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 2.5 夕刊フジ「シリア拘束の湯川遥菜氏 事業失敗、妻の死、自殺未遂… 渡航の背景を父が激白 」
  3. News U.S.【これは酷い】湯川遥菜さんがISISに殺されたのは【 朝日新聞 】のせいだった!!! テロリストにわざわざ情報を渡した「安江塁」とかいうゴミ記者に非難殺到!!! 2ch「わざわざ処刑への後押ししてる」「こいつの通報のせいで殺されたのか」
  4. 4.0 4.1 シリア拘束は民間軍事会社CEOの湯川遥菜さん? ブログで今回の渡航を「今までの中で一番危険かもしれない」J-CASTニュース
  5. ラビット速報「湯川遥菜さん、処刑される際に泣き喚いて命乞いをしていた・・・」
  6. 【困惑】湯川遥菜が謎すぎて過激派組織ISISを困らせているその理由
  7. 後藤健二の疑惑 - マスコミが正確に報道しない湯川遥菜との関係(世に倦む日日)
  8. dot.asahi.com 人質となった後藤健二さん メールの「気になる一言」

外部リンク[編集]