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本塁打を打った際や[[ヒーローインタビュー]]の際に行うパフォーマンスが、ファンの間で人気を博している。本塁打を打った際にはダッグアウト前でチームメイトとハイタッチを交わした後、ベンチ脇のテレビカメラ前でコミカルなアクションを披露する。特に神宮球場などの東京ヤクルト主催試合では、マスコットのつば九郎とコンビでアクションを行う。パフォーマンスには毎年モデルチェンジが加えられており、近年はシーズン前にファンからパフォーマンス内容を募集している。下記にこれまでラミレスが行ってきた主なパフォーマンスの基本フォーマットを示す(( )内はパフォーマンスの元ネタを演じている[[お笑い芸人]])。またヒーローインタビューなどの際にパフォーマンスを行う際、開始前に「1、2、3(イチ、ニー、サン)」と日本語によるカウントアップを行うことがある。 | 本塁打を打った際や[[ヒーローインタビュー]]の際に行うパフォーマンスが、ファンの間で人気を博している。本塁打を打った際にはダッグアウト前でチームメイトとハイタッチを交わした後、ベンチ脇のテレビカメラ前でコミカルなアクションを披露する。特に神宮球場などの東京ヤクルト主催試合では、マスコットのつば九郎とコンビでアクションを行う。パフォーマンスには毎年モデルチェンジが加えられており、近年はシーズン前にファンからパフォーマンス内容を募集している。下記にこれまでラミレスが行ってきた主なパフォーマンスの基本フォーマットを示す(( )内はパフォーマンスの元ネタを演じている[[お笑い芸人]])。またヒーローインタビューなどの際にパフォーマンスを行う際、開始前に「1、2、3(イチ、ニー、サン)」と日本語によるカウントアップを行うことがある。 |
2024年4月23日 (火) 21:37時点における最新版
アレックス・ラミレス(Alexander Ramón Ramírez , 1974年10月3日 - ) は、ベネズエラ生まれのプロ野球選手。現在は東京ヤクルトスワローズ所属の外野手(主にレフトに起用)で、背番号は3。チームメイトのアレックス・ラミレス・ジュニアは、義理の息子。
来歴・人物[編集]
- 2001年来日。1年目から29本塁打を放ち、主に7番打者としてチームのリーグ優勝および日本一に貢献。
- 2003年、読売ジャイアンツに移籍したロベルト・ペタジーニに代わって4番に座り、打点王・本塁打王・最多安打・ベストナインの各タイトルを獲得。
- 2004年末には代理人の意向もあって移籍が取り沙汰されたが、本人の希望もあってチームに残留。その際、義理の息子であるアレックス・ラミレス・ジュニアの入団が決め手となった。
- 2007年10月3日、横浜ベイスターズ21回戦(神宮)において、サード強襲の内野安打を放ち、外国人選手、右打者としては史上初のシーズン200本安打を達成。139試合試合目での達成は129試合目で達成したイチローに次ぐ早さである。
特徴[編集]
- 2003年以降、チームの4番打者として活躍しているものの、選球眼が悪いためか四球が非常に少なく、出塁率もかなり低いのが最大の欠点である。特に2006年は、シーズンを通して636打席中、わずか19四球という少なさであった。これはセ・リーグ規定打席到達者では最下位であり、同じく4番を打って最多の四球数であったタイロン・ウッズ(中日)の84とは大きく差が開いた。打席数も、主に1番を打つ事が多いため、この年の最多打数を記録した横浜の石井琢朗の604打席に次ぐ603打席であった。このため出塁率に至ってはセ・パ両リーグの中でも最下位である。インコースに滅法強いが、その一方で外角低めに決まる(もしくはストライクからボールになる)スライダーに滅法弱く、空振り三振となるか強引に引っ張り併殺が多くなってしまい、来日から6年連続100三振以上を超えている。しかし2007年シーズンは常に長打狙いの打撃ではなく、アウトコースをライト方向へ流し打つなど成長を見せて安打・打率を稼いでいる。しかし、四球は一向に増えていない。
- 得点圏打率は高く、チャンスに強い(2003年から5年連続で100打点以上)ものの、以上の要因から4番打者としては打撃への信頼度は今ひとつである。なお、2007年シーズン途中から同僚のアーロン・ガイエルに4番を譲り、3番を打つことが増えたが、チームの中心打者であることは変わっていない。
- また、打撃では2004年8月21日の阪神タイガース戦(神宮)でトレイ・ホッジスから1回2アウトにランニングホームランを放っている。これは阪神のライトの桧山進次郎が、詰まり気味のライト前ヒットにバウンドを合わし損ねて球がライト線に転がる間に一気に本塁を陥れたものである。
- 守備に関しては俊敏性が少なくあまり得意ではない。稀に好守を披露するが無難にこなしている程度である。少年時代投手をしていたためか、肩の強さは外野手として及第点であり、補殺の記録も多い。
- 2007年現在で在籍7シーズン目を迎えた。活躍しても、短期で移籍・退団することが多いスワローズの外国人選手の中では異例の存在である。
エピソード[編集]
- 入団の3年前から、ヤクルト編成部がリストアップしており、当時ピッツバーグ・パイレーツの4番を打っていたが、後にマイナー降格になったところでオファーをかけ、3年待って獲得した経緯がある。
- 同時期に在籍していたロベルト・ペタジーニが無愛想な性格なのとは逆に、陽気な性格でチームメイト、フロント、ファンからも好かれている。さらに、メジャー出身の選手らしくファンサービスの心得があり、チャリティー活動などにも熱心に取り組んでいる。打席で見せる鋭い眼光とは対照的に素顔は極めて温厚な紳士で、審判の判定や投手の内角攻めに対しても激高することはない。
- チームでは他の外国出身選手の良きアドバイザー役も務めている。2006年のアダム・リグス、グレッグ・ラロッカと外国人野手コンビにFブラザーズというニックネームが付いた。
- ペタジーニと同様、妻が母親くらいの年齢である。しかしペタジーニが周りが目を覆うくらいのアツアツぶりなのとは逆に、非常に恐妻家であり、夫人が来日するとなぜか打撃不振に陥る。
- 応援歌は、かつて在籍したドゥエイン・ホージーと同じ。
パフォーマンス[編集]
本塁打を打った際やヒーローインタビューの際に行うパフォーマンスが、ファンの間で人気を博している。本塁打を打った際にはダッグアウト前でチームメイトとハイタッチを交わした後、ベンチ脇のテレビカメラ前でコミカルなアクションを披露する。特に神宮球場などの東京ヤクルト主催試合では、マスコットのつば九郎とコンビでアクションを行う。パフォーマンスには毎年モデルチェンジが加えられており、近年はシーズン前にファンからパフォーマンス内容を募集している。下記にこれまでラミレスが行ってきた主なパフォーマンスの基本フォーマットを示す(( )内はパフォーマンスの元ネタを演じているお笑い芸人)。またヒーローインタビューなどの際にパフォーマンスを行う際、開始前に「1、2、3(イチ、ニー、サン)」と日本語によるカウントアップを行うことがある。
- 2001年・2002年
- 「アイーン」と右肘を前方にかざす(志村けん)。
- 2003年
- 「アイーン」(志村けん)
- 「ゲッツ」と両人差し指で前方を指し、そのままカメラからフレームアウトする(ダンディ坂野)。
- 2004年
- 「ラミちゃんペッ」と鼻に右人差し指・中指を当てる(加藤茶の「カトちゃんペッ」をもじった)。
- 「アイーン」(志村けん)
- 「ゲッツ」、そしてフレームアウト(ダンディ坂野)。
- 2005年
- 上記の「ラミちゃんペッ!アイーンゲッツ」を使用した他、下記のパフォーマンスもレパートリーとなっていた。
- 「俺の時代だ!」と自分を指す。
- 「ハイ!ハイ!ハイ、ハイ、ハイ!」と、左隣の人の肩に両手を添えながら足踏み(レギュラー)。
- 2006年
- 「ラミちゃんチッチキチー」と親指をカメラ前に差し出す(大木こだま)。
- 「ペッ」と鼻に人差し指・中指を当てる(加藤茶)。但しこれは省略されることが多かった。
- 「アイーン」(志村けん)
- 「ゲッツ」、そしてフレームアウト(ダンディ坂野)。
- 2007年
- 「ラミちゃん」と自分の顔を指す。
- 「カッチカチ」と左二の腕に力瘤を作り、右の拳で2度叩く(ザブングル・加藤歩の「見ろや、この筋肉!カッチカチやぞ!」がモチーフ)。
- 「アイーン」(志村けん)
- 「ゲッツ」、そしてフレームアウト(ダンディ坂野)。
- 5月10日の横浜ベイスターズ戦(神宮)の試合前、ザブングルの両名と対面を果たし、加藤らと取材陣の前でパフォーマンスを共演した。
なお、上記で特筆したものを除くパフォーマンスについては、本人などの使用許可を得ているか否かは不明。
また、この中でも特に「アイーン」と「ゲッツ」を気に入っており、2003年以降、パフォーマンスの締めには「アイーンゲッツ」が使用されている。またアンダーシャツやグラブ、打撃グラブなど用具類にも「アイーン」「Get's」などの刺繍を入れている。
略歴[編集]
- 1974年 ベネズエラの首都カラカスで生まれる。
- 1992年 クリーブランド・インディアンスと契約。
- 1998年 メジャー昇格。
- 2000年 シーズン途中にピッツバーグ・パイレーツに移籍。この年は主力の怪我が多く、メジャーで初めての4番打者も経験する
- 2001年 ヤクルトスワローズに入団。
- 2002年 前年度同様、主に6番以降を打つ。
- 2003年 打率.333、40本塁打、124打点と惜しくも三冠王は逃すものの来日以来最高の成績を残す。
- 2006年9月16日の試合で、プロ野球史上5人目の4年連続100打点を記録した。
- 2007年4月21日の対中日戦で、外国人選手としては球団史上初の1000本安打を達成した。
- 2007年8月19日の読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)で、金刃憲人からソロホームランを放ち、外国人選手としては球団史上初の200号本塁打を達成した。
- 2007年9月14日の横浜戦で、山口俊から2点タイムリーを放ち、史上3人目、外国人選手では初の5年連続100打点を達成した。
- 2007年9月25日の対広島戦で、連続試合出場を473試合とした。これは、外国人選手としては歴代トップの記録である。
- 2007年9月27日の対広島戦で、シーズン24度目の猛打賞を記録。前田智徳が持っていたセ・リーグのシーズン最多猛打賞記録を塗りかえた。また、この試合で安打数を195まで伸ばし、ロバート・ローズが持っていたシーズン右打者最多安打記録も更新した。
- 2007年10月4日の対横浜ベイスターズ戦5回裏に右打者としては史上初の1シーズン200本安打を記録。投手は三橋直樹、サード村田修一強襲の内野安打だった。
その他[編集]
- 以下のような「疑惑の判定」に絡んだことがある。
- 2001年8月16日 横浜戦(神宮) 12回表、佐伯貴弘の打球をダイレクト捕球したと判定されるも、横浜側がワンバウンドで捕球したと抗議し中断、森祇晶監督が退場処分。
- 2005年8月7日 巨人戦(神宮) 3回表、小久保裕紀のレフトフェンス直撃かと思われた打球がダイレクト捕球と判定
- 2006年8月9日 巨人戦(神宮) 9回表、李承燁のワンバウンド性の打球がダイレクト捕球と判定
年度別成績[編集]
年度 | 試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 刺 |
犠 飛 |
四 球 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
失 策 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2001年 | 138 | 547 | 510 | 60 | 143 | 23 | 0 | 29 | 253 | 88 | 1 | 2 | 5 | 27 | 5 | 132 | 11 | .280 | 6 |
2002年 | 139 | 569 | 539 | 65 | 159 | 25 | 0 | 24 | 256 | 92 | 0 | 4 | 4 | 22 | 4 | 146 | 10 | .295 | 4 |
2003年 | 140 | 614 | 567 | 105 | 189 | 34 | 3 | 40 | 349 | 124 | 4 | 6 | 7 | 34 | 6 | 104 | 14 | .333 | 6 |
2004年 | 129 | 557 | 525 | 79 | 160 | 30 | 2 | 31 | 287 | 110 | 2 | 0 | 2 | 23 | 7 | 118 | 22 | .305 | 4 |
2005年 | 146 | 629 | 596 | 70 | 168 | 19 | 1 | 32 | 285 | 104 | 5 | 1 | 3 | 23 | 7 | 121 | 13 | .282 | 3 |
2006年 | 146 | 636 | 603 | 79 | 161 | 28 | 2 | 26 | 271 | 112 | 0 | 0 | 10 | 19 | 4 | 104 | 28 | .267 | 5 |
通算 | 838 | 3552 | 3340 | 458 | 980 | 159 | 8 | 182 | 1701 | 630 | 12 | 13 | 31 | 148 | 33 | 725 | 98 | .293 | 13 |
年度 | 長打率 | 出塁率 | OPS | 得点圏 |
---|---|---|---|---|
2001 | .496 | .320 | .816 | .264 |
2002 | .475 | .325 | .800 | .353 |
2003 | .616 | .373 | .989 | .373 |
2004 | .547 | .341 | .888 | .372 |
2005 | .478 | .315 | .793 | .302 |
2006 | .449 | .289 | .738 | .345 |
- 太字はリーグトップ。
タイトル・表彰[編集]
- 本塁打王 1回(2003年)
- 打点王 1回(2003年)
- 最多安打 1回(2003年)
- ベストナイン 1回(2003年)
- オールスターMVP 1回(2007年第1戦)
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
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