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株式会社親和銀行(しんわぎんこう、英称:The Shinwa Bank, Ltd.)は、長崎県佐世保市に本店を置く地方銀行。長崎県の指定金融機関十八銀行と共同)である。

1998年、頭取の女性スキャンダルもみ消しに暴力団を使い、その見返りに不正融資を行った。

概要[編集]

1897年(明治30年)2月15日第九十九国立銀行として創業し、佐世保銀行への改称を経て、佐世保商業銀行との合併時、親和銀行と商号変更をした。

1998年、巨額不正融資事件発覚。

2001年(平成13年)に、同じく佐世保市を本拠地としていた第二地方銀行九州銀行株式移転により経営統合し、金融持株会社九州親和ホールディングスの傘下となった。旧九州銀行との重複店舗の整理を行い、小規模支店を「しんわプラス」の愛称で出張所への移行を進め、業務の効率化を図っていた。

2006年(平成18年)10月から、福岡銀行が九州親和ホールディングスに出資し、業務提携や人的交流を進めていたが、2007年(平成19年)5月、自力再建を断念した。同年10月1日、九州親和ホールディングスが全株式を売却する形で、ふくおかフィナンシャルグループ傘下の完全子会社となった。

親和銀行不正融資事件[編集]

九州親和HDが消滅に追い込まれた発端は親和銀行元頭取の特別背任事件だった。

九州親和ホールディングス(長崎県佐世保市、荒木隆繁社長)が傘下の親和銀行をふくおかフィナンシャルグループ(福岡市、谷正明会長兼社長)に売却し、清算を決めた。

振り返れば、九州親和HDの転落は旧親和銀行の特別背任事件に端を発する。1998年5月、親和銀行の辻田徹・元頭取らが商法違反(特別背任)で逮捕された。1993年7月から1995年6月に実行された暴力団絡みの不正融資事件である。この事件の後遺症は大きく、自力再建断念に追い込まれた。

スキャンダルもみ消しを暴力団に依頼[編集]

きっかけは辻田頭取の女性スキャンダルだった。ホテルでブラジル人女性と一夜を共にしたシーンが隠し撮りされた。

背景には辻田頭取と専務の確執があった。大口融資先との癒着を追及されていた長崎地区責任者の専務が、長崎市山口組系暴力団と組んで辻田追い落としを画策したと噂された。このスキャンダルをネタに右翼団体による街宣が始まり、福岡市の山口組系暴力団員である総会屋から融資を求められるようになった。

辻田は親交のあった佐世保市出身の宝石・化粧品販売会社経営の副島義正に対応を頼んだ。副島はかねて面識のあった関西の暴力団酒梅組金山組組長の金山耕三朗こと金在鶴に収拾を依頼した。金山は長崎市の山口組系暴力団、福岡市の総会屋に話しをつけて収拾。渡した金は親和の融資先である長崎市の建設会社が用立てた。

スキャンダルをもみ消した謝礼を金山に支払うにあたり、迂回融資の受け皿としたのが、副島が経営する化粧品販売会社の宝山と宝石販売会社のエフアール(店頭公開企業・現在のクロニクル)である。エフアール社長の鈴木道彦は、融資の見返りを条件に、迂回融資の受け皿になることを引き受けた。

バブルの時代に地上げをしていた金山は、宝山に開発の見込みがない千葉県長束町の山林を売却したり、大阪の土地を売却したりして、資金を吸い上げていった。その資金はまったく価値がない山林を担保に親和が出した。

エフアールはペーパーカンパニー、ワイ・エス・ベルを設立。模造宝石を担保に親和より融資を受けた。一部が宝山に還流し、金山に流れた。仲介役を果した副島はエフアールの第三者割当増資を引き受け、エフアールの中枢に入り込み、親和から巨額の資金を引き出していった。

暴力団を押さえるためにもっと大きな暴力団に頼む[編集]

暴力団が一度喰らいついた金ヅルを手放すわけはない。金山は再三にわたり融資を求めた。エフアールや副島にもカネを要求した。暴力団組長からの要求を断わるのは困難と考えた辻田は、副島の進言を受け入れて「金山切り」に踏み切る。

副島は、山口組系中野会若頭補佐・吉野和利に「金山切り」を依頼した。手切れ金5億円は、ワイ・エス・ベルを迂回して貸し付けられた。

金山は、金山組事務所で、手切れ金を持参した吉野和利から、今後、親和銀行との接触をやめるように言われた。酒梅組では太刀打ちできない中野会が出現したため、金山は現金を受け取ることなく、親和銀行から手を引いた。

「金山切り」に踏み切る際に、副島がエフアールの監査役に招いたのが弁護士の田中森一である。田中は親和銀行の顧問弁護士にも就いた。長崎県の銀行に東京の警視庁があえて手をつけたのは、田中森一弁護士という大物の「ヤメ検」(元検事)を最終ターゲットにしていたためだ。

断念した田中森一弁護士の立件[編集]

田中森一は、長崎県平戸市で、白米を食べるのは正月とお盆だけという貧しい家庭に生まれた。苦学して岡山大学法学部に進み、司法試験に合格、検事に任官。大阪と東京の地検特捜部で辣腕を振るった。福岡県苅田町で発生した住民税流用事件で、現職代議士に収賄の疑いをもった時、捜査を外されたことに立腹して退官した。

1987年弁護士に転じ、ヤミ社会の紳士たちの弁護を一手に引き受ける“裏社会の代理人”として悪名を轟かせた。

田中の「大阪経済法律事務所」は、アイチ森下安道丸益産業種子田益夫イトマン事件伊藤寿永光、仕手筋の小谷光浩住専からの借金王・末野興産末野謙一北海道拓殖銀行を喰い潰したECC中岡信栄日本長期信用銀行を喰ったイ・アイ・イ高橋治則などの“駆け込み寺”となった。

指定暴力団山口組のNo.2で後に射殺されることになる宅見組組長宅見勝の顧問弁護士でもあり、イトマン・住友銀行事件の許永中の法律の指南役でもあった。宅見組長に続いて許とコンビを組むことになった田中を、検察を許しておけなかった。

田中森一の登場は、親和銀行の利権が酒梅組から山口組の中枢に移ったことを意味した。事態を重視した捜査当局は、二課捜査員の3分の2にあたる100名を導入したが結局、田中の立件を断念した。

田中が背任事件の構図の中にいたことは確かだが、山口組に強いという“顔”を生かして、他の暴力団が親和に食い込むのを防ぐという役割を担っていた。「不正融資に関与したわけではない」という田中の主張を崩すことはできなかった。

「金山切り」に動いた中野会の若頭補佐・吉野和利壱州会会長)は、山口組の宅見勝若頭射殺事件に絡んで、韓国で変死したため、捜査当局は立件を見送った。 特別背任で立件されたのは、金山、副島、エフアールに支払われたもみ消しの謝礼金65億円だけで、実際の不正融資は146億円にのぼっていた。

東京地検特捜部が執念を燃やした田中森一を逮捕したのは、2000年3月の石橋産業をめぐる180億円の手形詐欺事件。親和銀行の不正融資事件で商法の特別背任罪で懲役3年6月の実刑が確定した辻田徹元頭取は収監先の刑務所で03年11月、脳梗塞のため死亡した。享年76歳。

暴力団への不正融資事件で、親和銀行は金融庁に首根っこを握られた。公的資金300億円と不良債権を抱える九州銀行の救済を押し付けられ、九州親和HDとして再スタートしたが、公的資金を返済できなかった。公的資金は一般株主が負担して、清算へと追い込まれた。その発端となったのが、「頭取の犯罪」だった。

宝石会社元社長らに有罪判決=親和銀行不正融資事件で-東京地裁(2000年9月)[編集]

親和銀行(長崎県佐世保市)の不正融資事件で、商法違反(特別背任)の罪に問われた宝石販売会社「エフアール」の元社長鈴木義彦(42)、元役員大石高裕(48)の両被告に対する判決公判が20日、東京地裁であり、安井久治裁判長は鈴木被告に懲役3年、執行猶予4年(求刑懲役4年)、大石被告に懲役1年6月、執行猶予3年(同懲役1年6月)を言い渡した。同事件では同行の元頭取、元東京支店長の有罪が確定している。

安井裁判長は判決で「本来の銀行業務の在り方から大きく外れた場当たり的な融資。地域社会に与えた衝撃と動揺は大きく、同行の信用を大きく失墜させた」と指摘。「鈴木被告が果たした役割は重要で、刑事責任は重い」と述べた。

商標・商号[編集]

商号は、かつて佐世保鎮守府長官を務め、佐世保商業銀行と佐世保銀行が合併した当時海軍大臣であった米内光政(この翌年の1940年(昭和15年)に内閣総理大臣となる)の命名である。本人揮毫の「親和」の額は佐世保市の本店内に掲示されている。

沿革[編集]

  • 1879年(明治12年)2月15日 - 第九十九国立銀行が現在の平戸市に設立。
  • 1907年(明治40年) - 第九十九国立銀行を佐世保銀行と商号変更。
  • 1919年(大正8年) - 佐世保商業銀行が設立される。
  • 1939年(昭和14年)9月7日 - 佐世保商業銀行と佐世保銀行が合併して、あらたに株式会社親和銀行が設立される。
  • 1998年(平成10年)5月29日 - 暴力団のフロント企業とされる宝飾品販売会社エフアール(現・クロニクル)に対する53億円に上る不正融資事件で、辻田徹前頭取(元長崎県公安委員長)らを特別背任容疑で逮捕(事件は、辻田頭取の女性問題に端を発したとされている)。この頃には、ワンマン経営等により不良債権が経営を圧迫し始めていた。
  • 2001年(平成13年)
  • 2002年(平成14年)4月1日 - 新たに設立された株式会社九州親和ホールディングスの完全子会社となる。
  • 2003年(平成15年)4月1日 - 九州銀行を吸収合併(存続行は親和銀行)。なお、システム統合は合併と同時には行われず、大型連休明けの同年5月6日に行われた。
  • 2004年(平成16年)10月26日 - コンビニATM・アイワイバンク銀行(現・セブン銀行)と提携。
  • 2007年(平成19年)
    • 2月5日 - 福岡銀行ATM・CD相互無料提携を開始。
    • 5月2日 - 持株会社・九州親和ホールディングスが自力再建を断念。ふくおかフィナンシャルグループの傘下で経営再建を進める方針を発表。
    • 10月1日 - ふくおかフィナンシャルグループ傘下の完全子会社となる。同時に、同行のシンボルマークが変更(シンボルカラーを緑系の色に戻すとともに、ロゴも福岡銀行のデザインを踏襲)。
  • 2008年(平成20年)
    • 2月22日 - この日の営業をもって大阪支店廃止(東京支店に統合)。西日本(愛知県・富山県以西、沖縄県を除く)の地方銀行で大阪市から撤退するのは佐賀銀行に続いて2行目。
    • 3月18日 生体認証機能付ICキャッシュカードの取り扱いを開始。
    • 4月11日 - この日の営業をもって大分中央支店廃止(小倉支店に統合)。大分県から撤退することになる。
    • 4月16日 - グループ会社のFFGカードと提携し、キャッシュカード(IC・生体認証対応)一体型クレジットカード「arecore(アレコレ)カード」の取り扱いを開始。
    • 6月23日 - この日の営業をもって熊本支店廃止(久留米支店に統合)。熊本県から撤退することになる。
    • 7月14日 - イオン銀行と提携。イオンマックスバリュをはじめとする全国のイオングループ店舗に設置のイオン銀行ATMで利用可能に(平日の時間内手数料は当行ATM同様無料)。
    • 8月 - 長崎県内の金融機関では初めてAEDを全店に設置。
    • 9月22日 - この日の営業をもって宇部支店廃止(小倉支店に統合)。これに先立って下関中央支店も同年8月1日に廃止されたため、山口県から撤退することになる(店舗外ATMのみ残る)。
  • 2009年(平成21年)
    これにより、当行・福岡銀行に加え、西日本シティ銀行筑邦銀行佐賀銀行大分銀行十八銀行肥後銀行宮崎銀行鹿児島銀行のATMで、当行キャッシュカードによる引き出し・振込みのATM手数料が無料化(平日時間外・土日祝日の利用は105円に値下げ)される。
  • 2010年(平成22年)
    • 1月4日 - 同行のオンラインシステムを、福岡銀行・広島銀行との共同利用型基幹システムへ移行(これに先駆け、前年2月以降には一部支店の店番が変更された<参考1>)。
    • 3月23日 - 同日申し込み分よりICカード(ICキャッシュカード・生体認証ICキャッシュカード・ICローンカード)に設けられていた有効期限を廃止(クレジット・ICキャッシュ一体型の「アレコレカード」はクレジットカードの有効期限に揃えられる)。また、同年3月19日以前に発行したICカードは有効期限到来時に更新されるICカードが無期限になる。
    • 9月21日 - FFGグループ内におけるATM相互入金サービスの開始により、当行ATMで福岡銀行・熊本ファミリー銀行のキャッシュカードによる預け入れや福岡銀行・熊本ファミリー銀行ATMで当行キャッシュカードによる預け入れが出来るようになる(いずれも3行以外を幹事行とする共同ATM等およびコンビニATMを除く)[1]
    • 10月18日 - 京町支店を佐世保支店に店舗名を変更し、「ふくおかフィナンシャルグループ佐世保ビル」へ移転(同ビルには福岡銀行佐世保支店も入居する)。なお、跡地の一部は改装され、同年12月13日に京町出張所(店舗外ATMコーナー)を開設した。
  • 2012年
    • 4月5日 - 当行島瀬ビル(旧九州銀行本店)1階に、当行が所蔵する美術品を一般公開する施設「親和アートギャラリー」を開館(鑑賞料は無料だが、入場の際は当行本支店の窓口で入手できる「鑑賞券」が必要)。

本店等の建築[編集]

佐世保市の本店は3期に分けられて建設されている。とりわけ第3期にあたるコンピューター棟は「懐霄館」と名づけられた、石積みの塔を思わせる奇抜なデザインである。

これら本店、東京支店(2004年(平成16年)解体 現存せず)、大波止場支店(長崎市)は、白井晟一により設計された。モダニズム全盛の時代にあえて哲学的と称される独自の建築を生み出した建築家である。

なお、本店・懐霄館は月に2回ほど事前予約の定員制で見学が可能であるほか、大波止場支店も見学可能である。(ただし建物内は撮影禁止)

営業拠点戦略[編集]

佐世保市が本拠地の同行であるが、県内経済の中心地で同行経営戦略上の最重点地域である長崎市圏、及び九州最大の経済規模を誇る福岡都市圏を重要な市場と捉え、従来から「長崎支店」に「長崎地区本部」、「福岡支店」に「福岡地区本部」という本部組織の出先機関を置いていたが、2007年(平成19年)7月1日付で両地区本部を廃止した。代わって「長崎支店」を「長崎営業部」、「福岡支店」を「福岡営業部」として改組し、対内的にも対外的にも両営業部が長崎・福岡地域の経営母店であることを明確にしている。

しかしFFGに入ってからは、グループ内の役割分担見直しで「長崎県の地域金融機関」として営業することとなったため、特に福岡銀行の地盤である福岡県内において大規模な店舗統廃合を実施し、最終的には対法人営業に必要な一部の拠点店舗を残すのみとなった。

  • 例示すれば、北九州市では旧九州銀が市内各所に積極的に出店を進め、それを親和銀が引き継いでいたが、経営再建・FFG入りに伴い次々と閉店となり、最終的には小倉支店のみとなった。
  • 現在福岡県内は5店舗のみとなっているが、一方FFGにとって“空白地帯”になっている佐賀県では、元々福岡銀の支店が佐賀支店など福岡県に近い県東部だけということもあり、合併による統廃合はあったものの6店舗残る。
  • 他都道府県では東京支店以外が全廃された。
    • 中央区銀座のテナントビルに入居していた東京支店を、同グループの福岡銀行東京支店が入居する八重洲所在の自社ビルである「福岡ビル」内に移転した。移転後の東京支店は同ビル2Fの空中店舗となっており、ATMが設置されていないが、カード入出金・振込は同1Fの福岡銀東京支店ATMを共同利用扱いにて無料で利用できる。通帳記帳は支店の窓口で対応。
  • コンビニATMとの提携は、セブンイレブンローソンイーネットの3社と行っている。同グループ内では、ローソンATMの取り扱いがあるのは親和銀行だけである。

イメージキャラクター[編集]

通帳、カードなどに以下のキャラクターを使用している

2007年(平成19年)10月のふくおかフィナンシャルグループ傘下の完全子会社化で、福岡銀と同一(銀行名のみ変更)のCMを放映。合併により、本店所在地の佐世保市出身の大リーガー城島健司が同行のCMキャラクターとなった。

FFGシステムへの移行に伴う措置[編集]

2010年(平成22年)1月4日の新システム稼働に伴い、旧九州銀のキャッシュカードは同日以降使用できなくなるため、当該顧客には2009年(平成21年)6月より親和銀行のキャッシュカードが新たに発行される。また、通帳については、普通預金・貯蓄預金(および、総合口座通帳で定期預金欄を利用せず、普通預金部分のみ利用しているものを含む)の通帳はそのまま利用可能だが、それ以外の通帳はすべて強制切替となる(熊本ファミリー銀行のシステム切替時同様、希望者には、事前の繰越予約預かりの対応を取る)。ただし、合併前の親和銀行の通帳のうち、1993年(平成5年)10月以前に発行された通帳(口座番号欄が手書きで表示されているもの)については、先述の普通預金通帳等であっても一切の強制切替の対象となる。

ATMサービスの取り扱いも大幅に見直される。当行ATMによる当行口座への入金取扱時間が短縮(特に平日の入金取扱終了時刻が21:00→19:00)され、振替の取り扱いも平日のみに縮小された。同時に、平日に限って硬貨による入出金(当行の硬貨対応ATMに限る)にも対応することになった(これに伴って、毎日取り扱いしていた現金による振込は平日のみに縮小)。さらに、通帳や磁気ストライプキャッシュカードでATMによる1日1口座あたりの利用限度額が引き出し・振込・振替等合計で50万円までに引き下げられた。逆に、クレジット・生体認証ICキャッシュ一体型の「アレコレカード」や生体認証ICキャッシュカードにおいての利用限度額はIC対応ATMで合計200万円までに、当行の生体認証対応ATMでは無制限になった。

インターネットバンキングサービスについても変更され、個人向けである「しんわアクセス」を『親和銀行ダイレクトバンキング』に、法人向けである「しんわBizダイレクト」を『ビジネスバンキングWeb』に、それぞれ改称されるとともに、ログイン等に必要なご利用カードの変更や操作方法等が大幅に見直された。また、システム変更に伴い、個人向けの『親和銀行ダイレクトバンキング』では投資信託・外貨定期預金の購入や住宅ローンの一部返済・金利変更等(対象外の場合あり)が自宅で可能となった。

脚注・出典[編集]

  1. 「FFGグループ3行間のATM相互入金」の開始についてPDFふくおかフィナンシャルグループ:2010年9月15日付けニュースリリースより 

関連項目[編集]

  • 北村徳太郎 - 設立に参加、戦中から戦後にかけて頭取を務めた。元大蔵大臣、佐世保市名誉市民。
  • 坂田重保 - 戦後長期にわたり頭取を務めた。佐世保市名誉市民。

外部リンク[編集]

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