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* マイクアピールも上手く、話すセリフの間間に観客に「What!?(はあ!?)」と茶々を入れられるのも定番となっている。 | * マイクアピールも上手く、話すセリフの間間に観客に「What!?(はあ!?)」と茶々を入れられるのも定番となっている。 | ||
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* 2002年にWWEタッグ王座を獲得したことにより、WWE史上4人目のグランドスラムを達成した。 | * 2002年にWWEタッグ王座を獲得したことにより、WWE史上4人目のグランドスラムを達成した。 | ||
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+ | : アングルのオリジナル技にしてフィニッシュ・ホールド。相手を[[ファイヤーマンズキャリー]]で捕らえ、そのまま後方へ倒れ込みながら、相手の体を自分の片肩を支点に半回転させつつ後方に投げ落とし、背中・肩口・頭部辺りからマットへ叩きつける技。相手の実力や状況に応じて、相手を落とす角度を調整する。腕をロックしてからの展開が非常に速いので、返し難い。 | ||
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+ | : フィニッシュ・ホールド。アングルの代名詞的な技。自分の名前をもじってアングル・ロックともいう。元WWE所属の[[ケン・シャムロック]]が先にフィニッシャーとして使っていたが、現在ではアンクル・ロック=カートというイメージが非常に強い。このまま寝技のヒールホールドに移行して踵を極められた場合、相手は高確率でロープにエスケープすらできずにタップアウトする。 | ||
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+ | : レスリング金メダリストだけあって、威力は高い。通常は一発だが、三連発することもある。WWEでは宿敵[[クリス・ベノワ]]と激闘を毎日展開し、互いに数えきれないほどのスープレックスを放ったことで有名である。 | ||
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+ | : おもに大一番の試合で使うアングルの隠し技。成功率は低い。非常に滞空時間が長く、美しい弧を描いているのが特徴である。過去にクリスベノワに対し金網の上から敢行したものが有名で、同じ試合でベノワも金網上からダイビング・ヘッドバッドを敢行している。 | ||
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+ | * [[ペンシルバニア州]]レスリング王者([[1987年]]) | ||
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+ | * [[NCAA]](フリースタイル)レスリング選手権王者:2回([[1990年]]、[[1992年]])l Am | ||
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+ | * エスポワール世界選手権2位([[1989年]]) | ||
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+ | * Yasar Doguトーナメント2位(1989年) | ||
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+ | * カナダ杯優勝(1990年) | ||
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+ | * [[アトランタオリンピック]]-フリースタイル100kg級[[金メダル]]([[1996年]]) | ||
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+ | * Natinal Amateur Wrestling Hall of Fame(2001年) |
2014年9月13日 (土) 22:43時点における最新版
カート・アングル(Kurt Angle 1968年12月9日-)は、アメリカのプロレスラー、元レスリング選手。本名カート・スティーブン・アングル。ペンシルヴァニア州ピッツバーグ出身。身長178cm。体重102kg。TNA所属。
目次
来歴[編集]
レスリング[編集]
学生時代からレスリングで活躍。1996年のアトランタオリンピックで金メダルを獲得。引退後、CM出演、地元のスポーツキャスターとして活動していたが、プロレスラーに転向した。
WWF/WWE[編集]
1998年WWE(元WWF)とマイナー契約。ドリー・ファンク・ジュニアやトム・プリチャードのコーチを受ける。インディ団体の修業期間を経て、1999年11月満を持してWWEにデビュー。翌2000年2月に、バル・ビーナスからWWE・ヨーロピアン王座を、続いてクリス・ジェリコからWWE・インターコンチネンタル王座を獲得した。しかし、レッスルマニア2000で行われた両タイトルを賭けた三つ巴戦で、クリス・ベノワにIC王座を、クリス・ジェリコにEU王座を取られた。
同年10月22日、ザ・ロックを破りWWE王座を獲得。同年にギミック上の夫婦だったトリプルHとステファニー・マクマホンの三角関係ストーリー、ストーン・コールド・スティーブン・オースティンとの抗争を展開するなど、試合のみならず、ストーリー上においても中心人物の一人となった。
2001年、WWF対アライアンス抗争では、主力として活躍。その間に、WCW王座を獲得するなどの快挙を成し遂げた。
2002年のWWEブランド分割時にドラフト2位でスマックダウンに加入。エッジと抗争を展開。敗者髪切り戦でアングルの敗北をもって抗争は終わった。以後、スキンヘッドとして活動する。秋からは宿敵クリス・ベノワとのタッグで初代WWE・タッグチーム王座決定トーナメントにエントリー。PPVノー・マーシー2002で、レイ・ミステリオ&エッジ組を破り、優勝を果たした。しかし、すぐに仲間割れをした。同年12月PPVアルマゲドンでビッグ・ショーを破り、WWE王座を獲得した。
2003年、新人だったチャーリー・ハースとシェルトン・ベンジャミンと共に、自らをリーダーとしたチーム・アングルを結成。レッスルマニア19のメイン戦でブロック・レスナーを相手にWWE王座を賭けて対戦。結果は王座を取られたもののレスナーと健闘を讃えあった。それ以後、首の治療のため欠場を経て、ベビー・フェイスに転向して復帰。チーム・アングルからは追い出される。復帰後もブロック・レスナーとストーリー上で絡んでゆく。
2004年2月、ヒールターンをする。レッスルマニア20で当時WWE王者だったエディ・ゲレロと王座を賭けて対戦。大会終了後、首の持病と2003年末に痛めた足首の治療の為、レスラー活動をいったん停止。スマックダウンのGMとして活動する。足の怪我が原因でレスリングが2度とできないと云うギミックで車いすにのって登場した。GM就任後もエディとの抗争を行う。7月に復帰。復帰の際は、ビンス・マクマホンにGM職の解任と試合復帰を命じられる形となった。エディとの抗争終了後、WWE所属ではない「地元の英雄」を招いて3分間自分と戦って耐えることが出来たら、金メダルをプレゼントする「招待試合」を毎回行った。
2005年ロイヤルランブルでWWE王座を賭けてJBLとビッグ・ショーと三つ巴戦を行った。結果はJBLのクローズライン・フロム・ヘルを喰らい敗北。試合終了後、ナンジオのランブル戦出場権を奪って、急きょ参戦するも、ショーン・マイケルズによって敗退させられる。激昂したアングルは敗退後、マイケルズをリングアウトさせ鉄階段で攻撃した。これが後にアングルとマイケルズの抗争の発端となった。ロイヤルランブル以後、レッスルマニア21で行われるWWE王座挑戦者決定トーナメントにエントリーするものの、ノー・ウェイ・アウト2005の決勝戦でジョン・シナに敗れる。レッスルマニアでは、ショーン・マイケルズと対戦。この試合は名勝負として高評価を得た。
2005年のドラフトでRAWに移籍。WWE王者のジョン・シナとの抗争を開始。同年11月にデバリがマネージャーに就く。ニュー・イヤーズ・レボルーション2006で自身初となるイリミネーション・チェンバーに出場するものの、敗退する。
2006年RAWとの契約が年内に切れたという設定で1月13日スマックダウンに移籍。同日当時WWE・世界ヘビー級王座を保持していたバティスタが毛がで王座を返上し、王座が空位となったため王者決定バトルロイアルに急きょ参戦し、優勝し載冠。ロイヤルランブル2006で、マーク・ヘンリー、ノー・ウェイ・アウト2006でジ・アンダー・テイカー相手に防衛する。レッスルマニア22のメイン戦でレイ・ミステリオ、ランディ・オートンを挑戦者に迎え、世界王座を賭けた三つ巴戦で対戦。ミステリオがオートンをフォールして王座陥落した。
レッスルマニア22以降、キング・オブ・ザ・リングのトーナメントにエントリー。1回戦でランディ・オートンに勝利するが、4月28日に世界ヘビー級王座戦でミステリオと対戦中、マーク・ヘンリーの襲撃を受け負傷。2回戦を辞退した。ジャッジメント・デイ2006でヘンリーとリベンジマッチを行うも、カウントアウト負けをする。
5月29日のRAWでポール・ヘイマンの指名を受けてECWに移籍。オートンとの抗争を続け、ECWワン・ナイト・スタンド2006で勝利するものの、ヴェンジェンス2006では敗北。その後はロブ・バン・ダムと抗争するが、体調は以前にも増して優れず、8月13日のハウス・ショーでのロブ・バン・ダム戦で股間を始め全身を負傷。これが実質的なWWE最後の試合となった。
8月25日、WWEを解雇。WWE側は、「円満退団」とされていたが、実際はアングルがWWE側の「要求」を受け入れなかったため、解雇扱いにしたとされる。9月、プロレスを引退し総合格闘技への参入を証明した。(これは後述のTNA参戦のカモフラージュするためのフェイクだったためと言われている。)
TNA[編集]
2006年9月25日、TNAと契約したと電撃発表。10月9日に初登場すると、いきなり同団体のトップレスラー、サモア・ジョーと短期抗争をする。3月ごろには一度も試合を交えなかったスコット・スタイナーと抗争する。TNAでも主要王座を獲得、TNA世界ヘビー級王座も手に入れた。
日本での戦い[編集]
2007年1月16日、新日本プロレスに参戦を発表。2月28日永田裕志とタッグを組んでトラヴィス・トムコ&ジャイアント・バーナード組と対戦。
6月29日、イノキ・ゲノム・フェデレーション(IGF)旗揚げ戦でWWE時代のライバルブロック・レスナーとシングルで対戦。アンクル・ロックで勝利。レスナーが保持していたIWGPヘビー級王座(IWGP 3rd)を獲得した。(レスナーは新日本にベルトを剥奪されており3rdベルトのみ賭けられた)試合後、レスナーと和解を果たした。
12月20日「GENOME2」でケンドー・カシン、2008年1月4日には新日東京ドームで永田裕志と「IWGP3rdベルト」を賭けて対戦し共にアンクル・ロックで勝利をおさめたが、2月17日の新日両国国技館大会で中邑真輔との「ベルト統一戦」で敗れる。
2009年4月5日両国国技館大会でIWGPヘビー級王座を賭けて棚橋弘至と対戦したが敗れた。
エピソード[編集]
- 1996年のアトランタオリンピックの金メダリストだった。また、全米選手権では6度制覇したこともある。
- 「世界一のテクニシャン」であるが、試合に使う技は以外に少ない。このスタイルは一発一発の攻撃に意味を持たせるためと、無駄な攻撃はしない表れである。この戦い方は、テクニックを見せる為技を多く持つという固定概念を破るものとなる。
- リング上でのキャラクターは、金メダリストであることを鼻にかける傲慢で厭味なキャラクターで活動しており、アスリートとしての類い稀なる実力よりもズルさを前面に押し出したヒールを演じることが多い。アングルのヒールっぷりはあの絶対的ヒールだったトリプルHをフェイスターンさせたほどである。
- カートの入場曲は曲名は「Medal」だったが観客のチャント「You Suck!!(へなちょこ!!)と大合唱され曲名が「I Don't Suck(Really)」と変更された。ベビーフェイスの時は対戦相手を指さして「You Suck!!」といいながら入場して、その意味合いを変えている。
- マイクアピールも上手く、話すセリフの間間に観客に「What!?(はあ!?)」と茶々を入れられるのも定番となっている。
- スキンヘッドになった当初はカツラを被って活動していた。
- クリス・ベノワとの激闘期間は「試合のスマックダウン・ドラマのロウ」といわれる決定的な原因を作った。
- 2002年にWWEタッグ王座を獲得したことにより、WWE史上4人目のグランドスラムを達成した。
- 2007年PPV Hard Justiceにて史上2人目のTNAグランドスラム達成。(史上初はAJ・スタイルズ)
- また、その実績から将来のWWE殿堂入りは確実とも言われている。
- 過去に一度だけECWにゲスト出演している。その時は、団体の空気に気分を害したため以降の出演は無かったが、2006年に復活したECWに8年ぶりにレギュラー参戦した。
- アトランタオリンピックで、首に爆弾を抱えたままで金メダルを取った。
- レスリングを引退するまでプロレスを見たことがなかったという。
- カートの容姿・ファイトスタイルを真似たオマージュレスラーショーン・ヘルナンデスが存在するが、彼もレスリング出身で州チャンピオンのメダルを掲げて入場している。
得意技[編集]
- アングル・スラム'(オリンピック・スラム)'
- アングルのオリジナル技にしてフィニッシュ・ホールド。相手をファイヤーマンズキャリーで捕らえ、そのまま後方へ倒れ込みながら、相手の体を自分の片肩を支点に半回転させつつ後方に投げ落とし、背中・肩口・頭部辺りからマットへ叩きつける技。相手の実力や状況に応じて、相手を落とす角度を調整する。腕をロックしてからの展開が非常に速いので、返し難い。
- アンクル・ロック
- フィニッシュ・ホールド。アングルの代名詞的な技。自分の名前をもじってアングル・ロックともいう。元WWE所属のケン・シャムロックが先にフィニッシャーとして使っていたが、現在ではアンクル・ロック=カートというイメージが非常に強い。このまま寝技のヒールホールドに移行して踵を極められた場合、相手は高確率でロープにエスケープすらできずにタップアウトする。
- ベリー・トゥ・ベリースープレックス
- ジャーマン・スープレックス
- レスリング金メダリストだけあって、威力は高い。通常は一発だが、三連発することもある。WWEでは宿敵クリス・ベノワと激闘を毎日展開し、互いに数えきれないほどのスープレックスを放ったことで有名である。
- ムーンサルトプレス
- おもに大一番の試合で使うアングルの隠し技。成功率は低い。非常に滞空時間が長く、美しい弧を描いているのが特徴である。過去にクリスベノワに対し金網の上から敢行したものが有名で、同じ試合でベノワも金網上からダイビング・ヘッドバッドを敢行している。
入場曲[編集]
- Medal
- I Don't Suck
- My Quest
- Gold Medal
獲得タイトル[編集]
プロレス[編集]
WWF/WWE[編集]
- WWE王座:4回
- WWE・世界ヘビー級王座:1回
- WWE・タッグチーム王座:1回(w/クリス・ベノワ)
- WWE・ヨーロピアン王座:1回
- WWE・ハードコア王座:1回
- WCW・世界ヘビー級王座:1回
- WCW・US王座:1回
グランドスラム達成(2002年)
TNA[編集]
- TNA・世界ヘビー級王座:5回
- TNA・世界タッグチーム王座:2回(w/スティングx1/サモア・ジョーx1)
NJPW[編集]
- IWGPヘビー級王座:1回
レスリング[編集]
- 1988年度新人賞(クラリオン大学)
- エスポワール世界選手権2位(1989年)
- Yasar Doguトーナメント2位(1989年)
- カナダ杯優勝(1990年)
- アトランタオリンピック-フリースタイル100kg級金メダル(1996年)
- Natinal Amateur Wrestling Hall of Fame(2001年)