「佐藤康光」の版間の差分

提供: Yourpedia
移動: 案内検索
(新しいページ: '''佐藤 康光'''(さとう やすみつ、1969年10月1日 - )は、将棋棋士。棋士番号182。京都府八幡市出身。國學院高等学校卒業。田中魁秀九段門)
 
(外部リンク)
 
(2人の利用者による、間の2版が非表示)
1行目: 1行目:
{{Notice|この項目はある項目からフォークされて出来た記事です。除去を求める際には、ノートでの合議が必要です。}}
+
'''佐藤 康光'''(さとう やすみつ、[[1969年]][[10月1日]] - )は、[[棋士_(将棋)|将棋棋士]]。棋士番号182。[[京都府]][[八幡市]]出身。[[國學院高等学校]]卒業。[[田中魁秀]]九段門下。
{{自己責任}}
+
プロ将棋界を代表する強豪棋士の一人。タイトル獲得数は多く、すでに[[棋戦 (将棋)#タイトル獲得記録|歴代十傑]]に入っている。
<center>
+
いわゆる「[[羽生世代]]」の一人。
[[画像:Kentaro Noda.jpg|240px|thumb|なぜ笑う?]]
+
特技はヴァイオリン演奏。
[[画像:Noda Kentaro.jpg|thumb|いかにも粘着質って感じのお姿ですね。]]
+
</center>
+
[[野田憲太郎]]は、自称・音楽家。ユアペディアをはじめとするネット上に頻繁に出没する。少なくともネット上の素行を見る限りでは、一般社会常識はゼロに等しく、Wikipediaをはじめとする複数のコミュニティで永久追放処分を受けている。追放処分の緩やかなサイトでのみ、追放されたサイト管理者の誹謗・中傷を中心とする投稿活動を行っている。
+
  
 +
== 戦績 ==
 +
* [[1987年]][[3月25日]] プロデビュー。(四段)
 +
* 五段時代の[[1990年]]、第31期[[王位戦]]で[[谷川浩司]]に挑戦。(=タイトル戦初登場) 惜しくも、3-4で退けられる。同年、第9回[[早指し新鋭戦]]の決勝で[[森内俊之]]を破り棋戦初優勝。これらの活躍により、1990年度将棋大賞の新人賞を受賞。
 +
* [[1991年]]、第10回[[早指し新鋭戦]]において決勝で[[森下卓]]を破って優勝。2連破を達成。
 +
* 六段時代の[[1993年]]、第6期[[竜王戦]]で挑戦者となり七段昇段。待ち受ける相手は当時五冠王の[[羽生善治]]であった。結果、4-2で佐藤が竜王位を奪取し、初のタイトル獲得となった。羽生からタイトルを奪取したのは[[谷川浩司]]に続き2人目。
 +
* [[1994年]]第7期[[竜王戦]]は、逆に羽生の挑戦を受け2-4で失冠。羽生に史上初の六冠制覇を許してしまう。その翌年(第8期)は、また逆に佐藤が羽生に挑戦し3年連続の同一カードとなったが、奪取はならなかった。
 +
* 1997年度A級[[順位戦]]において6勝3敗同士でのプレーオフで[[羽生善治]]を下し、第56期([[1998年]])[[名人戦 (将棋)|名人戦]]の[[谷川浩司]][[名人戦 (将棋)|名人]]への挑戦権を得る。七番勝負を4-3で制して奪取。初の[[名人戦 (将棋)|名人]]位獲得。
 +
* [[1999年]]、第57期[[名人戦 (将棋)|名人戦]]では[[谷川浩司]]と2年連続の対決。またもやフルセットの戦いとなり、4-3で[[名人戦 (将棋)|名人]]位を防衛。(翌年、[[丸山忠久]]に3-4で敗れ、失冠。)
 +
* [[2002年]](2001年度)、第51期[[王将戦]]で[[羽生善治]]に挑戦。4-2で[[王将戦|王将]]位を奪取。
 +
* 2002年度、第73期[[棋聖戦 (将棋)|棋聖戦]]で[[郷田真隆]]に挑戦、3-2で奪取に成功。初めて二冠(棋聖王将)となる。さらに[[王座戦 (将棋)|王座戦]]で羽生に挑戦したが、惜しくも敗退。一気の三冠達成はならなかった。また、[[王将戦|王将]]の防衛戦は、羽生を挑戦者に向かえ前年と同一カードとなったが、0-4で羽生に奪還される。
 +
* [[2003年]]、第74期[[棋聖戦 (将棋)|棋聖戦]]で[[丸山忠久]]の挑戦を3-0で退け防衛。羽生七冠(当時)が[[棋聖戦 (将棋)|棋聖]]位を失ってから、棋聖位保持者は7年連続で入れ替わっていたが、この防衛によって終止符が打たれた。同年、第11期[[銀河戦]]で[[中川大輔]]を下して優勝。タイトル戦以外の全棋士参加棋戦での初優勝を飾った。
 +
* [[2004年]]、第75期[[棋聖戦 (将棋)|棋聖戦]]で[[森内俊之]]の挑戦を3-0で退け防衛。[[JT将棋日本シリーズ]]では、決勝で[[久保利明]]を下して初優勝。
 +
* [[2005年]]、第76期[[棋聖戦 (将棋)|棋聖戦]]で[[羽生善治]]の挑戦を3-2で退け防衛。
 +
*: [[2006年]](2005年度)、[[羽生善治]]に挑戦した第55期[[王将戦]]七番勝負で0勝3敗から3連勝し、将棋タイトル戦史上初の3連敗4連勝が期待されたが、最終局で敗れ実現しなかった。なお、3連勝3連敗で最終局を迎えたのは1978年の[[十段戦 (将棋)|十段戦]]、[[中原誠]]対[[米長邦雄]](中原が4-3で防衛)以来2度目。(囲碁のタイトル戦では、3連敗4連勝は何度か発生している。)
 +
* [[2006年]]、第77期[[棋聖戦 (将棋)|棋聖戦]]で[[鈴木大介]]の挑戦を3-0で退け防衛。これで5期目の在位となり、規定により'''永世棋聖'''の称号を得た。
 +
*同じく2006年度、[[JT将棋日本シリーズ]]は決勝で[[郷田真隆]]を破り2度目の優勝。[[NHK杯テレビ将棋トーナメント|NHK杯]]も決勝で[[森内俊之]]を破り優勝(3度目の決勝進出にして初優勝)。
 +
*2006年度は、'''タイトル戦5連続挑戦'''の記録を作り、うち、[[森内俊之]]から[[棋王]]位を奪取。再び二冠(棋聖棋王)となる。この年度、[[将棋大賞]]の'''最優秀棋士賞'''を初受賞。
 +
* [[2007年]]、第78期[[棋聖戦 (将棋)|棋聖戦]]で[[渡辺明 (棋士)|渡辺明]][[竜王戦|竜王]]の挑戦を3-1で退けて防衛し、6連覇。
 +
* 同じく[[2007年]]、[[竜王戦]]で渡辺竜王へ2年連続挑戦。
  
==[[ウィキペディア日本語版の利用者]]として==
+
==棋風==
<!-- 在日管理者の存在を公開したために、慌ててSnow steed(Mixiを退会済)が無期限投稿ブロックを提案した。2007年7月の京都烏丸おばんざいやさんで行われた海外組の接待は、この男によって暴露された。小西規勝や利用者:KMTは頻繁に利用者:Noda,KentaroのMixiを「勤務中に」覗いてくる。この男が行った在日認定がよほど悔しいからであろうか、最近は勤務中にユアペディアまでこの節を荒らす利用者が存在する。
+
* 元来、[[居飛車]]党であるが、その後、[[振り飛車]]も積極的に採用するなど、将棋の幅を広げている。
 +
* 「'''緻密流'''」と称され、「'''1秒間に1億と3手読む'''」と形容されるほどの深い読みに定評がある。もっともこの数字自体は現実的な数字ではなく、[[室岡克彦]]とヨーロッパ旅行中に「コンピュータは1億手読む」という話が出た時、室岡が「それなら彼は1億3手読む」と冗談半分に発言したことから付いたキャッチフレーズである。
 +
* 攻めの棋風で、後手番の[[角換わり]]といった守勢になりやすい戦法でも、[[千日手]]を狙わず果敢な攻め合いを選ぶ。羽生善治の柔らかさに対比して剛直な指し手が多く、危険な変化でも踏み込む傾向がある。[[先崎学]]には「緻密ではなく'''野蛮'''」、[[河口俊彦]]には「自玉が危険にならないと力が出ず、混戦に滅法強い」と評されている。
 +
* [[2000年]]の第58期[[名人戦 (将棋)|名人戦]]においては、挑戦者であった[[丸山忠久]]の得意戦法(丸山が先手の場合は[[角換わり]]戦法、丸山が後手の場合は[[横歩取り8五飛|横歩取り8五飛車戦法]])を堂々と受けて名人位を防衛しようとした。([[谷川浩司]]との[[名人戦]]でも、そのような傾向が見られた。)しかし、結果的に3勝4敗で丸山に[[名人]]位を奪われた。この敗戦が棋風改造のきっかけとなった。
 +
*若手時代は既存の[[定跡]]形を多く指していたが、2005年前後からは敢えて[[定跡]]にない作戦や、実戦例の少ない戦法を選ぶことが多くなっている。一般的にはそうした将棋は型に嵌らない「[[力戦]]」と呼ばれることが多いが、本人の談によれば、それらの作戦はすべて論理的に考えた帰結であるので、[[力戦]]と呼ばれることには抵抗感があるそうである。その天馬空を行くがごとき独創的な戦法を数多く指したことにより、最優秀棋士賞を受賞した2006年度に[[升田幸三賞]]も同時受賞した。(それゆえか、「天馬行空」は佐藤が色紙に揮毫する言葉の一つである。)
 +
* [[渡辺明 (棋士)|渡辺明]]に挑戦した[[2006年]]の第19期竜王戦の第6局で、渡辺の初手▲7六歩に対して2手目▽3二金と指し、渡辺を挑発した。(▽3二金は、相手が[[振り飛車]]の場合には適さない位置とされる。)結果は、挑発に乗って不慣れな[[振り飛車]]を採用した渡辺の負け。そして向かえた最終の第7局でも、振り駒で後手となった佐藤は再び2手目▽3二金。今度は矢倉になり、結果は渡辺が勝って防衛。佐藤は策士の一面を見せた。
  
-->現代音楽関連の記事に関して、出典の明記をするよう他の利用者から注意を受けたが、それを頑なに拒否しつづけた為に無期限投稿ブロックを受けた。それ以来、ウィキペディア日本語版及びウィキペディア日本語版の管理者を憎んでいる。その無念を他人に知らせたかったのか、[[2ちゃんねる]]<ref>[http://music8.2ch.net/test/read.cgi/contemporary/1165228479/ 野田憲太郎応援スレッド]</ref>と[[mixi]]<ref>[http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=10353087&comm_id=5454&page=all ウィキペディア日本語版|ウィキペディア日本語版の恐怖政治体制] 閲覧にはmixiへの参加が必要。</ref>でも同時期に不可解な絨毯爆撃を行い、ウィキペディア以外のコミュニティにも重大な迷惑をかけた。現在でもウィキペディア日本語版の諸利用者(管理者を含む)を敵視し、[http://d.hatena.ne.jp/Kasumoerer/ 自分のウェブサイト]やYourpediaの本項目でこれらの利用者の中傷糾弾を続けているところを見ると、ウィキペディア日本語版には相当の思い入れがあると考えられる。事実、ウィキペディア日本語版では投稿ブロック以後も数々のサブアカウントを取得し編集投稿を続けているが、悉く発見され、これらの多くは投稿ブロックを受けた。この騒動で本人と推定され投稿ブロックを受けた利用者アカウントやIPの数は10を超える。<ref>[http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E9%80%B2%E8%A1%8C%E4%B8%AD%E3%81%AE%E8%8D%92%E3%82%89%E3%81%97%E8%A1%8C%E7%82%BA/%E9%95%B7%E6%9C%9F/Noda%2CKentaro Wikipedia:進行中の荒らし行為/長期/Noda,Kentaro]</ref>余談ではあるが、この利用者はYourpediaで同名のアカウントを取得しており、本項目の起草・加筆もこの利用者の尽力によるものが大きい。<ref>[http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%AD%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E7%89%88%E3%81%AE%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85&limit=500&action=history ウィキペディア日本語版の利用者 - 履歴]</ref>
+
==エピソード・人物==
 +
* 将棋マガジン([[日本将棋連盟]])の1996年2月号の企画で、'''目隠し五面指し'''(目隠ししていない5人のアマチュアと同時に対局)に挑戦し、反則なしの五戦全勝で見事に成功した。それに加え、NHKのBS2で年に1回程度放映される将棋バラエティ番組でも、「脳内対局」(プロ同士の目隠し10秒将棋)で不敗を誇っており、佐藤が驚異的な頭脳の持ち主であることを実証している。
 +
* [[2004年]]度のNHK杯2回戦で女流棋士[[中井広恵]]に負けそうになった。結果は中井に疑問手がでて佐藤の逆転勝ちとなったが、本人も「僕が負けてもおかしくなかった。」とコメントを残している。司会(聞き手)の[[千葉涼子]]は途中で中井の勝ちを確信していた。
 +
* [[谷川浩司]]の挑戦を受けた[[1999年]]の第57期[[名人戦]]では、2-3の角番に追い込まれて向かえた第6局は2日目の深夜まで続く203手の大激闘となったが、佐藤の執念の勝利となった。これは、名人戦史上まれに見る名勝負として語り継がれている。(難解な詰みを谷川が逃した。) NHK衛星放送では、結果のダイジェストを放送予定だった時間枠が生放送と化した。終局後、明らかに疲労困ぱいした佐藤の表情がテレビ画面に映った。
 +
* {{CURRENTYEAR}}年{{CURRENTMONTHNAME}}現在、「前竜王」の称号を最後に名乗った棋士である。(1994年に羽生から竜王位を奪われてからの1年間) なお、失冠後の1年間に名乗る称号の制度は、前竜王、前名人だけに特有のものである。
 +
* 1981年の小学生名人戦で第3位。3回戦で[[村山聖]]と対戦して勝っている。
 +
* 6級で関西[[奨励会]]に入ったが父親の転勤で関東に移籍した時、「'''名人候補を東京に取られた'''」と関西[[奨励会]]幹事が嘆いたエピソードがある。
 +
* [[新進棋士奨励会|奨励会]]時代、学校を頻繁に休んでいたことから「学校やすみつ君」と呼ばれていた。
 +
* 奨励会二段の頃、[[島朗]]が主宰する伝説の研究会、いわゆる「島研」に、[[羽生善治]]や[[森内俊之]]とともに参加していた。
 +
* 知的な面持ちで、趣味は[[ヴァイオリン]]演奏。しかし、意外にも熱血漢でアツくなり易いという一面を持っており、対局で負けたときは涙を流して悔しがることもある。親友である[[先崎学]]の文章には、しばしばからかわれ役として登場し「もてみつ」君というニックネームをつけられている。そこから一部のファンの間では「モテ」と呼ばれる事もある。
 +
* 夫人からは「みっくん」と呼ばれているらしい。初デートは歌舞伎座だった。
 +
* 第51期[[王将戦]]では、おやつに大量の[[キウイフルーツ]]を食べつづけ、羽生善治から王将を奪取したことから、[[2ちゃんねる]]などで「キウイ」とも呼ばれた。インターネット上で話題になったことについて本人は「話題になったので意地になって食べ続けた」と語った。
 +
* 対局中に非常によく咳き込むため、関係者のみならずファンからも大変心配されている。ただし、あの咳は体調が悪いためではなく、興奮性のものと思われる。あるいは、咳をするのは終盤で勝ちが見えたときであるという説もあり、対戦相手の棋士の中には、佐藤が咳をするとがっくりくる者もいるという。
  
ネット上で彼のピアノの演奏(と称するもの)を聴いたもののある者であれば、誰にでも解かることであるが、彼が音楽と称するものは、幼稚園児の落書きか、またはそれ以下である。ピアニストを'''目指す'''のであれば、まずは「猫踏んじゃった」を正しく弾くことを目指すべきであろう。
 
===状況===
 
* あからさまにウィキペディアの中毒者(もしくは依存者)であり、無期限ブロックを無視して多数の[[ソックパペット|靴下人形]]を操り、何度でもウィキペディアに闖入を強行している。しかしながらウィキペディアの[[ルール]]や、言論上の[[マナー]]を遵守しようという意思はまったく持ち合わせていない。そのため、ウィキペディア日本語版やその参加者に対して、自分の思い込みや憶測に基づき様々な[[流言蜚語]]と[[誹謗中傷]]の限りをネット上に並べ立てることにより、自己正当化が図れると確信し、なおかつ自分の恥ずべき言動に酔い痴れている。しかも、周囲からの顰蹙や失笑を買っていることにはお構いなしである。
 
* ウィキペディアから無期限ブロック(事実上の追放)されたことを大きな恥辱とし、その恥辱を責任転嫁せんがために、ウィキペディアおよびその関係者に対して中傷[[プロパガンダ]]を繰り返している。中傷の舞台は日本語版ならびに英語版ウィキペディアの他、メタウィキメディアや[[2ちゃんねる]]、[[はてなダイアリー]]キーワード、[[Yourpedia]]など極めて多岐にわたり、プロパガンダを展開するためであれば舞台と手段を選ばない傾向が強い。
 
* 私怨を基にした行動パターンが見出される。また、たいていの靴下人形が、野田の出没する領域と共通の分野やジャンルで投稿・加筆を行う上、「自分は野田さんの知り合いであり、その人柄や作品の優秀さは知り尽くしている」式の擁護を行い、あるいは野田が攻撃した他ユーザーを名指しでおちょくる……というように、統一された行動様式を見せている。
 
* 以前は日本語版のウィキペディアンの間では、音楽家の[[野田憲太郎]]とウィキペディアンのNoda,Kentaroが同一人物であるかは断言できないとする見解が優勢であったが、[[2007年]]7月下旬において野田が自分のHPで、「ウィキペディアの中国人・韓国人投稿者について日本語版Wikitruthに論文(を発表)」と自ら暴露したことにより、'''野田憲太郎 = Noda,Kentaroであることは動かしがたい事実'''となった。
 
* 日本の[[音楽学]]会や作曲界について毒づいているが、以下の3点から、野田が学位請求論文の書き方についてまともな指導をろくに受けていないことや、しかるべき学術機関に論文を作成して受理された経験がほとんどないことは明らかである(少なくとも、「野田憲太郎+音楽学」「Kentaro Noda + Acta Musicologica」などとネット検索で入力しても、論文関係の項目がヒットしない)。
 
** [[出典]]の明記の仕方を理解しておらず、また理解しようともしていない。
 
** [[宇野功芳]]にも似た特異な(かつ著しく主観的な)言い回しを弄ぶが、それが[[百科事典]]や[[論文]]としての文体や品格にそぐわないという点については、何の自覚も反省もない。
 
** [[2ちゃんねる]]などで指摘されているように、日本語作文に問題があるだけでなく、英作文についても、[[品詞]]の用法や[[単語]]の選択ならびに[[シンタックス]]がおかしい。
 
* 野田から他者への攻撃は問題にならないが他者から野田への攻撃は問題になるとする[[二重基準]]の持ち主。みずからYourpediaやその他のウェブサイトで他者の実名を挙げて名誉毀損を繰り返しているにも拘らず、そのことを全て棚に上げている。本項目([[WP:NODA]])の記述の一部(野田の人間性に対する[[病理学]]的分析)が野田への名誉毀損にあたるので提訴するとの法的[[脅迫]]をおこない、当該部分を特定版削除させたこともある。
 
*複数の利用者について[[ストーカー]]的行為を行い、彼らについて「被害届を出す」<span style="font-size:smaller;">(ママ)</span>、「指導教官の名前を教えろ」<span style="font-size:smaller;">(ママ)</span>などの脅迫メールを関係者に送付している。
 
*ソックパペットの名前は楽譜出版社の社名から採ることが多い([http://www.schott-music.com/ Schott] [http://www.billaudot.com/ Billaudot] [http://www.esz.it/ Zerboni] [http://www.alphonseleduc.com/ Leduc] [http://www.boosey.com/ Boosey] [http://www.rugginenti.it/ Rugginenti] [http://www.zimmermann-frankfurt.de/ Zimmermann] [http://www.edipan.com/ Edipan] [http://www.durand-salabert-eschig.com/ Durand]など)。また、野田が逆恨みしている相手の名を揶揄するような利用者名を名乗ることも多い。
 
  
===編集傾向===
+
== 昇段履歴 ==
#主として[[クラシック音楽]]、とりわけ[[現代音楽]]関係の記事に出現し、[[Wikipedia:検証可能性|検証可能性]]に問題のある投稿を繰り返す。
+
* [[1982年]]12月 6級 =[[奨励会]]入会
##ほかに[[戦争]]関連や[[アニメ]]、[[ゲーム]](ゲーム音楽)関連記事にも出没。
+
* [[1984年]]7月 初段
##出典の明記や論拠を求められると途端に不貞腐れるくせに、他人には「理由のないことをしてはいけない」と教え諭す。
+
* [[1987年]][[3月25日]] 四段 =プロ入り ([[奨励会]]三段昇段後13勝1敗により)
#ブロック中であることを意に介さず、多重[[アカウント]][[IP]]で編集活動を強行しようとする。
+
* [[1989年]][[4月1日]] 五段([[順位戦]]C級1組昇級)
##ウィキペディアの慣行や[[モラル]]に毒づきながらも、ウィキペディアを自分の学習発表の場として濫用している。
+
* [[1992年]]3月25日 六段(勝数規定)
#出典の明記を要求されることを極度に毛嫌いし、要求する側がおかしいとか、要求する側が読んで調べるべきとかといった類いの言葉で応戦する。
+
* [[1993年]][[10月1日]] 七段([[竜王戦|竜王]]挑戦)
##出典タグに過敏に反応し、明記できない場合に沈黙ないしは放置するということができない。
+
* [[1996年]]4月1日 八段(順位戦A級昇級)
##「出典を要求するくせに調べられないのは、外国人だからだ(あるいは日本語がろくにできないからだ、もしくは日本にいないからだ)」といった妄言で相手に反撃しようとする。
+
* [[1998年]][[6月18日]] 九段([[名人戦_(将棋)|名人]]位獲得)
##要約欄などに、「○○に載ってる」「文献は○○でいいよ」といった杜撰かつ投げ遣りな"明記"をすることもある。
+
#[[余談]][[逸話]](それも、どちらかと言えば読者の心証を害するような[[アネクドート]]や[[ゴシップ]]、[[スキャンダル]]の類い)、個人的印象にもとづくエピソードを書き加える。ともすれば本文よりも長々と書き込む。
+
#バランス感覚を欠いているうえ[[批判]]と[[非難]]の峻別ができないために、攻撃的・他罰的な文章を平然と書き連ねる。そのため主張や論旨が客観的(または中立的)でないと指摘されると、改めるどころか憤慨する。
+
#[[編集合戦]]を仕掛け、自分が加筆した状態こそが最善であるとして、何度でも執拗に戻す。
+
##かつて自分が関わった記事を熱心に注察しており、自分の記述を変更・削除等されるとその都度[[ソックパペット]]で舞い戻って自分が書いた状態に差し戻す。
+
##なおかつノートページや会話ページで[[厭味]]を言う。
+
##さらには自分のブログを始めとする外部のウェブサイトで悪口雑言を並べ陰謀論を喚き散らす等、一連の行動から共同作業に全く向かない利用者であることが窺える。
+
#自分の発言や文章を他人が批判し、改訂することを許さないが、他人の発言やミスについては、自分の気が済むまで執拗に追及し、あるいは[[罵倒]]するという[[ダブルスタンダード]]の持ち主。
+
##「アホか貴様」([http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%82%BC%E3%83%BC%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%88&diff=prev&oldid=7682960])「どあほ」([http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%82%B6%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%88%E7%8E%8B%E5%A6%83%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%AB&diff=prev&oldid=7856889])など、要約欄での[[暴言]]・[[恫喝]]・[[罵詈雑言]]。
+
##他ユーザーの会話ページに、しつこく[[言いがかり]]や[[揚げ足とり]]を書き連ねる。あるいは、他ユーザーを自分の攻撃の仲間に引き入れようとして、会話ページを濫用(悪用)する。
+
##[[Wikipedia:投稿ブロック依頼/Noda,Kentaro]]に賛成票を投じた利用者たちへの個人攻撃。
+
#[[民族]]的な出自に対して異常な拘りを示す。自らと対立する利用者たちを[[在日韓国人]]や[[在日中国人]]に対する[[蔑称]]で呼びならわす。([http://kentaro-noda.hp.infoseek.co.jp/index-e.html ホームページ('07年7月21日改訂版)]に以下の一文あり。''"Some articles about Korean and Chinese Administers of Japanese Wikipedia in Japanese Language Wikitruth"''<small>(対訳:ウィキトゥルース日本語版に、ウィキペディア日本語版における韓国人・中国人投稿者について論文数点。)</small>
+
##批判されると、「お前の日本語は[[機械翻訳]]で中国語や韓国語から即席に訳したものだ」あるいは「[[BOT]]による自動応答だ」と決めつける。
+
##自分の乏しい[[語彙]]や拙い表現力、でたらめなテニヲハ、ねじれた主-述関係を棚に上げて、他人については「日本語がおかしい」「日本語が読めない」といった類の攻撃をする。
+
#「管理ユーザー」「査読ユーザー」「攻撃ユーザー」など独特の造語(もしくは意味を自己流にねじ曲げた語)を多用する。「仮想アカウント」など既成の語を使う場合もあるが、独自の意味である。
+
##記事においても、公式の用語でなく、「前衛イディオム」「中華アカデミズム」のような造語(もしくは生硬な翻訳調)を用いる。また、「作曲様式」「演奏様式」といった用語の代わりに、「スタイル」のような、しばしば[[多義語]]であるような[[外来語]]を好んで使い、意味を曖昧にする。
+
##独自概念や造語で項目名を立てる。
+
##自らの語学力や海外渡航歴を喧伝している割には、[[ドミトリ・コゥリャンスキ]]や[[フランチェス・マリエ・ウィッティ]]など、先行資料の表記やネイティブの発音を確認して項目名を立てているのかどうか、すこぶる怪しい例がある。
+
#論文の文体の何たるかを理解していない。そのため鄙語・俗語を交えたり、「スタイル」「レヴェル」などのように横文字をカタカナにしただけで済ませたり(あるいは補足説明なしに横文字をそのまま引用したり)、また、印象批評をそのまま表現したりする。
+
#「ウィキペディアは[[ナレッジスペース]]ではない」ということが理解できないため、字数が増えることが内容の充実であると言い切って憚らない。そのため内容が希薄になったり散漫になったりすることにもお構いなく、どんどん長文にする(ウィキペディアの方針に対する無理解と[[侮蔑]]に関連)。
+
#第三者には理解不能な、意味不明な「美文調」を弄ぶ。[[ナルシシズム]]的な性格ゆえにか、自分の「立派な日本語」が通用しないことを読者の能力のせいだと責任転嫁する。
+
#[[携帯電話]]で連絡を取り合う管理者たちの指令によって集団攻撃されている等の[[妄想]]を書き散らす。
+
#自分が「専門家」であることをことさら誇大に訴え、それによりかかった暴論を繰り返す。「ど素人は、難しい現代音楽を専門的に理解できるはずないのだから、それに関する記事を起草・加筆・編集する資格はない。ど素人が専門家先生に楯突くのは生意気だ」といった発想が根底にある(同様の見解を[[菅野茂]]と共有している)。
+
#[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%8D%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%A5%E3%83%BC&diff=2427251&oldid=2414811 『今でも、「彼は国家の手で消された」と信じるイギリス人は多い。』]など、根拠がないことを確信ありげに断言することが非常に多い(出典の明記を極度に嫌う態度と通底)。思いついたことは何でもダメモトでとりあえず言ってみる、それを本気にする人間が一人でも現れれば儲けものという姿勢が透けて見える。
+
##「~と言われている」「~であることは非常に有名」などの表現によって、個人的妄想に一般性や信頼性があるかの如く偽装することも多い。
+
###[http://ja.wikipedia.org/wiki/ノート:新ロマン主義音楽 「これは常識でありもはや定説のレヴェルです。」]は、[[高橋弘二]][[定説|定説語]]を連想させずにおかない。
+
##[[矛盾|矛盾点]]等を深く突っ込まれると話を逸らすか、曖昧なほのめかしでお茶を濁し、自らの誤りを絶対に認めない。
+
###発言や文脈の前後で[[自家撞着]]が生じるようなことも平然と書き連ねる。[http://ja.wikipedia.org/wiki/ノート:新ロマン主義音楽 「アナトリー・アレクサンドロフの作品をピアノで練習していると/ロマンというよりも古典といったほうが良いくらいです」]。ならば、アレクサンドロフが新ロマン主義者ですらない(従って、[[新ロマン主義音楽]]の項目で[[アナトーリー・アレクサンドロフ|アレクサンドロフ]]の名に言及した自分の加筆[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%96%B0%E3%83%AD%E3%83%9E%E3%83%B3%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E9%9F%B3%E6%A5%BD&diff=8559847&oldid=8426981]はおかしい)ということには気づいていない。
+
#「~に報告しますからそのつもりで」(「~」の部分には何らかの公的[[機関]]や権威者などの名が入る)など、他者の[[権威]]を笠に着た発言や、人の褌で相撲を取る物言いも多い。
+
#ノートや会話ページで発言する際、「タメ口」を利く。自分の思い込みを書き並べているにもかかわらず、疑問文で相手に聞き返して自分の発言の正当さを確認しようとする。
+
#下記のように自身が無数のソックパペットを操っているため、他人も同じことをしていると決めつける傾向が顕著である。
+
=== ブロック済みアカウント ===
+
{| class=wikitable sortable
+
|-
+
!利用者名
+
!初出現日時<!--初投稿日時-->
+
!投稿ブロック記録
+
|-
+
|align=center colspan=3|'''本体'''
+
|-
+
|{{WikiUser2|Noda,Kentaro}}
+
|2006年6月13日 () 04:33
+
|2006年11月25日 (土) 22:23 '''無期限'''
+
|-
+
|align=center colspan=3|'''ソックパペット'''
+
<!--
+
|-
+
|{{WikiUser2|Sushisushi}}
+
|2005年10月7日 (金) 00:12
+
|2006年12月15日 (金) 22:38 '''無期限'''
+
-->
+
|-
+
|{{WikiUser2|士心麻手}}
+
|2006年4月22日 (土) 10:35
+
|2006年12月23日 (土) 00:15 '''無期限'''
+
|-
+
|{{WikiUser2|Nodaken}}
+
|2006年12月22日 (金) 23:29
+
|2006年12月22日 (金) 23:31 '''無期限</br>UsernameBlock'''
+
|-
+
|{{WikiUser2|Anymoerer}}
+
|2007年2月13日 (火) 16:06
+
|2007年2月14日 (水) 12:00 '''無期限'''
+
|-
+
|{{WikiUser2|Divari0canto}}
+
|2007年2月15日 (木) 12:59
+
|2007年2月25日 (日) 01:53 '''無期限'''
+
|-
+
|{{WikiUser2|匿名委員会}}
+
|2007年2月24日 (土) 18:03
+
|2007年2月25日 (日) 01:53 '''無期限'''
+
|-
+
|{{WikiUser2|畢竟}}
+
|2007年3月24日 (土) 17:49
+
|2007年6月18日 (月) 22:07 '''無期限'''
+
|-
+
|{{WikiUser2|Dreme}}
+
|2007年6月23日 (土) 15:26
+
|2007年7月15日 (日) 10:29 '''無期限'''
+
|-
+
|{{WikiUser2|間久部香織}}
+
|2007年7月9日 (月) 15:09
+
|2007年7月24日 (火) 23:09 '''無期限'''
+
|-
+
|{{WikiUser2|Alles}}
+
|2007年7月15日 (日) 11:53
+
|2007年8月4日 (土) 04:54 '''無期限'''
+
|-
+
|{{WikiUser2|Ignus}}
+
|2007年8月3日 (金) 14:32
+
|2007年8月4日 (土) 10:00 '''無期限'''
+
|-
+
|{{WikiUser2|Zerboni}}
+
|2007年8月7日 (火) 06:54
+
|2007年8月16日 (木) 11:58 '''無期限'''
+
|-
+
|{{WikiUser2|Konishikun 43}}
+
|2007年8月24日 (金) 18:29
+
|2007年8月24日 (金) 18:33 '''無期限'''
+
|-
+
|{{WikiUser2|Leduc}}
+
|2007年8月28日 (火) 10:42
+
|2007年9月4日 (火) 21:56 '''無期限'''
+
|-
+
|{{WikiUser2|Boosey}}
+
|2007年8月28日 (火) 18:03
+
|2007年9月4日 (火) 21:56 '''無期限'''
+
|-
+
|{{WikiUser2|Curci}}
+
|2007年9月3日 (月) 03:56
+
|2007年9月4日 (火) 21:51 '''無期限'''
+
|-
+
|{{WikiUser2|EMB}}
+
|2007年9月12日 (水) 12:37
+
|2007年9月20日 (木) 17:05 '''無期限'''
+
|-
+
|{{WikiUser2|Sevenyear}}
+
|2007年9月13日(木)11:07
+
|2007年9月13日(木)13:36 '''無期限'''
+
|-
+
|{{WikiUser2|Compozitor}}
+
|2007年9月18日 (火) 16:39
+
|2007年9月18日 (火) 17:39 '''無期限'''
+
|-
+
|{{WikiUser2|Doberman}}
+
|2007年9月18日 (火) 17:26
+
|2007年9月18日 (火) 17:45 '''無期限'''
+
|-
+
|{{WikiUser2|Akaitakenobou}}
+
|2007年9月18日 (火) 17:35
+
|2007年9月18日 (火) 17:39 '''無期限'''
+
|-
+
|{{WikiUser2|De santis p}}
+
|2007年9月19日 (水) 16:36
+
|2007年9月23日 (日) 23:06 '''無期限'''
+
|-
+
|[[:w:ja:利用者:M universal|利用者:M universal]]<span style="font-size:smaller" class="plainlinks">([[:w:ja:利用者‐会話:M universal|会話]]/[[:w:ja:特別:contributions/M universal|履歴]]/[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%89%B9%E5%88%A5:Log&page=User:M universal ログ])</span>
+
|2007年9月20日 (木) 11:48
+
|2007年9月23日 (日) 23:06 '''無期限'''
+
|-
+
|{{WikiUser2|Transatlantiques}}
+
|2007年9月20日 (木) 16:08
+
|2007年9月20日 (木) 17:08 '''無期限'''
+
|-
+
|[[:w:ja:利用者:Favor 1GNekodnQQ cats|利用者:Favor 1GNekodnQQ cats]]<span style="font-size:smaller" class="plainlinks">([[:w:ja:利用者‐会話:Favor 1GNekodnQQ cats|会話]]/[[:w:ja:特別:contributions/Favor 1GNekodnQQ cats|履歴]]/[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%89%B9%E5%88%A5:Log&page=User:Favor 1GNekodnQQ cats ログ])</span>
+
|2007年9月23日 (日) 17:40
+
|2007年9月23日 (日) 23:05 '''無期限'''
+
|-
+
|[[:w:ja:利用者:Omega kawaii|利用者:Omega kawaii]]<span style="font-size:smaller" class="plainlinks">([[:w:ja:利用者‐会話:Omega kawaii|会話]]/[[:w:ja:特別:contributions/Omega kawaii|履歴]]/[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%89%B9%E5%88%A5:Log&page=User:Omega kawaii ログ])</span>
+
|2007年9月23日 (日) 21:30
+
|2007年9月24日 (月) 23:56 '''無期限'''
+
|-
+
|[[:w:ja:利用者:Cai hashikure|利用者:Cai hashikure]]<span style="font-size:smaller" class="plainlinks">([[:w:ja:利用者‐会話:Cai hashikure|会話]]/[[:w:ja:特別:contributions/Cai hashikure|履歴]]/[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%89%B9%E5%88%A5:Log&page=User:Cai hashikure ログ])</span>
+
|2007年9月24日 (月) 14:15
+
|2007年9月24日 (月) 23:56 '''無期限'''
+
<!--
+
|-
+
|{{WikiUser2|}}
+
|
+
| '''無期限'''
+
-->
+
|}
+
  
=== 投稿記録無し ===
+
== 主な成績 ==
{| class=wikitable sortable
+
(2007年4月1日現在)
|-
+
* [[竜王戦]] - 1組(1組以上 - 15期)
!利用者名
+
* [[順位戦]] - A級(A級以上 - 11期)
!投稿ブロック記録
+
|-
+
|{{WikiUser2|Barnstar}}
+
|2006年12月23日 (土) 00:10 '''無期限'''
+
|-
+
|{{WikiUser2|Xesk0why}}
+
|2007年2月25日 (日) 01:53 '''無期限'''
+
|-
+
|{{WikiUser2|Edipan}}
+
|2007年8月16日 (木) 11:58 '''無期限'''
+
|-
+
|{{WikiUser2|Rugginenti}}
+
|2007年8月16日 (木) 11:58 '''無期限'''
+
|-
+
|{{WikiUser2|Zimmermann}}
+
|2007年9月4日 (火) 21:51 '''無期限'''
+
<!--
+
|-
+
|{{User2|}}
+
| '''無期限'''
+
-->
+
|}
+
  
==[[ユアペディアの利用者]]として==
+
=== 獲得タイトル ===
Wikipediaを中心とした、自分を追放したコミュニティを逆恨みし、管理者の誹謗・中傷を中心とした記述を行っている。その素行は「負け犬の遠吠え」と高く評価されている。
+
(2007年6月29日現在)
 +
* [[竜王戦|竜王]] 1期(第6期)
 +
* [[名人戦_(将棋)|名人]] 2期(第56期 - 57期)
 +
* [[棋聖戦_(将棋)|棋聖]] 6期(第73期 - 78期) - 永世棋聖([[大山康晴]]・[[中原誠]]・[[米長邦雄]]・[[羽生善治]]に次いで史上5人目)
 +
* [[棋王]] 1期(第32期)
 +
* [[王将戦|王将]] 1期(第51期)
 +
登場回数30回 獲得合計11期
  
==加入プロバイダからの追放==
+
=== 一般棋戦の優勝歴 ===
迷惑行為(コピペ絨毯爆撃による掲示板の可読性の破壊)の常習犯としてぷららから契約を解除されている。
+
* [[銀河戦]] 1回(第11期)
 +
* [[NHK杯将棋トーナメント]] 1回(第56回)
 +
* [[JT将棋日本シリーズ|日本シリーズ]] 2回(第25回、27回)
 +
* [[早指し新鋭戦]] 2回(第9回、10回)
 +
* [[オールスター勝ち抜き戦]](5勝以上) 1回(第19回)
 +
優勝合計 7回
  
==2ちゃんねる==
+
=== [[将棋大賞]] ===
2ちゃんねるでは、'''野田犬'''の名で<s>蔑まれ</s>親しまれ、<s>バカにされている</s>尊敬されているようである。
+
* 第18回(1990年度) 新人賞
== 脚注 ==
+
* 第20回(1992年度) 技能賞
<references />
+
* 第21回(1993年度) 最多勝利賞・最多対局賞・連勝賞・殊勲賞
==外部リンク==
+
* 第23回(1995年度) 技能賞
*[http://music8.2ch.net/test/read.cgi/contemporary/1165228479/l50 野田憲太郎応援スレッド](2ちゃんねる)
+
* 第25回(1997年度) 技能賞
{{Wikipedia/Ja|Wikipedia:進行中の荒らし行為/長期/Noda,Kentaro}}
+
* 第26回(1998年度) 殊勲賞
 +
* 第29回(2001年度) 連勝賞・技能賞
 +
* 第30回(2002年度) 敢闘賞
 +
* 第32回(2004年度) 技能賞
 +
* 第33回(2005年度) 敢闘賞
 +
* 第34回(2006年度) '''最優秀棋士賞'''・最多対局賞・最多勝利賞・升田幸三賞
 +
 
 +
=== 記録(歴代1位のもの) ===
 +
* 二段昇段 - 四段昇段最高勝率 .955(21勝1敗)
 +
<!-- 二段で8連勝し三段昇段、引き続き13勝1敗で四段昇段 -->
 +
* タイトル戦5連続挑戦(2006年度 王位戦、王座戦、竜王戦、王将戦、棋王戦)
 +
<!-- 八回連続タイトル挑戦失敗 升田が9連続失敗のはず。ご確認ください。-->
 +
 
 +
 
 +
==著書==
 +
*佐藤康光の寄せの急所囲いの急所(1995年11月、[[日本放送出版協会]]、ISBN 4-14-016075-6)
 +
*康光流現代矢倉(全3巻、[[日本将棋連盟]]、ISBN 4-8197-0331-5ほか)
 +
*康光流四間飛車破り 居飛車穴熊vs藤井システム(1999年2月、日本将棋連盟、ISBN 4-8197-0348-X)
 +
*読みの技法(講師、1999年3月、[[河出書房新社]]、ISBN 4-309-72181-8)
 +
*佐藤康光の戦いの絶対感覚(2000年1月、河出書房新社、ISBN 4-309-72184-2)
 +
*最強居飛車穴熊マニュアル(2003年1月、日本将棋連盟、ISBN 4-8197-0369-2)
 +
*注釈 康光戦記(2004年8月、[[浅川書房]]、ISBN 4-86137-005-1)
 +
*5級からの詰将棋81(2007年4月、日本将棋連盟、ISBN 978-4-8179-0172-3)
 +
*佐藤康光の居飛車の手筋1(以下続刊、[[山海堂]]、ISBN 978-4-381-02275-2ほか)
 +
 
 +
== 関連イベント ==
 +
* [[京都府]][[八幡市]]での佐藤康光杯将棋大会。
 +
 
 +
== その他表彰 ==
 +
* 2007年1月 京都府文化賞・奨励賞
 +
 
 +
== 外部リンク ==
 +
* [http://www.shogi.or.jp/syoukai/title/satou-y.html 日本将棋連盟のプロフィール]
 +
* [http://www.shinshikishi.com/ 佐藤康光応援ページ「紳士棋士ドットコム」]
 +
 
 +
{{A級順位戦_(将棋)}}
 +
{{DEFAULTSORT:さとう やすみつ}}
 +
[[Category:将棋棋士]]
 +
[[Category:京都府出身の人物]]
 +
[[Category:1969年生]]
 +
[[Category:将棋]]

2009年10月16日 (金) 09:24時点における最新版

佐藤 康光(さとう やすみつ、1969年10月1日 - )は、将棋棋士。棋士番号182。京都府八幡市出身。國學院高等学校卒業。田中魁秀九段門下。 プロ将棋界を代表する強豪棋士の一人。タイトル獲得数は多く、すでに歴代十傑に入っている。 いわゆる「羽生世代」の一人。 特技はヴァイオリン演奏。

戦績[編集]

  • 1987年3月25日 プロデビュー。(四段)
  • 五段時代の1990年、第31期王位戦谷川浩司に挑戦。(=タイトル戦初登場) 惜しくも、3-4で退けられる。同年、第9回早指し新鋭戦の決勝で森内俊之を破り棋戦初優勝。これらの活躍により、1990年度将棋大賞の新人賞を受賞。
  • 1991年、第10回早指し新鋭戦において決勝で森下卓を破って優勝。2連破を達成。
  • 六段時代の1993年、第6期竜王戦で挑戦者となり七段昇段。待ち受ける相手は当時五冠王の羽生善治であった。結果、4-2で佐藤が竜王位を奪取し、初のタイトル獲得となった。羽生からタイトルを奪取したのは谷川浩司に続き2人目。
  • 1994年第7期竜王戦は、逆に羽生の挑戦を受け2-4で失冠。羽生に史上初の六冠制覇を許してしまう。その翌年(第8期)は、また逆に佐藤が羽生に挑戦し3年連続の同一カードとなったが、奪取はならなかった。
  • 1997年度A級順位戦において6勝3敗同士でのプレーオフで羽生善治を下し、第56期(1998年名人戦谷川浩司名人への挑戦権を得る。七番勝負を4-3で制して奪取。初の名人位獲得。
  • 1999年、第57期名人戦では谷川浩司と2年連続の対決。またもやフルセットの戦いとなり、4-3で名人位を防衛。(翌年、丸山忠久に3-4で敗れ、失冠。)
  • 2002年(2001年度)、第51期王将戦羽生善治に挑戦。4-2で王将位を奪取。
  • 2002年度、第73期棋聖戦郷田真隆に挑戦、3-2で奪取に成功。初めて二冠(棋聖王将)となる。さらに王座戦で羽生に挑戦したが、惜しくも敗退。一気の三冠達成はならなかった。また、王将の防衛戦は、羽生を挑戦者に向かえ前年と同一カードとなったが、0-4で羽生に奪還される。
  • 2003年、第74期棋聖戦丸山忠久の挑戦を3-0で退け防衛。羽生七冠(当時)が棋聖位を失ってから、棋聖位保持者は7年連続で入れ替わっていたが、この防衛によって終止符が打たれた。同年、第11期銀河戦中川大輔を下して優勝。タイトル戦以外の全棋士参加棋戦での初優勝を飾った。
  • 2004年、第75期棋聖戦森内俊之の挑戦を3-0で退け防衛。JT将棋日本シリーズでは、決勝で久保利明を下して初優勝。
  • 2005年、第76期棋聖戦羽生善治の挑戦を3-2で退け防衛。
    2006年(2005年度)、羽生善治に挑戦した第55期王将戦七番勝負で0勝3敗から3連勝し、将棋タイトル戦史上初の3連敗4連勝が期待されたが、最終局で敗れ実現しなかった。なお、3連勝3連敗で最終局を迎えたのは1978年の十段戦中原誠米長邦雄(中原が4-3で防衛)以来2度目。(囲碁のタイトル戦では、3連敗4連勝は何度か発生している。)
  • 2006年、第77期棋聖戦鈴木大介の挑戦を3-0で退け防衛。これで5期目の在位となり、規定により永世棋聖の称号を得た。
  • 同じく2006年度、JT将棋日本シリーズは決勝で郷田真隆を破り2度目の優勝。NHK杯も決勝で森内俊之を破り優勝(3度目の決勝進出にして初優勝)。
  • 2006年度は、タイトル戦5連続挑戦の記録を作り、うち、森内俊之から棋王位を奪取。再び二冠(棋聖棋王)となる。この年度、将棋大賞最優秀棋士賞を初受賞。
  • 2007年、第78期棋聖戦渡辺明竜王の挑戦を3-1で退けて防衛し、6連覇。
  • 同じく2007年竜王戦で渡辺竜王へ2年連続挑戦。

棋風[編集]

  • 元来、居飛車党であるが、その後、振り飛車も積極的に採用するなど、将棋の幅を広げている。
  • 緻密流」と称され、「1秒間に1億と3手読む」と形容されるほどの深い読みに定評がある。もっともこの数字自体は現実的な数字ではなく、室岡克彦とヨーロッパ旅行中に「コンピュータは1億手読む」という話が出た時、室岡が「それなら彼は1億3手読む」と冗談半分に発言したことから付いたキャッチフレーズである。
  • 攻めの棋風で、後手番の角換わりといった守勢になりやすい戦法でも、千日手を狙わず果敢な攻め合いを選ぶ。羽生善治の柔らかさに対比して剛直な指し手が多く、危険な変化でも踏み込む傾向がある。先崎学には「緻密ではなく野蛮」、河口俊彦には「自玉が危険にならないと力が出ず、混戦に滅法強い」と評されている。
  • 2000年の第58期名人戦においては、挑戦者であった丸山忠久の得意戦法(丸山が先手の場合は角換わり戦法、丸山が後手の場合は横歩取り8五飛車戦法)を堂々と受けて名人位を防衛しようとした。(谷川浩司との名人戦でも、そのような傾向が見られた。)しかし、結果的に3勝4敗で丸山に名人位を奪われた。この敗戦が棋風改造のきっかけとなった。
  • 若手時代は既存の定跡形を多く指していたが、2005年前後からは敢えて定跡にない作戦や、実戦例の少ない戦法を選ぶことが多くなっている。一般的にはそうした将棋は型に嵌らない「力戦」と呼ばれることが多いが、本人の談によれば、それらの作戦はすべて論理的に考えた帰結であるので、力戦と呼ばれることには抵抗感があるそうである。その天馬空を行くがごとき独創的な戦法を数多く指したことにより、最優秀棋士賞を受賞した2006年度に升田幸三賞も同時受賞した。(それゆえか、「天馬行空」は佐藤が色紙に揮毫する言葉の一つである。)
  • 渡辺明に挑戦した2006年の第19期竜王戦の第6局で、渡辺の初手▲7六歩に対して2手目▽3二金と指し、渡辺を挑発した。(▽3二金は、相手が振り飛車の場合には適さない位置とされる。)結果は、挑発に乗って不慣れな振り飛車を採用した渡辺の負け。そして向かえた最終の第7局でも、振り駒で後手となった佐藤は再び2手目▽3二金。今度は矢倉になり、結果は渡辺が勝って防衛。佐藤は策士の一面を見せた。

エピソード・人物[編集]

  • 将棋マガジン(日本将棋連盟)の1996年2月号の企画で、目隠し五面指し(目隠ししていない5人のアマチュアと同時に対局)に挑戦し、反則なしの五戦全勝で見事に成功した。それに加え、NHKのBS2で年に1回程度放映される将棋バラエティ番組でも、「脳内対局」(プロ同士の目隠し10秒将棋)で不敗を誇っており、佐藤が驚異的な頭脳の持ち主であることを実証している。
  • 2004年度のNHK杯2回戦で女流棋士中井広恵に負けそうになった。結果は中井に疑問手がでて佐藤の逆転勝ちとなったが、本人も「僕が負けてもおかしくなかった。」とコメントを残している。司会(聞き手)の千葉涼子は途中で中井の勝ちを確信していた。
  • 谷川浩司の挑戦を受けた1999年の第57期名人戦では、2-3の角番に追い込まれて向かえた第6局は2日目の深夜まで続く203手の大激闘となったが、佐藤の執念の勝利となった。これは、名人戦史上まれに見る名勝負として語り継がれている。(難解な詰みを谷川が逃した。) NHK衛星放送では、結果のダイジェストを放送予定だった時間枠が生放送と化した。終局後、明らかに疲労困ぱいした佐藤の表情がテレビ画面に映った。
  • 2024年11月現在、「前竜王」の称号を最後に名乗った棋士である。(1994年に羽生から竜王位を奪われてからの1年間) なお、失冠後の1年間に名乗る称号の制度は、前竜王、前名人だけに特有のものである。
  • 1981年の小学生名人戦で第3位。3回戦で村山聖と対戦して勝っている。
  • 6級で関西奨励会に入ったが父親の転勤で関東に移籍した時、「名人候補を東京に取られた」と関西奨励会幹事が嘆いたエピソードがある。
  • 奨励会時代、学校を頻繁に休んでいたことから「学校やすみつ君」と呼ばれていた。
  • 奨励会二段の頃、島朗が主宰する伝説の研究会、いわゆる「島研」に、羽生善治森内俊之とともに参加していた。
  • 知的な面持ちで、趣味はヴァイオリン演奏。しかし、意外にも熱血漢でアツくなり易いという一面を持っており、対局で負けたときは涙を流して悔しがることもある。親友である先崎学の文章には、しばしばからかわれ役として登場し「もてみつ」君というニックネームをつけられている。そこから一部のファンの間では「モテ」と呼ばれる事もある。
  • 夫人からは「みっくん」と呼ばれているらしい。初デートは歌舞伎座だった。
  • 第51期王将戦では、おやつに大量のキウイフルーツを食べつづけ、羽生善治から王将を奪取したことから、2ちゃんねるなどで「キウイ」とも呼ばれた。インターネット上で話題になったことについて本人は「話題になったので意地になって食べ続けた」と語った。
  • 対局中に非常によく咳き込むため、関係者のみならずファンからも大変心配されている。ただし、あの咳は体調が悪いためではなく、興奮性のものと思われる。あるいは、咳をするのは終盤で勝ちが見えたときであるという説もあり、対戦相手の棋士の中には、佐藤が咳をするとがっくりくる者もいるという。


昇段履歴[編集]

主な成績[編集]

(2007年4月1日現在)

獲得タイトル[編集]

(2007年6月29日現在)

登場回数30回 獲得合計11期

一般棋戦の優勝歴[編集]

優勝合計 7回

将棋大賞[編集]

  • 第18回(1990年度) 新人賞
  • 第20回(1992年度) 技能賞
  • 第21回(1993年度) 最多勝利賞・最多対局賞・連勝賞・殊勲賞
  • 第23回(1995年度) 技能賞
  • 第25回(1997年度) 技能賞
  • 第26回(1998年度) 殊勲賞
  • 第29回(2001年度) 連勝賞・技能賞
  • 第30回(2002年度) 敢闘賞
  • 第32回(2004年度) 技能賞
  • 第33回(2005年度) 敢闘賞
  • 第34回(2006年度) 最優秀棋士賞・最多対局賞・最多勝利賞・升田幸三賞

記録(歴代1位のもの)[編集]

  • 二段昇段 - 四段昇段最高勝率 .955(21勝1敗)
  • タイトル戦5連続挑戦(2006年度 王位戦、王座戦、竜王戦、王将戦、棋王戦)


著書[編集]

関連イベント[編集]

その他表彰[編集]

  • 2007年1月 京都府文化賞・奨励賞

外部リンク[編集]

テンプレート:A級順位戦 (将棋)