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(新しいページ: '''誉'''(ほまれ、当時の表記は'''譽''')とは航空機メーカーの中島飛行機が開発した2,000馬力級の航空機用空冷[[星型エンジン])
 
 
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{{Notice|この項目はある項目からフォークされて出来た記事です。除去を求める際には、ノートでの合議が必要です。}}
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{{otheruses|航空機用エンジンの誉|かつて存在したお笑いコンビ|誉 (お笑いコンビ)}}
{{自己責任}}
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'''誉'''(ほまれ、当時の表記は'''譽''')とは[[航空機]]メーカーの[[中島飛行機]]が開発した2,000[[馬力]]級の航空機用空冷[[星型エンジン]]である。[[大日本帝国海軍|海軍]]では'''NK9K「誉」'''と呼称され、[[大日本帝国陸軍|陸軍]]では'''ハ四五'''と呼称された。(ハは「発動機」、つまりエンジンのこと)。その高性能から[[太平洋戦争]]末期の陸海軍航空機にメーカーや機種を問わず幅広く搭載された。
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[[画像:Kentaro Noda.jpg|240px|thumb|なぜ笑う?]]
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[[画像:Noda Kentaro.jpg|thumb|いかにも粘着質って感じのお姿ですね。]]
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[[野田憲太郎]]は、自称・音楽家。ユアペディアをはじめとするネット上に頻繁に出没する。少なくともネット上の素行を見る限りでは、一般社会常識はゼロに等しく、Wikipediaをはじめとする複数のコミュニティで永久追放処分を受けている。追放処分の緩やかなサイトでのみ、追放されたサイト管理者の誹謗・中傷を中心とする投稿活動を行っている。
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== 開発 ==
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航空機用空冷星型エンジンは、シリンダーを放射状に配置しているため、大出力化を狙って排気量(=シリンダー容積)を増やすとエンジン外径(=前面投影面積)も大きくなる。このためエンジンが装着される機首部分もそれに応じて大きくなってしまうため、空気抵抗も増大することになる。
  
==[[ウィキペディア日本語版の利用者]]として==
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そこで、「誉」は、零戦などに使われていた1,000馬力級の二重星型エンジン「[[中島・栄|栄]]」(星形7気筒×2)の外径をなるべく変えずに、2気筒増やした星型9気筒(前後列合計で18気筒)とすることで、前面投影面積は1,000馬力エンジン並でありながら、エンジン出力は2,000馬力を発揮するという小型・軽量と大出力の両立を目指したものである
<!-- 在日管理者の存在を公開したために、慌ててSnow steed(Mixiを退会済)が無期限投稿ブロックを提案した。2007年7月の京都烏丸おばんざいやさんで行われた海外組の接待は、この男によって暴露された。小西規勝や利用者:KMTは頻繁に利用者:Noda,KentaroのMixiを「勤務中に」覗いてくる。この男が行った在日認定がよほど悔しいからであろうか、最近は勤務中にユアペディアまでこの節を荒らす利用者が存在する。
+
  
-->現代音楽関連の記事に関して、出典の明記をするよう他の利用者から注意を受けたが、それを頑なに拒否しつづけた為に無期限投稿ブロックを受けた。それ以来、ウィキペディア日本語版及びウィキペディア日本語版の管理者を憎んでいる。その無念を他人に知らせたかったのか、[[2ちゃんねる]]<ref>[http://music8.2ch.net/test/read.cgi/contemporary/1165228479/ 野田憲太郎応援スレッド]</ref>と[[mixi]]<ref>[http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=10353087&comm_id=5454&page=all ウィキペディア日本語版|ウィキペディア日本語版の恐怖政治体制] 閲覧にはmixiへの参加が必要。</ref>でも同時期に不可解な絨毯爆撃を行い、ウィキペディア以外のコミュニティにも重大な迷惑をかけた。現在でもウィキペディア日本語版の諸利用者(管理者を含む)を敵視し、[http://d.hatena.ne.jp/Kasumoerer/ 自分のウェブサイト]やYourpediaの本項目でこれらの利用者の中傷糾弾を続けているところを見ると、ウィキペディア日本語版には相当の思い入れがあると考えられる。事実、ウィキペディア日本語版では投稿ブロック以後も数々のサブアカウントを取得し編集投稿を続けているが、悉く発見され、これらの多くは投稿ブロックを受けた。この騒動で本人と推定され投稿ブロックを受けた利用者アカウントやIPの数は10を超える。<ref>[http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E9%80%B2%E8%A1%8C%E4%B8%AD%E3%81%AE%E8%8D%92%E3%82%89%E3%81%97%E8%A1%8C%E7%82%BA/%E9%95%B7%E6%9C%9F/Noda%2CKentaro Wikipedia:進行中の荒らし行為/長期/Noda,Kentaro]</ref>余談ではあるが、この利用者はYourpediaで同名のアカウントを取得しており、本項目の起草・加筆もこの利用者の尽力によるものが大きい。<ref>[http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%AD%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E7%89%88%E3%81%AE%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85&limit=500&action=history ウィキペディア日本語版の利用者 - 履歴]</ref>
+
もともとは、民間会社である中島飛行機が社内名称BA-11の名前で自主開発を計画したことから始まったが、後にそのアイデアが評価され、[[海軍航空技術廠]](通称・空技廠)の全面的なバックアップによる官民合同プロジェクトとなった。
  
ネット上で彼のピアノの演奏(と称するもの)を聴いたもののある者であれば、誰にでも解かることであるが、彼が音楽と称するものは、幼稚園児の落書きか、またはそれ以下である。ピアニストを'''目指す'''のであれば、まずは「猫踏んじゃった」を正しく弾くことを目指すべきであろう。
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*1940(昭和15)年2月、構想開始
===状況===
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*1940(昭和15)年9月、設計完了
* あからさまにウィキペディアの中毒者(もしくは依存者)であり、無期限ブロックを無視して多数の[[ソックパペット|靴下人形]]を操り、何度でもウィキペディアに闖入を強行している。しかしながらウィキペディアの[[ルール]]や、言論上の[[マナー]]を遵守しようという意思はまったく持ち合わせていない。そのため、ウィキペディア日本語版やその参加者に対して、自分の思い込みや憶測に基づき様々な[[流言蜚語]]と[[誹謗中傷]]の限りをネット上に並べ立てることにより、自己正当化が図れると確信し、なおかつ自分の恥ずべき言動に酔い痴れている。しかも、周囲からの顰蹙や失笑を買っていることにはお構いなしである。
+
*1941(昭和16)年2月、部品試作完了
* ウィキペディアから無期限ブロック(事実上の追放)されたことを大きな恥辱とし、その恥辱を責任転嫁せんがために、ウィキペディアおよびその関係者に対して中傷[[プロパガンダ]]を繰り返している。中傷の舞台は日本語版ならびに英語版ウィキペディアの他、メタウィキメディアや[[2ちゃんねる]]、[[はてなダイアリー]]キーワード、[[Yourpedia]]など極めて多岐にわたり、プロパガンダを展開するためであれば舞台と手段を選ばない傾向が強い。
+
*1941(昭和16)年3月、エンジン組立完了
* 私怨を基にした行動パターンが見出される。また、たいていの靴下人形が、野田の出没する領域と共通の分野やジャンルで投稿・加筆を行う上、「自分は野田さんの知り合いであり、その人柄や作品の優秀さは知り尽くしている」式の擁護を行い、あるいは野田が攻撃した他ユーザーを名指しでおちょくる……というように、統一された行動様式を見せている。
+
*1941(昭和16)年3月末、第1次運転および性能運転完了
* 以前は日本語版のウィキペディアンの間では、音楽家の[[野田憲太郎]]とウィキペディアンのNoda,Kentaroが同一人物であるかは断言できないとする見解が優勢であったが、[[2007年]]7月下旬において野田が自分のHPで、「ウィキペディアの中国人・韓国人投稿者について日本語版Wikitruthに論文(を発表)」と自ら暴露したことにより、'''野田憲太郎 = Noda,Kentaroであることは動かしがたい事実'''となった。
+
*1941(昭和16)年6月、公式第一次審査終了
* 日本の[[音楽学]]会や作曲界について毒づいているが、以下の3点から、野田が学位請求論文の書き方についてまともな指導をろくに受けていないことや、しかるべき学術機関に論文を作成して受理された経験がほとんどないことは明らかである(少なくとも、「野田憲太郎+音楽学」「Kentaro Noda + Acta Musicologica」などとネット検索で入力しても、論文関係の項目がヒットしない)。
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*1941(昭和16)年6月末、第一次耐久運転終了
** [[出典]]の明記の仕方を理解しておらず、また理解しようともしていない。
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*1941(昭和16)年8月、公式第二次審査終了
** [[宇野功芳]]にも似た特異な(かつ著しく主観的な)言い回しを弄ぶが、それが[[百科事典]]や[[論文]]としての文体や品格にそぐわないという点については、何の自覚も反省もない。
+
*1941(昭和16)年11月、第一回飛行実験開始
** [[2ちゃんねる]]などで指摘されているように、日本語作文に問題があるだけでなく、英作文についても、[[品詞]]の用法や[[単語]]の選択ならびに[[シンタックス]]がおかしい。
+
*1942(昭和17)年12月、大量生産本格化
* 野田から他者への攻撃は問題にならないが他者から野田への攻撃は問題になるとする[[二重基準]]の持ち主。みずからYourpediaやその他のウェブサイトで他者の実名を挙げて名誉毀損を繰り返しているにも拘らず、そのことを全て棚に上げている。本項目([[WP:NODA]])の記述の一部(野田の人間性に対する[[病理学]]的分析)が野田への名誉毀損にあたるので提訴するとの法的[[脅迫]]をおこない、当該部分を特定版削除させたこともある。
+
*複数の利用者について[[ストーカー]]的行為を行い、彼らについて「被害届を出す」<span style="font-size:smaller;">(ママ)</span>、「指導教官の名前を教えろ」<span style="font-size:smaller;">(ママ)</span>などの脅迫メールを関係者に送付している。
+
*ソックパペットの名前は楽譜出版社の社名から採ることが多い([http://www.schott-music.com/ Schott] [http://www.billaudot.com/ Billaudot] [http://www.esz.it/ Zerboni] [http://www.alphonseleduc.com/ Leduc] [http://www.boosey.com/ Boosey] [http://www.rugginenti.it/ Rugginenti] [http://www.zimmermann-frankfurt.de/ Zimmermann] [http://www.edipan.com/ Edipan] [http://www.durand-salabert-eschig.com/ Durand]など)。また、野田が逆恨みしている相手の名を揶揄するような利用者名を名乗ることも多い。
+
  
===編集傾向===
+
完成した「誉」の高性能に注目した軍部は、当時開発中の主要軍用機への搭載を決定したが、戦時中の劣悪な生産環境ではその真価を発揮できずに故障が頻発し、搭載機の稼働率を下げるというまったく逆の結果となってしまった。
#主として[[クラシック音楽]]、とりわけ[[現代音楽]]関係の記事に出現し、[[Wikipedia:検証可能性|検証可能性]]に問題のある投稿を繰り返す。
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##ほかに[[戦争]]関連や[[アニメ]]、[[ゲーム]](ゲーム音楽)関連記事にも出没。
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##出典の明記や論拠を求められると途端に不貞腐れるくせに、他人には「理由のないことをしてはいけない」と教え諭す。
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#ブロック中であることを意に介さず、多重[[アカウント]]や[[IP]]で編集活動を強行しようとする。
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##ウィキペディアの慣行や[[モラル]]に毒づきながらも、ウィキペディアを自分の学習発表の場として濫用している。
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#出典の明記を要求されることを極度に毛嫌いし、要求する側がおかしいとか、要求する側が読んで調べるべきとかといった類いの言葉で応戦する。
+
##出典タグに過敏に反応し、明記できない場合に沈黙ないしは放置するということができない。
+
##「出典を要求するくせに調べられないのは、外国人だからだ(あるいは日本語がろくにできないからだ、もしくは日本にいないからだ)」といった妄言で相手に反撃しようとする。
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##要約欄などに、「○○に載ってる」「文献は○○でいいよ」といった杜撰かつ投げ遣りな"明記"をすることもある。
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#[[余談]]や[[逸話]](それも、どちらかと言えば読者の心証を害するような[[アネクドート]]や[[ゴシップ]]、[[スキャンダル]]の類い)、個人的印象にもとづくエピソードを書き加える。ともすれば本文よりも長々と書き込む。
+
#バランス感覚を欠いているうえ[[批判]]と[[非難]]の峻別ができないために、攻撃的・他罰的な文章を平然と書き連ねる。そのため主張や論旨が客観的(または中立的)でないと指摘されると、改めるどころか憤慨する。
+
#[[編集合戦]]を仕掛け、自分が加筆した状態こそが最善であるとして、何度でも執拗に戻す。
+
##かつて自分が関わった記事を熱心に注察しており、自分の記述を変更・削除等されるとその都度[[ソックパペット]]で舞い戻って自分が書いた状態に差し戻す。
+
##なおかつノートページや会話ページで[[厭味]]を言う。
+
##さらには自分のブログを始めとする外部のウェブサイトで悪口雑言を並べ陰謀論を喚き散らす等、一連の行動から共同作業に全く向かない利用者であることが窺える。
+
#自分の発言や文章を他人が批判し、改訂することを許さないが、他人の発言やミスについては、自分の気が済むまで執拗に追及し、あるいは[[罵倒]]するという[[ダブルスタンダード]]の持ち主。
+
##「アホか貴様」([http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%82%BC%E3%83%BC%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%88&diff=prev&oldid=7682960])「どあほ」([http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%82%B6%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%88%E7%8E%8B%E5%A6%83%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%AB&diff=prev&oldid=7856889])など、要約欄での[[暴言]]・[[恫喝]]・[[罵詈雑言]]。
+
##他ユーザーの会話ページに、しつこく[[言いがかり]]や[[揚げ足とり]]を書き連ねる。あるいは、他ユーザーを自分の攻撃の仲間に引き入れようとして、会話ページを濫用(悪用)する。
+
##[[Wikipedia:投稿ブロック依頼/Noda,Kentaro]]に賛成票を投じた利用者たちへの個人攻撃。
+
#[[民族]]的な出自に対して異常な拘りを示す。自らと対立する利用者たちを[[在日韓国人]]や[[在日中国人]]に対する[[蔑称]]で呼びならわす。([http://kentaro-noda.hp.infoseek.co.jp/index-e.html ホームページ('07年7月21日改訂版)]に以下の一文あり。''"Some articles about Korean and Chinese Administers of Japanese Wikipedia in Japanese Language Wikitruth"''<small>(対訳:ウィキトゥルース日本語版に、ウィキペディア日本語版における韓国人・中国人投稿者について論文数点。)</small>
+
##批判されると、「お前の日本語は[[機械翻訳]]で中国語や韓国語から即席に訳したものだ」あるいは「[[BOT]]による自動応答だ」と決めつける。
+
##自分の乏しい[[語彙]]や拙い表現力、でたらめなテニヲハ、ねじれた主-述関係を棚に上げて、他人については「日本語がおかしい」「日本語が読めない」といった類の攻撃をする。
+
#「管理ユーザー」「査読ユーザー」「攻撃ユーザー」など独特の造語(もしくは意味を自己流にねじ曲げた語)を多用する。「仮想アカウント」など既成の語を使う場合もあるが、独自の意味である。
+
##記事においても、公式の用語でなく、「前衛イディオム」「中華アカデミズム」のような造語(もしくは生硬な翻訳調)を用いる。また、「作曲様式」「演奏様式」といった用語の代わりに、「スタイル」のような、しばしば[[多義語]]であるような[[外来語]]を好んで使い、意味を曖昧にする。
+
##独自概念や造語で項目名を立てる。
+
##自らの語学力や海外渡航歴を喧伝している割には、[[ドミトリ・コゥリャンスキ]]や[[フランチェス・マリエ・ウィッティ]]など、先行資料の表記やネイティブの発音を確認して項目名を立てているのかどうか、すこぶる怪しい例がある。
+
#論文の文体の何たるかを理解していない。そのため鄙語・俗語を交えたり、「スタイル」「レヴェル」などのように横文字をカタカナにしただけで済ませたり(あるいは補足説明なしに横文字をそのまま引用したり)、また、印象批評をそのまま表現したりする。
+
#「ウィキペディアは[[ナレッジスペース]]ではない」ということが理解できないため、字数が増えることが内容の充実であると言い切って憚らない。そのため内容が希薄になったり散漫になったりすることにもお構いなく、どんどん長文にする(ウィキペディアの方針に対する無理解と[[侮蔑]]に関連)。
+
#第三者には理解不能な、意味不明な「美文調」を弄ぶ。[[ナルシシズム]]的な性格ゆえにか、自分の「立派な日本語」が通用しないことを読者の能力のせいだと責任転嫁する。
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#[[携帯電話]]で連絡を取り合う管理者たちの指令によって集団攻撃されている等の[[妄想]]を書き散らす。
+
#自分が「専門家」であることをことさら誇大に訴え、それによりかかった暴論を繰り返す。「ど素人は、難しい現代音楽を専門的に理解できるはずないのだから、それに関する記事を起草・加筆・編集する資格はない。ど素人が専門家先生に楯突くのは生意気だ」といった発想が根底にある(同様の見解を[[菅野茂]]と共有している)。
+
#[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%8D%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%A5%E3%83%BC&diff=2427251&oldid=2414811 『今でも、「彼は国家の手で消された」と信じるイギリス人は多い。』]など、根拠がないことを確信ありげに断言することが非常に多い(出典の明記を極度に嫌う態度と通底)。思いついたことは何でもダメモトでとりあえず言ってみる、それを本気にする人間が一人でも現れれば儲けものという姿勢が透けて見える。
+
##「~と言われている」「~であることは非常に有名」などの表現によって、個人的妄想に一般性や信頼性があるかの如く偽装することも多い。
+
###[http://ja.wikipedia.org/wiki/ノート:新ロマン主義音楽 「これは常識でありもはや定説のレヴェルです。」]は、[[高橋弘二]]の[[定説|定説語]]を連想させずにおかない。
+
##[[矛盾|矛盾点]]等を深く突っ込まれると話を逸らすか、曖昧なほのめかしでお茶を濁し、自らの誤りを絶対に認めない。
+
###発言や文脈の前後で[[自家撞着]]が生じるようなことも平然と書き連ねる。[http://ja.wikipedia.org/wiki/ノート:新ロマン主義音楽 「アナトリー・アレクサンドロフの作品をピアノで練習していると/ロマンというよりも古典といったほうが良いくらいです」]。ならば、アレクサンドロフが新ロマン主義者ですらない(従って、[[新ロマン主義音楽]]の項目で[[アナトーリー・アレクサンドロフ|アレクサンドロフ]]の名に言及した自分の加筆[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%96%B0%E3%83%AD%E3%83%9E%E3%83%B3%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E9%9F%B3%E6%A5%BD&diff=8559847&oldid=8426981]はおかしい)ということには気づいていない。
+
#「~に報告しますからそのつもりで」(「~」の部分には何らかの公的[[機関]]や権威者などの名が入る)など、他者の[[権威]]を笠に着た発言や、人の褌で相撲を取る物言いも多い。
+
#ノートや会話ページで発言する際、「タメ口」を利く。自分の思い込みを書き並べているにもかかわらず、疑問文で相手に聞き返して自分の発言の正当さを確認しようとする。
+
#下記のように自身が無数のソックパペットを操っているため、他人も同じことをしていると決めつける傾向が顕著である。
+
=== ブロック済みアカウント ===
+
{| class=wikitable sortable
+
|-
+
!利用者名
+
!初出現日時<!--初投稿日時-->
+
!投稿ブロック記録
+
|-
+
|align=center colspan=3|'''本体'''
+
|-
+
|{{WikiUser2|Noda,Kentaro}}
+
|2006年6月13日 (火) 04:33
+
|2006年11月25日 (土) 22:23 '''無期限'''
+
|-
+
|align=center colspan=3|'''ソックパペット'''
+
<!--
+
|-
+
|{{WikiUser2|Sushisushi}}
+
|2005年10月7日 (金) 00:12
+
|2006年12月15日 (金) 22:38 '''無期限'''
+
-->
+
|-
+
|{{WikiUser2|士心麻手}}
+
|2006年4月22日 (土) 10:35
+
|2006年12月23日 (土) 00:15 '''無期限'''
+
|-
+
|{{WikiUser2|Nodaken}}
+
|2006年12月22日 (金) 23:29
+
|2006年12月22日 (金) 23:31 '''無期限</br>UsernameBlock'''
+
|-
+
|{{WikiUser2|Anymoerer}}
+
|2007年2月13日 (火) 16:06
+
|2007年2月14日 (水) 12:00 '''無期限'''
+
|-
+
|{{WikiUser2|Divari0canto}}
+
|2007年2月15日 (木) 12:59
+
|2007年2月25日 (日) 01:53 '''無期限'''
+
|-
+
|{{WikiUser2|匿名委員会}}
+
|2007年2月24日 (土) 18:03
+
|2007年2月25日 (日) 01:53 '''無期限'''
+
|-
+
|{{WikiUser2|畢竟}}
+
|2007年3月24日 (土) 17:49
+
|2007年6月18日 (月) 22:07 '''無期限'''
+
|-
+
|{{WikiUser2|Dreme}}
+
|2007年6月23日 (土) 15:26
+
|2007年7月15日 (日) 10:29 '''無期限'''
+
|-
+
|{{WikiUser2|間久部香織}}
+
|2007年7月9日 (月) 15:09
+
|2007年7月24日 (火) 23:09 '''無期限'''
+
|-
+
|{{WikiUser2|Alles}}
+
|2007年7月15日 (日) 11:53
+
|2007年8月4日 (土) 04:54 '''無期限'''
+
|-
+
|{{WikiUser2|Ignus}}
+
|2007年8月3日 (金) 14:32
+
|2007年8月4日 (土) 10:00 '''無期限'''
+
|-
+
|{{WikiUser2|Zerboni}}
+
|2007年8月7日 (火) 06:54
+
|2007年8月16日 (木) 11:58 '''無期限'''
+
|-
+
|{{WikiUser2|Konishikun 43}}
+
|2007年8月24日 (金) 18:29
+
|2007年8月24日 (金) 18:33 '''無期限'''
+
|-
+
|{{WikiUser2|Leduc}}
+
|2007年8月28日 (火) 10:42
+
|2007年9月4日 (火) 21:56 '''無期限'''
+
|-
+
|{{WikiUser2|Boosey}}
+
|2007年8月28日 (火) 18:03
+
|2007年9月4日 (火) 21:56 '''無期限'''
+
|-
+
|{{WikiUser2|Curci}}
+
|2007年9月3日 (月) 03:56
+
|2007年9月4日 (火) 21:51 '''無期限'''
+
|-
+
|{{WikiUser2|EMB}}
+
|2007年9月12日 (水) 12:37
+
|2007年9月20日 (木) 17:05 '''無期限'''
+
|-
+
|{{WikiUser2|Sevenyear}}
+
|2007年9月13日(木)11:07
+
|2007年9月13日(木)13:36 '''無期限'''
+
|-
+
|{{WikiUser2|Compozitor}}
+
|2007年9月18日 (火) 16:39
+
|2007年9月18日 (火) 17:39 '''無期限'''
+
|-
+
|{{WikiUser2|Doberman}}
+
|2007年9月18日 (火) 17:26
+
|2007年9月18日 (火) 17:45 '''無期限'''
+
|-
+
|{{WikiUser2|Akaitakenobou}}
+
|2007年9月18日 (火) 17:35
+
|2007年9月18日 (火) 17:39 '''無期限'''
+
|-
+
|{{WikiUser2|De santis p}}
+
|2007年9月19日 (水) 16:36
+
|2007年9月23日 (日) 23:06 '''無期限'''
+
|-
+
|[[:w:ja:利用者:M universal|利用者:M universal]]<span style="font-size:smaller" class="plainlinks">([[:w:ja:利用者‐会話:M universal|会話]]/[[:w:ja:特別:contributions/M universal|履歴]]/[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%89%B9%E5%88%A5:Log&page=User:M universal ログ])</span>
+
|2007年9月20日 (木) 11:48
+
|2007年9月23日 (日) 23:06 '''無期限'''
+
|-
+
|{{WikiUser2|Transatlantiques}}
+
|2007年9月20日 (木) 16:08
+
|2007年9月20日 (木) 17:08 '''無期限'''
+
|-
+
|[[:w:ja:利用者:Favor 1GNekodnQQ cats|利用者:Favor 1GNekodnQQ cats]]<span style="font-size:smaller" class="plainlinks">([[:w:ja:利用者‐会話:Favor 1GNekodnQQ cats|会話]]/[[:w:ja:特別:contributions/Favor 1GNekodnQQ cats|履歴]]/[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%89%B9%E5%88%A5:Log&page=User:Favor 1GNekodnQQ cats ログ])</span>
+
|2007年9月23日 (日) 17:40
+
|2007年9月23日 (日) 23:05 '''無期限'''
+
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その高性能から「日本の航空技術が生んだ奇跡の名エンジン」という評価がある一方で、「国情を無視して技術の理想に走り、結果として役に立たなかった欠陥エンジン」という相反する評価がなされている。
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==[[ユアペディアの利用者]]として==
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戦後、「誉」を調査したアメリカ軍は、「遅すぎた名エンジン(Nice engine too late)」との評価を与えている。
Wikipediaを中心とした、自分を追放したコミュニティを逆恨みし、管理者の誹謗・中傷を中心とした記述を行っている。その素行は「負け犬の遠吠え」と高く評価されている。
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==加入プロバイダからの追放==
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== 技術 ==
迷惑行為(コピペ絨毯爆撃による掲示板の可読性の破壊)の常習犯としてぷららから契約を解除されている。
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空冷2重星型14気筒エンジンの「栄」(陸軍呼称:ハ25)のボア(シリンダー直径)×ストローク(ピストンの移動距離)は130mm×150mmであり、「誉」は、この「栄」と同一のボア×ストロークで、一気筒あたり100hp、18気筒で合計1,800hpを目標として開発された。栄の1気筒当たりの出力は約80馬力であり、このままでは18気筒化しても約1500馬力にしかならない。このため、圧縮比は、「栄」では7.2であったのに対して、「誉」では、8.0と高められ、クランクシャフト回転数も2750RPMから3000RPMとなった。
  
==2ちゃんねる==
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星型エンジンの中央部にあるクランクケースは小型化と薄肉化を狙って、従来のアルミ鋳物ではなくクロームモリブデン鋼を鍛造して製作され、壁の厚さはわずか3mmしかなかった。この鍛造クランクケースも「誉」の開発に伴って、新たに実用化されたものである。
2ちゃんねるでは、'''野田犬'''の名で<s>蔑まれ</s>親しまれ、<s>バカにされている</s>尊敬されているようである。
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== 脚注 ==
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冷却方式は、強制空冷ファンなどは使わず、プロペラ気流を直接シリンダーに当てて冷却する一般的なものである。従来の2重星型エンジンでは、コンパクト化のために、前列と後列をなるべく近づけたレイアウトを採用しているが、ベースエンジンの「栄」のシリンダー間隔が150mmであるのに対して、「誉」では220mmと拡げられている。これは、前列と後列を離すことによって、冷却空気の流れを良くして、後列のシリンダーが冷却不足とならないように配慮しているためである。
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なお、前列と後列のシリンダーは20度の位相差をもち、前列シリンダーの隙間に後列シリンダーを置くStaggerというレイアウトである
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また、空気との接触面積を少しでも増やすため1枚1枚形状の異なる冷却フィン(厚さ1mm)を4mmピッチ間隔で、シリンダーヘッドとシリンダーにビッシリと植え込んでおり、その形状はさながら空冷フィンの極致とでも言うべきものであった。その後、生産性向上のため植え込み式フィンをやめて低圧押湯式鋳造法に改めたが、これも性能低下の一因となった。
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このほかのピストンリング、バルブカム、弁ばね、発電機などの部品についても、負荷の増大に対応したサイズが確保できず、耐久不足で破損するといった問題が続発した。また、狭小なスペースに高圧配線を取り回したためにエンジンの発熱で配線が焼けるといった問題も発生し、整備兵は修理に忙殺されることになった。
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=== コンパクト化と弊害 ===
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「誉」構想のポイントであるエンジン外径は、ベースとなった「栄」が115cmであるのに対して、「誉」はわずか3cm増しの118cmという極端にコンパクトなサイズにまとめられている。
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一方、外径をコンパクト化したことによるしわ寄せは内部の部品に及び、エンジン出力は「栄」の2倍にもかかわらず、クランク軸径は+5mmにしか拡大できなかった。このため、クランク軸に掛かる荷重は30%も増大し、軸受の焼付きが問題となった。この対策として、クランク軸の変形に合わせて軸受の形状を微妙に変える、表面を研磨する、軸受材質を変更する、といった対策が行われたが、品質低下によって根本解決には至らなかった。
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同時期の空冷星型18気筒エンジンと比較すると、誉の35.8Lはかなり小さい。これはエンジンの直径を小さくするために1気筒当たりの排気量を増やさなかったためである。星型エンジンではストロークを増やせばそれがエンジン直径の増加に結びつく。2000馬力級の[[プラット・アンド・ホイットニー]]R-2800-9の排気量は46Lであった。空冷星型14気筒で1600~2000馬力の[[BMW 801]]でも排気量は41.8Lであり、誉が小さな排気量から高出力を絞りだそうとしていたことがわかる。小さな排気量から高出力を出すには回転数を上げ過給圧を上げることになる。当時の空冷星型エンジンのリッター当たり出力の水準は40馬力/L台であり、50馬力/Lを狙った誉は極めて'''野心的な'''エンジンだったと言える。
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=== ノッキング対策 ===
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高圧縮比化によるノッキング(異常燃焼)対策として、「誉」ではモーター・オクタン価100のハイオクタン・ガソリンの使用が必須であったが、戦時中の劣悪な燃料事情によって、87~91オクタン価のガソリンしか供給できず、「誉」不調の一因となった。
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また、不調は燃料ではなく、潤滑油の品質に起因するという説もある。事実、当時の航空用エンジンでは、アメリカから自動車用潤滑油を輸入し、航空エンジンに使用していた。
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「誉」には、ノッキング対策として、水とメタノールの混合液を吸気管内に噴射して吸気温度を下げる水メタノール噴射装置が当初から採用されていたが、噴射された水メタノールが9個のシリンダーに均一に分配されず、特定のシリンダーにデトネーション(自着火燃焼)が頻発することになった。デトネーションの頻発により点火プラグの焼損が発生、プラグの不調からさらにエンジンの不調になるという悪循環を招くことになった。
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=== 戦況の変化と品質低下 ===
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ソロモン海戦以降の大消耗戦では、より一層の大量生産が求められる一方、資源不足も深刻化しつつあった。このため、代用材料の使用や部品製作の簡略化が図られたものの、品質管理の概念がなかったため、粗悪品があふれ、生産現場の混乱を招いただけの結果に終わっている。
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さらに、熟練作業者が徴兵されて、生産の主体が未熟練労働者になってしまったことも品質低下の一因となった。但し、元々無理な設計のエンジンというのは技術者の中では初期の頃から知られていた話であり、公称1800馬力であったが、あくまで試作機が試験台の上で出した値であり、量産機は先行量産機のような状態が良いものでも平均1300馬力程度しか発揮できなかったといわれる。従って次期艦上戦闘機[[烈風 (戦闘機)|烈風]]のエンジン選定の際に主任設計者であった[[堀越二郎]]が誉搭載に反対し続けたのも、この情報を知っていたからだと後年堀越自身が証言している<ref>堀越二郎・奥宮正武『零戦 <small>日本海軍航空小史</small>』(朝日ソノラマ、1997年改訂新版) ISBN 4257790288 第4部 名機にも強敵続出 第3章 あとを継ぐもの 3 零戦の再来・烈風 p447~p448、またp460~p464</ref>
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こうした戦争末期の粗製濫造は、誉本来の性能を低下させただけでなく、搭載航空機の稼働率も著しく低下させる結果を招いた。一例をあげると、昭和20年7月、松山基地の偵察部隊では保有していた艦上偵察機[[彩雲 (偵察機)|彩雲]]16機のうち作戦可能機はわずか2機に過ぎず、1機は故障、残りの13機はすべて整備中であった。しかも13機のうち8機までがエンジンの調整に追われていた。
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また、エンジンからのオイル漏れを修理するためパッキンを交換したものの、オイル漏れは解消せず、部隊にあった予備パッキンをすべて使い切ってしまった部隊もあった。それでもオイル漏れが止まらなかったため、整備兵がパッキンを検査したところ、すべて規格を外れていたという例さえあった。
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内燃機関では、吸排気ポートの形状が性能に大きな影響を与えるが、誉のような高出力化を狙ったエンジンでは特に影響が顕著となる。ところが現実には増産を重視するあまり、鋳造時に型崩れを起こした部品がそのまま出荷されるケースさえ起きていた。
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とはいえ、大戦末期の日本軍は多くの航空機に誉を搭載していたことから終戦まで生産が続けられ、良きにつけ悪しきにつけ、大戦末期の日本を象徴するような航空機エンジンと言っても過言ではない。
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== 生産台数 ==
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* 昭和18年(1943):約200基
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* 昭和19年(1944):5400基
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* 昭和20年(1945):3150基
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== 主な搭載機 ==
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* [[戦闘機|局地戦闘機]]「紫電」及び「[[紫電改]]」
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* [[爆撃機|陸上爆撃機]]「[[銀河 (爆撃機)|銀河]]」
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* [[艦上攻撃機]]「[[流星艦上攻撃機|流星]]」
 +
* [[陸上攻撃機]]「[[連山 (航空機)|連山]]」
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* [[偵察機|艦上偵察機]]「[[彩雲 (偵察機)|彩雲]]」
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* [[四式戦闘機|四式戦闘機「疾風」]]
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== 諸元 ==
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=== 誉一一型(ハ45-11型) ===
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*タイプ:空冷星型複列18気筒(9シリンダ&times;2列)
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*ボア×ストローク:130mm×150mm
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*排気量:35,800cc
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*全長:1,690mm
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*直径:1,180mm
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*[[乾燥重量]]:830 kg
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*[[水メタノール噴射装置]]付き
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*[[過給機]]:遠心式[[スーパーチャージャー]]1段2速
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*離昇馬力 1,800HP/2,900RPM/ +400[[トル|mmHg]]ブースト
 +
*公称馬力 
 +
**一速全開 1,650HP/2,900RPM/ +250mmHgブースト (高度2,000m)
 +
**二速全開 1,460HP/2,900RPM/ +250mmHgブースト (高度5,700m)
 +
 
 +
=== 誉二一型(ハ45-21型) ===
 +
*離昇馬力 2,000HP/3,000RPM/ +500mmHgブースト(+550mm Hgブースト説あり)
 +
*公称馬力 
 +
**一速全開 1,900HP/3,000RPM/ +350mmHgブースト (高度2,000m)
 +
**二速全開 1,700HP/3,000RPM/ +350mmHgブースト (高度6,000m)
 +
<!-- ==俗説==
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戦後アメリカ軍でのテストで、誉搭載機の速度性能がアップしていると伝えられている。例としてあげれば、偵察機彩雲は、695キロと試作時の40キロ増しという性能アップを遂げている。その理由として、「アメリカ軍の保有する140オクタン価ガソリンを使用したため」と書籍等には説明されている。
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このオクタン価という単位は、耐ノック性が高いイソオクタン100パーセント相当の難燃性を示すガソリンを100と定義しているため、「100オクタン以上のガソリンは存在しない」という意見もあるが、現実にはイソオクタン100パーセントのガソリンなど一般には流通しておらず、燃焼試験で100パーセント相当の耐ノック性を示した混合燃料を100オクタンと呼んでいるのである。
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この単位は、イソオクタンの割合のみを指標とする狭義の「オクタン価」に対し、「混合オクタン価」と呼んで区別され、一般に「オクタン価」といえば、「混合オクタン価」のことである。
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「グレード100/130」の誤記であるという主張もあるようだが、それならば「130オクタンで試験した」という書物が多く出回るはずなのに、現実には「140オクタンで試験」が圧倒的に多い。実はこれは短絡的な勘違いで、このグレードの燃料を燃焼試験にかけると、140オクタン相当の値を示すことから140オクタンと伝わったのが正解である。 ここの部分の確証が取れずいったんコメントアウト-->
 +
 
 +
== 注記 ==
 
<references />
 
<references />
==外部リンク==
+
 
*[http://music8.2ch.net/test/read.cgi/contemporary/1165228479/l50 野田憲太郎応援スレッド](2ちゃんねる)
+
== 参考文献 ==
{{Wikipedia/Ja|Wikipedia:進行中の荒らし行為/長期/Noda,Kentaro}}
+
* 中川良一「[http://ci.nii.ac.jp/naid/110002473891/ 航空機から自動車へ <small>内燃機関技術者の回想</small>]
 +
: 社団法人日本機械学会『日本機械学會誌』第85巻 第759号 1982年2月 ISSN 0021-4728 p214~p220
 +
* 中川良一・水谷総太郎『中島飛行機エンジン史 <small>若い技術者集団の活躍</small>』(酣灯社、1987年増補新装版) ISBN 4873570115
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* 前間孝則『富嶽 <small>米本土を爆撃せよ</small>』上(講談社文庫、1995年) ISBN 4061859129
 +
: 第三章 奇蹟のエンジン――「誉」 p191~p246
 +
* 前間孝則『マン・マシンの昭和伝説 <small>航空機から自動車へ</small>』上(講談社文庫、1996年) ISBN 4062631768
 +
: 第二章 奇蹟のエンジン「誉」の運命、第三章 「誉」の限界 p95~p222
 +
* 前間孝則『悲劇の発動機「誉」 <small>天才設計者中川良一の苦闘</small>』(草思社、2007年) ISBN 9784794215130
 +
* 日本航空学術史編集委員会 編『日本航空学術史 1910-1945』(日本航空学術史編集委員会、1990年)
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: 第4章 戦時中の航空機の整備取扱いの状況について(奥平祿郎)
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== 関連項目 ==
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*[[航空用エンジンの一覧]]
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*[[航空用エンジンメーカーの一覧]]
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{{デフォルトソート:ほまれ}}
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[[Category:航空用エンジン]]

2022年11月26日 (土) 23:06時点における最新版

(ほまれ、当時の表記は)とは航空機メーカーの中島飛行機が開発した2,000馬力級の航空機用空冷星型エンジンである。海軍ではNK9K「誉」と呼称され、陸軍ではハ四五と呼称された。(ハは「発動機」、つまりエンジンのこと)。その高性能から太平洋戦争末期の陸海軍航空機にメーカーや機種を問わず幅広く搭載された。

開発[編集]

航空機用空冷星型エンジンは、シリンダーを放射状に配置しているため、大出力化を狙って排気量(=シリンダー容積)を増やすとエンジン外径(=前面投影面積)も大きくなる。このためエンジンが装着される機首部分もそれに応じて大きくなってしまうため、空気抵抗も増大することになる。

そこで、「誉」は、零戦などに使われていた1,000馬力級の二重星型エンジン「」(星形7気筒×2)の外径をなるべく変えずに、2気筒増やした星型9気筒(前後列合計で18気筒)とすることで、前面投影面積は1,000馬力エンジン並でありながら、エンジン出力は2,000馬力を発揮するという小型・軽量と大出力の両立を目指したものである

もともとは、民間会社である中島飛行機が社内名称BA-11の名前で自主開発を計画したことから始まったが、後にそのアイデアが評価され、海軍航空技術廠(通称・空技廠)の全面的なバックアップによる官民合同プロジェクトとなった。

  • 1940(昭和15)年2月、構想開始
  • 1940(昭和15)年9月、設計完了
  • 1941(昭和16)年2月、部品試作完了
  • 1941(昭和16)年3月、エンジン組立完了
  • 1941(昭和16)年3月末、第1次運転および性能運転完了
  • 1941(昭和16)年6月、公式第一次審査終了
  • 1941(昭和16)年6月末、第一次耐久運転終了
  • 1941(昭和16)年8月、公式第二次審査終了
  • 1941(昭和16)年11月、第一回飛行実験開始
  • 1942(昭和17)年12月、大量生産本格化

完成した「誉」の高性能に注目した軍部は、当時開発中の主要軍用機への搭載を決定したが、戦時中の劣悪な生産環境ではその真価を発揮できずに故障が頻発し、搭載機の稼働率を下げるというまったく逆の結果となってしまった。

その高性能から「日本の航空技術が生んだ奇跡の名エンジン」という評価がある一方で、「国情を無視して技術の理想に走り、結果として役に立たなかった欠陥エンジン」という相反する評価がなされている。

戦後、「誉」を調査したアメリカ軍は、「遅すぎた名エンジン(Nice engine too late)」との評価を与えている。

技術[編集]

空冷2重星型14気筒エンジンの「栄」(陸軍呼称:ハ25)のボア(シリンダー直径)×ストローク(ピストンの移動距離)は130mm×150mmであり、「誉」は、この「栄」と同一のボア×ストロークで、一気筒あたり100hp、18気筒で合計1,800hpを目標として開発された。栄の1気筒当たりの出力は約80馬力であり、このままでは18気筒化しても約1500馬力にしかならない。このため、圧縮比は、「栄」では7.2であったのに対して、「誉」では、8.0と高められ、クランクシャフト回転数も2750RPMから3000RPMとなった。

星型エンジンの中央部にあるクランクケースは小型化と薄肉化を狙って、従来のアルミ鋳物ではなくクロームモリブデン鋼を鍛造して製作され、壁の厚さはわずか3mmしかなかった。この鍛造クランクケースも「誉」の開発に伴って、新たに実用化されたものである。

冷却方式は、強制空冷ファンなどは使わず、プロペラ気流を直接シリンダーに当てて冷却する一般的なものである。従来の2重星型エンジンでは、コンパクト化のために、前列と後列をなるべく近づけたレイアウトを採用しているが、ベースエンジンの「栄」のシリンダー間隔が150mmであるのに対して、「誉」では220mmと拡げられている。これは、前列と後列を離すことによって、冷却空気の流れを良くして、後列のシリンダーが冷却不足とならないように配慮しているためである。

なお、前列と後列のシリンダーは20度の位相差をもち、前列シリンダーの隙間に後列シリンダーを置くStaggerというレイアウトである

また、空気との接触面積を少しでも増やすため1枚1枚形状の異なる冷却フィン(厚さ1mm)を4mmピッチ間隔で、シリンダーヘッドとシリンダーにビッシリと植え込んでおり、その形状はさながら空冷フィンの極致とでも言うべきものであった。その後、生産性向上のため植え込み式フィンをやめて低圧押湯式鋳造法に改めたが、これも性能低下の一因となった。

このほかのピストンリング、バルブカム、弁ばね、発電機などの部品についても、負荷の増大に対応したサイズが確保できず、耐久不足で破損するといった問題が続発した。また、狭小なスペースに高圧配線を取り回したためにエンジンの発熱で配線が焼けるといった問題も発生し、整備兵は修理に忙殺されることになった。

コンパクト化と弊害[編集]

「誉」構想のポイントであるエンジン外径は、ベースとなった「栄」が115cmであるのに対して、「誉」はわずか3cm増しの118cmという極端にコンパクトなサイズにまとめられている。

一方、外径をコンパクト化したことによるしわ寄せは内部の部品に及び、エンジン出力は「栄」の2倍にもかかわらず、クランク軸径は+5mmにしか拡大できなかった。このため、クランク軸に掛かる荷重は30%も増大し、軸受の焼付きが問題となった。この対策として、クランク軸の変形に合わせて軸受の形状を微妙に変える、表面を研磨する、軸受材質を変更する、といった対策が行われたが、品質低下によって根本解決には至らなかった。

同時期の空冷星型18気筒エンジンと比較すると、誉の35.8Lはかなり小さい。これはエンジンの直径を小さくするために1気筒当たりの排気量を増やさなかったためである。星型エンジンではストロークを増やせばそれがエンジン直径の増加に結びつく。2000馬力級のプラット・アンド・ホイットニーR-2800-9の排気量は46Lであった。空冷星型14気筒で1600~2000馬力のBMW 801でも排気量は41.8Lであり、誉が小さな排気量から高出力を絞りだそうとしていたことがわかる。小さな排気量から高出力を出すには回転数を上げ過給圧を上げることになる。当時の空冷星型エンジンのリッター当たり出力の水準は40馬力/L台であり、50馬力/Lを狙った誉は極めて野心的なエンジンだったと言える。

ノッキング対策[編集]

高圧縮比化によるノッキング(異常燃焼)対策として、「誉」ではモーター・オクタン価100のハイオクタン・ガソリンの使用が必須であったが、戦時中の劣悪な燃料事情によって、87~91オクタン価のガソリンしか供給できず、「誉」不調の一因となった。

また、不調は燃料ではなく、潤滑油の品質に起因するという説もある。事実、当時の航空用エンジンでは、アメリカから自動車用潤滑油を輸入し、航空エンジンに使用していた。

「誉」には、ノッキング対策として、水とメタノールの混合液を吸気管内に噴射して吸気温度を下げる水メタノール噴射装置が当初から採用されていたが、噴射された水メタノールが9個のシリンダーに均一に分配されず、特定のシリンダーにデトネーション(自着火燃焼)が頻発することになった。デトネーションの頻発により点火プラグの焼損が発生、プラグの不調からさらにエンジンの不調になるという悪循環を招くことになった。

戦況の変化と品質低下[編集]

ソロモン海戦以降の大消耗戦では、より一層の大量生産が求められる一方、資源不足も深刻化しつつあった。このため、代用材料の使用や部品製作の簡略化が図られたものの、品質管理の概念がなかったため、粗悪品があふれ、生産現場の混乱を招いただけの結果に終わっている。

さらに、熟練作業者が徴兵されて、生産の主体が未熟練労働者になってしまったことも品質低下の一因となった。但し、元々無理な設計のエンジンというのは技術者の中では初期の頃から知られていた話であり、公称1800馬力であったが、あくまで試作機が試験台の上で出した値であり、量産機は先行量産機のような状態が良いものでも平均1300馬力程度しか発揮できなかったといわれる。従って次期艦上戦闘機烈風のエンジン選定の際に主任設計者であった堀越二郎が誉搭載に反対し続けたのも、この情報を知っていたからだと後年堀越自身が証言している[1]

こうした戦争末期の粗製濫造は、誉本来の性能を低下させただけでなく、搭載航空機の稼働率も著しく低下させる結果を招いた。一例をあげると、昭和20年7月、松山基地の偵察部隊では保有していた艦上偵察機彩雲16機のうち作戦可能機はわずか2機に過ぎず、1機は故障、残りの13機はすべて整備中であった。しかも13機のうち8機までがエンジンの調整に追われていた。

また、エンジンからのオイル漏れを修理するためパッキンを交換したものの、オイル漏れは解消せず、部隊にあった予備パッキンをすべて使い切ってしまった部隊もあった。それでもオイル漏れが止まらなかったため、整備兵がパッキンを検査したところ、すべて規格を外れていたという例さえあった。

内燃機関では、吸排気ポートの形状が性能に大きな影響を与えるが、誉のような高出力化を狙ったエンジンでは特に影響が顕著となる。ところが現実には増産を重視するあまり、鋳造時に型崩れを起こした部品がそのまま出荷されるケースさえ起きていた。

とはいえ、大戦末期の日本軍は多くの航空機に誉を搭載していたことから終戦まで生産が続けられ、良きにつけ悪しきにつけ、大戦末期の日本を象徴するような航空機エンジンと言っても過言ではない。

生産台数[編集]

  • 昭和18年(1943):約200基
  • 昭和19年(1944):5400基
  • 昭和20年(1945):3150基

主な搭載機[編集]

諸元[編集]

誉一一型(ハ45-11型)[編集]

  • タイプ:空冷星型複列18気筒(9シリンダ×2列)
  • ボア×ストローク:130mm×150mm
  • 排気量:35,800cc
  • 全長:1,690mm
  • 直径:1,180mm
  • 乾燥重量:830 kg
  • 水メタノール噴射装置付き
  • 過給機:遠心式スーパーチャージャー1段2速
  • 離昇馬力 1,800HP/2,900RPM/ +400mmHgブースト
  • 公称馬力 
    • 一速全開 1,650HP/2,900RPM/ +250mmHgブースト (高度2,000m)
    • 二速全開 1,460HP/2,900RPM/ +250mmHgブースト (高度5,700m)

誉二一型(ハ45-21型)[編集]

  • 離昇馬力 2,000HP/3,000RPM/ +500mmHgブースト(+550mm Hgブースト説あり)
  • 公称馬力 
    • 一速全開 1,900HP/3,000RPM/ +350mmHgブースト (高度2,000m)
    • 二速全開 1,700HP/3,000RPM/ +350mmHgブースト (高度6,000m)

注記[編集]

  1. 堀越二郎・奥宮正武『零戦 日本海軍航空小史』(朝日ソノラマ、1997年改訂新版) ISBN 4257790288 第4部 名機にも強敵続出 第3章 あとを継ぐもの 3 零戦の再来・烈風 p447~p448、またp460~p464

参考文献[編集]

社団法人日本機械学会『日本機械学會誌』第85巻 第759号 1982年2月 ISSN 0021-4728 p214~p220
  • 中川良一・水谷総太郎『中島飛行機エンジン史 若い技術者集団の活躍』(酣灯社、1987年増補新装版) ISBN 4873570115
  • 前間孝則『富嶽 米本土を爆撃せよ』上(講談社文庫、1995年) ISBN 4061859129
第三章 奇蹟のエンジン――「誉」 p191~p246
  • 前間孝則『マン・マシンの昭和伝説 航空機から自動車へ』上(講談社文庫、1996年) ISBN 4062631768
第二章 奇蹟のエンジン「誉」の運命、第三章 「誉」の限界 p95~p222
  • 前間孝則『悲劇の発動機「誉」 天才設計者中川良一の苦闘』(草思社、2007年) ISBN 9784794215130
  • 日本航空学術史編集委員会 編『日本航空学術史 1910-1945』(日本航空学術史編集委員会、1990年)
第4章 戦時中の航空機の整備取扱いの状況について(奥平祿郎)

関連項目[編集]