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− | ''' | + | '''金正日'''(キム・ジョンイル、[[1942年]][[2月16日]]-)は、[[朝鮮民主主義人民共和国]](北朝鮮)の[[政治家]]。[[朝鮮労働党]][[総書記]]、[[朝鮮民主主義人民共和国国防委員会]][[委員長]]、[[朝鮮人民軍]][[最高司令官]]。[[朝鮮民主主義人民共和国主席|国家主席]][[金日成]]の実子であり、金日成が死去して以降、北朝鮮の最高指導者でありつづけている。<!--事実上の[[独裁者]]とも言われている。)独裁者と断言されているかわからないと言われるかのどちらかでは?。-->[[称号]]は[[英雄称号|朝鮮民主主義人民共和国共和国英雄]](3回受称し、三重英雄と称される)<ref>[[1975年]][[2月24日]]・[[1977年]]2月・[[1982年]][[2月15日]]の3回。なお、1度目の授与は当初2月15日に予定されていたが、その時点では辞退している。</ref>。<!--1980年代以降、日本政府は呼称の相互主義に基づき、ハングル(チョソングル)の発音に準じ「キム・ジョンイル」と発音。日本マスコミ各社もそれに倣っている。--> |
== 来歴 == | == 来歴 == | ||
− | === | + | ===生い立ち === |
− | + | 出生がソ連であったため、幼いころは「ユーラ (フルネームはユーリ・イルセノビッチ・キム)」という名前を名乗った。「ユーラ」から「ジョンイル」に変わったのは朝鮮半島の解放後の[[ソビエト連邦軍]]政期とする説、[[1960年]]夏頃とする説がある<ref>金正日の学友の一人だった人物の証言によれば、金正日は南山高級中学校(高級中学校は日本の高等学校に相当)卒業直前の1960年7月に「最近“ジョンイル”の名前で公民証が発給されたので、今後は“ユーラ”でなく“ジョンイル”と呼んでほしい」と語ったといわれる(韓国・[[中央日報|中央日報社]]編『金正日・衝撃の実像』[[徳間書店]] 1994年9月 ISBN 9784198601614)。</ref>。[[1980年]]の第6回党大会にて金正日という表記が確認された。<!--また、「正日」は父である金日成、[[金正淑]]から一文字づつ取り、ほかの兄弟たちとの差別化を図ったと考えられている。ほかの兄弟はみな「日」ではなく「一」の字を使った。(←ノートを反映して、とりあえずコメントアウト-->また、「キムジョンイル」の名が公式文書に登場した当初、日本では“'''金正一'''”の字があてられていた<ref>日本のマスコミで金正日について始めて報道したのは、[[毎日新聞]]([[1974年]][[11月19日]]付)。金正日は「金正一」と表記されている。</ref>(当時、朝鮮人が父母の名から字を取ることは稀であり、[[人名#朝鮮人の名前|朝鮮の伝統的な命名ルール]]ではあり得ないこととされている)。 | |
+ | 金正日は金日成伝説にちなみ、[[白頭山]]で生まれたと公式には宣伝されている<ref>1982年2月15日、[[中央人民委員会]]より「白頭山密営にて誕生」という公式発表がおこなわれた(『労働新聞』1982年2月15日付『金正日同志に朝鮮民主主義人民共和国英雄称号を授与することについて』)。“白頭山密営”は革命の聖地とされ、1987年2月には密営の建物(丸太小屋)が建設された。北朝鮮では{{CURRENTYEAR}}年現在も、ここに“巡礼”することが全国民の義務とされている。</ref>が、実際にはソビエト連邦の[[極東]]地方の軍事教練キャンプで生まれている。正確な出生地については[[ハバロフスク]]近郊の[[ビャックエ]]にある北野営、[[ウラジオストク]]近郊の[[オケアンスカヤ]]にある南野営、[[ウラジオストク]]市内の病院といった諸説がある。早くに母・[[金正淑]]を失い、弟・[[金万一]]を事故で亡くした幼年期は内向的な性格だったが、中学時代から級長を務めるようになり、様々なイベントを主催するなど、指導者の息子としての意識を明確に持つようになっていったと言われている。 | ||
− | + | 南山高級中学校(現在の平壌第1高等中学校)卒業後、1960年[[9月1日]]に[[金日成総合大学]][[経済学部]][[政治経済学科]]に入学<ref>当時の北朝鮮では9月に入学・進学がおこなわれていた。</ref>。[[1964年]][[3月30日]]に[[卒業]]<ref>卒業論文は『社会主義建設における郡の位置と役割』(実際の作成者は大学の指導教授だった黄長燁)。</ref>。[[朝鮮労働党]]中央委員会に入り、文化芸術部や組織指導部で働く。北朝鮮独自の立場とされている[[主体思想]]の思想整備を担当した[[黄長ヨプ|黄長燁]]に師事していたこともある。 | |
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− | + | ===権力の掌握 === | |
+ | [[1974年]][[2月13日]]の朝鮮労働党中央委員会第5期第8回総会において、政治委員会委員(現:政治局政治委員)に選出され、翌[[2月14日]]には、金日成の後継者として「推戴」された<ref>既に[[1972年]][[12月22日]]の朝鮮労働党中央委員会第5期第6回総会において金正日を「唯一後継者」とする秘密決定がおこなわれている。</ref>。ただし対外的には発表されず、金正日は「党中央」としてのみ言及された<ref>金元祚『凍土の共和国』p344。「党中央」の表記が最初に登場したのは『[[労働新聞 (朝鮮労働党)|労働新聞]]』1974年2月14日付社説。</ref>。[[1980年]][[10月10日]]の朝鮮労働党中央委員会第6期第1回総会で党中央委員会書記に就任。 | ||
− | + | <!--[[Image:Kim Jong-il.jpg|thumb|left|金正日の公式肖像画]]--> | |
− | [[ | + | 後継者としての地位を確立する過程では、[[金日成]]と[[金聖愛]]との間にできた[[金平一]]との間に激しい権力闘争があったと言われている。同じ時期に金日成を称える[[プロパガンダ]]が高まっていったことから、父・金日成の[[カリスマ]]化と忠誠合戦を仕掛けることが権力闘争を勝ち抜く彼の方策だったと推測されている。金日成派の独裁化に貢献したと思われることも含め、党内闘争に熟達し、情報統制に長けていると推測されている。これは彼が若い頃に映画局に勤め、父・金日成をカリスマ化するプロパガンダに関係した経験が生かされたと見られることが多い。実際に、[[テレビ]]映像やイベント関係の視覚効果などは自ら現場で綿密にチェックすると言われている。自らの肉声をほとんど流さないことでも有名で、南北首脳会談以前の肉声は[[1992年]][[4月25日]]に行われた朝鮮人民軍創建60周年の軍事パレードで発した「英雄的朝鮮人民軍将兵諸君に栄光あれ!」というわずか5秒間の音声が唯一であった。 |
− | + | 権力の世襲に対する批判に対しては、金正日は金日成の息子だから後継者となったのではなく、もっとも優れた後継者がたまたま金日成の息子だった、というのが公式の回答である。 | |
− | [[ | + | 金日成以来、ソ連によって北朝鮮の政権中枢の役割を担わされた[[満州派]]([[パルチザン]]派)が[[朝鮮人民軍]]を権力基盤としてきた一方で、金正日は党官僚の代表や行政官僚の利益代弁者として振舞ったと思われる時期があった。そのため、[[金日成]]死亡の少し前から朝鮮人民軍を掌握しようと腐心していたことが公式プロパガンダおよび人事配置からうかがえる。一方で、外交官経験者を比較的重用し始めていることも人事配置からうかがえる。これはソビエト連邦における[[ゴルバチョフ]]期のソ連・東欧と似た現象である。朝鮮労働党大会は[[1980年]]の第6回大会以来招集していない。 |
− | === | + | ===国家元首として === |
− | + | [[2000年]]6月には[[太陽政策]]を取る[[大韓民国|韓国]]の[[金大中]][[大統領]]を平壌に迎え、[[南北首脳会談]]を行う。会談の結果、[[南北共同宣言]]が発表された。その直前に[[現代グループ]]が北朝鮮へ違法な送金を行ったことを黙認しており、会談はこの見返りだったと言われている。以後、民間レベルでの交流事業が本格化し、日本やアメリカも国交正常化交渉へ乗り出す情勢ができた。[[2000年]]に[[南北首脳会談]]を行ってから、[[2001年]]にかけ[[イタリア]]、[[イギリス]]、[[カナダ]]等西側諸国との[[国交]]を樹立し、徐々に開放政策へと舵を切り始めた。 | |
− | + | 翌2001年9月の[[アメリカ同時多発テロ事件]]を境に、2002年にはアメリカの[[ジョージ・H・W・ブッシュ|ブッシュ]]大統領が、北朝鮮、[[イラン]]、[[イラク]]の3ヶ国をテロ支援国家であるとし、「[[悪の枢軸]] (axis of evil)」と呼んで批判するなどの北朝鮮敵視政策が国際的緊張を生んだ。アメリカとの緊張関係は和らぐことなく、「[[先軍政治]]」を掲げ、要求が受け入れられないと交渉決裂や武力衝突を辞さない態度をちらつかせるいわゆる“瀬戸際外交”を展開している。 | |
− | + | 2002年9月17日、[[小泉純一郎]]首相との[[日朝首脳会談]]の席で金正日は日本人13人を拉致したことを認め、口頭で謝罪した。犯人については、「特殊機関の一部の盲動主義者らが、英雄主義に走ってかかる行為を行ってきたと考えている」とし、関係者はすべて処罰したと述べた。また、2国間の懸案の解決し、国交正常化へ努力することを記した「[[日朝平壌宣言]]」を発表した。 | |
− | [[ | + | |
− | + | 2003年、[[イラク戦争]]の最中には密かに[[北京]]を訪問していたという(「[[ストラトフォー|STRATFOR]]」報道、2003年4月11日付=共同通信配信)。 | |
− | + | [[2004年]][[9月1日]]に[[高英姫]]夫人の死亡が報道された。高英姫は[[在日朝鮮人の帰還事業|帰国事業]]で家族と共に北朝鮮に渡った[[在日韓国・朝鮮人|在日朝鮮人]]二世である。このため日本では、金正日との間の次男・[[金正哲]]が三代目後継者として浮上し、労働党創建60周年に合わせ後継者に内定されたとの観測が出た。このように日本と韓国のメディアは北朝鮮が世襲後継を慣習化するだろうと前提して後継者が誰なのかについてしばしば話題にしているが、実際には金正日が後継者となった経緯さえ不明であり、世襲は再度可能なのかどうか、不可能だとすればそれにあえて挑戦するかなど様々な憶測がある(「[[金日成#後継者|後継者]]」の節参照)。 | |
− | + | [[2006年]][[7月16日]]には北朝鮮の[[ミサイル]]発射をきっかけに<!--非難の対象はミサイルだけ?-->国連・安保理の全会一致で非難決議がなされた。また、2006年[[7月23日]]には女性秘書の[[金玉 (秘書)|金玉]]を事実上の夫人とし、一緒に生活している事を報じられた。 | |
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− | [[2006年]][[7月16日]] | + | |
[[2006年]]には、 アメリカの『[[タイム (雑誌)|TIME]]』誌に「2006年の主要人物26人」の1人に選ばれ、「金総書記は7月4日にミサイルを連射、米ホワイトハウスで開かれた[[ジョージ・ウォーカー・ブッシュ|ブッシュ]]大統領の独立記念日パーティーをメチャクチャにし、10月には世界で最も排他的かつ危険な核クラブの首長になった」と紹介された。 | [[2006年]]には、 アメリカの『[[タイム (雑誌)|TIME]]』誌に「2006年の主要人物26人」の1人に選ばれ、「金総書記は7月4日にミサイルを連射、米ホワイトハウスで開かれた[[ジョージ・ウォーカー・ブッシュ|ブッシュ]]大統領の独立記念日パーティーをメチャクチャにし、10月には世界で最も排他的かつ危険な核クラブの首長になった」と紹介された。 | ||
− | [[ | + | ==人物像== |
+ | 国営の[[朝鮮中央放送]]で使われる金正日の呼び名は100以上あると言われ、北朝鮮国内の[[メディア_(媒体)|メディア]]では、「百戦百勝の鋼鉄の霊将」などと賛美されるが、実際には実戦で指揮を執った経験はない{{要出典}}<!--「百戦百勝の鋼鉄の霊将」という敬称は金日成に対して使われるものでは-->。この称号は[[金日成]]を賛美する決まり文句が儀礼化したまま流用されたものと言われている。国民からは「将軍様」と呼ばれ、国内のあらゆる所にその肖像画が掛けられている。代表的な呼び名として「親愛なる指導者、金正日同志」があるが、二言目からは「金正日同志」「金正日総書記」と略される。また、朝鮮人民軍内部では「最高司令官同志」ともよばれる。その他、かつて使用されたものに「[[党中央]]」がある。[[党中央]]の語は一般的に党中央委員会のことと解釈される語であったため、[[党中央]]の語が金正日個人を指すと判明するまでに長い時間がかかった。また、北朝鮮の公式文献においても[[党中央]]の語が機関を指す語から次第に個人を指す語としての様相をみせるまで長い時間がかかっている。 | ||
− | + | 現在の肩書は、国家においては共和国国防委員会委員長、共和国元帥、朝鮮人民軍最高司令官、党においては朝鮮労働党総書記、朝鮮労働党政治局常務委員、朝鮮労働党中央軍事委員、朝鮮労働党中央委員、朝鮮労働党政治局員である。権力を一手に集めている。 | |
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− | [[ | + | [[スラックス]]と[[ジャンパー (衣服)|ジャンパー]]を愛用している。[[シークレットブーツ]]を履くという説もある。外国の[[元首]]と会談する際は中華人民共和国の[[人民服]]に似た服を着用することもある。肖像画には軍服を着用している姿もあるが、実際に軍服姿で公の場に出たことはないようである。金日成は[[スーツ]]を着用することが多かったが、金正日がスーツを着用することはまずない。日本の政治家・[[小泉純一郎]]とは同年生である。 |
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− | + | [[テロリズム|テロ]]を恐れているためか、父・金日成と同様、[[飛行機]]嫌いであり、[[鉄道]]で繋がっている中華人民共和国や[[ロシア]]などの外国を訪問する時は専用の[[装甲列車]]<ref>列車はすべて爆弾に耐えられる仕様になっているという説もあるが、実際は金正日が搭乗する客車の床にだけ防弾鉄板が敷かれているとも言われる。『[[朝鮮日報]]』[http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/03/30/20050330000082.html 【金正日研究】鉄道好む金総書記 飛行機利用は65年のみ]</ref>を使う(1965年、父金日成に随行した[[インドネシア]]訪問時では飛行機の利用が確認されている)。 | |
− | [[ | + | [[在日本朝鮮人総連合会|朝鮮総連]]の[[ウェブサイト]]には「名言録」や「逸話集」などを掲載した金正日総書記特集があり、そのなかでは金正日を偉人と呼んでいる。 |
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− | + | 統一教会([[世界基督教統一神霊協会]])の[[文鮮明]]と関係があるとされる。[[1992年]]に統一教会教祖の文鮮明と会談し、35億ドル(約4400億円)もの援助を約束され、経済協力の関係を築いた。[[1994年]]7月に父金日成が死去した直後には、文鮮明の側近の[[朴普煕]]と会談した。統一教会の幹部、[[朴相権]]が社長を務める韓国の「[[平和自動車]]」との合弁会社「平和自動車総会社」を設立して自国の南浦(ナンポ)工業団地で自動車生産を行なったり、国営の「[[普通江ホテル]]」の経営を統一教会関係者に行なわせている。[[2002年]]には、文鮮明の80歳を祝って、韓国の要人に対しては極めて異例と言える祝賀メッセージとプレゼントを送った。このような北朝鮮とのパイプを作った統一教会は系列の「[[ワシントンタイムズ]]」社の[[朱東文]](チュ・ドン厶ン)社長が[[2006年]]に訪米した[[山崎拓]]と面会し、翌[[2007年]]1月10日の山崎の訪朝のルートを用意したとも言われている。しかし、近年、北朝鮮当局は統一教会の幹部を[[スパイ]]容疑で逮捕してからは監視対象にしていると言われる<ref>有田芳生の『酔醒漫録』[http://saeaki.blog.ocn.ne.jp/arita/2007/01/110_b856.html 山崎拓訪朝は統一教会ルートだった]</ref>。 | |
− | + | 元専属料理人の[[藤本健二]]や脱北者から伝わってくる贅沢な生活ぶりと体型の変化から、[[成人病]]説や健康悪化説がメディアで流れることがある。実際、ドイツの医療チームに心臓の手術を受けたという情報や<ref>[http://www.chosunonline.com/article/20070705000004 金総書記、髪が抜けウエストほっそり] Chosun online 2007年7月5日</ref>、心臓の他、[[糖尿病]]、[[肝臓病]]、糖尿合併症による[[腎臓病]]も患っており<ref>[http://www.chosunonline.com/article/20060207000028 金正日総書記、糖尿病・腎不全か] Chosun online 2006年2月7日</ref>、短い時間でも立つのが困難という<ref name="jeonsiku">『朝鮮半島最後の陰謀』 李鍾植, [[幻冬舎]] ISBN 978-4344013230</ref>。 | |
− | + | ===趣味=== | |
− | + | [[インターネット]]に熱心である。一日数時間、情報収集などに利用している。[[パーソナルコンピュータ|パソコン]]に関しては[[Macintosh|Mac]]ユーザーであるとも言われている。{{要出典}} | |
− | + | また、[[平壌]]中心の高台に「国家映画文献庫」<ref>「国家映画文献庫」については外部リンク[http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/04/07/20050407000031.html 朝鮮日報Web日本語版2005年4月7日]を参照。</ref>という[[映画]]の文献庫を(事実上個人で)持ち、およそ2万巻のビデオテープを所有すると言われるほどの映画[[マニア]]。日本や欧米の映画などを多数鑑賞していると言われている。映画論についての自筆の著書もある。[[日本映画]]では『[[ゴジラ]]』の他、『[[男はつらいよ]]』のファンで、[[1985年]]には[[東宝]]の[[特撮]]スタッフを招いて『[[プルガサリ]]』という怪獣映画をプロデュースしたこともある。また、北朝鮮の映画産業のために韓国の映画監督・[[申相玉]]とその妻の[[女優]]を招き、上記・『プルガサリ』の制作に参加させたこともある。二人は後に再[[亡命]]した。 | |
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− | === 趣味 === | + | |
− | [[インターネット]]に熱心である。一日数時間、情報収集などに利用している。[[パーソナルコンピュータ|パソコン]]に関しては[[Macintosh|Mac]]ユーザーであるとも言われている。 | + | |
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− | また、[[平壌]]中心の高台に「国家映画文献庫」<ref>「国家映画文献庫」については外部リンク[http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/04/07/20050407000031.html | + | |
スポーツは[[バスケットボール]]を好む。[[ダンス|舞踏]]鑑賞も多くの趣味のひとつ。[[WUSA]]のファンで、[[マデレーン・オルブライト]]からサッカーボールを贈与されたことがある。 | スポーツは[[バスケットボール]]を好む。[[ダンス|舞踏]]鑑賞も多くの趣味のひとつ。[[WUSA]]のファンで、[[マデレーン・オルブライト]]からサッカーボールを贈与されたことがある。 | ||
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愛車は[[メルセデス・ベンツ Sクラス]]であったが、2006年に[[フォルクスワーゲン・フェートン]]を所有した模様。なお、[[2000年代]]の初め頃まではアメリカ製の[[リンカーン (自動車)|リンカーン]]・タウンカーを20年以上公用車として使用していた。オートバイは[[ハーレーダビッドソン]]を所有。 | 愛車は[[メルセデス・ベンツ Sクラス]]であったが、2006年に[[フォルクスワーゲン・フェートン]]を所有した模様。なお、[[2000年代]]の初め頃まではアメリカ製の[[リンカーン (自動車)|リンカーン]]・タウンカーを20年以上公用車として使用していた。オートバイは[[ハーレーダビッドソン]]を所有。 | ||
− | + | 北朝鮮メディアによれば、[[2006年]]には初めて[[ゴルフ]]を行い、18ホール中11ホールで[[ホールインワン]]を達成したという。他には高質の布を織ったり、オペラ曲を6曲作ったりしたことが報じられた。 | |
− | [[食通|グルメ]]であり、[[フカヒレ]]料理や、日本食では[[寿司]]や[[すき焼き]] | + | [[食通|グルメ]]であり、[[フカヒレ]]料理や、日本食では[[寿司]]や[[すき焼き]]なども好物である。日本人[[藤本健二]]を専属料理人として雇っていたこともある。食材は日本など外国から高級なものを取り寄せることも多いが、[[2006年]]10月15日に[[国際連合|国連]] で決定された北朝鮮への経済制裁にある贅沢品禁輸措置により入手の困難化が推測される。アメリカ合衆国は金正日の趣味の対象とされる[[iPod]]、[[プラズマテレビ]]、[[高級車]]、[[キックボード]]、高級ワインなどの輸出を禁止した。 |
− | かつては[[喫煙|ヘビースモーカー]]で、特に[[イギリス]]の[[ロスマンズ]] | + | かつては[[喫煙|ヘビースモーカー]]で、特に[[イギリス]]の[[ロスマンズ]]を愛飲していたが、現在は禁煙しているらしい。禁煙を達成するのに20年かかった。金正日の禁煙達成後、北朝鮮国内で禁煙ブームが起きた<ref>[http://www.chosunonline.com/article/20070206000036 【萬物相】金正日総書記の「21世紀3大バカ」論]</ref>。 |
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== 日本で出版されている主な著作 == | == 日本で出版されている主な著作 == | ||
− | * 『人間の証し』([[角川書店]]([[同朋舎]])、[[2000年]][[10月]]発行) - ISBN 4810426505 | + | *『人間の証し』([[角川書店]]([[同朋舎]])、[[2000年]][[10月]]発行) - ISBN 4810426505 |
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− | == 関連項目 == | + | ==関連項目== |
− | + | * [[朝鮮民主主義人民共和国]] | |
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* [[大韓民国]] | * [[大韓民国]] | ||
* [[共産主義]] | * [[共産主義]] | ||
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* [[金正哲]](金正日の次男) | * [[金正哲]](金正日の次男) | ||
* [[金正雲]](金正日の三男) | * [[金正雲]](金正日の三男) | ||
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* [[金敬姫]](金正日の妹) | * [[金敬姫]](金正日の妹) | ||
* [[張成沢]](金正日の側近) | * [[張成沢]](金正日の側近) | ||
* [[金平一]](金正日の異母弟) | * [[金平一]](金正日の異母弟) | ||
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* [[藤本健二]](金正日の元・専属料理人) | * [[藤本健二]](金正日の元・専属料理人) | ||
* [[普天堡電子楽団]](金正日からの指令で結成された音楽グループ) | * [[普天堡電子楽団]](金正日からの指令で結成された音楽グループ) | ||
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* [[プリンセス・テンコー]](金正日が彼女の大ファン) | * [[プリンセス・テンコー]](金正日が彼女の大ファン) | ||
* [[金正日花]](金正日のために日本の農家が品種改良して作った花) | * [[金正日花]](金正日のために日本の農家が品種改良して作った花) | ||
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+ | == 参考文献 == | ||
+ | * [[李珍珪]]『二十一世紀と金正日書記』1995 [[朝鮮青年社]] | ||
+ | * [[尾上健一]]『金正日主義入門』1995 [[白峰社]] ISBN 4938859033 | ||
+ | * 朝鮮・金正日伝編纂委員会『金正日伝 (第1巻)』2004 白峰社 ISBN 4434041657 | ||
+ | * 朝鮮・金正日伝編纂委員会『金正日伝 (第2巻)』2005 白峰社 ISBN 4434060910 | ||
+ | * [[在日本朝鮮人総連合会|在日本朝鮮人総聯合会]]中央常任委員会『金正日略伝』1995 [[雄山閣|雄山閣出版]] ISBN 4639012764 | ||
+ | * [[朝鮮新報社]]朝鮮問題担当班『キム・ジョンイルプラン―21世紀をリードするリーダーの戦略』1997 朝鮮青年社 ISBN 4885220475 | ||
+ | |||
+ | === 関連書籍 === | ||
+ | *『お笑い北朝鮮―金日成・金正日親子長期政権の解明』([[伊藤輝夫]]、[[コスモの本]]、 [[1993年]]9月、 ISBN 4906380506) | ||
+ | *『新お笑い北朝鮮』([[テリー伊藤]]、[[ダイヤモンド社]]、 [[2004年]][[4月1日]]、 ISBN 4478942056) | ||
+ | *『金正日の後継者は在日の息子―日本のメディアが報じない北朝鮮「高度成長」論』([[河信基]] [[講談社]] 2004年12月) | ||
== 外部リンク == | == 外部リンク == | ||
{{Commonscat|Kim Jong Il}} | {{Commonscat|Kim Jong Il}} | ||
− | * [http://www.chongryon.com/ 在日本朝鮮人総聯合会] | + | *[http://www.chongryon.com/ 在日本朝鮮人総聯合会]>[http://www.chongryon.com/japan/kim/kim.htm 朝鮮労働党金正日総書記] |
− | * [http://dprk-cn.com/history/jong-il/biography 「金正日略伝」] | + | *[http://dprk-cn.com/history/jong-il/biography 「金正日略伝」] 朝鮮外国文出版社2001年中国語版 |
− | * [http://dprk-cn.com/history/jong-il | + | *[http://dprk-cn.com/history/jong-il 「逸話集 偉大な人間金正日」] 朝鮮外国文出版社中国語版 |
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+ | {{先代次代|北朝鮮の指導者|1994-|[[金日成]]|-}} | ||
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− | [[Category: | + | [[Category:北朝鮮の政治家]] |
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2010年1月15日 (金) 12:09時点における版
金正日(キム・ジョンイル、1942年2月16日-)は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の政治家。朝鮮労働党総書記、朝鮮民主主義人民共和国国防委員会委員長、朝鮮人民軍最高司令官。国家主席金日成の実子であり、金日成が死去して以降、北朝鮮の最高指導者でありつづけている。称号は朝鮮民主主義人民共和国共和国英雄(3回受称し、三重英雄と称される)[1]。
目次
来歴
生い立ち
出生がソ連であったため、幼いころは「ユーラ (フルネームはユーリ・イルセノビッチ・キム)」という名前を名乗った。「ユーラ」から「ジョンイル」に変わったのは朝鮮半島の解放後のソビエト連邦軍政期とする説、1960年夏頃とする説がある[2]。1980年の第6回党大会にて金正日という表記が確認された。また、「キムジョンイル」の名が公式文書に登場した当初、日本では“金正一”の字があてられていた[3](当時、朝鮮人が父母の名から字を取ることは稀であり、朝鮮の伝統的な命名ルールではあり得ないこととされている)。 金正日は金日成伝説にちなみ、白頭山で生まれたと公式には宣伝されている[4]が、実際にはソビエト連邦の極東地方の軍事教練キャンプで生まれている。正確な出生地についてはハバロフスク近郊のビャックエにある北野営、ウラジオストク近郊のオケアンスカヤにある南野営、ウラジオストク市内の病院といった諸説がある。早くに母・金正淑を失い、弟・金万一を事故で亡くした幼年期は内向的な性格だったが、中学時代から級長を務めるようになり、様々なイベントを主催するなど、指導者の息子としての意識を明確に持つようになっていったと言われている。
南山高級中学校(現在の平壌第1高等中学校)卒業後、1960年9月1日に金日成総合大学経済学部政治経済学科に入学[5]。1964年3月30日に卒業[6]。朝鮮労働党中央委員会に入り、文化芸術部や組織指導部で働く。北朝鮮独自の立場とされている主体思想の思想整備を担当した黄長燁に師事していたこともある。
権力の掌握
1974年2月13日の朝鮮労働党中央委員会第5期第8回総会において、政治委員会委員(現:政治局政治委員)に選出され、翌2月14日には、金日成の後継者として「推戴」された[7]。ただし対外的には発表されず、金正日は「党中央」としてのみ言及された[8]。1980年10月10日の朝鮮労働党中央委員会第6期第1回総会で党中央委員会書記に就任。
後継者としての地位を確立する過程では、金日成と金聖愛との間にできた金平一との間に激しい権力闘争があったと言われている。同じ時期に金日成を称えるプロパガンダが高まっていったことから、父・金日成のカリスマ化と忠誠合戦を仕掛けることが権力闘争を勝ち抜く彼の方策だったと推測されている。金日成派の独裁化に貢献したと思われることも含め、党内闘争に熟達し、情報統制に長けていると推測されている。これは彼が若い頃に映画局に勤め、父・金日成をカリスマ化するプロパガンダに関係した経験が生かされたと見られることが多い。実際に、テレビ映像やイベント関係の視覚効果などは自ら現場で綿密にチェックすると言われている。自らの肉声をほとんど流さないことでも有名で、南北首脳会談以前の肉声は1992年4月25日に行われた朝鮮人民軍創建60周年の軍事パレードで発した「英雄的朝鮮人民軍将兵諸君に栄光あれ!」というわずか5秒間の音声が唯一であった。
権力の世襲に対する批判に対しては、金正日は金日成の息子だから後継者となったのではなく、もっとも優れた後継者がたまたま金日成の息子だった、というのが公式の回答である。
金日成以来、ソ連によって北朝鮮の政権中枢の役割を担わされた満州派(パルチザン派)が朝鮮人民軍を権力基盤としてきた一方で、金正日は党官僚の代表や行政官僚の利益代弁者として振舞ったと思われる時期があった。そのため、金日成死亡の少し前から朝鮮人民軍を掌握しようと腐心していたことが公式プロパガンダおよび人事配置からうかがえる。一方で、外交官経験者を比較的重用し始めていることも人事配置からうかがえる。これはソビエト連邦におけるゴルバチョフ期のソ連・東欧と似た現象である。朝鮮労働党大会は1980年の第6回大会以来招集していない。
国家元首として
2000年6月には太陽政策を取る韓国の金大中大統領を平壌に迎え、南北首脳会談を行う。会談の結果、南北共同宣言が発表された。その直前に現代グループが北朝鮮へ違法な送金を行ったことを黙認しており、会談はこの見返りだったと言われている。以後、民間レベルでの交流事業が本格化し、日本やアメリカも国交正常化交渉へ乗り出す情勢ができた。2000年に南北首脳会談を行ってから、2001年にかけイタリア、イギリス、カナダ等西側諸国との国交を樹立し、徐々に開放政策へと舵を切り始めた。
翌2001年9月のアメリカ同時多発テロ事件を境に、2002年にはアメリカのブッシュ大統領が、北朝鮮、イラン、イラクの3ヶ国をテロ支援国家であるとし、「悪の枢軸 (axis of evil)」と呼んで批判するなどの北朝鮮敵視政策が国際的緊張を生んだ。アメリカとの緊張関係は和らぐことなく、「先軍政治」を掲げ、要求が受け入れられないと交渉決裂や武力衝突を辞さない態度をちらつかせるいわゆる“瀬戸際外交”を展開している。
2002年9月17日、小泉純一郎首相との日朝首脳会談の席で金正日は日本人13人を拉致したことを認め、口頭で謝罪した。犯人については、「特殊機関の一部の盲動主義者らが、英雄主義に走ってかかる行為を行ってきたと考えている」とし、関係者はすべて処罰したと述べた。また、2国間の懸案の解決し、国交正常化へ努力することを記した「日朝平壌宣言」を発表した。
2003年、イラク戦争の最中には密かに北京を訪問していたという(「STRATFOR」報道、2003年4月11日付=共同通信配信)。
2004年9月1日に高英姫夫人の死亡が報道された。高英姫は帰国事業で家族と共に北朝鮮に渡った在日朝鮮人二世である。このため日本では、金正日との間の次男・金正哲が三代目後継者として浮上し、労働党創建60周年に合わせ後継者に内定されたとの観測が出た。このように日本と韓国のメディアは北朝鮮が世襲後継を慣習化するだろうと前提して後継者が誰なのかについてしばしば話題にしているが、実際には金正日が後継者となった経緯さえ不明であり、世襲は再度可能なのかどうか、不可能だとすればそれにあえて挑戦するかなど様々な憶測がある(「後継者」の節参照)。
2006年7月16日には北朝鮮のミサイル発射をきっかけに国連・安保理の全会一致で非難決議がなされた。また、2006年7月23日には女性秘書の金玉を事実上の夫人とし、一緒に生活している事を報じられた。
2006年には、 アメリカの『TIME』誌に「2006年の主要人物26人」の1人に選ばれ、「金総書記は7月4日にミサイルを連射、米ホワイトハウスで開かれたブッシュ大統領の独立記念日パーティーをメチャクチャにし、10月には世界で最も排他的かつ危険な核クラブの首長になった」と紹介された。
人物像
国営の朝鮮中央放送で使われる金正日の呼び名は100以上あると言われ、北朝鮮国内のメディアでは、「百戦百勝の鋼鉄の霊将」などと賛美されるが、実際には実戦で指揮を執った経験はない要出典。この称号は金日成を賛美する決まり文句が儀礼化したまま流用されたものと言われている。国民からは「将軍様」と呼ばれ、国内のあらゆる所にその肖像画が掛けられている。代表的な呼び名として「親愛なる指導者、金正日同志」があるが、二言目からは「金正日同志」「金正日総書記」と略される。また、朝鮮人民軍内部では「最高司令官同志」ともよばれる。その他、かつて使用されたものに「党中央」がある。党中央の語は一般的に党中央委員会のことと解釈される語であったため、党中央の語が金正日個人を指すと判明するまでに長い時間がかかった。また、北朝鮮の公式文献においても党中央の語が機関を指す語から次第に個人を指す語としての様相をみせるまで長い時間がかかっている。
現在の肩書は、国家においては共和国国防委員会委員長、共和国元帥、朝鮮人民軍最高司令官、党においては朝鮮労働党総書記、朝鮮労働党政治局常務委員、朝鮮労働党中央軍事委員、朝鮮労働党中央委員、朝鮮労働党政治局員である。権力を一手に集めている。
スラックスとジャンパーを愛用している。シークレットブーツを履くという説もある。外国の元首と会談する際は中華人民共和国の人民服に似た服を着用することもある。肖像画には軍服を着用している姿もあるが、実際に軍服姿で公の場に出たことはないようである。金日成はスーツを着用することが多かったが、金正日がスーツを着用することはまずない。日本の政治家・小泉純一郎とは同年生である。
テロを恐れているためか、父・金日成と同様、飛行機嫌いであり、鉄道で繋がっている中華人民共和国やロシアなどの外国を訪問する時は専用の装甲列車[9]を使う(1965年、父金日成に随行したインドネシア訪問時では飛行機の利用が確認されている)。
朝鮮総連のウェブサイトには「名言録」や「逸話集」などを掲載した金正日総書記特集があり、そのなかでは金正日を偉人と呼んでいる。
統一教会(世界基督教統一神霊協会)の文鮮明と関係があるとされる。1992年に統一教会教祖の文鮮明と会談し、35億ドル(約4400億円)もの援助を約束され、経済協力の関係を築いた。1994年7月に父金日成が死去した直後には、文鮮明の側近の朴普煕と会談した。統一教会の幹部、朴相権が社長を務める韓国の「平和自動車」との合弁会社「平和自動車総会社」を設立して自国の南浦(ナンポ)工業団地で自動車生産を行なったり、国営の「普通江ホテル」の経営を統一教会関係者に行なわせている。2002年には、文鮮明の80歳を祝って、韓国の要人に対しては極めて異例と言える祝賀メッセージとプレゼントを送った。このような北朝鮮とのパイプを作った統一教会は系列の「ワシントンタイムズ」社の朱東文(チュ・ドン厶ン)社長が2006年に訪米した山崎拓と面会し、翌2007年1月10日の山崎の訪朝のルートを用意したとも言われている。しかし、近年、北朝鮮当局は統一教会の幹部をスパイ容疑で逮捕してからは監視対象にしていると言われる[10]。
元専属料理人の藤本健二や脱北者から伝わってくる贅沢な生活ぶりと体型の変化から、成人病説や健康悪化説がメディアで流れることがある。実際、ドイツの医療チームに心臓の手術を受けたという情報や[11]、心臓の他、糖尿病、肝臓病、糖尿合併症による腎臓病も患っており[12]、短い時間でも立つのが困難という[13]。
趣味
インターネットに熱心である。一日数時間、情報収集などに利用している。パソコンに関してはMacユーザーであるとも言われている。要出典 また、平壌中心の高台に「国家映画文献庫」[14]という映画の文献庫を(事実上個人で)持ち、およそ2万巻のビデオテープを所有すると言われるほどの映画マニア。日本や欧米の映画などを多数鑑賞していると言われている。映画論についての自筆の著書もある。日本映画では『ゴジラ』の他、『男はつらいよ』のファンで、1985年には東宝の特撮スタッフを招いて『プルガサリ』という怪獣映画をプロデュースしたこともある。また、北朝鮮の映画産業のために韓国の映画監督・申相玉とその妻の女優を招き、上記・『プルガサリ』の制作に参加させたこともある。二人は後に再亡命した。
スポーツはバスケットボールを好む。舞踏鑑賞も多くの趣味のひとつ。WUSAのファンで、マデレーン・オルブライトからサッカーボールを贈与されたことがある。
愛車はメルセデス・ベンツ Sクラスであったが、2006年にフォルクスワーゲン・フェートンを所有した模様。なお、2000年代の初め頃まではアメリカ製のリンカーン・タウンカーを20年以上公用車として使用していた。オートバイはハーレーダビッドソンを所有。
北朝鮮メディアによれば、2006年には初めてゴルフを行い、18ホール中11ホールでホールインワンを達成したという。他には高質の布を織ったり、オペラ曲を6曲作ったりしたことが報じられた。
グルメであり、フカヒレ料理や、日本食では寿司やすき焼きなども好物である。日本人藤本健二を専属料理人として雇っていたこともある。食材は日本など外国から高級なものを取り寄せることも多いが、2006年10月15日に国連 で決定された北朝鮮への経済制裁にある贅沢品禁輸措置により入手の困難化が推測される。アメリカ合衆国は金正日の趣味の対象とされるiPod、プラズマテレビ、高級車、キックボード、高級ワインなどの輸出を禁止した。
かつてはヘビースモーカーで、特にイギリスのロスマンズを愛飲していたが、現在は禁煙しているらしい。禁煙を達成するのに20年かかった。金正日の禁煙達成後、北朝鮮国内で禁煙ブームが起きた[15]。
日本で出版されている主な著作
- 『人間の証し』(角川書店(同朋舎)、2000年10月発行) - ISBN 4810426505
脚注
- ↑ 1975年2月24日・1977年2月・1982年2月15日の3回。なお、1度目の授与は当初2月15日に予定されていたが、その時点では辞退している。
- ↑ 金正日の学友の一人だった人物の証言によれば、金正日は南山高級中学校(高級中学校は日本の高等学校に相当)卒業直前の1960年7月に「最近“ジョンイル”の名前で公民証が発給されたので、今後は“ユーラ”でなく“ジョンイル”と呼んでほしい」と語ったといわれる(韓国・中央日報社編『金正日・衝撃の実像』徳間書店 1994年9月 ISBN 9784198601614)。
- ↑ 日本のマスコミで金正日について始めて報道したのは、毎日新聞(1974年11月19日付)。金正日は「金正一」と表記されている。
- ↑ 1982年2月15日、中央人民委員会より「白頭山密営にて誕生」という公式発表がおこなわれた(『労働新聞』1982年2月15日付『金正日同志に朝鮮民主主義人民共和国英雄称号を授与することについて』)。“白頭山密営”は革命の聖地とされ、1987年2月には密営の建物(丸太小屋)が建設された。北朝鮮では2024年現在も、ここに“巡礼”することが全国民の義務とされている。
- ↑ 当時の北朝鮮では9月に入学・進学がおこなわれていた。
- ↑ 卒業論文は『社会主義建設における郡の位置と役割』(実際の作成者は大学の指導教授だった黄長燁)。
- ↑ 既に1972年12月22日の朝鮮労働党中央委員会第5期第6回総会において金正日を「唯一後継者」とする秘密決定がおこなわれている。
- ↑ 金元祚『凍土の共和国』p344。「党中央」の表記が最初に登場したのは『労働新聞』1974年2月14日付社説。
- ↑ 列車はすべて爆弾に耐えられる仕様になっているという説もあるが、実際は金正日が搭乗する客車の床にだけ防弾鉄板が敷かれているとも言われる。『朝鮮日報』【金正日研究】鉄道好む金総書記 飛行機利用は65年のみ
- ↑ 有田芳生の『酔醒漫録』山崎拓訪朝は統一教会ルートだった
- ↑ 金総書記、髪が抜けウエストほっそり Chosun online 2007年7月5日
- ↑ 金正日総書記、糖尿病・腎不全か Chosun online 2006年2月7日
- ↑ 『朝鮮半島最後の陰謀』 李鍾植, 幻冬舎 ISBN 978-4344013230
- ↑ 「国家映画文献庫」については外部リンク朝鮮日報Web日本語版2005年4月7日を参照。
- ↑ 【萬物相】金正日総書記の「21世紀3大バカ」論
関連項目
- 朝鮮民主主義人民共和国
- 大韓民国
- 共産主義
- 独裁者
- 個人崇拝
- 金日成(金正日の父)
- 金正男(金正日の長男)
- 金正哲(金正日の次男)
- 金正雲(金正日の三男)
- 金敬姫(金正日の妹)
- 張成沢(金正日の側近)
- 金平一(金正日の異母弟)
- 藤本健二(金正日の元・専属料理人)
- 普天堡電子楽団(金正日からの指令で結成された音楽グループ)
- 喜び組
- 映画『プルガサリ』
- 日本人拉致事件
- 大韓航空機爆破事件
- プリンセス・テンコー(金正日が彼女の大ファン)
- 金正日花(金正日のために日本の農家が品種改良して作った花)
参考文献
- 李珍珪『二十一世紀と金正日書記』1995 朝鮮青年社
- 尾上健一『金正日主義入門』1995 白峰社 ISBN 4938859033
- 朝鮮・金正日伝編纂委員会『金正日伝 (第1巻)』2004 白峰社 ISBN 4434041657
- 朝鮮・金正日伝編纂委員会『金正日伝 (第2巻)』2005 白峰社 ISBN 4434060910
- 在日本朝鮮人総聯合会中央常任委員会『金正日略伝』1995 雄山閣出版 ISBN 4639012764
- 朝鮮新報社朝鮮問題担当班『キム・ジョンイルプラン―21世紀をリードするリーダーの戦略』1997 朝鮮青年社 ISBN 4885220475
関連書籍
- 『お笑い北朝鮮―金日成・金正日親子長期政権の解明』(伊藤輝夫、コスモの本、 1993年9月、 ISBN 4906380506)
- 『新お笑い北朝鮮』(テリー伊藤、ダイヤモンド社、 2004年4月1日、 ISBN 4478942056)
- 『金正日の後継者は在日の息子―日本のメディアが報じない北朝鮮「高度成長」論』(河信基 講談社 2004年12月)
外部リンク
- 在日本朝鮮人総聯合会>朝鮮労働党金正日総書記
- 「金正日略伝」 朝鮮外国文出版社2001年中国語版
- 「逸話集 偉大な人間金正日」 朝鮮外国文出版社中国語版
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