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'''軽便鉄道'''(けいべんてつどう)とは、その国・地域を代表する[[鉄道]]の規格よりも低い水準の規格で建設された鉄道を指す用語である。
  
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== 概要 ==
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軽便鉄道には、建設費や維持費が抑えられるという長所があるが、線路幅が違う場合は積み替え・乗り換えの不便が生じ、線路幅が同じでも最高速度・輸送力が低く、過大な要求には応えることができないが、大きな資本を集める必要がないため、産業の未成熟な地方において限定的な発展を遂げた事例が多い。
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[[日本]]において軽便鉄道とは、狭義には「[[軽便鉄道法]]」に基づいて建設された鉄道のみを指し、広義には[[森林鉄道]]・[[殖民軌道]]・[[鉱山鉄道]]など、鉄道法規の規定によらない低規格の鉄道も含める。通常は1067mm(3フィート6インチ)未満の狭い[[軌間|線路幅(軌間)]]で敷設されたものを指す。
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軌間は日本の場合は762mm(2フィート6インチ)の場合が多いが、軽便鉄道法では軌間の制限がなかったため、軽便鉄道扱いで建設されたが国鉄並みの1067mmの路線や1435mm(4フィート8 1/2インチ)標準軌の路線も存在した。日本では1067mm軌間の路線は社会通念上の「軽便鉄道」に含まれない場合が多い。軌間にはこのほか、<!--ミニマムさの極限である--><!--ミニマムという意味では508mm軌間も存在したので。-->ポール・アルマン・ドコービル([[:en:Decauville|Paul Decauville]])の可搬式軌道システムに由来し、[[大日本帝国陸軍|陸軍]][[鉄道連隊]]でも採用された600mm(1フィート11 1/2インチ)~610mm(2フィート)、北九州地方で1930年代まで盛んに使われた914mm(3フィート)の例があり、それ以外の軌間も僅少ながら存在した。
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== 日本における歴史 ==
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<!--幹線鉄道を意識した上で、あえて接続する必要を重視せず (理解しにくいのでは?)--><!--既存の幹線鉄道との接続に固執せず、あえて軽便であることを選んだ最初の鉄道は、[[1888年]]に開業した[[伊予鉄道]]である(接続する路線が、そもそも存在しないという理由もある)。 ←伊予鉄道の前に、南海の前身の阪堺鉄道と工部省釜石鉱山鉄道(838mm)があります。一体、「接続」とは「直通運転」を考慮しないことですか?それとも他の路線と連絡しない「独立路線」であるということですか?鉄道網が形成されていない黎明期に、「接続」を考えること自体無駄な気がするのですが。-->
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=== 初期の歴史 ===
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日本において、初めて1067mm以外の軌間を採用した鉄道が現れたのは、[[1880年]]の[[工部省]][[釜石鉱山鉄道]]である。この鉄道は、イギリスからの資材輸入で建設され、同国の一部で見られた838mm(2フィート9インチ)軌間を採用した鉱石輸送用の[[専用鉄道]]であったが、開業からまもなくして廃線になり、資材は[[1885年]]に開業した[[阪堺鉄道]]([[南海電気鉄道]]の前身)へ譲渡された。なおこの鉄道は民営であり、軌間も釜石鉱山鉄道と同じで、[[日本鉄道]]や[[東京馬車鉄道]]に続く3番目の[[私鉄]]、1067mm未満の軌間を採用した初の私鉄となった。
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しかしその後、[[私設鉄道条例]]([[1887年]]制定)など私鉄設立を監査する法が制定され、さらに鉄道の軌間は原則として国鉄と同じ1067mmにする事が政府の方針(国鉄との[[直通運転]]を前提とし、将来は国有化する方針であったため)となったため、[[1888年]]に開業した[[伊予鉄道]](国鉄線と接続しない独立路線であり、かつ創業者がドコービルのシステムに感銘を受けたのが、採用の理由であったという)などを除いて、簡易規格の鉄道は[[軌道法]]に基づいた物を除き、ほとんど現れなくなった。
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=== 普及と発展 ===
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だが[[1906年]]の[[鉄道国有法]]公布後、私設鉄道条例改め[[私設鉄道法]]([[1900年]]制定)は条件が厳しすぎるとして、ほとんど新規に私設鉄道を敷こうという者がいなくなってしまった。これは国有化で金を使い、地方開発に大きな資金を使えない政府としては由々しき事態で、結局政府もより簡易な法律に基づいた鉄道の敷設を容認せざる得なくなり、結果的には「軽便鉄道」を推進する事となったのである。
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[[1909年]]に、「[[軽便鉄道法]]」という8条しかない法律が公布され、これを追いかけて国鉄線の収益を財源とする[[軽便鉄道補助法]]が制定されると、軽便鉄道は[[北海道]]を除く全国に爆発的に普及していった。
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しかし、軽便鉄道法の規定はあまりにも緩やか過ぎたため、[[1919年]]に「[[地方鉄道法]]」による[[地方鉄道]]に統合され、制度としての軽便鉄道は廃止された。
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北海道では開拓入植の促進のため、主に762mm規格の「[[殖民軌道]]」が1920年代中期以降盛んに敷設された。湿地や泥濘地の多い未開拓地域では大規模な客土工事を必要とする道路建設よりも軌道敷設の方が容易であり、自動車交通の普及以前でもあることから普及した手法であった。
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また[[モータリゼーション]]以前は、物資輸送の為に各地の工場や鉱山などで多数軌道が引かれており、ほとんどで設備投資が容易な762mm以下の軌道として専用鉄道が多数敷設されている。現在もごくわずかだが工場内などの専用軌道が残っており、また[[利根川]]や[[淀川]]など大規模河川改修やトンネル工事などでは簡易的に軌道が引かれていた、トンネル工事などでは現在でも軌道が引かれる場合が多い。大規模な例としては[[国土交通省立山砂防工事専用軌道]]などが有名である。
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忘れてはならない存在が[[森林鉄道]]である。林業の発展と共に、明治時代後期から日本全国各地に軌道が引かれた。[[木曽森林鉄道]]は有名な例である。こちらも1970年代までに、国内林業の衰退やモータリゼーション進展によって廃止に追い込まれている。
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=== 衰退の時代 ===
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軽便鉄道は、鉄道の最大の長所である高速大量輸送の能力を持たない。そのため、1920年代以降は[[路線バス]]の普及によって縮小傾向を迎え、1930年代に入ってからの新規開業例はほぼ途絶える。
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早くも1930年代末期までに多くの零細軽便鉄道が淘汰されている。[[第二次世界大戦]]中の戦時体制下では、短距離の観光路線である私鉄線が政策的に「[[不要不急線]]」として廃止を余儀なくされた例があり、軽便鉄道にもその被害を受けた路線があった。
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戦後まで残存した軽便鉄道は、燃料不足で自動車輸送が機能不全に陥っていた1940年代後半こそ買い出し客などの増加によって一時的に輸送量を増大させたものの、1950年代以降は[[モータリゼーション]]の進展によってバス・トラックや自家用車からの圧迫を受けるようになり、経営を悪化させ、1970年代までにほとんどが廃止された。
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北海道の殖民軌道は、その敷設地域の道路事情のあまりの劣悪さ故に第二次世界大戦後も地元町村に運営移管される形で存続した例が多く、1960年代中期に至っても路線延長がなされた例があったが、道路網の整備とモータリゼーションによって急速にその役割を失い、最後に残った[[浜中町営軌道]]が1972年3月限りで廃止された。
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=== 軽便鉄道の改軌・規格向上 ===
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軽便鉄道が輸送需要の増大などに応えるため、1067mm以上の軌間への[[改軌]]や[[鉄道の電化|電化]]など、より高い規格に改修される例は古くから見られた。
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特に客貨車の全国直通が可能な体制構築に努めていた鉄道省→[[日本国有鉄道]]は、私鉄買収によって国鉄線となった762mm軌間路線について、買収後早期に改軌工事を進めており、それは資材供給状況の厳しかった戦時中にも[[松浦鉄道西九州線|松浦線(現・松浦鉄道西九州線]]。旧・[[佐世保鉄道|佐世保軽便鉄道]])などで敢行されていた。1950年10月の[[釜石線]]全通に伴う旧・釜石西線区間(旧・岩手軽便鉄道)の改軌および一部廃止を最後に、762mm軌間の国鉄線は消滅している。
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しかしこのような工事は、ややもすれば新線建設に近い投資を必要とするため、資本力に乏しい民営鉄道では着手困難なことが多く、規格向上に踏み切れないうちにモータリゼーションの影響を受けるようになって廃止された軽便鉄道も多い。
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非電化軽便鉄道が、軌間はそのままに電化のみ行った例は多数存在する。戦前には輸送力増強目的で、また戦中戦後には石炭・石油燃料不足への対策として実例が多数生じた。だが1067mm以上へ改軌した例と比較すると、輸送力や速度の制約が大きいために、根本的な体質改善を遂げたとは言い難かった。電化された軽便鉄道もその後の改軌を伴わなかった場合、[[三重交通]]から[[近畿日本鉄道]]に移管された一部路線を例外として、結局全て廃止されている。
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なお762mm軌間からより高規格への改軌を行ったもっとも遅い例は、1962年の[[小坂製錬小坂線|同和鉱業小坂鉄道]](1067mm化および電化区間の非電化への変更)、1964年の[[近鉄湯の山線|三重電気鉄道三重線(湯の山線区間)]](1435mm化。同時に架線昇圧)であるが、前者は大規模な新鉱床発見に伴う貨物輸送能力の強化策、後者は観光開発需要に伴う規格向上であった。
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== 現存例 ==
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軽便鉄道の規格のままの鉄道は、[[近鉄内部・八王子線]]、[[三岐鉄道北勢線]]が残るのみである。[[黒部峡谷鉄道本線|黒部峡谷鉄道]]も[[狭軌|ナローゲージ]]の鉄道ではあるが、これは産業用の軌道が由来であり、広義の軽便鉄道の範疇に入る。
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1067mm軌間の[[大井川鐵道井川線]]は、もともと762mm軌間の[[千頭森林鉄道]]を起源にしており、現在でも軽便鉄道級サイズの特殊な車両・路線規格で運行されていることから、類例に含めることもできよう。
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また、これは軽便鉄道そのものではないが、1372mm軌間、1435mm軌間を走る車両であっても、路面電車は車体の大きさからすれば軽便鉄道に近い存在と言え、過去には四日市鉄道で1372mm軌間の路面電車を譲受し、車体はほぼそのままで台車だけ762mm軌間に改軌して使用した事例があった。
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産業用としては上記にもある国土交通省立山砂防工事専用軌道が工事用として、黒部峡谷鉄道の支線にあたる[[関西電力黒部専用鉄道]]はダムへの資材輸送用に森林鉄道では[[屋久島]]の[[安房森林軌道]]が現存している。
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その他、現在は[[私鉄]]線あるいは[[JR線]]となってはいるが、歴史を遡れば軽便鉄道として建設された路線は意外に多く存在する。
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== 保存活動ほか ==
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軽便鉄道については、施設規模や車両の小ささを生かして、各地で[[静態保存|動態保存]]の活動が活発に行われている。
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=== 代表的な保存事例 ===
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*[[北海道]][[遠軽町]]丸瀬布の森林公園「いこいの森」 蒸気機関車を含む森林鉄道車輌の保存運転
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*[[石川県]]立小松児童会館 旧[[尾小屋鉄道]]車両の保存運転
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*[[千葉県]]「[[成田ゆめ牧場]]」 [[羅須地人鉄道協会]]による蒸気機関車を含む産業用車輌の保存運転
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*[[長野県]][[野辺山SLランド]] 台湾製糖で使用された蒸気機関車や木曽森林鉄道の車両の保存運転
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*長野県[[赤沢自然休養林]] [[木曽森林鉄道]]の保存運転
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*[[高知県]][[馬路村]] [[魚梁瀬森林鉄道]]の保存運転
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1971年に廃止になった新潟県の[[頸城鉄道線|頸城鉄道]]の車輌のうち数両は、これを譲り受けた熱心な鉄道愛好者によって兵庫県内の山中に長年保管されていたが、2004年にその存在が明らかにされ、大きな反響を呼んだ。現車は新潟県に里帰りしている。
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他にも鉱山軌道を利用した紀州鉱山跡の[[湯ノ口温泉]]にあるトロッコ列車等のいくつかの保存活用例がある。
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=== 遊覧鉄道等 ===
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その他、遊戯鉄道の部類ではあるものの、[[福島県]][[伊達市 (福島県)|伊達市]]の[[やながわ希望の森公園前駅|やながわ希望の森公園]]や[[スカイピアあだたら]](旧[[グリーンピア二本松]])、[[千葉県]]の[[東京ディズニーランド]]、[[愛知県]]の[[愛知こどもの国]]などには、軽便鉄道規格の鉄道が設けられて蒸気機関車が運行され、往時の雰囲気を偲ばせている。
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伊予鉄道では、復刻した軽便鉄道の機関車を、[[明治時代]]の[[松山市|松山]]に滞在していた[[夏目漱石]]にちなんで「[[坊っちゃん列車]]」として走らせている。牽引車両は当時の[[蒸気機関車]]そっくりの外見であるが、現代の都市の路面を走行することからディーゼル動力であり、また軌道は既存の1067mm軌間である。
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==関連項目==
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{{commons|Category:Narrow gauge railways|{{PAGENAME}}}}
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*[[軽便鉄道法]]
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*[[軽便鉄道補助法]]
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*[[地方鉄道法]]
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*[[軌道法]]
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*[[:en:Narrow_gauge_railway]]
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==外部リンク==
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*[http://www.yumebokujo.com/ 成田ゆめ牧場]
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*[http://www.rass-rail.org/ 羅須地人鉄道協会]
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*[http://www.avis.ne.jp/~hinoki/page3_1_2_1.html 赤沢自然休養林]
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*[http://www.ytg.janis.or.jp/~slland/ 野辺山SLランド]
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{{デフォルトソート:けいへんてつとう}}
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[[Category:軽便鉄道|*]]
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[[Category:鉄道の歴史]]

2024年9月15日 (日) 15:04時点における最新版

軽便鉄道(けいべんてつどう)とは、その国・地域を代表する鉄道の規格よりも低い水準の規格で建設された鉄道を指す用語である。

概要[編集]

軽便鉄道には、建設費や維持費が抑えられるという長所があるが、線路幅が違う場合は積み替え・乗り換えの不便が生じ、線路幅が同じでも最高速度・輸送力が低く、過大な要求には応えることができないが、大きな資本を集める必要がないため、産業の未成熟な地方において限定的な発展を遂げた事例が多い。

日本において軽便鉄道とは、狭義には「軽便鉄道法」に基づいて建設された鉄道のみを指し、広義には森林鉄道殖民軌道鉱山鉄道など、鉄道法規の規定によらない低規格の鉄道も含める。通常は1067mm(3フィート6インチ)未満の狭い線路幅(軌間)で敷設されたものを指す。

軌間は日本の場合は762mm(2フィート6インチ)の場合が多いが、軽便鉄道法では軌間の制限がなかったため、軽便鉄道扱いで建設されたが国鉄並みの1067mmの路線や1435mm(4フィート8 1/2インチ)標準軌の路線も存在した。日本では1067mm軌間の路線は社会通念上の「軽便鉄道」に含まれない場合が多い。軌間にはこのほか、ポール・アルマン・ドコービル(Paul Decauville)の可搬式軌道システムに由来し、陸軍鉄道連隊でも採用された600mm(1フィート11 1/2インチ)~610mm(2フィート)、北九州地方で1930年代まで盛んに使われた914mm(3フィート)の例があり、それ以外の軌間も僅少ながら存在した。

日本における歴史[編集]

初期の歴史[編集]

日本において、初めて1067mm以外の軌間を採用した鉄道が現れたのは、1880年工部省釜石鉱山鉄道である。この鉄道は、イギリスからの資材輸入で建設され、同国の一部で見られた838mm(2フィート9インチ)軌間を採用した鉱石輸送用の専用鉄道であったが、開業からまもなくして廃線になり、資材は1885年に開業した阪堺鉄道南海電気鉄道の前身)へ譲渡された。なおこの鉄道は民営であり、軌間も釜石鉱山鉄道と同じで、日本鉄道東京馬車鉄道に続く3番目の私鉄、1067mm未満の軌間を採用した初の私鉄となった。

しかしその後、私設鉄道条例1887年制定)など私鉄設立を監査する法が制定され、さらに鉄道の軌間は原則として国鉄と同じ1067mmにする事が政府の方針(国鉄との直通運転を前提とし、将来は国有化する方針であったため)となったため、1888年に開業した伊予鉄道(国鉄線と接続しない独立路線であり、かつ創業者がドコービルのシステムに感銘を受けたのが、採用の理由であったという)などを除いて、簡易規格の鉄道は軌道法に基づいた物を除き、ほとんど現れなくなった。

普及と発展[編集]

だが1906年鉄道国有法公布後、私設鉄道条例改め私設鉄道法1900年制定)は条件が厳しすぎるとして、ほとんど新規に私設鉄道を敷こうという者がいなくなってしまった。これは国有化で金を使い、地方開発に大きな資金を使えない政府としては由々しき事態で、結局政府もより簡易な法律に基づいた鉄道の敷設を容認せざる得なくなり、結果的には「軽便鉄道」を推進する事となったのである。

1909年に、「軽便鉄道法」という8条しかない法律が公布され、これを追いかけて国鉄線の収益を財源とする軽便鉄道補助法が制定されると、軽便鉄道は北海道を除く全国に爆発的に普及していった。

しかし、軽便鉄道法の規定はあまりにも緩やか過ぎたため、1919年に「地方鉄道法」による地方鉄道に統合され、制度としての軽便鉄道は廃止された。

北海道では開拓入植の促進のため、主に762mm規格の「殖民軌道」が1920年代中期以降盛んに敷設された。湿地や泥濘地の多い未開拓地域では大規模な客土工事を必要とする道路建設よりも軌道敷設の方が容易であり、自動車交通の普及以前でもあることから普及した手法であった。

またモータリゼーション以前は、物資輸送の為に各地の工場や鉱山などで多数軌道が引かれており、ほとんどで設備投資が容易な762mm以下の軌道として専用鉄道が多数敷設されている。現在もごくわずかだが工場内などの専用軌道が残っており、また利根川淀川など大規模河川改修やトンネル工事などでは簡易的に軌道が引かれていた、トンネル工事などでは現在でも軌道が引かれる場合が多い。大規模な例としては国土交通省立山砂防工事専用軌道などが有名である。

忘れてはならない存在が森林鉄道である。林業の発展と共に、明治時代後期から日本全国各地に軌道が引かれた。木曽森林鉄道は有名な例である。こちらも1970年代までに、国内林業の衰退やモータリゼーション進展によって廃止に追い込まれている。

衰退の時代[編集]

軽便鉄道は、鉄道の最大の長所である高速大量輸送の能力を持たない。そのため、1920年代以降は路線バスの普及によって縮小傾向を迎え、1930年代に入ってからの新規開業例はほぼ途絶える。

早くも1930年代末期までに多くの零細軽便鉄道が淘汰されている。第二次世界大戦中の戦時体制下では、短距離の観光路線である私鉄線が政策的に「不要不急線」として廃止を余儀なくされた例があり、軽便鉄道にもその被害を受けた路線があった。

戦後まで残存した軽便鉄道は、燃料不足で自動車輸送が機能不全に陥っていた1940年代後半こそ買い出し客などの増加によって一時的に輸送量を増大させたものの、1950年代以降はモータリゼーションの進展によってバス・トラックや自家用車からの圧迫を受けるようになり、経営を悪化させ、1970年代までにほとんどが廃止された。

北海道の殖民軌道は、その敷設地域の道路事情のあまりの劣悪さ故に第二次世界大戦後も地元町村に運営移管される形で存続した例が多く、1960年代中期に至っても路線延長がなされた例があったが、道路網の整備とモータリゼーションによって急速にその役割を失い、最後に残った浜中町営軌道が1972年3月限りで廃止された。

軽便鉄道の改軌・規格向上[編集]

軽便鉄道が輸送需要の増大などに応えるため、1067mm以上の軌間への改軌電化など、より高い規格に改修される例は古くから見られた。

特に客貨車の全国直通が可能な体制構築に努めていた鉄道省→日本国有鉄道は、私鉄買収によって国鉄線となった762mm軌間路線について、買収後早期に改軌工事を進めており、それは資材供給状況の厳しかった戦時中にも松浦線(現・松浦鉄道西九州線。旧・佐世保軽便鉄道)などで敢行されていた。1950年10月の釜石線全通に伴う旧・釜石西線区間(旧・岩手軽便鉄道)の改軌および一部廃止を最後に、762mm軌間の国鉄線は消滅している。

しかしこのような工事は、ややもすれば新線建設に近い投資を必要とするため、資本力に乏しい民営鉄道では着手困難なことが多く、規格向上に踏み切れないうちにモータリゼーションの影響を受けるようになって廃止された軽便鉄道も多い。

非電化軽便鉄道が、軌間はそのままに電化のみ行った例は多数存在する。戦前には輸送力増強目的で、また戦中戦後には石炭・石油燃料不足への対策として実例が多数生じた。だが1067mm以上へ改軌した例と比較すると、輸送力や速度の制約が大きいために、根本的な体質改善を遂げたとは言い難かった。電化された軽便鉄道もその後の改軌を伴わなかった場合、三重交通から近畿日本鉄道に移管された一部路線を例外として、結局全て廃止されている。

なお762mm軌間からより高規格への改軌を行ったもっとも遅い例は、1962年の同和鉱業小坂鉄道(1067mm化および電化区間の非電化への変更)、1964年の三重電気鉄道三重線(湯の山線区間)(1435mm化。同時に架線昇圧)であるが、前者は大規模な新鉱床発見に伴う貨物輸送能力の強化策、後者は観光開発需要に伴う規格向上であった。

現存例[編集]

軽便鉄道の規格のままの鉄道は、近鉄内部・八王子線三岐鉄道北勢線が残るのみである。黒部峡谷鉄道ナローゲージの鉄道ではあるが、これは産業用の軌道が由来であり、広義の軽便鉄道の範疇に入る。

1067mm軌間の大井川鐵道井川線は、もともと762mm軌間の千頭森林鉄道を起源にしており、現在でも軽便鉄道級サイズの特殊な車両・路線規格で運行されていることから、類例に含めることもできよう。

また、これは軽便鉄道そのものではないが、1372mm軌間、1435mm軌間を走る車両であっても、路面電車は車体の大きさからすれば軽便鉄道に近い存在と言え、過去には四日市鉄道で1372mm軌間の路面電車を譲受し、車体はほぼそのままで台車だけ762mm軌間に改軌して使用した事例があった。

産業用としては上記にもある国土交通省立山砂防工事専用軌道が工事用として、黒部峡谷鉄道の支線にあたる関西電力黒部専用鉄道はダムへの資材輸送用に森林鉄道では屋久島安房森林軌道が現存している。

その他、現在は私鉄線あるいはJR線となってはいるが、歴史を遡れば軽便鉄道として建設された路線は意外に多く存在する。

保存活動ほか[編集]

軽便鉄道については、施設規模や車両の小ささを生かして、各地で動態保存の活動が活発に行われている。

代表的な保存事例[編集]

1971年に廃止になった新潟県の頸城鉄道の車輌のうち数両は、これを譲り受けた熱心な鉄道愛好者によって兵庫県内の山中に長年保管されていたが、2004年にその存在が明らかにされ、大きな反響を呼んだ。現車は新潟県に里帰りしている。

他にも鉱山軌道を利用した紀州鉱山跡の湯ノ口温泉にあるトロッコ列車等のいくつかの保存活用例がある。

遊覧鉄道等[編集]

その他、遊戯鉄道の部類ではあるものの、福島県伊達市やながわ希望の森公園スカイピアあだたら(旧グリーンピア二本松)、千葉県東京ディズニーランド愛知県愛知こどもの国などには、軽便鉄道規格の鉄道が設けられて蒸気機関車が運行され、往時の雰囲気を偲ばせている。

伊予鉄道では、復刻した軽便鉄道の機関車を、明治時代松山に滞在していた夏目漱石にちなんで「坊っちゃん列車」として走らせている。牽引車両は当時の蒸気機関車そっくりの外見であるが、現代の都市の路面を走行することからディーゼル動力であり、また軌道は既存の1067mm軌間である。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]