「伊原直子」の版間の差分
(新規 声楽家(アルト)、オペラ歌手) |
細 (追記) |
||
1行目: | 1行目: | ||
− | '''伊原直子'''(いはら なおこ、[[1945年]][[2月14日]] - )は、[[声楽家]] | + | '''伊原直子'''(いはら なおこ、[[1945年]][[2月14日]] - )は、[[声楽家]](アルト)、オペラ歌手、音楽教育者。聖徳大学音楽学部客員教授。東京藝術大学名誉教授。元[[聖徳大学]]音楽学部教授。名実共に日本を代表する[[プリマドンナ]]。 |
==概要== | ==概要== | ||
+ | ==修業時代== | ||
[[1945年]]、東京都出身。1967年、[[東京芸術大学]]卒業。1969年、同大学院修了。[[1971年]]西独政府給費留学生として[[ミュンヘン国立音楽大学]]に留学し、[[エルンスト・ヘフリガー]]に師事。 | [[1945年]]、東京都出身。1967年、[[東京芸術大学]]卒業。1969年、同大学院修了。[[1971年]]西独政府給費留学生として[[ミュンヘン国立音楽大学]]に留学し、[[エルンスト・ヘフリガー]]に師事。 | ||
+ | ==演奏活動== | ||
[[1969年]]「ラインの黄金」のエルダでオペラデビュー。続いて「[[カルメン]]」のタイトルロールで好評を博す。N響はじめ主要オーケストラと共演し高い評価を得る。[[1975年]](昭和50年)フランス ストラスブール歌劇場(Opera du Rhin)専属歌手(1980年まで)。「カルメン」「[[オルフェウス]]」「ジークフリート」等に出演<ref>[http://www.horie-nobuo.com/ono/guest/g041.html 伊原直子(アルト)インタビュー]</ref>。 | [[1969年]]「ラインの黄金」のエルダでオペラデビュー。続いて「[[カルメン]]」のタイトルロールで好評を博す。N響はじめ主要オーケストラと共演し高い評価を得る。[[1975年]](昭和50年)フランス ストラスブール歌劇場(Opera du Rhin)専属歌手(1980年まで)。「カルメン」「[[オルフェウス]]」「ジークフリート」等に出演<ref>[http://www.horie-nobuo.com/ono/guest/g041.html 伊原直子(アルト)インタビュー]</ref>。 | ||
− | ルツブルグ、ルクセンブルグ、ヘルブルン音楽祭、西独にて「ボリス・ゴドゥノフ」「カルメン」に出演し、コンサートでは「復活」「マタイ受難曲」等、数多く歌う。[[1980年]]二期会オペラ公演「カルメン」のタイトルロール、「トロヴァトーレ」(A・エレーデ指揮)のアズチェーナ役を演唱。[[1981年]] | + | ルツブルグ、ルクセンブルグ、ヘルブルン音楽祭、西独にて「ボリス・ゴドゥノフ」「カルメン」に出演し、コンサートでは「復活」「マタイ受難曲」等、数多く歌う。[[1980年]]二期会オペラ公演「カルメン」のタイトルロール、「トロヴァトーレ」(A・エレーデ指揮)のアズチェーナ役を演唱。[[1981年]]に帰国。その後「アイーダ」「ペレアスとメリザンド」「ワルキューレ」等に出演。1982年、東京藝術大学音楽学部声楽科非常勤講師。[[1989年]][[ボストン交響楽団]]とボストン、香港、日本でマーラー「復活」のソリストを務める。[[1990年]]2月の二期会創立40周年記念公演「蝶々夫人」のスズキで好評を博し、7月にはサヴォリンナ・オペラフェスティバル(フィンランド)に参加し同公演に出演。[[1991年]]2月の「[[リゴレット]]」、7月には「神々の黄昏」を歌う。1995年、東京藝術大学音楽学部声楽科助教授。2000年、東京藝術大学音楽学部声楽科教授。2012年3月、東京藝術大学音楽学部声楽科教授を退任。 |
− | + | ==大学指導== | |
+ | 現在は客員教授。 | ||
*学部指導 | *学部指導 | ||
**声楽実技 | **声楽実技 | ||
20行目: | 23行目: | ||
*2020年(令和2年)度文化庁長官表彰 | *2020年(令和2年)度文化庁長官表彰 | ||
==主な役職== | ==主な役職== | ||
− | * | + | *[[瀧廉太郎]]コンクール審査員、 |
− | * | + | *[[東京二期会オペラ]]幹事、 |
*日本声楽家協会理事、 | *日本声楽家協会理事、 | ||
*東京藝術大学教育研究評議員、 | *東京藝術大学教育研究評議員、 | ||
*モーツァルトコンクール審査員、 | *モーツァルトコンクール審査員、 | ||
− | * | + | *[[日生劇場]]オーディション審査員、 |
*宮日コンクール審査員、 | *宮日コンクール審査員、 | ||
*シュガーホール新人コンクール審査員、 | *シュガーホール新人コンクール審査員、 | ||
35行目: | 38行目: | ||
{{DEFAULTSORT:いはら なおこ}} | {{DEFAULTSORT:いはら なおこ}} | ||
− | [[Category: | + | [[Category:声楽家]] |
[[Category:1945年生]] | [[Category:1945年生]] | ||
[[Category:存命人物]] | [[Category:存命人物]] |
2022年1月3日 (月) 22:56時点における最新版
伊原直子(いはら なおこ、1945年2月14日 - )は、声楽家(アルト)、オペラ歌手、音楽教育者。聖徳大学音楽学部客員教授。東京藝術大学名誉教授。元聖徳大学音楽学部教授。名実共に日本を代表するプリマドンナ。
概要[編集]
修業時代[編集]
1945年、東京都出身。1967年、東京芸術大学卒業。1969年、同大学院修了。1971年西独政府給費留学生としてミュンヘン国立音楽大学に留学し、エルンスト・ヘフリガーに師事。
演奏活動[編集]
1969年「ラインの黄金」のエルダでオペラデビュー。続いて「カルメン」のタイトルロールで好評を博す。N響はじめ主要オーケストラと共演し高い評価を得る。1975年(昭和50年)フランス ストラスブール歌劇場(Opera du Rhin)専属歌手(1980年まで)。「カルメン」「オルフェウス」「ジークフリート」等に出演[1]。 ルツブルグ、ルクセンブルグ、ヘルブルン音楽祭、西独にて「ボリス・ゴドゥノフ」「カルメン」に出演し、コンサートでは「復活」「マタイ受難曲」等、数多く歌う。1980年二期会オペラ公演「カルメン」のタイトルロール、「トロヴァトーレ」(A・エレーデ指揮)のアズチェーナ役を演唱。1981年に帰国。その後「アイーダ」「ペレアスとメリザンド」「ワルキューレ」等に出演。1982年、東京藝術大学音楽学部声楽科非常勤講師。1989年ボストン交響楽団とボストン、香港、日本でマーラー「復活」のソリストを務める。1990年2月の二期会創立40周年記念公演「蝶々夫人」のスズキで好評を博し、7月にはサヴォリンナ・オペラフェスティバル(フィンランド)に参加し同公演に出演。1991年2月の「リゴレット」、7月には「神々の黄昏」を歌う。1995年、東京藝術大学音楽学部声楽科助教授。2000年、東京藝術大学音楽学部声楽科教授。2012年3月、東京藝術大学音楽学部声楽科教授を退任。
大学指導[編集]
現在は客員教授。
- 学部指導
- 声楽実技
- 舞台表現演習
- 大学院
- 声楽演奏研究
- 舞台表現演習
- 歌曲特殊研究C
受賞[編集]
- 1967年安宅賞受賞。
- 1970年芸術選奨文部大臣新人賞、
- M.B.C.A.J賞受賞。
- 第8回ウィンナワールドオペラ賞(現ジローオペラ賞)大賞受賞
- 2020年(令和2年)度文化庁長官表彰
主な役職[編集]
- 瀧廉太郎コンクール審査員、
- 東京二期会オペラ幹事、
- 日本声楽家協会理事、
- 東京藝術大学教育研究評議員、
- モーツァルトコンクール審査員、
- 日生劇場オーディション審査員、
- 宮日コンクール審査員、
- シュガーホール新人コンクール審査員、
- 飯塚新人音楽コンクール審査員、
- 公益社団法人日本演奏連盟常任理事、