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2021年10月21日 (木) 12:46時点における最新版
ショパン国際ピアノコンクール(International Chopin Piano Competition)はポーランドのワルシャワで開催される国際的なピアノコンクールである。若手の登竜門と言われる。現在はフレデリックショパン研究所が主催する。クラシック音楽では最も高い評価を受ける音楽コンクールのひとつである。
概要[編集]
1925年にポーランドの ピアニストで指揮者のイェジ・ジュラヴレフ教授(ワルシャワ音楽院)が戦争で荒廃した人々の心を癒そうと考え、基金を探し、1927年に第一回コンクールを開催した[1]第二次世界大戦中と2020年にはコロナのため延期された。
公式ピアノ[編集]
使用するピアノはスタインウェイ、ヤマハ、カワイ、ファツィオリの4製造者から、演奏者は選ぶことができる。日本製ピアノを使用した参加者の優勝は2010年第16回のユリアンナ・アヴデーエワ(ロシア)で、ヤハマCFXを使用した。
歴代入賞者=[編集]
回数 | 開催年 | 1位 | 2位 | 3位 |
---|---|---|---|---|
1 | 1927 | レフ・オボーリン | Stanisław Szpinalski | Róża Etkin |
2 | 1932 | アレクサンダー・ウニンスキー | ImreUngár | Bolesław Kon |
3 | 1937 | Yakov Zak | 未記入 | 未記入 |
4 | 1949 | ベラ・ダヴィドヴィチ/ Halina Czerny-Stefańska | Barbara Hesse-Bukowska | Waldemar Maciszewski |
5 | 1955 | アダム・ハラシェヴィチ | ウラディーミル・アシュケナージ | フー・ツォン |
6 | 1960 | マウリツィオ・ポリーニ | Irina Zaritskaya | Tania Achot-Haroutounian |
7 | 1965 | マルタ・アルゲリッチ | Arthur Moreira Lima | Marta Sosińska |
8 | 1970 | ギャリック・オールソン | 内田光子 | Piotr Paleczny |
9 | 1975 | クリスティアン・ツィマーマン | Dina Joffe | Tatyana Fedkina |
10 | 1980 | ダン・タイ・ソン | Tatyana Shebanova | Arutyun Papazyan |
11 | 1985 | スタニスラフ・ブーニン | Marc Laforet | Krzysztof Jabłoński |
12 | 1990 | 該当なし | Kevin Kenner | 横山幸雄 |
13 | 1995 | 該当なし | Philippe Giusiano/ Alexei Sultanov | Gabriela Montero |
14 | 2000 | ユンディ・リ | Ingrid Fliter | Alexander Kobrin |
15 | 2005 | Rafał Blechacz | 該当なし | Dong-Hyek Lim/ Dong-Min Lim |
16 | 2010 | Yulianna Avdeeva | Lukas Geniušas/ Ingolf Wunder | Daniil Trifonov |
17 | 2015 | チョ・ソンジン | Charles Richard-Hamelin | Kate Liu |
18 | 2021 | Bruce Xiaoyu Liu | 反田恭平/ Alexander Gadjiev | Martín García García |
評価方式[編集]
第1から第3ステージまでは、ポイント方式とYes-No方式の二つで評価される。審査員は自分の「生徒」を評価することはできない。審査員は参加者の演奏を最低1点から最高25点(小数点無し)で評価を行う。平均点が小数点以下2桁まで計算され、審査員の評価点と全体平均点の差が第1ステージで3点、第2・第3ステージで2点ある場合は、その評価点が修正され、第二平均点が算出される。Yes-No方式では各審査員は、次のステージに進ませたいかどうかをYesとNoで意思表示する。
日本人入賞者[編集]
- 第15回 ショパン国際ピアノコンクール」に辻井伸行は最年少の17歳で参加し、「批評家賞」を受賞したが、第二次予選から本選には進めなかった。
- 日本人の歴代最高位は第8回(1970年)に内田光子が2位となり、第18回(2021年)に反田恭平が同じく2位となった。
世界三大音楽コンクール[編集]
世界三大音楽コンクールは次の3つと言われる。
- エリザベート王妃国際音楽コンクール(ベルギー)、
- チャイコフスキー国際コンクール(ロシア)
- ショパン国際ピアノコンクール(ポーランド)
エピソード[編集]
ポゴレリチ事件[編集]
1980年の第10回で審査員のアルゲリッチが22歳で参加したイーヴォ・ポゴレリチが予選落ちしたため「彼は天才よ!」と怒り、途中帰国してしまったことは有名である。 多くの審査員がポゴレリチの演奏をショパコンにふさわしくないと評価したようである。 アルゲリッチがショパン国際ピアノコンクールの審査員に復帰したのは20年後の2000年であった。審査員達は急遽ポゴレリチに審査員特別賞を与えた。
アシュケナージ事件[編集]
1955年の第5回で審査員のアルトゥーロ・ベネデッティ=ミケランジェリは、田中希代子の評価はもっと高い、アシュケナージとハラシェヴィチの順位は入れ替えるべきと主張し、サインを拒否してワルシャワを去った[1]。
参考文献[編集]
- ↑ 1.0 1.1 ショパン国際ピアノコンクールの歴史ヤマハ