「信濃町」の版間の差分
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2018年10月10日 (水) 12:05時点における最新版
信濃町(しなのまち)は、東京都新宿区の町名。町域の人口は979人[1]。住居表示は実施しておらず、郵便番号は160-0016。
町域にはJR中央線の信濃町駅があり、外苑東通りを境界として西側には慶應病院、東側には創価学会関連施設が多数所在することで知られる。
概要[編集]
新宿区の南部に位置する。町域北部は、須賀町と一部左門町に接し、東部から南東部にかけては、南元町に接する。東部の一部は、若葉三丁目に接している。南部は、JR中央線の線路などを境に、霞ヶ丘町に繋がり、西部は大京町に繋がる。
外苑東通りの西側は、慶應義塾大学病院・慶應義塾大学信濃町キャンパス(医学部)や東京電力病院、民音音楽博物館などが見られる。反対に地域南部の外苑東通りの東側では、創価学会本部など創価学会の関連施設が立ち並ぶ地域となっており、「学会村」とも呼ばれる[2]。地域の南端付近には中央・総武線の信濃町駅がある。
町域中央を外苑東通りが縦貫している。幹線道路沿いは、各種ビルが立ち並ぶが、道路から離れると、北部は住宅地になっている。
- 宗教事情や政界事情を語る際、創価学会のことを本部がある所在地である「信濃町」という隠語で表現することがある(政界に関しては公明党を指す。政界隠語として各党の本部を所在地で表すのはよくあることである)。
- 「信濃町商店振興会」加盟店のステッカーは創価学会のシンボルである三色旗と同じく赤、黄、青の三色のものである[2]。また、町内では三色をワンポイントとして用いた商店等の看板が随所にみられる。
歴史[編集]
地名の由来[編集]
地名の由来は、当地に江戸時代の幕臣・永井尚政(信濃守)の屋敷があったことによっている[2]。
沿革[編集]
- 1873年(明治6年)外苑東通りを境に四谷東信濃町と千駄ヶ谷西信濃町ができる。
- 1943年(昭和18年)四谷東信濃町と千駄ヶ谷西信濃町が合併し、信濃町となる。
- 1953年(昭和28年)創価学会本部が信濃町に移転。
- 1966年(昭和41年)9月12日、創価学会本部の要請により池田大作が信濃町に転居。
町名と町域の変遷[編集]
1872年(明治5年)7月 |
1879年(明治12年)4月 | 1891年(明治24年)3月 | 1911年(明治44年)5月 | 1943年(昭和18年)4月 |
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四ッ谷東信濃町 | → | → | 東信濃町 | 信濃町 |
千駄ヶ谷西信濃町 | (南豊島郡千駄ヶ谷村) 字西信濃町 |
(四谷区に編入) 四ッ谷西信濃町 |
西信濃町 | |
千駄ヶ谷仲町一丁目 | (南豊島郡千駄ヶ谷村) 字火薬庫前 | |||
千駄ヶ谷仲町二丁目 |
- 行政区分の変遷
- 1868年(明治元年) - : 東京府
- 1878年(明治11年) - : 東京府四谷区
- 1889年(明治22年) - : 東京府東京市四谷区
- 1943年(昭和18年) - : 東京都四谷区
- 1947年(昭和22年) - : 東京都新宿区
施設[編集]
- 旧・西信濃町地区
- 旧・東信濃町地区
脚注[編集]
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